デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
2款 十勝開墾合資会社(十勝開墾株式会社)
■綱文

第54巻 p.121-125(DK540035k) ページ画像

明治43年6月9日(1910年)

是日栄一、当会社農場長小田信樹ノ葬儀ニ参列ス。


■資料

(八十島親徳)日録 明治四三年(DK540035k-0001)
第54巻 p.121 ページ画像

(八十島親徳)日録  明治四三年      (八十島親義氏所蔵)
六月九日 晴
朝兜町、午後○中略 谷中斎場ニ小田信樹氏葬儀ニ会ス、小田氏ハ十勝開墾会社農場長トシテ毎年春上京ノ節ハ、数十日間毎日兜町ニテ出会、昼飯ヲ共ニスル等ノ関係アリシ老人故勉メテ会葬セシ也、男爵・若主人共々会葬アリ○下略


竜門雑誌 第二六五号・第六四頁明治四三年六月 ○小田信樹君の逝去(DK540035k-0002)
第54巻 p.121 ページ画像

竜門雑誌  第二六五号・第六四頁明治四三年六月
    ○小田信樹君の逝去
本社会員十勝開墾合資会社農場長小田信樹君は、昨年病に冒され上京の上順天堂の治療を受け、次いて之に入院し、専心加養せられしが、天遂に年を仮さす、五月二十九日午後八時不幸にも逝去せられたり、君は三十一年三月同社副農場長として十勝農場に赴任し、其後農場長となり、爾来十三年間一日の如く鋭意其開拓に従事し、其の始め無人の境なりし原野も今や住民四百余戸、開墾地三千余町歩を算するに至れりと云ふ、君の功労の大なるを察すべし、同社は尚君に待つ処益々多かりしに、忽ち幽明処を異にするに至る、啻に君の為めに痛惜するのみならず、会社の為め惜むべきことなりとす。



〔参考〕竜門雑誌 第二六五号・第五九頁明治四三年六月 ○渋沢社長の弔辞(DK540035k-0003)
第54巻 p.121-122 ページ画像

竜門雑誌  第二六五号・第五九頁明治四三年六月
    ○渋沢社長の弔辞
  左の一篇は本社社長渋沢篤二君が故従七位小田信樹君の葬儀の際朗読せられたる弔辞なり
 十勝開墾合資会社農場長従七位小田信樹君の霊に告く
回顧すれば明治三十一年本社を創立するに当りて、君は副農場長と為りて其予定地たる北海道十勝原野に赴く、此地や天造草昧にして林莽闡けず、道路通せず、人跡未だ到らざるの曠野なりしが、君自から能く勇を鼓して農場長を援け、移民拓地の業に尽瘁し、三十二年十二月に至り進んで農場長となる、而して三十四・五年の交、財界違調の為め資金の供給円滑ならずして事業予期の如く進行せず、出資者多く解散を主張すと雖、君断乎として前途有望の説を立て、刻苦励勤老躯を以て冱寒の地に留まり、移民を招募して頻りに開墾を奨励し、自来玆に十有余年、村落相連なり、住民四百余戸、田園三千町歩、生意津々として鶏犬相聞ゆるの観あるに至る、君の功績大なりと謂ふべし、不幸にして客秋二豎に侵され、東京に来りて療養せられしが、天之に年
 - 第54巻 p.122 -ページ画像 
を仮さず、五月二十九日溘然長逝せらる、嗚呼哀哉
今や将に農場全部の成効を告げんとするに際し、忽ちにして幽明境を異にす、曷く痛惜に堪へんや、然れども君が畢生の遺業は長に十勝の広域に存して、上は北海拓殖の朝旨に対して誠意率順の実を効はし、下は本社永遠の計画を翼賛して能く其職責を尽くし、俯仰天地に愧ちさるを以て其名定まるを得たり、君以て瞑すべし、此に謹で弔詞を呈す、冀くは享けられんことを
  明治四十三年六月九日
               十勝開墾合資会社々長
                  従五位 渋沢篤二



〔参考〕本社往復書類 明治四三年(DK540035k-0004)
第54巻 p.122-123 ページ画像

本社往復書類  明治四三年     (十勝開墾株式会社所蔵)
    故小田農場長功蹟調(概要)
一 故小田農場長ハ静岡県小笠郡横地村東横地千八百九拾六番地ノ士族ニシテ、明治参拾壱年ヨリ同四十三年ニ至ル拾参ケ年間当社農場首脳トシテ勤続セラレ、客月二十九日永眠セラル、今功蹟ノ一端ヲ叙述スレバ大要左ノ如シ
一 明治参拾壱年農場会計主任トシテ赴任、専ラ会計事務ヲ管掌セラル
一 同参拾参年町村金弥氏農場長《(弐)》ノ職ヲ辞セラルヽヤ、直ニ其後任トナリ、小作者ノ募集、未開地ノ開墾及牛馬ノ蕃殖改良、部下職員以下ノ指揮監督ニ至ル迄一切之レヲ統轄セラレ、殊ニ牛馬ノ飼養蕃殖ニ就テハ細微ノ点ニ至ル迄注意ヲ怠ラズ、万事指揮及計画其宜敷ヲ得タルノ結果、当時曾テ足跡ヲ印セシ事ナキ鬱蒼茫漠タル原野モ漸次開拓セラレ、今ヤ其地積弐千数百町歩、小作戸数四百有余ニ達シ、其彼岸ニ達セントスルノ機運ニ向ヒタリ、之レ全ク農場長ノ功蹟ニアラズシテ何ゾヤ、今ヤ其功蹟而已ヲ残シ其人無シ、嗚呼
一 明治卅一年度ニ於ケル十勝国内ノ洪水ハ前代未聞ノ惨状ヲ現シタル結果、移住スルモノ尠キ為メ、応募者ノ減少ハ開墾ノ進捗ニ影響ヲ及シタルノ故ヲ以テ、翌三十二年起業期間ヲ弐ケ年間ノ延期ヲ出願許可ヲ得タリ
一 同三十三年帯広市街予定地ヲ貸付セラルヽヤ、拾戸分ノ貸付ヲ出願許可ヲ得、農場経費ノ剰余ヲ以テ漸次成功附与ヲ受ケ会社財産ノ増殖ヲ図レリ
一 同三十四年宮城県ヨリ小作人募集ノ計画ヲ定メラレ、自ラ同県下ニ出張、二十二戸ヲ募集セリ
一 同三十五年度ニ於ケル経済界ノ不況ハ農場事業ニ影響ヲ及シ、為メニ起業方法ニ副ヒ開墾困難ナルノ故ヲ以テ、札内原野ノ大部及屈足原野ノ全部ヲ官ニ返還スルト同時ニ、起業期間一ケ年延期ヲ出願許可ヲ得タリ、而シテ同年度ニ於テ起業方法ニ副ベキ土地開墾及小作戸数ヲ増加セシムル必要上第四種小作法ヲ設ケ、字ニトマツプヘ小作人五十戸ヲ入場セシムル事トセリ、如上ノ如ク悲境ニ陥リ間髪ヲ入レザルノ機ニ際シ、大英断ヲ以テ適当ノ措置ヲ取
 - 第54巻 p.123 -ページ画像 
ラレタル当時ノ状態ヲ想像スル時ハ、場長ノ苦慮量察スベキモノアリトス
一 同四十一年字関山及札内ノ残地ヲ小作人ヘ譲渡出願ニ付、牧場ニ対スル起業方法ヲ新法令ニ依リ変更方出願許可ヲ得タル結果、牧牛馬頭数ヲ半減スル事ヲ得タリ
一 同四十一年度ヨリ小作料等級設定及料金改正ノ議ヲ決セラレ、四十三年度ヨリ実施スル事トセリ
一 老齢ノ身ヲ以テ寒気酷烈気候不順ノ地ニ、一意専心十三ケ年間一日ノ如ク農場ノタメ尽砕《(瘁)》セラレタルハ、誠ニ其功労没スベカラザルモノアリトス
右ノ外自費開墾ノ方法及臨時貸地ノ方法ヲ設ケ、経費ヲ節約スルト同時ニ収入ノ増加ヲ計ル等一々枚挙ニ遑アラズ
  明治四十参年五月三十一日 起稿



〔参考〕本社関係書類 明治四三年(DK540035k-0005)
第54巻 p.123 ページ画像

本社関係書類  明治四三年     (十勝開墾株式会社所蔵)
    申請書
当農場創業已来十数年、今ヤ玆ニ今明両年度ニ於テ第一期ノ起業方法完結セントスルニ当リ、社長閣下ニ本年八月ヲ期シ御臨場ヲ仰キ、当場将来ノ発展ヲ画セラレン事ヲ伏シテ願上候
一 当農場ハ一農場ト雖トモ本道第一ノ面積ヲ有シ、内地各府県ノ一大郡ニ匹敵ス、戸数約五百ニ垂ントス、而シテ是レガ小作人ハ内地ノ墳墓ノ地ヲ去リ、 《(欠字)》寒激烈ノ異郷、鬱蒼タル森林、広漠タル原野ニ掘建草小屋土間住居シ、開拓ニ従事スル労苦ハ、内地小農家ノ比ニアラズ、之レヲ慰スルノ方法ハ甚ダ乏シトス
二 社長閣下常ニ小職ノ申請ヲ許容セラレ、御臨場ノ上成績優等ノモノ数名ニ御賞与ノ恩典アラバ、当農場ノ発展期シテ疑ハス
三 開拓耕耘土地ノ質、草木ノ種類、飼畜状況
四 本年試作ノ水田状況、其結果将来方針
以上ノ外御臨場ノ上御視察相成御指導ヲ賜ハラバ、職員及小作人等ニ至ルマテ裨益スル事多大ナリトス、右御聴許ノ上御臨場アラン事ヲ申請候也
  四十三年六月廿一日
              農場長事務代理 吉田嘉市
    社長渋沢篤二殿



〔参考〕(十勝開墾株式会社)農場経営ノ方法及其成績(DK540035k-0006)
第54巻 p.123-124 ページ画像

(十勝開墾株式会社)農場経営ノ方法及其成績
                  (十勝開墾株式会社所蔵)
    十勝開墾株式会社農場小作人褒賞及救恤内規
第一条 本内規ハ農場小作人ノ弊風ヲ矯正シ、農業ノ改良発達ヲ奨励スルト同時ニ、善行ヲ賞シ、罹災者ヲ救恤及撫育スルヲ目的トス
第二条 左ノ各号ノ一ニ該当スル者ニハ褒状ニ金参円以内ノ物品ヲ添ヘテ之ヲ賞ス
  但シ第三号ニ該当スルモノニハ物品ノミヲ以テ賞ス
 一、小作地全部ヲ契約期間内ニ墾了シ、且厩肥及堆積肥料ヲ施シ、
 - 第54巻 p.124 -ページ画像 
之カ耕耘ニ精励シ、地力以上ノ収穫ヲ挙ケ、他ノ模範トナルベキモノ
 二、他ニ率先シテ自ラ水田ヲ拓キ、衆人ニ模範ヲ示シタルモノ
 三、割付地小作料ヲ三ケ年以上引続キ納期前ニ完納シタルモノ
 四、勤倹節約ヲ守リ、且ツ父母ニ孝養ヲ尽シ、衆人ノ模範トナルベキモノ
第三条 個人若クハ団体ニシテ、道路排水溝ノ保護及修繕ヲ為シ、他ノ模範トナルベキモノニハ、其ノ程度ニ依リ金参円以内ノ酒肴料ヲ賞与ス
第四条 左ノ各号ノ一ニ該当スル罹災者ニハ、左記範囲内ニ於テ金品ヲ救恤ス
 一、戸主死亡シタル者アル時ハ金弐円ヲ香料トシテ贈与シ、且農場長又ハ代理人会葬スル事
    但シ死亡者ニシテ会社ニ属《(対)》シ特ニ功労アル者、又ハ本内規第二条ノ各号又ハ第三条ノ賞与ヲ受ケタル者ニハ、金参円迄ヲ贈与スルコトヲ得
 二、家族死亡シタル者アル時ハ金壱円ヲ香料トシテ贈与ス
    但シ三歳未満ノ者ニアリテハ贈与セサル事アルベシ
 三、水火震災等ノ為メ損害ヲ蒙リタル者アル時ハ、其ノ損害ノ程度ニ依リ金五円以内ヲ贈与ス
    但シ物品ヲ以テ之ニ替ユル事ヲ得
第五条 徴兵ニ応シ入営スル者アル時ハ金壱円、戦時若クハ事変ニ際シ応召スル者アル時ハ金参円ヲ餞別トシテ贈与ス
 前項ノ徴兵満期トナリ、又ハ戦時事変終了シテ帰郷シタル者アル時ハ金参円以内ヲ慰労トシテ贈与ス
  但シ在営中懲罰ヲ受ケタル者ニハ贈与セズ
第六条 第二条ノ褒賞ハ農場長ノ上申ニ依リ社長之ヲ授与シ、第三条乃至第五条ノ贈与ハ農場長之ヲ執行ス
  但シ農場長執行シタルモノハ其都度社長ニ報告スルモノトス
第七条 本内規第二条第一号及第三号ハ第四種及臨時貸地小作人ニ適用セス
第八条 本内規ニ定ムルモノヽ外、褒賞救恤ヲ必要トスルモノアリタル時ハ、農場長ノ上申ニ依リ本内規ニ準シ之ヲ行フモノトス
第九条 本内規ハ明治四十三年十一月一日ヨリ実施スルモノトス



〔参考〕竜門雑誌 第二六三号・第一―六頁明治四三年四月 ○予が土地に放資せざる理由(DK540035k-0007)
第54巻 p.124-125 ページ画像

竜門雑誌  第二六三号・第一―六頁明治四三年四月
    予が土地に放資せざる理由
 本欄に掲ぐる所のものは、本誌記者が親しく青淵先生に就きて教を乞ひ、随て聴き随て筆し、特に先生の親閲を煩はしたるものなり、乃ち尋常の説話と其撰を異にせるを知るべきなり
                      記者識
○中略
      ○学理的農事経営
夫れから北海道の十勝に農場を持つて居る。是れはドウも歳月が短い
 - 第54巻 p.125 -ページ画像 
から未だ予期の目的は立たないが、追々水田も起し得られるだらうと思ふ。一昨年実地を見たが、相当の土地のやうで、将来相当の望みがある。此等は土地を買つた例であるが、敢て金を儲ける意味ではない一種の農事改良の主義として、余り手の這入つて居らぬ荒蕪地に対し己れの一手で学理的農事経営をやつて見たいと云ふに過ぎない。
○下略