デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
2款 十勝開墾合資会社(十勝開墾株式会社)
■綱文

第54巻 p.130-137(DK540037k) ページ画像

大正4年1月31日(1915年)

是日栄一、三男武之助宅ニ於テ、当会社社長植村澄三郎及ビ農場長吉田嘉市等ト共ニ、当会社ノ事業ニ関シ要談ス。創設以来経営困難ヲ続ケタル当会社、是年初メテ五分ノ利益配当ヲ行フ。同五年二月二日、通常社員総会ニ於テ、資本金ヲ二十万円ニ増加ノ件ヲ議決シ、次イデ三月二十五日、臨時社員総会ニ於テ、組織ヲ改メテ株式会社トスルノ件ヲ議決ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK540037k-0001)
第54巻 p.130-131 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年          (渋沢子爵家所蔵)
一月卅一日 雨
○上略 午後六時西ケ原武之助ノ家ニ抵リ、植村・吉田其他ノ諸氏ト共ニ夜飧ス、十勝開墾会社ノ事ヲ談スル為ナリ、夜飧中余興アリ、夜十一時帰宿○下略
  ○中略。
二月三日 夜来ノ雨ハ歇ミタレトモ天気曇リテ気候少ク暖ナリ
○上略 朝飧ス、畢テ日記ヲ編ス○中略 十勝開墾会社吉田嘉一氏来話《(吉田嘉市)》ス○下略
  ○中略。
 - 第54巻 p.131 -ページ画像 
二月廿四日 晴
午前七時起床入浴シテ朝飧シ○中略 依田勉三氏来リ、北海道開墾ノ事ヲ談ス○下略


竜門雑誌 第三二九号・第八二頁大正四年一〇月 ○青淵先生と北海道(DK540037k-0002)
第54巻 p.131 ページ画像

竜門雑誌  第三二九号・第八二頁大正四年一〇月
○青淵先生と北海道 青淵先生経営事業中、北海道に関係ある者尠からざるは既に世に知られたる事実なるが、之に就て八十島親徳氏が小樽に於て同地新聞記者に語りたる所なりとて、小樽新聞に掲載せるもの左の如し
 前略 今次再遊にあたり進歩発達の蹟歴々眼に著しきものあるを見て、甚だ驚嘆に堪へず、海に山に利源に富める北海道の前途は多々幸福ならずんばあらず、我が渋沢家は第一銀行の外旧二十銀行とも密接の関係を有せり、蓋し東北に対する金融は第一銀行に於て負担すると共に、北海道に於ける金融は二十銀行に於て担任することゝし、両々相待つて北方の金融に便ずること玆に年ありたるも、両銀行の併合成るに及んで、第一銀行に於て直接北海道にも関係することゝなり、其結果として奔別炭礦・根室牧場等の事業とも直接の関係を有することゝなり、別に渋沢家の事業として十勝に農場を起し一昨年を以て全部成墾、成功附与を受けたり、此他製麻会社・麦酒会社・函館船渠会社・北海道セメント会社(近時浅野と合併せり)函館地所会社等とも早くより関係を有し居たれは、渋沢と本道との関係は間接直接に因縁深し、今次小樽に渋沢倉庫出張所の開設を見るに至りたるは、第一銀行小樽支店の慫慂与つて力あるも、渋沢家としては決して突然の業ならず、本道の発達するにつれて小樽に集散さるゝ貨物の数は日に増し激増の趨勢にあるも、之に伴ふ諸般の設備は未だ以て完きを称する能はざるのみならず、因襲的弊習は今尚ほ盛んに行はれて其跡を絶たずして、信用を基礎とせる取引界の不便尠からず、最も健実なる倉庫の開設は此際に取りて最も必要の業たるを察したるに出たるものにして、之に依り幾分にても小樽乃至北海道の便益を増し得ば則ち望み足る次第にて、之れ以上敢て多きを望むものに非らず、渋沢男爵も明年頃は一度来遊、其後に於ける本道発達の状況を見たきものと語れり


集会日時通知表 大正五年(DK540037k-0003)
第54巻 p.131 ページ画像

集会日時通知表  大正五年        (渋沢子爵家所蔵)
二月二日 水 午前十時 十勝開墾会社総会(兜町)


(十勝開墾株式会社)第二十回報告書 大正五年度 第一―三頁刊(DK540037k-0004)
第54巻 p.131-132 ページ画像

(十勝開墾株式会社)第二十回報告書 大正五年度  第一―三頁刊
  第二十回報告書
               東京市日本橋区兜町弐番地
                     十勝開墾株式会社
大正五年一月一日ヨリ同年十二月三十一日ニ至ル一計算期ニ於ケル本会社ノ事業及ヒ計算ニ関スル書類ヲ作成シ之ヲ左ニ提出ス
    第一 事業報告書
      社員総会
 - 第54巻 p.132 -ページ画像 
一大正五年二月二日本社ニ於テ第十九回通常社員総会ヲ開キ、大正四年度貸借対照表・財産目録・損益計算書ノ承認、利益金処分、収支予算書、農場事業考程ノ議決ヲナシ、引続キ臨時社員総会ヲ開キ、資本金壱万円ヲ増額シ金弐拾万円トナスノ件ヲ決議シタリ
一同年三月二十五日本社ニ於テ臨時社員総会ヲ開キ、本社ノ組織ヲ変更シテ株式会社トスルノ件ヲ決議シ、且之ニ必要ナル定款ヲ議定シタリ、次ニ取締役・監査役ノ選挙ヲ行ヒタルニ、取締役ニ植村澄三郎・尾高幸五郎・八十島親徳、監査役ニ男爵大倉喜八郎当選シ、又役員ノ報酬ハ合計年額五百円以内トスルコトヲ決議シタリ
      官庁ニ関スル件
一大正五年二月五日資本金壱万円増額ノ件ヲ東京区裁判所ニ於テ登記シタリ
一同年六月二日組織変更ノ件ヲ東京区裁判所ニ於テ登記シタリ
      事業ノ概況
一本年ハ天候幸ニ適順ヲ得、作柄頗ル豊饒ナリシカハ、小作料納入ノ成績モ随テ佳良ナリキ、而シテ納入小作料ノ主要部分ナル大豆カ欧洲戦乱ノ影響ニヨリ常ニ高値ヲ保チタルヲ以テ、収益亦随ヒテ増加シ、優良ノ成績ヲ以テ本年度ノ決算ヲ終リ、玆ニ之ヲ報告スルコトヲ得ルニ至レリ
一本年末本社所有土地ハ左ノ如シ
  一畑         弐千五百九拾七町六段九畝拾九歩
  一田         参拾町七段七畝弐拾四歩
  一牛馬放牧地及未開地 千六百九拾六町参段八畝拾弐歩
  一宅地        弐千四百八拾九坪


(十勝開墾株式会社)大正五年度事業報告書(DK540037k-0005)
第54巻 p.132-134 ページ画像

(十勝開墾株式会社)大正五年度事業報告書
                 (十勝開墾株式会社所蔵)
    事務ニ属スル事
一小作契約及異動
  新契約ヲナスニ当リテハ全部大豆納トシ、善良ナルモノニシテ馬匹ヲ所持シ、農場ニ於テ保護ヲ加ヘズ、単ニ新墾費ヲ支給スルヲ限度トセリ
  又従来ノ小作人ニシテ怠随《(惰)》ノモノハ、折ニ触レ退場セシムルノ方法ヲ講シ、移住以来ノ貸付金返済スル能ハザルモノハ、成ルベク善良ノ小作ト交迭スル事ニ力メ、宮城県人ニ換ユルニ岐阜県人、越前・阿波ニ換ユルニ多クハ兵庫県・静岡県人ヲ以テシ、漸次精農ニ化スルニ至リ、戸数ニ於テハ増加セザルモ、人口・馬匹・農具類ハ増加シ、今ヤ十勝国内ニ於テ模範農場タルノ公評ヲ受クルニ至レリ、其新契約及異動ハ別表○略ス 之通リトス
二小作料徴収
  本年度ノ小作料ノ徴収ハ大豆納ノ三千百七拾七石六斗四合、金納四千九百九十一円八十銭、玄米納百六石七斗七升五合ノ調定ニシテ、九月廿三日付ヲ以テ納入告知書ヲ配布シ、之レト同時ニ大豆一石代金七円五拾銭ニ換納ヲ告示セリ
 - 第54巻 p.133 -ページ画像 
  納入ノ状況 各部競争納入ヲナサシメントシ、各部長ニハ完納奨励金授与ハ各等級ニ応シ、完納額ニ対スル率ヲ予告セシヲ以テ、各部競争起リ、同月三十日迄ニ大豆換算納入金壱万五百卅五円余ニ達シタリ
  十月一日ニ至リ大豆ノ市価モ騰貴セシニ仍リ壱石八円ニ換算ヲ告示セシニ、一日ト二日ハ納入者ナキモ三日ヨリ又々納入始マリ、同月廿日迄ニ大豆換算納入金壱万壱千五百八十円余ヲ納入シタリ十月二十五日ヨリ一石八円五十銭換算納入ヲ告示セシニ、十一月十日迄ニ一千七百八十五円余ヲ納入シタリ、其以後ハ怠随懲戒《(惰)》ノ目的ニテ石十一円ニ改メ、十一月十一日ヨリ同廿七日迄ニ同六百七拾四円余ヲ納入シ、十二月六日ニ至リ石十円ノ割ヲ以テ四石一升ヲ納入スルノ外、大豆納トシテハ僅ニ現品五十石弐斗四升ヲ納入セリ、未納者ハ小西弥一郎ガ長男兵役中ノ為メ僅ニ壱石弐斗四合アリシノミニシテ殆ント完納セリ
  金納ハ調定額ノ全部完納セリ
  過年度小作料ハ予算百五十円ヲ計上セシモ、既往分殆ンド全部ヲ徴収シテ四百六十二円七拾九銭即チ三倍以上ニ達シタリ
  完納ノ最モ早キハ熊牛第十三部(元松沢組)ニシテ、十月十八日ナリ、其次ハ同第十二部ニシテ十月廿二日午後三時、其次ハ同第十四部午後十時ナリトス、此競争ハ実ニ劇烈ナリシモ、第十四部ハ事務所ヨリ遠キト且ツ実力モ乏シク、第十弐部ノ如キハ最終ニ至リテ部長ト納税組合長一千余円ヲ立替完納スルニ至リシハ賞讚ニ価ヘアリシ
  以上ノ競争ノ為メ各部長・伍長ハ四・五日間奔走シ、最終完納日ハ部長事務所ニ詰切リ、伍長乗馬ヲ以テ督促ニ従事シ、農場ハ殆ンド督促ヲ為サヾリシ
  水田小作料ハ一反歩三斗ヅヽ徴収ノ予定ナリシモ、豊作ニシテ最下等一反歩三俵、最上ハ五俵ノ収穫ヲ予想シ、山本以下七戸ハ一反歩四斗、中林・中川ノ二戸ハ三斗ヅヽ徴収ノ告知書ヲ発シタルニ、何レモ減額ノ申込アリシモ、之レヲ拒絶セリ、小作十戸中、山本・福田ノ両人ハ籾摺遅レト、年末大吹雪ニ逢ヒ、三十三石六斗四合未納ナリシモ、翌年早々納入スベキ事確実ナリ、其他ハ七十三石一斗七升一合ハ完納ナリ
  要之、大豆徴収反別一千九百十一町三段二畝十三歩ニ対シ三千百七十七石六斗四合ヲ徴収セシハ反当リ壱斗六升六合ナリ、金二万五千五拾弐円七十一銭三厘ニ換算納入シタルハ一石七円八十八銭七厘強トナリ、実ニ一反歩ノ小作料ハ金壱円三十一銭弱ニ当レリ金納反別四百四十二町一反八畝廿四歩ニ対シ金四千九百九十一円八十銭ヲ徴収セシハ、一反歩壱円拾弐銭強ニ当レリ、其詳細ハ別表○略ス ノ通リトス
二農事ニ関スル事
  農事ノ改良進歩ハ実ニ重大ノ事ニシテ、本会社ノ主眼トスル所ナリシモ、由来我国ノ習慣ハ大農ヨリモ小農制ナルヲ以テ、殆ンド当会社ハ全部小作人ヲ以テセルニ依リ、意ノ如ク急速ノ改良発展
 - 第54巻 p.134 -ページ画像 
ハ至難ナリシ、之レガ実践躬行ヲ主トシ、自然ニ範ヲ示スノ外ナク、命スルトキハ一朝不況ノ場合ハ容易ナラザル珍事ヲ惹起スル例尠ナカラズ、斯ルガ故ニ直営トシテ試作ヲ行ヒ、農事ノ講話会・研究会・立毛品評会ヲ年々開催スルヲ例トセリ、已ニ本年度ハ是レ等ノ件ヲ実行セリ、由来大豆作最多数ヲ占メシモ、連作ヲ矯正スルノ結果ト近年欧洲戦乱ノ為輸出品トシテ青豌豆・菜豆類ノ作付ト小豆作付増加シ、本年始メテ古谷辰四郎ヨリ飴ノ原料タル稲黍ノ作付契約ヲ締結シタル為メ一変スルニ至レリ
  元来十勝ノ農業ハ地力ニ依頼シタル事大ナリシモ、年次ニ種子ノ改良、耕作ノ進歩、施肥ノ問題ニ及ボシ来ルヲ以テ、従来軽視シタル即チ牧場地モ侮リ難キ有望ノ地トナルニ至レリ○下略
  ○下略


集会日時通知表 大正六年(DK540037k-0006)
第54巻 p.134 ページ画像

集会日時通知表  大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
二月九日 金 午前十時 十勝開墾会社総会(兜町)


株主往復 十勝開墾株式会社(DK540037k-0007)
第54巻 p.134-135 ページ画像

株主往復  十勝開墾株式会社       (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
(表紙)

 *
  定款(案)
                 十勝開墾株式会社

  十勝開墾株式会社定款(案)
    第一章 総則
第一条 本会社ハ十勝開墾株式会社ト称ス
第二条 本会社ハ左ノ事業ヲ営ムヲ以テ目的トス
  一 北海道ニ於テ土地ヲ取得、所有シ又ハ貸下ケヲ受ケ、農業、及ヒ牧畜業ヲ経営スルコト
  二 土地ノ生産物ヲ以テ各種ノ製造ヲ為シ之ヲ販売スルコト
**
  三 肥料ヲ買入及ヒ販売スルコト
第三条 本会社ノ本店ハ之ヲ東京市ニ置ク
○中略
    第二章 資本及ヒ株式
***
第五条 本会社ノ資本ハ金弐拾万円《四》ニシテ之ヲ四千株《八》ニ分チ、壱株ヲ金五拾円トス
第六条 本会社ノ株券ハ総テ記名式ニシテ壱株券及拾株券ノ二種トス
*** 
第七条 株金《ノ払込ハ重役会議ノ決議ヲ以テ之ヲ定ム》ハ全額ヲ一時ニ払込ムモノトス
○中略
    第三章 株主総会
第十六条 定時総会ハ毎年二月ニ、臨時総会ハ必要アル毎ニ社長之ヲ招集ス
○下略
(欄外記事)
*[改正
 - 第54巻 p.135 -ページ画像 
**  大正九年二月十六日総会決議
    大正九年二月廿五日登録
    四、右各項ノ目的ヲ達スル為メ之ニ関聯スル諸般事業ヲ経営スルコト
*** 大正九年二月十六日総会決議
    大正九年三月廿六日登記
****[同上
  ○右定款中傍線ノ部分ハ抹消シアリ、行間組込ミハ鉛筆書入レナリ。


(十勝開墾株式会社)第二十一回報告書 大正六年度 第一〇頁刊(DK540037k-0008)
第54巻 p.135 ページ画像

(十勝開墾株式会社)第二十一回報告書 大正六年度  第一〇頁刊
    株主表

図表を画像で表示株主表

 株数        氏名         株数      氏名 一、〇九五     渋沢同族株式会社   一〇〇     増田明六   六四七   男爵大倉喜八郎      一〇〇     明石照男   四一九     和久宗七       一〇〇   男爵阪谷芳郎   二〇〇     尾高幸五郎      一〇〇     渋沢武之助   二〇〇     大倉喜七郎      一〇〇     渋沢正雄   二〇〇     八十島親徳       五〇     大倉徳子   一一九     植村澄三郎       五〇     大倉粂馬   一〇〇   男爵穂積陳重        五〇     大倉時子   一〇〇   伯爵勝精          五〇     大倉久美子   一〇〇     植村甲午郎       二〇     吉田嘉市   一〇〇     植村泰二       合計                    四、〇〇〇      二十一人 




(十勝開墾株式会社)農場経営ノ方法及其成績(DK540037k-0009)
第54巻 p.135-136 ページ画像

(十勝開墾株式会社)農場経営ノ方法及其成績
                 (十勝開墾株式会社所蔵)
    自明治三十一年至大正六年度末 開墾成績表

図表を画像で表示自明治三十一年至大正六年度末 開墾成績表

  年次       開墾反別      累加反別        摘要             町 自明治三十一年  三五〇・九三二八              明治三十一年着手セシモ起業方法ノ変更ニ伴ヒ貸付返還シ本年度末ノ墾成反別ヲ表ス 至同三十五年 明治三十六年   一七五・〇六〇一    五二五・九九二九  本年度ヨリ第二種小作人ニシテ将来ニ於テ譲与スヘキモノモ含有ス 同三十七年    一一八・四八二四    六四四・四八二三 同三十八年    二七三・二四〇五    九一七・七二二八 同三十九年    三〇八・五五〇〇  一、二二六・二七二八 同四十年     三二〇・四四〇七  一、五四六・七二〇五 同四十一年    三二三・六二二七  一、八七〇・三五〇二 同四十二年    四二二・〇二二四  二、二九二・三七二六 同四十三年    二九三・九七一五  二、五八六・三五一一 同四十四年    二一七・七一二八  二、八〇四・〇七〇九 大正元年     一四〇・二二〇四  二、九四四・二九一三  明治四十五年五月二十五日第四種小作人ヘ八百三町八反六畝七歩譲与ス 同二年      一〇七・六八〇六  二、二三二・五四〇九  大正二年六月二日第二種小作人ヘ拾五町五反七畝壱歩譲与ス 同三年      一〇〇・六〇〇五  二、三三三・一四一四 同四年      一三一・五五〇一  二、四六四・六九一五 同五年      一六三・七七二八  二、六二八・四七一三 同六年      一六六・二三〇四  二、七四九・七〇一七 



    以上
  本調査ノ墾成反別ハ買入地ノ墾成反別ヲ加算シ、又寄付地及流失
 - 第54巻 p.136 -ページ画像 
欠損地ハ 《(削)》除シタルモノヲ以テ調査シ、事実上確実ナルモノトス

    自明治三十一年至大正六年度末 農場小作人戸数増減表

図表を画像で表示自明治三十一年至大正六年度末 農場小作人戸数増減表

 年次       移住戸数  累加戸数  摘要 自明治三十一年  二三四     〇 至同三十五年 同 三十六年    二三   二五七   宮城・静岡及北海道内ヨリ移住 同 三十七年    三一   二八八   同上 同 三十八年    六〇   三四八   宮城県・静岡県ヨリ移住 同 三十九年     五   三五三 同 四十四年    四六   三九九 同 四十三年    二四   四二三 同 四十二年    五七   四八〇   宮城県ヨリ募集シタリシニ依ル増加 同 四十一年     九   四八九 同 四十年     一〇   四九九 大正元年       〇   三九五   第四種小作人百四戸ノ小作関係ヲ解キタルニ仍ル 同 二年       〇   三六二   第二種小作人ニシテ土地ヲ譲与シ小作関係ヲ解キタルモノ、又惰農者ヲ解除退場セシメタルニ依ル 同 三年      一七   三七九   石狩国ヨリ移住ス 同 四年       〇   三七八   一戸惰農ニ付契約解除 同 五年       〇   三七〇   作付面積ヲ併合シタルト他ニ土地ヲ求メテ転住シタルニ依ル 同 六年       〇   三五九 




十勝開墾株式会社農場要覧 同社編 第一七―三六頁大正七年八月刊(DK540037k-0010)
第54巻 p.136-137 ページ画像

十勝開墾株式会社農場要覧 同社編  第一七―三六頁大正七年八月刊
    六、開発の実現と株式組織
○上略
 爾来農事の改良奨励と共に、道路の開鑿、排水溝の掘鑿、水田の経営等に力を注ぎ、大正四年に至り始めて、資本金に対し年五朱の利益配当を為すことを得るに至れり。これ即ち持久忍耐と、不屈不撓との結果に外ならず。かくて大正五年には組織を変更して資本金二十万円の株式会社と為し、本社を東京市日本橋区兜町二番地に置き、社長に植村澄三郎、取締役に尾高幸五郎・八十島親徳、監査役に男爵大倉喜八郎の諸氏を挙げ、同じく年五朱の配当を為し、大正六年には更に収益を増加し年一割の配当を為すに至れり。現在役員は取締役社長植村澄三郎、取締役八十島親徳・渋沢武之助・伯爵勝精・吉田嘉市、監査役大倉喜七郎・増田明六の諸氏なり。
 回顧すれば明治三十一年、当社設立以来大正七年迄此間星霜を重ぬること実に二十二、当時未開不毛にして荒寥寞々たりし地方も、当農場開墾の発展と共に漸次開拓せられて新天地を現出し、今や曠漠たる北海の一角に鶏犬の声相聞ゆる多数の村落を見るに至れり。
○中略
    十六、過去及現在の経済状況
 運輸の便、交通の途なき土地を開墾するの難きは、前記各項の事実に就て知るを得べし。当会社が開墾に着手してより五年の歳月と、七万の資金を費して、僅に百六拾六円の小作料を得て、三万余円の損失を来し、爾後引続き、年々の損失を忍びて事業を継続し、内には諸般
 - 第54巻 p.137 -ページ画像 
の経費を節約し、外には小作人を督励して、以て鉄道の開通を待ちしが、明治四十年鉄路開通して、始めて収入四千余円に及びて、収益百参拾五円を得るに至れり。然れども、起業方法の実行は其期に後れ、道庁の督促急なるを以て、之が急速施設の経費亦少しとせず、翌四十一年には千四百七拾八円、四十二年には七千百参円、四十三年には壱万弐百四拾五円の損失を来し、翌年漸く全部の成功検査を了するを得たりき。
 明治四十四年よりは逐年開墾反別の増加するに従ひ小作料の収入を増し、同時に経費の節約等に努め、千弐百九拾七円の利益を挙げたるが、爾来毎年順況を持続し、大正三年には壱万千余円の収益を得たり尚同年小作料の改正を行ひ、従前代金納付なりしを大豆納付に改めしが、大正四年には戦時の影響を受け、大豆価格騰貴したるため、経費の増加せしにも拘らず尚壱万余円の利益を収め、以て明治三十七年以来累年の損失を塡補し、資本金に対し始めて年五朱の利益配当を為すを得たり、而して大正五年には組織を改め、弐拾万円全額払込みの株式会社と為せしが、壱万八千余円の利益を得て五朱の配当を為し、大正六年には大豆相場の暴騰の為め三万六千余円の利益を得て、一割の配当を為し、尚弐万余円の繰越金を残せり、将来尚墾成反別を増し、小作料増加する見込なれば、大豆価格にして平時に復するも、相当の配当を持続するを得べし。
 左に累年の収支計算並に貸借対照表を掲げて参照とす。

      自創業明治三十一年至大正六年 二十年間収支計算表

図表を画像で表示自創業明治三十一年至大正六年 二十年間収支計算表

           収入       支出         損(△)  益 自明治三十一年   二、九三五円   三四、八八五円   △三一、九五〇円 至同三十六年 同 三十七年     一、三〇一     三、三六六    △ 二、〇六五 ○中略 大正五年     三七、五二九    一九、五二五     一八、〇〇四 同 六年      六五、一三九    二八、七九九     三六、三四〇 



○下略