デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
4款 中国興業株式会社
■綱文

第54巻 p.535-545(DK540100k) ページ画像

大正2年8月11日(1913年)

是日、東京商業会議所ニ於テ、当会社創立総会開カル。栄一、議長トナリテ議事ヲ司宰シ、重役選任ニ当リテハ、取締役ニ倉知鉄吉・印錫璋外四名ヲ、監査役ニ大橋新太郎・沈縵雲ヲ指名ス。総会終了後開カレタル取締役会ニ於テ、栄一外十一名ヲ相談役ニ推挙ス。


■資料

中日実業会社書類(二)(DK540100k-0001)
第54巻 p.535-536 ページ画像

中日実業会社書類(二)          (渋沢子爵家所蔵)
(写)
    孫文氏来圅 大正二年七月
渋沢男爵賜鑑邇来時当夏至溽暑蒸人遥想起居佳勝至為企頌関于中国興業公司屡
辱賜書敬悉業経該公司原定股銀如数清繳並設立辦法手続進行庶幾完備並由森恪君面聆前情不勝同慶之至前議有由
尊処派遣代表来滬商議辦法嗣知
尊処暫為罷議即擬由敝処遴派発起人六名赴東商同辦理該公司設立事務適上海有南北啓釁之事未能如願因在中国願認該公司之各股東均係滬上主要実業家当此南北開始争端之際固当極力維持市面秩序一時不克分身想邀執事原諒惟従速成立該公司以図謀発達事業固係万難延宕故敝処為早成立該公司起見特将所有敝処意見及関係一切文書託請森恪君回東代
 - 第54巻 p.536 -ページ画像 
為鄙人等与
執事曁諸君籌議辦法一切森君到時務請
執事会同商酌妥善辦法並代為鄙人開創立総会是為感佩当初与
執事商議以来鄙人等設立該公司全係鞏固中日両国実業上之聯絡以図発達為念始終不渝是以此次南北啓釁情形如何与該公司毫不相渉無待贅言一俟該公司成立後応由鄙人将該公司設立宗旨等通告各省都督商会曁殷富実業家勧招分認股份以便在各地方発達該公司事業嗣不論南北人士如有願認該公司股份者均聴其便諸
執事預先俯允且現各股東均表同意俟将来市面稍帰静謐各股東自当為該公司事業竭尽熱誠以資発達亦足以紓
厪系也月前対于五国借款交款問題辱蒙
貴国人士多大之同情敝国人民殊深感激是即係承
執事指導居多為鄙人所深感佩者也将来尚祈賜以教言以資敝国国勢之発達是所翹望鄙人現因要事今日起程赴粤匆々裁書拝託森君転呈
左右統仰
鼎力得以就緒是所切盼並請
執事将所述鄙懐於創立総会転告
貴国股東諸君是荷即頌
近祺
                     孫文印
  中華民国二年七月二十八日


当社の沿革 一(DK540100k-0002)
第54巻 p.536-537 ページ画像

当社の沿革 一           (中日実業株式会社所蔵)
斯くて当会社創立事務は、日本側にては日を追ひ進捗せる処、中国側は政界の暗雲低迷し、第二次革命戦の勃発は単に時の問題となり居りしか、七月十二日には李烈釣氏の江西独立宣言、十五日には黄興氏の南京入城独立宣布に次き、柏文蔚氏の安徽省独立を見、十八日には広東都督陳炯明氏の独立宣布となりたれは、北方政府は二十三日を以て孫文氏の現職を取消すに至れり、孫文氏は政治上の問題に繁忙を告け他を顧みる遑なく、創立総会に出席者並に重役候補者も未定の有様なれば、高木・森両氏に於て極力斡旋の結果、重役候補者を決定し、来京すべき代表者は時局の為旅行不能なれは、森恪氏に一切を委任し、総会に於ける一切の件を代理せしむることとなり、七月二十八日附を以て孫文氏より渋沢委員長に宛て左の意味の書面を送付あり
 中国興業会社に付ては毎度御懇書頂戴難有拝誦仕候、同社の株金払込も済み、法律上の手続も殆んと完備せられ《(候由脱カ)》、森氏より承り、御同慶に存候、貴方より代表御派遣の筈なりし処、暫く御見合と相成候趣当方よりは発起人六名を貴地に派し、創立につき御相談致すべき手筈なりしに、上海にては南北開戦すべきやの模様にて、株主は皆上海主要実業家なる為、此際市面秩序維持の必要上離滬致し難く、然るに会社を設立し実業の発達を図ることも延期致す能はさるに付一切の文書を森恪氏に托し、御相談申すべきことと取極候間、同氏と御相談の上可然御配慮願上候、当初閣下と御打合以来、小生等ハ同社設立を以て中日両国実業聯絡を鞏固にし、其発達を図るを念と
 - 第54巻 p.537 -ページ画像 
致候事は始終不変ニ御座候、今回南北開戦致候共、同公司とは何等関係無之は勿論、設立の上は小生より同社創立の趣旨全国各都督並商会に通告し、有力実業家に株式引受方を勧誘し、各地方にて同社事業の発達を期し度、尚南北を問はす同社株式希望の向あらは承諾することゝ致し度候、御承知置被下度、本日急ニ広東ニ赴くことと相成候儘、不取敢右申述候
民国の現状前述の如く複雑を極め、孫文氏は勿論、民国側当社発起人の来朝六ケ敷により、森恪氏に於て民国側を代表して創立総会に出席することとし、日本側諸般の準備整ひたるを以て、八月十一日午前九時東京商業会議所に於て当会社創立総会を開催せり、出席株主総数は委任状共八十四名、此株式総数四万五千九百株、内本人の出席せるものは
 渋沢栄一・大倉喜八郎・中野武営・三村君平・大橋新太郎・山本条太郎・門野重九郎・倉知鉄吉・尾崎敬義・高木陸郎・森恪の十一氏にして、支那側は森氏に於て代理せり
渋沢男爵議長席に就き、当会社創立事項の報告あり、次て重役選任に移り、左記の諸氏選挙せられ、其就任を見たり
 取締役 倉知鉄吉 尾崎敬義 森恪 印錫璋 王一亭 張人傑
 監査役 沈縵雲 大橋新太郎
而して代表取締役は倉知鉄吉氏と決定す、次に取締役会に於て互選の結果副総裁に倉知鉄吉氏、専務取締役に尾崎敬義・印錫璋の両氏選任せられ、又左の諸氏を相談役に推薦し、其快諾を得たり
 相談役 渋沢栄一氏   近藤廉平氏
     中野武営氏   井上準之助氏
     志立鉄次郎氏  柳生一義氏
     早川千吉郎氏  三村君平氏
     小山健三氏   古市公威氏
     大倉喜八郎氏  山本条太郎氏
中国側相談役は追て人選の上推薦することゝし、之を留保せり、又高木陸郎氏は渋沢男爵と孫文氏との間に両国経済聯盟の議起りし以来、絶へす両者の聯絡を取り、森恪氏と共に中国側との折衝の任に膺りしのみならす、其関係せし支那に於ける鉱山業の一部を従業員と共に無償にて当会社に寄与し、其他創立上の功労尠少ならさりし為、渋沢男爵はしめ発起人諸氏に於て重役就任を懇望せしも、当時高木氏は漢冶萍鉄廠礦公司の日本駐在代表者たる故を以て固辞せるにより、特に当会社の顧問として業務を援助方依頼せる為之を快諾せり、是に於て日支合弁中国興業株式会社は完全に成立を見たり、実に今を距る満二十年前なりとす


竜門雑誌 第三〇三号・第五四頁大正二年八月 ○中国興業創立総会(DK540100k-0003)
第54巻 p.537-538 ページ画像

竜門雑誌  第三〇三号・第五四頁大正二年八月
○中国興業創立総会 中国興業株式会社は八月十一日午前九時半より東京商業会議所に於て其創立総会を開会したり、出席者は青淵先生・大倉喜八郎・中野武営・大橋新太郎・三村君平・山本条太郎・門野重九郎等の諸氏、又支那側株主は全部委任状を提出す、創立委員長青淵
 - 第54巻 p.538 -ページ画像 
先生、会長席に着きて開会の挨拶を為し、次いで創立経過及び事務報告を為し、之れに対し中野武営氏は、青淵先生に対して株主側を代表して、清国時局の紛乱の際にも係らず今日迄の運びを為されたる労を感謝し、次いで役員の選挙に移り、青淵先生は株主一同の希望に因り左の通り指名選定したり
 取締役(六名) 倉知鉄吉・尾崎敬義・森恪(上海駐在)印錫璋・王一亭・張人傑
 監査役(二名) 大橋新太郎・沈縵雲
尚、青淵先生は、孫逸仙氏よりは創立委員長たる予に対し、本会社は日支両国の経済上根本的提携を意味するものなれば、此際余の重役に選任さるゝ事は本会社の将来及日支経済関係の上に面白からざるものあれば、是非其の選に加へざらん事を望む旨の申出ありたるを以て、之を選に入れざりし旨を報告し、続いて定款並に諸般創立事項を議定して十時総会を閉ぢ、引続き重役会を開きたり、当時支那側代表者不参せるを以て、青淵先生之を代表して、互選の結果、副総裁に倉知鉄吉氏、専務取締役に尾崎敬義・印錫璋両氏を推選、又森恪氏を上海に駐在せしむる事とし、尚相談役に左記十氏を選定、十一時散会せり
 青淵先生△志立鉄次郎△柳生一義△井上準之助△早川千吉郎△三村君平△大倉喜八郎△山本条太郎△小山健三△古市公威
因に総裁は当分欠員の儘とし、尚本社を東京に、支社を上海に置き、着々事業の進捗を図るべしと云ふ


渋沢栄一書翰控 孫文宛 大正二年八月(DK540100k-0004)
第54巻 p.538-539 ページ画像

渋沢栄一書翰控  孫文宛大正二年八月   (渋沢子爵家所蔵)
    孫文氏宛書翰 大正二年八月
客月二十八日附貴翰森恪君ヨリ落手、御懇切ノ来意拝承致候、陳者中国興業会社創立ノ順序モ、御申越ノ如ク七月初旬ニ当方ヨリ発起人総代貴地ニ立越シ、閣下ヲ始メ中国側発起人諸君ト充分協議ヲ尽シ、現在及将来ノ経営方法ニ至ルマテ両方ノ意見ヲ交換シテ、会社設立後ノ施設ニ支障ナカラシムルノ目的ニ候処、派出員ノ都合上少シク時日延引致シ候折柄、貴方ノ政変ニ際会セシニ付、寧ロ文書上ニテ創立ノ手続御打合申上候方簡便ナラント思惟シテ、森君其他貴地在留ノ邦人ニ書通シテ遂ニ派出員ハ見合セル事ニ相成候、又貴国ヨリ当方ヘ出張セラルベキ予定ノ実業家諸君ニ於テモ、此際南北開戦ニ付上海市ノ秩序維持上旅行抔ハ被成兼候事情ニテ、貴方一切ノ事務ヲ森恪君ニ御委任相成候趣詳細ノ垂諭拝承、同時ニ森恪君ニモ面会悉ク傾聴致候、本会社ノ創立ハ前ニ具陳致候如ク、弥々本月十一日ヲ以テ東京商業会議所ニ於テ創立総会ヲ開キ、小生其議長ト相成諸般ノ事務決了致シ、玆ニ初メテ中国興業会社ナル中華民国ト我国トノ合辦合資ノ一経済法人出生致候ハ、当春以来小生閣下ト共ニ拮据経営セシ結果トシテ、深ク閣下爾来格別ノ御高配ヲ感謝仕候、斯ク会社成立セシニ付テハ、向後ノ経営ハ当初予期ノ方針ニ従ヒ、両国経済界ノ聯絡ヲ充分ニ疏通シ、共同ノ幸福ヲ増進スルニ勉ムヘキハ勿論ニ候ヘ共、此際小生ノ切ニ遺憾トスル所ハ、新会社ノ総裁ニ閣下ノ名ヲ見ルヲ得サルノ一事ニ有之候
 - 第54巻 p.539 -ページ画像 
右ニ付テハ過日森恪君ニ小生ノ心事ヲ吐露シテ親シク閣下ノ賢慮ヲ請ヒシニ、閣下モ亦小生ト同一ノ御意志ニテ、森君ニ回示セラレタルニヨリ、総会当日ノ役員選挙ハ両国ノ重役ヲ各三名ニ止メテ他日ノ増員ヲ期シタル次第ニ候、然リ而シテ小生カ持ニ閣下ニ陳謝スル一事ハ、貴翰中ノ来示ニ閣下等本会社ノ設立ニ関シテハ常ニ日支両国実業上ノ連鎖ヲ鞏固ニシ、終始一貫其発達ヲ図ルヲ以テ本旨トスルカ故ニ、今回南北ノ戦況如何ニ拘ハラス本会社ハ毫モ之ニ関係ナク、閣下ヨリ本会社設立ノ趣旨目的ヲ貴国各省ノ都督及商業会議所其他ノ実業家等ニ通知シテ、其株式ヲ引受ケシメ、毫モ政争ノ繋累ヲ蒙ラシメスシテ広ク経済ノ共通ヲ企図セラレタルトノ事ハ、実ニ至公至平ニシテ真ニ憂国ノ衷情ヨリ発露セラレタルモノト、閣下ノ御厚意ニ感佩仕候、小生カ今日本会社設立ニ付テ種々ノ苦衷ヲ尽セシモ亦之レニ外ナラサル次第ニ有之候、回顧スレハ本年二月中旬、閣下カ日本ニ来遊セラレ、我国民ヨリ無限ノ同情ヲ以テ各地ニ歓迎セラレタルニ当リ、小生ハ閣下ノ此一遊ヲシテ無意味ニ終ラサラシメンコトヲ企図シテ、初メテ中日両国合辦会社設立ノ挙ヲ進言シ、今ヤ其ノ会社ノ創始ヲ見ルニ付ケテ閣下ト相見テ共ニ慶スルコトヲ得サルハ僅々半歳ノ日時ニ隔世ノ憾ヲ寓スルモノニシテ、実ニ桑滄ノ感ニ堪ヘサルナリ、然リト雖トモ、物極レハ必ス変スルハ天道ノ常径ナリ、曩キニ小生ハ閣下ニ忠言スルニ忍ノ一字ヲ以テス、而カモ今日ハ及フヘカラサルナリ、希クハ閣下自愛シテ蘇東坡ノ所謂信於久屈之中用於既足之後ノコトヲ、終ニ蒞ミ閣下ノ健康ヲ祝シ、併セテ敬意ヲ表シ候 拝具
  大正二年八月                渋沢栄一
    孫逸仙閣下
        侍史
  ○右ハ野口米次郎ノ漢訳アルモ、発信日ハ未詳。


(白岩竜平)書翰控 渋沢栄一宛大正二年八月一四日(DK540100k-0005)
第54巻 p.539-541 ページ画像

(白岩竜平)書翰控  渋沢栄一宛大正二年八月一四日
                      (白岩竜平氏所蔵)
               大正二年八月十四日上海
                       白岩竜平
    男爵 渋沢栄一殿
拝啓
炎威如燬ニ御座候処、愈御勇健為邦家御尽瘁被遊候段奉万祝候、偖御皙力ニ依リテ中国興業モ愈成立致候処、当国ニ在リテ世評頗ル不振、折角設立ノ会社モ一般ニ前途ヲ悲観致候情況ニ有之、外ナラヌ男爵ト小生トノ関係ニ付御参考迄ニ大要左ニ申述候、他ヘハ如何ナル事情アリトモ御洩シ被下間敷候
第一、創立事務ノ進行方
東京ニ於テハ男爵主宰ノ下ニ各関係有力者並ニ政府当局ト万端協議ヲ遂ケ、衆議ヲ尽シテ最善ノ方法ヲ取ラレタルニ不拘、当地ニ於テハ凡テ三井ノ手ニ於テシ、何レノ関係代表者ニモ何等協議シタルコトナク領事ノ助言サヘモ最後迄得ル機会ナク、領事ハ余リニ見兼テ、国家ノ為メ且其責任上、九日付電報ヲ以テ、本会社設立ハ此際暫ク延期ヲ可
 - 第54巻 p.540 -ページ画像 
トスル形勢ナル旨外務省ヘ報告サレタル次第ニ候
右ノ次第ニテ、日本ニテハ富豪有力者相一致シテ進行シタル事柄ナルニ不拘、当地支那人間ニテハ単ニ其関係会社ノ私営ノ如ク見做サレ居ル実際ニ有之候
一方支那側ニ於テハ、国民党以外ノモノハ何レモ関係ヲ避ケ、之ニ名ヲ列スルヲ拒ミ、本会社ハ全ク政党ノ関係ノミニテ設立セラレタルモノト考ヘ居レリ
若シ創立事務ノ進行ニシテ三井ヲ中心トスル事固ヨリ差支ナキモ、三菱・正金・大倉其他有力ナル各代表者及当地総領事ハ少クモ時々協議ヲナスコト東京ニ於ケル男爵主裁ノ如クナリシナラハ、一般モ会社私営ノ如ク感セス、又広キ意味ニ於テ政党以外ノ実業家ヲモ集メ得タリシナルヘク、従テ今回ノ如キ事変ノ急転セル場合ニ於テモ、日支ノ聯繋タルヘキ唯一会社ノ創立ニ付テハ、衆力ヲ集メテ有ユル尽力ノ下ニ相当代表者ヲ創立総会ニ列席セシメ得タルコトヽ思考致候
 小生ハ前月三十日付男爵ヘ、事今日ノ如クナリテハ致方ナク、兎モ角十一月ノ総会ニテ会社ヲ設立、其後ニ於テ後々内容ノ改善ヲ為ス外ナカルヘシトノ書面差上候モ、其後形勢ハ急転直下、孫文・黄興等ノ我国ニ陸続亡命シ来レル際故、多分ハ設立延期サルヘクト信シ居タル処、総領事ヨリ同意見ノ電報アリタル趣ニヨリ小生ハ差控ヘタル次第ニ有之候
第二、役員ノ選定
 孫文・馬君武・宋嘉樹等ノ氏名役員中ヨリ去ラレタルニ由リ、政治趣味ナシト御考相成タルカト存候得共、今回ノ役員沈縵雲ハ目下逃亡、一昨日家宅捜索ヲ受ケ、王一亭ハ日清汽船ノ関係上僅ニ上海ニ留リ居ルモ、一歩モ外出不相叶危険ノ地ニ在リ、又張人傑ハ孫・黄ノ軍資係ニテ、王・沈両名以上ノ政党関係有之、此三名ハ袁派ヨリ拿捕ノ命令出居ルモノノミ《(衍カ)》ニテ、只一人印錫璋(三井前買弁)ノミ普通商人ニ有之候、去レハ支那人ヨリ見レハ、孫文ノ社長ハ欠員トナレルモ実体ハ依然トシテ其機関ト見ラルヽ外無之、王一亭ハ斯クテハ自己ノ一身益々危険ナルニ付辞任ヲ申出タル次第ニテ、小生ハ日清汽船ノ立場ヨリモ(王ニ対スル日清ノ債権十余万有之)彼ノ生命ヲ保護スル上、之ニ同意スルノ已ムヲ得サリシ次第ニ御座候
 日本人側ノ事ニ至リテハ甚タ言フヲ屑トセサル所ニ候ヘ共、取締役二名共三井ヨリ出テ、倉知氏モ其色彩アルコトハ世ノ定評モアリ、斯クテハ曩ニ支那人ヲシテ当地方ニ於テ一会社ノ私営ナリト思ハシメタルコトヲ事実ノ上ニ現ハシタルモノニテ、日本有力者富豪ノ国家的団体タルノ名アリテ実ナク、将来会社ノ経営上果シテ公的機関タルノ責ヲ果ス可キカ極メテ危マレ候
 御高見ニテハ資本ノ融通ヲ為スカ主タル目的故、各銀行家間ノ協議サヘ纏マレハ当事者ハ何人ニテモトノ御考ナリシカト存候ヘ共、小生ハ対支事業全般ノ独占的壟断ノ傾ヲ呈セサルヤ危ミ申候、即チ東亜興業ニ於テ経験セラレタル対抗的勢力ニ対シ、今回ハ更ニ一歩ヲ進メテ壟断的ノ弊ヲ助長スルノ結果トナルヘキカヲ危ミ申候
 仮リニ右ノ事情ノ下ニ設立スルハ日本側ニ於テ余議ナキモノトスル
 - 第54巻 p.541 -ページ画像 
モ、支那人側ニ於テハ、定メテ支店長以上重役相当ノ位置ヲ有スル人々ヨリ成ルカ、又ハ之ヲ役員中ニ加ヘラルヽコトヲ予想シ居リタルニ、相談役等ノ人名ハ兎モ角、業務執行ノ責任者トシテ日本唯一ノ資本団ヨリ成レル会社代表者トシテハ甚タ遺憾ナリトノ評ニ有之候、右ハ賢明ナル男爵ノ疾クニ洞察セラレ候所ナリト信スルモ、事対外ニ属シ、特ニ支那ノ現状ハ変遷ニ供ヒ、吾対支経営上最モ注意ヲ要スル時機ニ有之、又積年浅カラサル御信任ヲ蒙リ居候小生ノ立場ヨリ黙シテ已ムハ万忍ヒサル議ニ有之、之ヲ今日ニ直言シ置カサレハ、本会社ノ前途ハ従来ノ事跡ニ徴シ、他日累ヲ必ス男爵ニ及ホシ、男ノ徳ヲ傷クルコトアルヘキヲ伯レ候、小生ハ事ノ初メニ慎ミヲ要スヘクト存シ、三月廿二日大隈伯邸孫文氏招待ノ際一寸進言シタル事ハ御記臆ニ存スヘクト存候
 先ハ右得貴意度、本書御閲了後ハ何卒御火中奉願上候 敬具
  追テ王一亭辞任ニ付日清汽船本社宛電報写為御参考添付致候
(別紙)
    東京本社宛電文
                      八月十二日
王一亭ハ中国興業取締役ニ当選ノ通知ニ接シタルモ、目下当地ニハ国民党関係者百十余名拿捕ノ計画アリトノ風説盛ンニシテ、其内ニハ王一亭・李平書・沈縵雲等ノ氏名アリ、沈ハ既ニ逃亡セルニ拘ラス本日家宅捜索ヲ受ケタル如キ事情ニテ、王ノ一身モ極メテ危険ナレハ、此際中国興業ニ名ヲ列スルコトハ一層袁派ノ憎悪ヲ受ケ、危険ヲ増スニヨリ、本人ハ既ニ辞任ノ手続ヲ為セリ、我社○日清汽船株式会社ノ立場トシテモ此際可成王ノ一身ヲ保護スル必要アルニ付、貴方ニ於テ右御含ミ中国興業ヘ可然咄シ頼ム、尚新聞紙ニ右辞退ノ事ヲ書カシムル様王ヨリ依頼アリ


中国興業関係書類(DK540100k-0006)
第54巻 p.541 ページ画像

中国興業関係書類             (白岩竜平氏所蔵)
  二 八 十三
                     上海
                        東京 旭公司
   中国興業株式会社
          御中
拝啓 本日附当電ヲ以テ
 王一亭ハ事変関係上北方ノ注目ヲ避クル為メ、各種ノ公職ヨリ引退シタル際ナルニ付、中国興業会社取締役辞職申出ヅルコトヲ依頼シ来レリ、日清汽船ヨリモ本社ヘ電報シタルニ付同社ヘ問合セアリタシ、白岩氏トモ相談セリ
ト御架電申上候、先ハ右確メ迄 草々敬具


渋沢栄一書翰 野口弥三宛(大正二年)九月三日(DK540100k-0007)
第54巻 p.541-542 ページ画像

渋沢栄一書翰  野口弥三宛(大正二年)九月三日   (野口弥三氏所蔵)
客月十三日附尊書ハ疾く拝見いたし候も、老生箱根へ避暑、月末帰京後引続き取込居、御返事延引仕候
来示中国興業会社相談役之義ニ付、小山君ヘ御伝言相願候事ハ来示ニ
 - 第54巻 p.542 -ページ画像 
て承知いたし候、昨今倉知鉄吉氏貴地ヘ罷越ニ付小山・中橋両氏ハ勿論其外諸君へも面話之筈ニ候○中略
過般中国興業会社より畔田書記貴方出張中、岩本と久原と神戸なる湯浅之三氏相会し、阪神之三之助を会話懇談之機会を作りしとて帰京後話し居候、兎も角も右三氏ハ有為之人々と相考候義ニ付、向後可成御親睦被下候様企望仕候
右拝答旁可得貴意匆々如此御坐候 不宣
  九月三日
                      渋沢栄一
    野口賢契
       拝答


渋沢栄一書翰 白岩竜平宛大正二年九月五日(DK540100k-0008)
第54巻 p.542-543 ページ画像

渋沢栄一書翰  白岩竜平宛大正二年九月五日   (白岩竜平氏所蔵)
 尚々爾来孫・黄其他亡命者、続々渡来之由ニて、実ニ其近状言ふニ忍ひさる事共有之候、右等ハ貴方ニも既ニ御聞込と存候間、擱筆仕候也
客月十四日附上海発之貴翰其際落手拝見いたし候得共、老生当時箱根避暑中ニ有之、月末帰京後ハ日々多忙ニて乍思御答延引仕候、御諒恕可被下候、先以賢契爾来益御清適御鞅掌之由奉遥賀候、然者御懇書を以て縷々御申越被下候中国興業会社之義は、東京も貴方も兎角三井一会社之専擅ニ帰する之恐有之、殊ニ上海ニ於てハ総領事又ハ正金銀行・台湾銀行・大倉組等之人々にも協議せす、百事三井派ニて相決し候趣又東京本社ニても倉知氏以下日本側より撰出し重役ハ悉く三井ニ関係有之候云々、翻て支那側を見れハ孫文氏其他政事ニ直接関係之人々ハ重役ニ相立不申候も、王も沈も皆時局ニ大関係有之、甚しきハ逮捕之命有之人々との由、夫是実業界之思入頗る危険之感有之、到底此儘にてハ直正なる実業機関と相成申間敷との御懸念之段一々領意仕候、乍去右等御懸念之廉々ハ単ニ事物ニ対して理想上之満足のミを企望して遂ニ難きを他人ニ責む之弊ニ陥り候様相成可申歟とも痛心仕候間、老生之衷情一応左ニ申進置候、篤と御審案被下度候
第一会社創立を八月十一日ニ繰上候理由ハ、もしも順当ニ相運候ハヽ七月中ニも成立可致積ニて、其前誰か一人上海へ立越し、支那側と百事を協議し、二三之代表者同行帰京直ニ創業総会相開候筈之処、山本氏旅行之差支ニ引続き南北之騒動相発し候間、不得已森・高木・福間氏等二三子ニよりて支那側と打合せ、兎も角も会社ハ設立致置度、もしも遅引之為他之故障ニても相生し候時ハ、折角是迄苦配せし甲斐も無之と申説多く、終ニ支那側代表者之出席もなくして総会相開候義ニ候、右ニ付当方之見込ハ此際精々孫文氏之名ニよりて引受居候株式を政事ニ関係なき純然たる実業家ニ勧誘加入せしめ、大略之見込相立候ハヽ、其上ニて更ニ臨時総会相開き、中日間株主之情意も其際可成根本より融和調理致度、其節重役も更ニ適当之人々追加之見込ニ御坐候故ニ今日迄貴地ニ於て三井以外之人々に相談せさりしハ、決而二三之人々故意ニ出候訳ニ無之、創立前一時之都合ニまかせ候迄ニ候間御了解有之度候、又東京之方目下重役之顔触多く三井派ニ偏し候との事ハ
 - 第54巻 p.543 -ページ画像 
必要上之撰挙ニて、当地ニてハ余り疑惑を招き候向も無之と存候、殊ニ倉知氏之如き将来実業家としての手腕如何ハ別問題なるも、決而三井出身抔と相考居候事無之と存候
支那側実業家ニ就て適当之株主勧誘之事ハ、此程詳細森恪氏ニ申談、目下貴方ヘ罷越夫々尽力中と存候ニ付而ハ、賢兄ニも御添心被下、可成堅実之人々御撰択被下度候、且金融談又ハ新工業ニ付而之依頼等有之候得共、当初之一歩ハ尤以て慎重之態度有之度と時々倉知氏其他ヘ申談居候
右来書ニ対し説明旁会社之近状申上度如此御坐候 拝具
  九月五日
                      渋沢栄一
    白岩賢台
       拝答
 尚々北方より被参候孫氏も外務総長と相成、汪公使も内閣員ニ列し候由、新聞ニ見ヘ申候、過日来種々文書往答いたし、過般出京之際内話之事共、書中協議罷在候、故ニ中国興業会社も、老生もしくは倉知氏も、敢而北方ニハ忌憚せられ候訳ニ無之候、是又御省念可被下候


中国興業関係書類(DK540100k-0009)
第54巻 p.543 ページ画像

中国興業関係書類             (白岩竜平氏所蔵)
○中日合組興業公司之内容
日本実業家渋沢男爵擬集中日両国之実業家興弁有利事業曾於本年二月間孫文到東時偶語及此孫文極表賛助逐定議創弁中国興業公司内部組織為股分有限資本総額為日金五百万円中日両国人各担一半公司職員亦各居半数営業目的為対於各種生産事業供給資金及承弁借款等類其本行設在東京分行設在上海日本人方面股東之重要者為三井三菱大倉正金古河高田大阪商船日本郵船日清汽船台湾銀行日本興業銀行第一銀行南満鉄路旭公司渋沢男爵益田孝山本条太郎白岩竜平等以八月十一日在東京開会宣告成立挙定倉知鉄吉為副総裁尾崎敬義森恪二君為理事大橋新太郎為査賑員而孫文以此次事変処於嫌疑地位先期函告辞退故於選挙職員未与其列並聞上月孫宝琦李盛鐸二君赴日已将該公司之創立情形電呈袁総統並陳明該公司純属営業性質袁総統覆電允予維持現該公司已将中国人方面応担之股份分佈於各省実業家総裁一席亦虚左以待云


竜門雑誌 第三〇六号・第一四―一七頁大正二年一一月 ○中国興業会社の目的 青淵先生(DK540100k-0010)
第54巻 p.543-545 ページ画像

竜門雑誌  第三〇六号・第一四―一七頁大正二年一一月
    ○中国興業会社の目的
                      青淵先生
 中国興業会社の経営に就ては、青淵先生は都下各新聞記者の訪問に対し語られたる事一再に非ず、其の片鱗砕玉は其の都度本誌に転載したり、然れども本篇は雑誌「支那と日本」記者の訪問に対し語られたる具体的の意見にして、従来のそれと其の撰を異にする所あるを以て之を転載するものなり(編者識)
      一
 余は中国興業株式会社以外には、平素支那に直接関係ある事業を経
 - 第54巻 p.544 -ページ画像 
営し居らざるが故に、従つて貴問の『将来の対支貿易』と云ふが如き問題に就ても、自己の主張抱負として語るべき材料と智識の多くを有せず、而して根拠なき無責任の言論を公にするは従来余の最も忌む所なれば、充分研究熟慮の後にあらざれば言ひ出す能はざるが上に、生来頗る多忙の身なるを以て、今日到底これを為すの遑なし、是を以て此問題に対して貴意を充すを得ざるを遺憾とす。然れども余と雖全然支那に関する智識を有せざるにあらず、其の大体の経済状態及び彼我の関係に就ては、多少の抱負と希望あり。之れ即ち余が中国興業株式会社の創立に尽力したる所以なれば、左に之れを概説して聊か貴意に酬ひんとす。
 元来支那は天然の富を擁する事甚だ多く、農産物としての米・茶・生糸・牧畜等は其の産額世界屈指にして、鉄・石炭・石油・アンチモニー等の鉱産物も亦頗る豊富なり。殊に鉄・石炭は無尽蔵と謂ふべく石炭に於ては例へば英人経営の下にある開平炭坑を始めとし、撫順炭坑の如きものあり、又た山西の炭田の如きは其炭量実に驚くべきの大数に上り、二千年間優に世界の需要を充たし得べく、鉄に於ては大冶鉄山は礦区四方里に亘り、礦料三億噸と算せられ、我が枝光製鉄所の如きも、原料は此処に仰ぐにあらざれば他に途なかるべしと迄伝へらる。斯くの如く無尽蔵の富を擁しながら、人智の進歩、交通機関の発達、外資の輸入に不満足の点あるを以て、上海・広東地方の機械製糸上海の綿糸紡績、漢陽の製鉄、上海の造船等の如き注目すべきものなきにあらざるも、未だ一般に近世の文明的産業の十分に発展せず、開拓の余地尚頗る多し。されば欧洲列強は今次の騒乱に乗じ、あらゆる手段を講じて、競ふて此の宝庫に投資を試み、所謂利権獲得に汲々たるを見る。
      二
 同文同種の関係ありて、古き歴史的の連鎖に因りて思想・風俗・趣味・習慣にも共通の点を有する我が国は、凡べての点に於いて他列強に比して一頭地を抽んでざるべからざるにも拘らず、事実は之れに反し、たゞ単に横浜正金銀行・三井物産会社・大倉組等の如き二三の有力者が、個人的に多少の事業を為すあるのみ、然かも是等の事業は欧米のそれに比して一籌を輸せる事は実際に徹して明か也。且つ之に加ふるに、事業の性質に依つては、個人の力にては之をして完全の域に達せしむる能はざるものあり、例へば交通機関の如き、若くは其他の大規模の工業の如き、莫大なる資本を要するものに至りては、大会社を設立するにあらざれば其力のよく及ぶ所にあらざる也。而して支那の富源開拓に際し緊急欠くべからざるものは、交通機関の完備と、莫大なる諸種の企業的資金の供給にして、列強は既に争ふて此方面に注ぎつゝあり。
 然らは即ち支那に於ける交通機関の現状は如何。蓋し最近十余年間に於ける鉄道の延長は実に目覚ましきものありと雖も、憾むらくは国土の広大なるに比して、発達の度尚遅々として不振の情況に在り。其海運の如きも微々たる一招商局あるのみにして、他は多く外国の経営に委しつゝあり。而して列強の資本の支那に入るものは、鉄道に於て
 - 第54巻 p.545 -ページ画像 
は山東に蟠崛せる独逸鉄道、雲南南寧間の仏国鉄道、緬甸雲南間の英国鉄道等を始めとし、京漢・京張・京奉・滬寧の各大線路の既設せる分の敷設費は、概して其資金を如上の諸国に仰ぎ、其未設に係るものも亦た之を如上諸国に仰がんとするものゝ如し。而して此の間に処して独り帝国の関係事業の寥々たるは実に悲むべき状態なりと謂はざる可らず。
      三
 是に於てか余は、経済に国境なく実業に南北なしてふ見地より、彼我両国民一般に遍く行き亘るべき、共同の資金を供給して、一方我が国の鞏固なる経済的地盤を作ると共に、支那の国富を増進せしむべき機関を創設することを期念しつゝありしに、恰も好し当春孫逸仙氏の来朝するに会し、余は直ちに之れを同氏に謀り、且つ余が明治の初年政治界より一転実業界に入りたる経歴を語りて、氏にして実業家たらん事を慫慂せしに、駟馬の車に乗り六国の印綬を帯ぶるてふ支那旧来の思想に囚はれたる氏は、自ら経済界の人たる事は肯ぜざりしも、此の計画には双手を挙げて賛同せられ、其方法及び日本側の勧誘は余に一任し、氏自ら支那側勧誘の任に当る事を約せられたり。是を以て余は直ちに知己の実業家数氏を招待して之れを謀りしに、諸氏亦余に同情せられたれば、敢て菲才を顧ず該会社を創立するの主任者となり、既に世人の知れるが如く中国興業株式会社の成立を見るに至り、我国に在ては予定の如く其の株主の引受も整頓したれども、支那側にては恰も南北乖離して、事を干戈に訴ふるに至りたるが為めに、其の株主の如きも我邦に於けるが如く一般に普及せず、北方の人士に在ては該会社の創立は日本が南方を援助するが為めに企てたるものなりとの誤解僻見より、或は之れを厭ふて加入せざるものあるが如きは実に支那の産業開発の為めに遺憾なりと謂はざる可らず。然れども北方人士の誤解僻見あるにも拘らず、兎に角予定通りの成立を見るに至りたるは彼我両国の為に無上の幸福なりと謂ふべく、中国興業会社の創立は決して徒爾にあらずと信ず。而して中国興業会社の事業としては、上述の如く直接諸種の事業経営の衝に当らざるにあらざるも、専ら企業の性質を調査して、其資金供給の仲介に任ずるを以て主眼とするものにして、現に会社成立以来資金の融通を求め来れるもの既に多数に上り今日其の調査中のもの亦少からず。思ふに斯の如くにして諸種の大事業の漸次振興し来るあらば、彼我の経済界に貢献する所頗る大なるものあるべきは、余の信じて疑はざる所也。