デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
6款 日華実業協会
■綱文

第55巻 p.140-143(DK550027k) ページ画像

大正4年7月27日(1915年)

是日、上野精養軒ニ於テ、東京商業会議所主催ノ日中交驩晩餐会開カル。栄一、出席シテ演説ヲナシ、両国親善ノタメ日中実業家ノ提携ノ緊要ナルヲ力説ス。更ニ是月、栄一、中華民国人孫宝琦及ビ楊士琦ニ書翰ヲ寄セ、両国実業家ノ提携ヲ図ルタメ、日中実業協会ノ設立ヲ提唱ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK550027k-0001)
第55巻 p.140 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
七月十六日 晴 暑甚シ
○上略 午前十一時事務所ニ抵リ、高木陸郎氏ノ来訪ニ接シ、孫宝琦氏ニ通信ノ事ヲ委托ス○下略
   ○中略。
七月廿七日 曇
○上略 午後六時上野精養軒ニ抵リ、商業会議所ニ於テ開催スル日支交勧《(歓)》ノ宴会ニ出席ス、食卓上一場ノ演説ヲ為ス、夜十時散会○下略


集会日時通知表 大正四年(DK550027k-0002)
第55巻 p.140 ページ画像

集会日時通知表 大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
七月十六日 金 午前十一時以后 高木陸郎氏来約(兜町)
七月廿七日 火 午後七時    中野氏より招待(上の精養軒)


竜門雑誌 第三二七号・第六五―六七頁 大正四年八月 ○日支交驩会(DK550027k-0003)
第55巻 p.140-141 ページ画像

竜門雑誌 第三二七号・第六五―六七頁 大正四年八月
○日支交驩会 東京商業会議所の主催に係る日支人招待会は、七月二十七日午後七時より上野精養軒に於て開催されたる由なるが、当夜来賓の重なる者は、支那側に於ては陸公使其他同館員及総領事等、又日本側に於ては大隈首相・青淵先生等にして、晩餐会席上、青淵先生が来賓実業家を代表して謝辞旁々演説せられたる概要は左の如くなりといふ。
 今夕の会合は其意味甚だ深長なるものありと信ず、蓋し日支両国間に蟠れる懸案の解決を意味すれば也、平和は実業の基礎にして、其平和親善に向つて実業家が祝意を表するは当然なるを思ふと同時に会合の時機が早きに過ぎず又遅きに過ぎず、其宜きを得たるを思ふもの也、即ち熱い時に熱い意味の含まれたる会合を、熱い配慮の下に開かれたるを喜ばざるを得ず、総理大臣は只今両国実業家の責任の重大なるを指示せられたるが、吾々実業家の立場としては此依託
 - 第55巻 p.141 -ページ画像 
に背かざる様大に努力せざる可らず、幸に両国は益々和親の実を挙げつつあるものにして、而して将来愈々親密なるやう努むべきの要あるが、其親善の利益たるや相互的交換的たるは云ふ迄もなく、有形のみならず無形の利益を分つ必要あり、別して両国の親善は日本の実業家のみならず支那の実業家も同一の考を以てすべく、公使閣下始め日本在住の支那商業家に於て心を一にせられ、貴国の実業家をして日本の実業家と同一の態度に出てらるゝ様努力せられん事を切望す、支那の古語に宮中千里の語あり、此古語は斯る席上に引例すべきものならざるやも知らざれど、両国はお互に婦人の如く嫉妬心を交へて、其交情に千里の隔てを設くるが如き事なく、両国の間をして一里よりも尚近からしめん事を希望して止む能はず云々。


竜門雑誌 第三二七号・第二二―二六頁 大正四年八月 ○青淵先生鶏肋談 青淵先生(DK550027k-0004)
第55巻 p.141 ページ画像

竜門雑誌 第三二七号・第二二―二六頁 大正四年八月
    ○青淵先生鶏肋談
                      青淵先生
 本篇は国民時報記者が左の如き前書を加へて七月一日発行の同誌上に掲載せるものなり(編者識)
  記者は夙に男爵の偉大を敬慕してゐるので、日常其の高風を仰ぐに足るべき揮毫をお願ひ致さんと曖依村荘に老男爵を訪ふ、男爵談論風発、膝を交へて倦まざるの風あり、元より何等話題を撰はず、談且談、枝より枝に入りて忙中の静観頰る味ふべきものあり録して鶏肋談といふ、実に鶏肋捨つるに忍びざるものあればなり
○中略
△対支外交失敗 彼の日支交渉の如きも幾多の波瀾曲折を経た結果、加藤外相としては予定の成績を収めたけれど、列国の感情や日貨排斥の事実を相殺して、果して成功と謂ふを得べきや否や、国民の生霊を犠牲にして獲たる青島還付を声明して、交換的に贏得したる利権は然程大したものに非ざるにも係らず、列国より猜疑の眼を以て迎へられ多数支那人の反感を激発したるは何が故ぞ、私の観る処に由れば余り懸値をしたからである。最初から誠心誠意懸値無しの談判をすれば、最つと早く纏まりも着いたらうし、又列国の誤解や、支那人の反感を買はすに済んだかも知ぬのである。


支那文参考書類 渋沢男爵書函写 大正四年七月(DK550027k-0005)
第55巻 p.141-142 ページ画像

支那文参考書類            (野口米次郎氏所蔵)
    渋沢男爵書函写 大正四年七月
孫宝琦閣下。起居佳廸。忻慰無量。久不奉高教。葵心益深。近聞。閣下出蒞漢冶萍公司。大伸驥足。恭為公司祝前途隆栄。
頃日高木陸郎君来問。伝致高諭。注念洽浹。欽佩良深。想公司事業益進。蒸々日騰。可期而待矣。盛君強意亦可知耳。
窈惟。雖貴我実業之関係近年漸次接近。然物情消長。気運通塞。於数不可免。其間不保無復憂患矣。今日当貴我実業漸次接近之時。不可不完提携発展之長策。以計其基礎之鞏固。其法設立中日実業協会。挙貴我紳商数名為会員。協議実業発展上事宜。如此則一可以交通意思。一可以取捨利害。閣下以為如何。幸蒙賛同。則立具体案。欲乞高教。書
 - 第55巻 p.142 -ページ画像 
余委曲。話之高木君。願取焉。
又此次寄函楊士琦君。披陳愚見。以求賛成。書次此白。
酷暑如燬。伏祈為邦自重。粛此披陳。仰請諒炳。順頌政祺。
    渋沢男爵書函抄 大正四年七月
楊士琦閣下。動履佳廸。無任忻慰。前倉知君帰自貴邦。審本社総会。閣下譲任。李君襲職。并閣下顧盻本社。不吝蔭補。社業有進運之地。何慶如之。
窃惟。雖貴我実業之関係。近年漸次接近。然物情消長。気運通塞。於数不可免。其間不保無復憂患矣。今日当貴我実業漸次接近之時。不可不完提携発展之長策。以計其基礎之鞏固。其法設立中日実業協会。挙貴我紳商数名為会員。協議実業発展上事宜。如此則。一可以交通意思一可以取捨利害。閣下以為如何。幸蒙賛同。則立具体案。欲乞高教。此次又寄函孫宝琦君。披陳愚見。以求賛成。書次此白。
森君頃日養痾湘南。漸次得愈。待其全治。当赴貴邦。請諒焉。酷暑如座甑中。伏祈為邦自重。仰乞台鑑。順頌政祺。
   ○右二通ノ書翰ハ発信日並ニ和文草案ヲ欠ク。


(野口米次郎)書翰控 高木陸郎宛(大正四年)一〇月二五日(DK550027k-0006)
第55巻 p.142-143 ページ画像

(野口米次郎)書翰控 高木陸郎宛(大正四年)一〇月二五日
                   (野口米次郎氏所蔵)
拝啓 愈御機嫌克被為在欣賀此事ニ奉存候、過般奉送後御沙汰《(無脱カ)》ニ打過キ申訳無之候、扨其節申上置候日支実業協会ニ関スル渋沢男爵回答案其後同男ニ於テ訳文ニ添刪ヲ加ヘラレ、更ニ之ニヨリ汗文ヲ修改シ、別紙写ノ通リニテ去ル二十日付ヲ以テ渋沢事務所ヨリ発送相成候ニ付右封中供貴覧候、同男爵ハ一昨廿三日横浜出帆ノ春洋丸ニテ桑港ニ向テ発程セラレ候○中略
  十月廿五日                 米次郎
    高木様
      侍下

(別紙)
    日支実業協会ニ関シ楊・孫両氏ヘノ回答案
杏城慕韓大人閣下恵鑑。頃接展
 瑶函。籍悉
 起居康勝。公私戬吉。允符心祝。為無量頌。前曾函懇
 商教。擬設中日実業協会一項。機縁湊巧。忝見
 賛同。謬加
 誇奨。寔深赧愧。尚因
 論教。足徴
両大人対於両国実業之接近
 関注最深。欣慰莫名。玆擬関渉細目。開陳鄙見。懇請
 垂教。即。(一)本協会設立主旨。
 来示云。維中日為唇歯之邦。実業上之関係尤為密接。近年雖漸次接近。要在両国明達之紳商。以誠実懇摯之意思交通而提携之。庶於両国実業基礎鞏固発展可期等語。
 貴諭全与鄙意符合。是故。会員資格一節。日本方面。願限於純粋実
 - 第55巻 p.143 -ページ画像 
業家充之。務須不糅官界或政派之縉紳。至於。
 貴国方面。因情形自殊。応推挙与実業縁由最深官紳。以曁著名実業家。是不可当。(二)会員定額。不庸饒多。務須慎重選挙専誠熱心而有力者為要。(三)関於其組織一切籌備事宜。応由貴我両方面。各自挙定少数人士。嘱為委員。令其切実弁理籌備事宜。俟有頭緒方発表之。似乎穏妥。叙上各節。不過開具鄙人随意所感。恐有不備如何之処。切望
 〓奪回示《(酌)》。是為至祷。再。鄙人本月下浣起程。出遊美洲。歴訪各埠約在明年新春旋京。料応暫欠函候。預請
 愿諒。関於此項。如有将
 尊処経審議成案趣旨。再賜
 覆示時。請寄送中日実業公司。応即転交敞処。尤称利便。刻下涼秋諸希
 珍重。耑此奉 聞。敬請
 台祺。並惟
 藹照。
   ○野口米次郎談話ニヨレバ、前掲ノ交渉ハコノママニテ中絶セリト。後大正九年ニ至リ当協会設立セラレタルモ、之ハ日本側ノ実業家ノミヨリ成ル。尚、第五十六巻所収「東京商業会議所」大正四年七月二十七日ノ条参照。