デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2025.3.16

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
6款 日華実業協会
■綱文

第55巻 p.269-271(DK550050k) ページ画像

大正13年3月8日(1924年)

是日、当協会副会長和田豊治ノ告別式ニ当リ、栄一、当協会会長トシテ弔辞ヲ贈ル。


■資料

日華実業協会往復(一)(DK550050k-0001)
第55巻 p.269 ページ画像PDM 1.0 DEED

日華実業協会往復(一)          (渋沢子爵家所蔵)
恭シク和田豊治君ノ霊ニ告ク
大正九年本協会ノ創立セラルルヤ、君発起者一同ノ懇請ニ由リテ副会長ノ任ニ就カル
爾来君ハ繁劇ノ身ヲ以テ終始熱心ニ会務ヲ指導セラレ、為メニ本会カ其目的トスル日支親善ニ貢献シタルノ浅小ナラサルハ内外ノ均シク共ニ認ムル処ナリ、吾等ハ永ク君ノ鼎力ニ依リ此目的ノ達成ヲ期シタルニ、図ラサリキ忽焉トシテ君ノ仙逝ニ遭フハ、之ヲ小ニシテハ本会ノ為メ、之ヲ大ニシテハ国家ノ為メ痛恨措ク能ハサル所ナリ、謹而弔ス
  大正十三年三月八日
               日華実業協会々長
                   子爵渋沢栄一


集会日時通知表 大正一三年(DK550050k-0002)
第55巻 p.269 ページ画像PDM 1.0 DEED

集会日時通知表  大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
三月八日 土 午後一―三時 和田豊治氏告別式(同邸)
  ○和田豊治ニツイテハ本資料第四十一巻所収「儒教」中「手写孝経」参照。



〔参考〕和田豊治伝 喜多貞吉編 第五三九―五四二頁大正一五年三月刊(DK550050k-0003)
第55巻 p.269-271 ページ画像PDM 1.0 DEED

和田豊治伝 喜多貞吉編  第五三九―五四二頁大正一五年三月刊
    第二十章 晩年に於ける銀行会社の救済及援助
○上略
日華実業協会の副会長となる 豊治君の日華実業協会の副会長となりしは大正九年六月会の創立と同時にして、爾来会長渋沢子爵を助けて会務を指導したり。
抑も此の日華実業協会なるものは、大正八・九年の頃支那全土に亘り日貨排斥の運動猖獗にして、為めに日支両国の通商に尠からざる悪影響を及ぼしたるに鑑み、日本並に在支那の商業会議所会員及び本邦に於ける対支事業関係の実業家相謀りて是が対策を講じ、日支親善の実を挙げんが為め創立されたるものにして、豊治君は発起者一同の懇請によりて副会長に就任し、対支問題の解決に奔走し、大正九年より十
 - 第55巻 p.270 -ページ画像 
年春に亘り、北支那地方の大旱魃による救済事業に尽力すること頗る熱心にして、大正十年一月十八日の日誌に、『正午日華実業協会委員会に出席して、渋沢・大倉其他の諸氏と支那飢饉救済寄附金を如何に処分するやを協議し、結局北京・天津・済南の三ケ所に収容所を設け粥を炊き出し実業団居留民団より直接救助せしむることとせり、寄附金は今日の所五十余万円なれども、尚ほ十万円位集まる見込なり』とあり。また三月四日には、『正午日華実業協会幹事会に出席、支那救済の件三菱の奥村氏より詳細報告あり、北京・天津・済南の各地とも目的通り進行の由なり、本日まで寄附金集まり高五十六万余円なり』と記載せる程なり。次に金建問題に関しては、同年五月二十七日の日記に、『四時日華実業協会の臨時幹事会に出席、金建問題にて上京せる大連華商公議会長郭学純及張本政通訳採毓棻の諸氏に、渋沢会長外幹事諸氏と共に面会して、詳細に金建の不合理なるを聞き、同情を表し、何とか尽力すべき旨を答へ置きたり』とありて、爾来来朝の民国朝野各方面の士の為には東西に奔走し、交歓の事に努力し、更に協会の事業として民国の子弟教育の機関を作らんと欲し、青島商科大学設立計画の如きは、豊治君の最も熱心に奔走したる所なり。大正十年六月二十一日の日誌に、『午後一時半日華実業協会の幹事会に出席す、青島兵営を無償譲渡を陸軍大臣に出願し、其建物地所を利用して、大学校を日華実業協会にて設立し、日支親善の基礎を作ることに決定せり』と誌し、九月十四日には、『工藤鉄男氏来訪、青島由比司令官は来月中旬同地出発上京の報ありしに付、余は月末又は来月始めに出発渡支に取極む、桜内幸雄・橋本信次郎二氏来訪、余と支那に同行の希望を述べらる』とあり、其翌々日の日記には渋沢子爵訪問のことを記して、『尚序でながら青島還附の上は、万年兵営を日華実業協会に引受け大学を起し、大に山東に於て文化事業に尽したきに付御高配願度旨申添ふ』と誌し、十月十一日には、『日華実業協会幹事会に出席、青島大学設立の件、万年兵営其他附属建物無償借用の件等議決す』とあり、十二月三日には、『四時日華実業協会幹事会に出席、支那より帰朝せる工藤主事の報告を聞き、青島大学設立に関する協議をなす』と誌し、六日には、『午後四時陸軍大臣を官邸に訪問し、日華実業協会が青島に大学を建設するに就ては、政府は果して万年兵営其他必要のものを無償貸下げに決行するや否やを確かめたるに、決行する旨を断言せり、依て大体の打合せをなす』と誌し、翌七日には、『総理大臣高橋子を官邸に訪問し、昨日同様青島大学設立に関し大臣の意見を確かめたるに、同子は「ワシントン」に於て山東問題も今や日支大使の間に評議中にして、四国大使も其間に参与し居る際なれば、日本側に於ても余り種種の画策をなし、列国の誤解を招く様の事を差控へたしとの意見なりし故に、余は一個の利権問題にあらず、公益法人が支那人に文化事業を行ふものなれば、遠慮する必要なからんと述べ、政府も今少し強硬の態度に出でられんことを希望し置きたり、午後五時外務大臣に面会して、昨日来陸軍・総理の二大臣に面談せし通り意見を交換し、略ぼ諒解を得たり』と記し、十一年三月八日には、『十時内閣書記官長三土氏に面会して青島大学々長候補者川村理平氏の紹介
 - 第55巻 p.271 -ページ画像 
を受け、本日午後四時工業倶楽部にて同氏に面会の約をなす、四時工業倶楽部にて川村氏に面会して青島大学の件に付き意見を交換す、同席大倉組阿賀氏・三菱奥村氏・古河代表者なり』とあり、三月十八日の日誌には、『正午日華実業協会員と外務省亜細亜局長外二名、秋山青島民政長官等と合議す、青島大学の件も「ワシントン」会議の結果今少し延期のことゝす』と記せるが如く、豊治君が只だ独り首動者として奔走せるの観あり。偶ま関係会社用を以て渡支する時に当りても各地に於て協会の主旨を敷衍する等、会の目的を達成するに努め、日支親善の為めに貢献したること頗る多かりしを以て、豊治君の長逝するや、該協会は深く之を哀傷して、左の弔詞を霊前に呈したり。
○下略