デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
3節 其他ノ外国
2款 伯剌西爾拓殖株式会社
■綱文

第55巻 p.571-583(DK550118k) ページ画像

大正2年3月10日(1913年)

是日、東京商業会議所ニ於テ、当会社創立総会開
 - 第55巻 p.572 -ページ画像 
カル。栄一出席シ、議長トナリテ議事ヲ司宰ス。栄一、当会社名誉顧問ニ推サレ、爾後当会社ノタメ尽力スルトコロ少ナカラズ。

大正六年十二月、当会社ハ、我国移民事業統合ノタメ設立セラレタル、海外興業株式会社ニ合併セラル。其後ニ於テモ栄一、移民事業ノタメ種々尽力ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正二年(DK550118k-0001)
第55巻 p.572 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正二年        (渋沢子爵家所蔵)
三月十日 晴 軽寒
○上略 午前十時半商業会議所ニ抵リ、伯剌西爾拓殖会社創立総会ヲ開キ要件ヲ議決シ、後重役ヲ指名ス、畢テ新重役ト会社事務ヲ協議ス○下略
三月十一日 晴 軽寒
午前七時起床、半身浴ヲ為シテ朝飧ヲ食ス、後、井上雅二氏ト電話ヲ交換ス


時事新報 第一〇六〇〇号大正二年三月一一日 ○南米拓殖創立総会 十日商業会議所にて(DK550118k-0002)
第55巻 p.572 ページ画像

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伯剌西爾拓植株式会社 創立趣意書・「イグアペ」日本人植民地設立特許ニ関スル法律・同契約書・企業説明・計算・定款 第一―四九頁刊(DK550118k-0003)
第55巻 p.572-574 ページ画像

伯剌西爾拓植株式会社 創立趣意書・「イグアペ」日本人植民地設立特許ニ関スル法律・同契約書・企業説明・計算・定款
                       第一―四九頁刊
 - 第55巻 p.573 -ページ画像 
(表紙)
 (朱字書入レ) 東京市麹町区有楽町一丁目一番地(第十八号館第八号)
 初年度修正記入
                  伯剌西爾拓殖株式会社
                       創立事務所
                    電話本局一四六番
   伯剌西爾拓植株式会社
      ○創立趣意書
      ○「イグアペ」日本人植民地設立特許ニ関スル法律
      ○同契約書
      ○企業説明
      ○計算
      ○定款

    伯剌西爾拓植株式会社創立趣意書
海外植民事業ハ内地ノ過剰セル人口ヲ外ニ向テ利用シ、又海運貿易ノ発展ニ資スル所以ニシテ、識者夙ニ之ガ遂行ノ必要ヲ唱道スト雖、適当ナル植民地ヲ得ル事容易ナラサルカ故ニ、今日迄組織的ニ事業ノ実行セラレシモノアラズ
偶有志者ノ組織ニ係ル東京「シンヂケート」ハ資ヲ投シテ多年之ガ実行案ヲ求ムルニ腐心シ、遂ニ伯剌西爾国ノ人口稀薄ニシテ土地広大、且ツ欧米大市場ト交通容易ニシテ、土着人民ハ邦人ノ来住ヲ歓迎シ、相携ヘテ其富源ヲ開発セントスル情状アルニ着眼シ、明治四十三年七月其代表者ヲ伯国ニ派遣シ、先ツ六ケ月ニ渉リ伯剌西爾聯邦中気候中和ニシテ、開拓事業ノ比較的進歩セル南部諸州ヲ綿密ニ踏査セシ結果「サンパウロ」州「イグアペ」区「リベイラ」流域一帯ノ地ガ気候温暖土地肥沃ニシテ、特ニ米作ニ適シ、且ツ大市場「リオデジヤネロ」ト水路相通ジ、物産ノ運搬甚ダ便利ナルノミナラズ、欧米大資本家ノ経営ニ係ル同地貫通鉄道ノ二・三年ニシテ竣工セントスルアリ、該鉄道ニシテ落成センカ、水陸ノ交通機関此ニ全備シ、伯国諸大都会トノ往来自在トナルガ故ニ、同地方一帯ハ産業自ラ勃興シ繁栄ノ到来期シテ待ツベク、我植民地ヲ設立スルニ最モ適当セルヲ認メタリ
此ニ於テ東京「シンヂケート」ハ事業遂行上ノ便利ヲ得ンガ為メ、同地方ニ於ル州有未開墾地ノ無償譲受及植民渡航費ノ全部償還其他種々ノ恩典許与ヲ「サンパウロ」州政府ニ交渉スル処アリシガ、土地ノ無償譲渡ハ政府ノ権限外ニ属シ、又植民渡航費全部償還ノ事ハ当局者ニ於テ反対意見ヲ有セシ為メ其目的ヲ達スルコト能ハザリキ、此ニ於テ「シンヂケート」代表者ハ更ニ進デ之ヲ州内ノ有力家ニ謀リ、其後援得テ問題ヲ解決スルニ必要ナル法律ノ制定ヲ、州議会ニ請願スルニ及ビ、幸ニ各政党ノ領袖概ネ好意ヲ以テ之ヲ迎ヘ、該請願ノ主意終ニ貫徹シ、日本人植民地設立特許ニ関スル法案ハ、昨年十二月大多数ヲ以テ州議会ヲ通過シ、本年一月法律トシテ公布セラルヽニ至レリ、斯クテ東京「シンヂケート」ノ計画ハ初メテ実行的トナリ、乃チ別紙本年三月八日附「シンヂケート」対「サンパウロ」州政府植民契約ノ成立ヲ見ルニ至リタリ
抑モ州有地ヲ植民会社ニ無償譲渡シ、又政府ノ費用ヲ以テ私設植民地ニ農事試験場・種畜場等ヲ設立維持シテ外国人ノ植民事業ヲ助成スル
 - 第55巻 p.574 -ページ画像 
コトハ伯国ニ於テ前例ナキ処ニシテ、又此ノ如キ寛大ナル処置ハ他国ニ於テモ未ダ曾テ類例アルヲ聞カズ、其他植民ノ渡航費全部償還及植民奨励金下附ノ如キモ現行法規上恩典ノ極度ニシテ、固ヨリ州政府特別ノ詮議ニ由レル所、是等ハ孰レモ企業者ノ為メ多大ノ便利タラズンバアラズ
之ニ由テ今般同志相詢リ、東京「シンヂケート」ニ交渉シ、其獲得セル「イグアペ」植民ニ関スル特許権一切ヲ譲受ケ、乃チ本目論見書ノ計画ニ依リ会社ヲ組織シテ事業ヲ実地ニ経営セントス、此特典ヲ基礎トシテ成立スヘキ本会社収益ノ確実ナルハ勿論、斯業ノ遂行ガ国利民福ニ裨益スル所少ナカラザルハ吾人ノ信ジテ疑ハザル所ナリ、希クハ天下有志ノ士進テ御賛成アランコトヲ
  大正元年十一月                 発起人
○中略
    伯剌西爾拓植株式会社定款
      第一章 総則
第一条 本会社ハ伯剌西爾拓植株式会社ト称ス
第二条 本会社ノ目的左ノ如シ
  一、伯剌西爾国ニ於ケル植民事業
  二、伯剌西爾国ニ於テ農業及牧畜業
  三、農産物家畜ノ売買及産物精製
  四、土地売買
  五、運送及金融ノ事業
  六、植民事業・農業及牧畜業経営ニ附帯スル事業
第三条 本店ヲ東京市ニ、支店ヲ伯剌西爾国サンパウロ州イグアペ郡本社植民地ニ置ク
第四条 資本総額ヲ金壱百万円トス
○下略


青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第一六頁 昭和六年一二月刊(DK550118k-0004)
第55巻 p.574 ページ画像

青淵先生職任年表 (未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
                竜門雑誌第五一九号別刷・第一六頁昭和六年一二月刊
    大正年代
  年 月
 元 一〇 ―伯剌西爾拓殖株式会社発起人○中略 大、二、三、〃創立総会議長。大、二、三、―〃名誉顧問―大、六、一二、(海外興業ニ合併)。


渋沢栄一 日記 大正四年(DK550118k-0005)
第55巻 p.574 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年       (渋沢子爵家所蔵)
七月廿一日 晴 暑気昨日ト同シ
午前六時半起床、入浴朝飧畢リテ○中略 ブラジル拓植会社ノ重役会ニ出席シテ、向後ノ着手順序ヲ協議ス○下略


集会日時通知表 大正四年(DK550118k-0006)
第55巻 p.574-575 ページ画像

集会日時通知表 大正四年       (渋沢子爵家所蔵)
七月廿一日 水 午前十時 ブラジル拓植会社会議(ブラジル拓植会社)(是ハ電話ノ通知、追テ議案ヲ具ヘ
 - 第55巻 p.575 -ページ画像 
改メテ通知スト)


集会日時通知表 大正五年(DK550118k-0007)
第55巻 p.575 ページ画像

集会日時通知表 大正五年       (渋沢子爵家所蔵)
 七月卅一日 月 午後一時  ブラジル拓植会社相談役会(同社)
   ○中略。
 八月十一日 金 午後一半時 ブラジル拓植会社相談役会(同会社)
   ○中略。
 九月二日 土 午前十一時  ブラジル拓植会社酒井子爵来約
               (兜町)
   ○中略。
十二月廿七日 水 午後三時 ブラジル拓植会社総会(商業会議所)


渋沢栄一 日記 大正六年(DK550118k-0008)
第55巻 p.575 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正六年       (渋沢子爵家所蔵)
三月一日 晴 寒
○上略 神谷忠雄氏来リテ、伯示爾拓殖会社ノ事ヲ談ス


青淵先生関係会社調 雨夜譚会編 昭和二年九月(DK550118k-0009)
第55巻 p.575-576 ページ画像

青淵先生関係会社調 雨夜譚会編 昭和二年九月
                    (渋沢子爵家所蔵)
             海外興業株式会社
                 社長 井上雅二氏談
大正六年、当時の寺内内閣は戦後に来るべき宇内形勢の変化に対応しまして、国力進展の途を拓き且国民生活問題の解決を期して、海外発展の大策を樹立するの必要を認めまして、其実行方法として拓殖企業及之に対する資金供給の機関を設ける事とし、先づ東洋拓殖株式会社法に左の条項を追加して其資金供給の任に当らしめたのであります。
 一、移民取扱業其他拓植事業を営むことを目的とする会社の株券又は債券の応募引受
 二、移民取扱業其他拓植事業を営むことを目的とする会社の株券又は債券を質とする五年以内の定期償還の方法に依る貸附
尚ほ当時国内には拓植企業並に移植民事業を担当すべき会社が必要であつたが、此種の事業会社存在せず、唯小移植民会社数多分立して弊害が少くなかつたのであります。これでは対外移植民政策の実行も不可能だと云ふところで、之等を合併し且拓植事業経営の目的の為めに大正六年八月七日勝田大蔵大臣は東洋移民・南米植民・森岡移民・伯剌西爾拓植・日本殖民各社の代表者を其官邸に招致し、外務省通商局長中村巍氏立会の上、以上の趣旨を懇示して関係各会社の合同を慫慂された次第であります。
併し種々な面倒な問題が介在してゐて、森岡移民だけは不賛成の申出を為して脱退しましたので、他の諸会社は同年八月三十一日の会合で本計画に関して大略の協定を為したのであります。此協定によりますれば
 一、資本金を壱千万円の内九百万円は従来の関係者側に於て応募し壱百万円は伯剌西爾拓植会社現状(資本金壱百万円内払込五十五万円)の儘会社の引受額として合併
 - 第55巻 p.576 -ページ画像 
 一、新会社は関係四移民会社より営業権及得意関係を合計九十六万円四千八百円《(衍)》にて買収
 一、新会社は設立と同時に政府の認可を得て旧移民会社の取扱ひたる移民に対し、移民保護法上の保証義務を継承
斯くて成立した新会社を海外興業株式会社と称し、現に日本唯一の移植民取扱会社として且南米及南洋にて拓植事業に従事して居る次第であります。話は元に溯りますが、渋沢子爵を創立委員長として成立した伯剌西爾拓植株式会社のイグアペの植民地は、其広さ六万三千余町更に現在私有地の買収に従事して居りますから、今後両三年中には約八万町歩に上る一大植民地が出来る訳であります。最近の統計に依れば既に二万七千町歩を開拓し、約二千七百余の人口を収容し、一年間の農産額が壱百万円に達して居るのであります。
尚ほ移植民事業の必要は朝野の輿論となり、年々渡航者を増して居る現状でありますから、十年を出ずして渋沢子爵初め其他の御尽力に依り生れたるイグアペの植民地は、一万数千人の邦人を収容する植民地となる事と予測されて居ります。
○下略


(海外興業株式会社)第壱期営業報告書 大正七年前期 刊(DK550118k-0010)
第55巻 p.576 ページ画像

(海外興業株式会社)第壱期営業報告書 大正七年前期 刊
    第一期営業報告書
      一、設立ノ顛末
当社ハ国運ノ発展ニ適応スルカ為メ移植民取扱及海外投資ヲ目的トシ旧移植民会社ヲ合同シ、資本金金九百万円ヲ以テ設立シタルモノニシテ、始メ合同談ノ開始アルヤ、当時我国ニ於ケル総テノ移植民会社即チ東洋移民合資会社・日本殖民株式合資会社・伯剌西爾拓植株式会社ノ全部ヲ網羅スルノ計画ナリシガ、中途森岡移民・日本殖民ノ両社脱退シ、自余ノ東洋移民・南米植民・日本殖民三社ノミニテ新会社ヲ組織シ、新会社成立後相当時期ニ於テ伯剌西爾拓植株式会社ヲ併合シ、資本金ヲ壱千万円ニ増額スルコトニ決定セリ
○中略 大正六年○中略 十二月一日創立総会ヲ開催シ○中略 玆ニ愈当社ノ成立ヲ告ゲタリ○中略
大正六年十二月二十八日ノ臨時株主総会ニ於テ○中略 会社成立前ノ協定ニ基キ伯剌西爾拓植株式会社トノ合併契約ヲ承認シ、伯国サンパウロ州ノ千九百十一年十二月二十九日法律第千二百九十九号Fニ依リ、千九百十二年三月八日同州政府ト東京シンヂケート間ニ成立シタル「イグアペ」日本人植民地設立特許ヲ当社ニ継承スルニ付、サンパウロ州政府ノ承認ヲ得ルコトヲ条件トシテ合併ノ効力ヲ生ズベキコトヲ決議セリ


渋沢栄一 日記 大正七年(DK550118k-0011)
第55巻 p.576 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正七年         (渋沢子爵家所蔵)
二月二十八日 雪 朝来降雪三四寸ニ及フ、寒気殊ニ強シ
午前七時半起床入浴シテ朝飧ヲ了リ、後松本久作氏ノ来訪アリ、近日伯国ニ渡航スルニ付告別ノ意ナリト云フ、依テ訓示ヲ与ヘ、且金五拾円ヲ贐ス、其需ニ応シテ論語ノ一句ヲ記シテ送別トナス○下略
 - 第55巻 p.577 -ページ画像 


竜門雑誌 第三六三号・第六六頁大正七年八月 ○金冠の藜杖(DK550118k-0012)
第55巻 p.577 ページ画像

竜門雑誌 第三六三号・第六六頁大正七年八月
○金冠の藜杖 齢九十一歳にして一門の家族四十六名を引連れ、海外遠く南米ブラジルに移住の壮図を企てたる北海道北見の小笠原吉次翁は、過般上京せるより、之を機として青淵先生に画謁すべく、崎山比佐衛氏の斡旋にて七月廿六日王子なる先生邸を訪れしに、先生も心よく引見の上、渡海後に於ける事業に就て種々指導奨励せらるゝ所あり尚ほ紀念として金冠の藜杖を寄贈せられたるより、同翁の喜び一方ならず、渡米の上は一層奮励して邦家の為めに微力を捧ぐべしとて、涙を浮べて感謝せりと云ふ。


諸挨拶状綴(一) 【(印刷物) 拝啓 益御清穆奉賀候、陳者小生儀今般海外興業株式会社社長ニ就任致候ニ付テハ…】(DK550118k-0013)
第55巻 p.577 ページ画像

諸挨拶状綴(一)             (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 益御清穆奉賀候、陳者小生儀今般海外興業株式会社社長ニ就任致候ニ付テハ、公私共何分ノ御厚誼ニ預リ度御願申上候、尚当社ノ営業目的タル海外移植民ト海外企業トハ国運ノ消長ニ関係スル所深ク、此際社業ヲ拡充シ、社務ヲ整備シ、国家ノ急需ト大方ノ期待ニ副フ様致シ度信念ニ御座候間、何卒当社事業ニ対シ猶一層ノ御同情ト御後援相願度、此段御挨拶旁御願申候 敬具
  大正十三年三月二十九日
                    井上雅二拝
 追テ竜江義信氏ハ従前通リ専務取締役トシテ御勤務相成居リ候ニ付添ヘテ申上候


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK550118k-0014)
第55巻 p.577 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一四年        (渋沢子爵家所蔵)
三月五日 半晴 軽寒
○上略 午前十時井上雅二氏来訪ス、蓋シ氏ハ移民会社ノ要務ヲ以本月末発途、南北米国ヲ巡回スルニ付、北米移民問題ニ付テハ従来ノ沿革ヨリ現在ノ状況マテ詳細ニ知悉セシメ、米国旅行中ニ於テ同情アル人士ト交渉ノ事アランヲ予想シ、先ツ紳士協約成立ノ頃ヨリ政府当局ノ措置及吾人日米関係委員会ノ取リタル両国親善ニ関スル行動ヲ詳細ニ説明シ、同氏発途ノ際ニハ書類ヲモ具備スヘキ事ニ約シテ十二時頃帰京セリ○下略
   ○当時栄一大磯ニアリ。


渋沢栄一 日記 大正一五年(DK550118k-0015)
第55巻 p.577 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一五年        (渋沢子爵家所蔵)
一月十日 快晴 寒
○上略
井上雅二同夫人同行来訪、雅二氏ノ本職ニ付テハ南米移民ノ事ヲ談シ秀子トハ女子大学ノ経営ヲ協議ス○下略


渋沢栄一書翰 井上雅二宛(大正一五年)一月一四日(DK550118k-0016)
第55巻 p.577-578 ページ画像

渋沢栄一書翰 井上雅二宛(大正一五年)一月一四日 (井上雅二氏所蔵)
拝啓 益御清適奉賀候、過日ハ遠方態々尊来被下候処、匆卒之拝接欠礼之段奉謝候、其際も御垂示有之候南米移植民に関する貴案之要領一
 - 第55巻 p.578 -ページ画像 
本御恵贈被下忝奉存候、早速閲覧仕候も、未見之土地にも有之、殊ニ近来ハ実務ニ迂遠と相成候為め充分ニ理解し得さる点も有之候へとも大体ニ於て御同案ニ有之、実ニ目下緊急且重大之国策とも可申ものと存候間、此上共ニ御努力相成、御意見貫徹候様企望仕候、何れ其中拝眉を得、老生等ニ於て御応援之必要も御坐候ハヽ、何れなりとも微力相添可申ニ付御指示被下度候、右陳謝旁一書可得貴意如此御坐候
                        匆々敬具
  一月十四日
                        渋沢栄一
    井上賢契
      研北
(別筆)
麹町区有楽町一ノ一海外興業会社 井上雅二様


(増田明六) 日誌 昭和二年(DK550118k-0017)
第55巻 p.578 ページ画像

(増田明六) 日誌 昭和二年 (増田正純氏所蔵)
二月十二日 土 晴
○上略
本日の来訪者と其要件
○中略
3山本邦之助君 ブラジル視察報告の件
○下略


(増田明六) 日誌 昭和三年(DK550118k-0018)
第55巻 p.578 ページ画像

(増田明六) 日誌 昭和三年 (増田正純氏所蔵)
二月廿八日 火 晴 出勤
○上略
今日の来訪者
○中略
2井上雅二氏 三月一日出発海外移民状況視察の為め子爵へ暇乞旁々
○下略


竜門雑誌 第四一五号・第六九頁大正一一年一二月 ○本社評議員会及会員有志晩餐会(DK550118k-0019)
第55巻 p.578 ページ画像

竜門雑誌 第四一五号・第六九頁大正一一年一二月
○本社評議員会及会員有志晩餐会 本社にては十一月廿九日午後六時より、東京銀行倶楽部に於て評議員会を開き
○中略
 次で六時半より、本社前評議員星野錫君並に脇田勇君の帰朝歓迎を兼ね、本社新旧評議員及会員有志晩餐会を開催せるが
○中略
宴半にして阪谷評議員会長代理渋沢篤二君の星野・脇田両君帰朝歓迎の挨拶に次ぎ、星野君の謝辞ありて宴を閉ぢ、夫より別室に於て、脇田君の独逸視察談及び星野君の国際労働会議の状況並に南米視察談等あり、終つて青淵先生・白石元治郎君の所感談等ありて、散会せるは十一時五十分なりき。
 - 第55巻 p.579 -ページ画像 

竜門雑誌 第四一九号・第三〇―三六頁大正一二年四月 ブラジル視察談(二) 星野錫(DK550118k-0020)
第55巻 p.579-580 ページ画像

竜門雑誌 第四一九号・第三〇―三六頁大正一二年四月
    ブラジル視察談(二)
                      星野錫
 それから次には先刻召上つた珈琲ですが、あれが彼の国の特産で、世界の需要の六七割は彼処の産物でありませう。実に盛なものです。○中略 所で之を植えてある所が五百尺乃至二千尺・三千尺と云ふ様な山の上に植えてある。それから下ではいけない。是は不思議に思ひました。日本では富士山が一番先へ白くなつて麓の箱根には雪がない。向ふは反対で高い所程霜が来ない。反対です。もう一つはどうしてそんな山へ行つて採集其他の事が都合好く出来るかと云ふと、是は誠に好い都合になつて居るのは、日本みたやうな山とは全然違ふ。山の恰好は悪いが、船に乗つて航海するときにウネリがある、あの大ウネリ的の山ですから、場所に依つてはマルで平坦のやうに見える。鉄道を敷いても何等金の掛かる所はない。あれでも私の見物して歩いた中に一つ二つ隧道がありました。それ位ですから自動車の通る道などは容易に出来る。採集等に就ても誠に楽に出来る。少し高い所に上つて見ると非常に広いものです。○中略 さう云う訳ですから珈琲園と云ふものは儲かる。其処へ日本人が這入込んで行くのが即ち移民です。○中略
 話は前に戻つて珈琲園に這入つてどうなるかと言ひますと、極て賃銀が好い、そこでもう一つお話して置かなければならぬのは、今何家族と云ふことを前に申しましたが、一家族と云ふのは夫婦に子供――十四・五になる働きの出来る年輩の者、即ち夫婦の外に今一人、都合三人を以て一家族と見る、故に二人では家族にならない。子供がなければ雇つて行くなり何なり、兎に角一家族三人以上、其一家族に対して家が出来て居りますから其処へ入れて呉れる。そこで珈琲園で稼ぐには、実の生つたときは実を採る、其用が済むと草を採り肥料をやつて明年の下拵をすると云ふやうな仕事をやる、実を採るときには一貫目幾らと云ふことで採つて居るから、手の早い慣れた人は中々稼ぐ、○中略 尚又彼等は皆一所に集つて居る。サンパウロの市は伊太利人が開いたと云ふ位、伊太利人が多い。それだから自国の言葉でも足りる、敢てブラジルの言葉を使はぬでも済む。之に反して日本人は区々になつて居るから村を成さない。前に申した海外興業株式会社の御骨折で嘗て送つた移民が五百家族集つて居る。其他は三十家族とか十家族とか云ふものですから、学校も出来なければ病院も出来ない。多くは一軒一軒銘々勝手の所に点在して居ります。寝ても起きても家族だけ、話相手もなければ何もない。故郷忘じ難しの念が益々強くなつて、一刻も早く帰らうとする、誠に気の毒千万の状態であると申上げて宜いやうであります。○中略 さう云ふ訳で活きて居ると云ふ点から云へば半年でも一年でも、只活きて行かれると云ふ国柄である。ですから食ふだけはどうか斯うか食つて行けますから日本へは帰りませぬと云ふ。そこで私はお前達が此処へ来て居るのは生活問題ではない、同胞の為に此処へ来て居るのだ。さうすると日本へ帰つては済まぬ。と講釈を言ふと、女房等が出て来て、実に御尤です。此処に居ると言葉は分り
 - 第55巻 p.580 -ページ画像 
ませぬし、厭やになりますが、日本へ帰ると食ふに困ります。此処に居れば金は無くても食つては行けますから、帰りますまいと皆さう言つて居ります。そんな連中は帰られぬので辛抱するだらうと思ひますが、実に悲惨な有様であるのです。是は誰か行つて世話をすれば、立派な日本村が出来やうと思ひます。兎に角同胞を繰出すのですから、真に気候の上から土地の関係から、総てに於て良い所でなければ進んで出すことは六ケしからうと思ひます。其等の総ての要素を具備したものがブラジルである。進んでは南米であると申上げたい。私は南米の全部を見ませぬから分りませぬが、アルゼンチンも其通りである。
○下略


竜門雑誌 第四二〇号・第三九―四三頁大正一二年五月 ○ブラジル視察談(完) 星野錫(DK550118k-0021)
第55巻 p.580-581 ページ画像

竜門雑誌 第四二〇号・第三九―四三頁大正一二年五月
    ○ブラジル視察談(完)
                      星野錫
 そこで大分時刻も後れましたが、簡単に一つ申上げて諸君の御考を願ひたいと思ふのは、申す迄もなく現在ですら日本は非常に人口が多い、現在の日本の人口を面積に割当てゝ見ると一平方哩三百九十二人になるさうです。其事を紐育で集つたときに話しますと、紐育総領事が申されるには、それは星野君ブラジルだのアルゼンチンだのゝ如く物が出来る場所を平均したのではない。日本は中々山が多い、さう云ふ山などの物の出来ない所を取除けて勘定すると、日本は一平方哩四千人になる、と云ふ話であつた。如何にもさうだらうと思ふ。然るにブラジルはどうかと云ふと一平方哩に・八幾らで、・九にはならない詰り一人にならない。○中略 日本は○中略 昨日聞いた話ですけれども、既に二十年経つと三千五百万石米が足りなくなる、三十年後には四千八百万石不足する、農商務省あたりの調べらしいですが、果してさうであらうと思ふ。生活問題と云ふものは総ての問題の根本である。何としても自分の力を以て食ひ住ひ且つ着ると云ふことの出来るやうにしてやらなければならぬ。さうするには他の国へ殖民地を拵へて、後から生れて来る者の為に生活の手段を講じてやると云ふことは、今日に於て最も急務ではないかと思はれる。今の所はどうか斯うかやつて行くことが出来ませうが、此儘で段々進むと、一人当り一升に当るものが九合となり、七合となり四合となり三合になる。さうなつたらもう食つて行けないと云ふ時代が確かに来る。今言ふ通り農商務省の調べでも既に二十年経つと三千五百万石米が不足すると云ふやうな訳でありますが、年々殖えて行く同胞の生活に安定を与へると云ふことが最も今日の急務であると云ふやうな話から、実は中村君の話を聴いて南米見物を思立つたのでありますが、行つて見ると果せる哉、同胞に是非お出なさいと言ひ得る国は、ブラジルと云ふよりは寧ろ南米と言つた方が宜いかも知れませぬ。故に先以て此処に殖民地を拓いて、近く目前に懸かれる大問題を解決することが最も急務であらうと思ふ。然らばどうするが宜いか、或はブラジルに殖民地を拓くにはどうするが宜いか、既に独逸の如きは百五十万人も入れて居る。○中略 それで私は此際進んで南米調査会と云ふ様なものを拵へて、さうして良い所は十
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万町歩でも二十万町歩でも、貰へるものは貰ひ、買ふものは買つて、さうして予め彼地此方同胞を送るべき場所を拵へて置くことが急務であらうと思ふ。と云ふのは、欧羅巴戦争後の有様を見ると、中々生活問題が容易ではない、随て各国が人間を外に送り出すと云ふことは非常に研究して居る。現に独逸の如きは今年は六万人入れると言つて騒いで居る。西班牙もさうでございませう。葡萄牙もさうでございませう。○中略 果して然らば、少しも早く買ふべきものは買い、貰ふべきものは貰つて、さうして植付けるのが順序ではないか、植付るに付ては相当の世話をして、内地に居つて生活するより以上の生活の途を立ててやれば、日本人が屹度移住的考へを起すに相違ない。それには私はブラジル、進んではアルゼンチン、其他は私は参りませぬが、左様に申上げて宜いと思ふ。是非此事は官民一致の力と云ふか、挙国一致の力と云ふか、是非運びたいと思ふ。それに就て大変遠いと云ふ説がある。遠いには違ひない。大阪商船は航路補助として百四十万円も貰つて、方々へ寄るから日数が掛かるが、直航すれば何等遠い事はない、それから向ふには物産が中々多い。木の種類などは沢山ある。既に北米から材木の這入ることを見れば、ブラジルから材木を入れることは何でもない。少し船会社が心配をすれば幾らでも入れられると思ふ。どうしたつて船会社に働いて貰はなければならぬ。○中略 何れにしましても人間の多いと云ふことは結構である。私が丁度巴里で新聞を見ましたら、亜米利加のサンガー夫人とか云ふお婆さんが日本に渡来するので、警視庁が入れるとか入れぬとかいふて騒いで居ると云ふ話がありましたが、人間の多いのは結構である。どしどし人間の出来る方が宜い。人間が殖えれば色々の問題も生ずるが、稼ぐからそれだけ勢力も出来る。何れにしましても多数決、数の多い方が勝を制する、日本も成べく沢山子供の出来る事を希望するのでありますが、同時に又其始末を考へなくてはならぬ事と存じます。この事は将来我等の子孫の為めに今日我等の努力す可き最も重大な仕事でありまして、国運の進展も全くこれによつて期し得らるゝ事と存じます。
○下略


竜門雑誌 第四二〇号・第三七―三八頁大正一二年五月 ○本社晩餐会に於て(DK550118k-0022)
第55巻 p.581-582 ページ画像

竜門雑誌 第四二〇号・第三七―三八頁大正一二年五月
    ○本社晩餐会に於て
                      青淵先生
 本篇は昨年十一月廿九日開催の本社新旧評議員及会員有志晩餐会に於ける青淵先生の講演なりとす(編者識)
 只今星野君のお話を拝聴しましたが、移民問題に就ては私も現今我が政府の移民に対する制度が立つて居ないと思ふ。故に之を改善させたいと云ふ事に付ては嘗て内務大臣に意見を述べましたら、水野君も同様のお考を持つて居らるゝやうでございました。最近に果して充分な制度が設けらるゝかどうか知らぬが、既に伊太利などには余程念の入つた規則が立つて居る。日本は国が小にして人が多いから、どうしても他方に人を出さなければならぬのに、海運には相当の方法があるけれども、移民には一向制度が立つてないからして、出る人に対して
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訓練もなければ、保護もない。随て他国に出る人々も完全に行かない然らば如何なる趣向が宜いかと云ふことは、私にも今俄に申兼ねますけれども、相当な保護法を設けることが出来さうなものだ、既に先頃内務省に社会局を置くと云ふときに、協調会には一歩進んで労働省を造るが宜からうと云ふ説もあつた、若し労働省が出来るならば、其省に移民局を設けて、移民の上に良い制度を設けたら宜からうと思ひましたけれども、労働省を設けると云ふことは、政費節約の最中にも、余り大袈裟過ぎると云ふやうな、実業界の人々から小言があつた為に止めになつて遂に社会局と云ふものになつた。其社会局が今後移民の事に就てどれだけ担当するか分りませぬが、兎に角移民の事は目下頗る必要と思ひます。移民を海外に出すに付ては相当の制度も、保護の方法も無論必要だらうと思ひますから、私も向後怠らず其筋に進言して、然るべき制度の設けられるやうにしたいと期念して居ります。只今の星野君のお話で想起しましたが、元来ブラジルに対する移民会社は桂内閣の時に大浦農商務大臣が主張されて、私も其時相談に預つたのであります。其後移民関係の会社が合併して、神山潤次氏が社長になつて経営されましたが、其以後の有様は如何に推移しましたか、今日も形は存してありませうが、到底相当の補助が無いといけまいと思ひます。
○下略



〔参考〕竜門雑誌 第五〇一号・第一四―一九頁昭和五年六月 現在の移民問題 井上雅二(DK550118k-0023)
第55巻 p.582-583 ページ画像

竜門雑誌 第五〇一号・第一四―一九頁昭和五年六月
    現在の移民問題
                      井上雅二
○上略
      四
 それでは、我国の海外移民の現在及将来は如何。先に亜米利加合衆国に於て非常に苦い経験を嘗めたるを以て、一部には悲観説をなす人や憤慨的な論をなす人がある。けれども我国の移民問題は、一部論者の想像する程、しかく行き詰つてゐない事を私は確信するのである。例へば、中・南米の如き、同じく米大陸に国を成すと雖も、人種・文化・言語・歴史等全く北米とは異つてゐるのである。広袤八百三十万方哩、全人口八千万の中米及び南米二十ケ国は、何れもスペイン及ポルトガルを母国とするラテン民族である。彼等はアングロサクソン民族とはその性質を異にし、国内に於ては、憲法を以て内外人の差別を設けず、公私権利の平等を認め、土地の所有、国籍の取得に何等の障碍がないのみならず、○中略 その要求する処は、農業に従事する移民にあるを以て、此点農業に堪能にして勤勉且つ忠実なる我邦人が大に歓迎せられつゝあるのである。そしてサンパウロ州に於ける珈琲園の如きは、本邦唯一の移民取扱機関たる海外興業会社伯国支店に対して年三・四万の移民の申込がある有様である。而もこれに対する渡航移民の数は半に過きず、昨年の如き同社にて取扱たる数一万六千余人に上れるも、その要求の三・四割を充すに止まる状況にあつた。以上はサンパウロ州の珈琲園の要求に過ぎないが、ブラジル国には到る処尨大
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なる未開地存在し、我邦人の手によつて開拓せられることを待つてゐると云つても過言ではあるまい。現在サンパウロを中心として同国に在留する邦人は十万に及んでをり、その多くは裸一貫の渡航者であるが、拮据十数年にして、既に独立農となつた者が数千家族に達してをる。そしてその所有面積は二十余万町歩に上り、植附けたる珈琲樹のみにても三千五・六百万本を数へるのである。○中略 これに就て想ひ起すのは、海外興業会社が現にサンパウロ州政府との契約によつて、経営しつゝあるイグアペ植民地の事である。○中略 大正二年頃時の大浦農商務大臣の斡旋により、我青淵先生を創立委員長として、当時の商業会議所会頭中野武営君・武井守正男・田健治郎男、その他朝野の有力者を創立委員として成立したるブラジル拓殖会社が之を引受けたのである。ブラジル拓殖会社の創立が青淵先生の努力に俟つ処の多い事は勿論である。○中略 かやうに植民地成績の良好なることは、毎年発表されるサンパウロ州大統領の教書にも常に掲載せられ、模範植民地として称えられてゐるやうである。我々からすれば、尚ほ不充分なる点多多あると思ふけれども、他の州立植民地に比して、邦人植民地が一頭地を抜いてをる事は此教書によつて明白である。その局に当る者として、此上なほ期待に添ふべく努力する事が肝要である。
○下略