デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
3節 其他ノ外国
9款 南洋協会
■綱文

第55巻 p.664-667(DK550130k) ページ画像

大正4年1月30日(1915年)

是日、築地精養軒ニ於テ、当協会創立総会開カル。栄一、評議員ニ推サレ、在任歿年ニ及ブ。


■資料

中外商業新報 第一〇三三四号大正四年一月二八日 ○南洋協会組織(DK550130k-0001)
第55巻 p.664 ページ画像

中外商業新報  第一〇三三四号大正四年一月二八日
○南洋協会組織 渋沢栄一・吉川重吉・田健治郎諸男、早川千吉郎・中野武営・内田嘉吉・松井慶四郎・小川平吉・箕浦勝人・関直彦諸氏其他の首唱による南洋協会設立の議熟し、本月三十日夜築地精養軒に於て創立発起人総会を開くことゝなれり、同会の目的は爪哇・スマトラ・ボルネオ・セレベス・馬来半島・比律賓諸島の産業状態・制度・社会其他各般の事情を調査し、相互に紹介すると共に、南洋事業に必要なる人物養成、学術技芸の普及を図ることを目的とするものなりと


東京朝日新聞 第一〇二五三号大正四年一月三一日 ○南洋協会成立(DK550130k-0002)
第55巻 p.664 ページ画像

東京朝日新聞  第一〇二五三号大正四年一月三一日
    ○南洋協会成立
南洋協会創立総会、三十日午後三時より築地精養軒に於て開会、出席者は同協会発起人たる近藤・吉川・田の各男爵、内田台湾民政長官、鎌田栄吉・上山農商務次官等約五十名、近藤廉平氏会長席に就き、内田嘉吉氏より同協会創立に就ての経過並に其目的に付き詳細に報告あり、終つて創立総会に移り、近藤座長より規約を附議し満場異議なく可決、夫れより役員推選に移り、吉川男の発議に依り副会長に内田嘉吉氏を指名し、是亦可決、次で内田副会長、会長席に付き副会長就職の挨拶あり、更に会長は追て発表する事に決したる旨を述べ、会計監督に早川千吉郎、理事長に庄司義基氏、理事に井上雅二・井上敬次郎・小川平吉・山成喬六氏、主事に吉田春吉氏を、評議員に井上雅二・早川千吉郎・新渡戸博士、田・吉川・郷・近藤・渋沢五男爵、湯河元臣・和田豊治・土居通夫諸氏其他三十名を推し、午後四時散会せり


竜門雑誌 第三二一号・第六五頁大正四年二月 ○南洋協会成立(DK550130k-0003)
第55巻 p.664 ページ画像

竜門雑誌  第三二一号・第六五頁大正四年二月
○南洋協会成立 青淵先生・近藤男・吉川男・田男等の発起に係る南洋協会の創立総会は、一月三十日午後三時より築地精養軒に於て開かれたり、男爵近藤廉平男会長席に着きて、同会規約を附議したるに、全部原案通り可決し、次いで役員の選挙を行ひたるに、会長は追て薦選することゝなり、副会長は内田嘉吉氏、会計監督に早川千吉郎氏、理事長に庄司義基氏、理事に井上雅二氏外三名、主事に吉田春吉氏、評議員に青淵先生を首め其他四十余名を推選し、午後四時散会せりとなり


青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第一八頁 昭和六年一二月刊(DK550130k-0004)
第55巻 p.664-665 ページ画像

青淵先生職任年表(未定稿)昭和六年十二月調 竜門社編
 - 第55巻 p.665 -ページ画像 
             竜門雑誌第五一九号別刷・第一八頁昭和六年一二月刊
    大正年代
  年 月
 四 一 ―南洋協会評議員―昭和六、一一。


集会日時通知表 大正五年(DK550130k-0005)
第55巻 p.665 ページ画像

集会日時通知表  大正五年        (渋沢子爵家所蔵)
五月廿二日 月 午後三時 南洋協会ノ件(華族会館)之ハ三時ヨリ開会ナレドモ、総長ニハ三時半頃マデニ御出デ乞フト



〔参考〕竜門雑誌 第三七一号・第三三―三九頁大正八年四月 ○支那南洋貿易の将来 青淵先生(DK550130k-0006)
第55巻 p.665-667 ページ画像

竜門雑誌  第三七一号・第三三―三九頁大正八年四月
    ○支那南洋貿易の将来
                      青淵先生
 本篇は実業之世界十週年記念号に青淵先生の談話として掲載せられたるものなり。(編者識)
○中略
△無用品を用化せよ 南洋は、まだ未開地の事とて土人に購買力乏しく、土地の面積とても、さして広くも無いから、日本と南洋との貿易は将来とても余り有望であるまいとの意見を懐く者が昨今世間に無いでも無いが、文明国と未開国との貿易は、古今東西孰れの場合にも同じで、文明国は未開国より原料を輸入し、その代り、加工した製品を文明国より未開国へ輸出するにある。英国今日の国富は、この方法によつて蓄積られたもので、独逸の如きも、開戦前は斯の方針を国是として進んだのである。日本も亦この方針で南洋と貿易すれば、将来とても南洋貿易は頗る有望なものだ。
 殊に南洋の如き未開地には、先人未知の富源が、却々多くあるものだ。例へば、ラサの特産たる燐礦(燐酸石灰)の如き、その初め土人は何の役に立つものか一向知らなかつたのみならず、斯る天産のある事にすら気付かなかつたのに、文明人が渡航するやうになつてから、その鉱石が燐酸石灰であることを発見し、之に硫酸を加へたり窒素を入れたりなんかして、人造肥料を製造するやうになつたのである。オシヤン・アイランド島の鳥の糞なんかも、文明人が発見するまでは土人によつて其儘に放置され、之が利用法なぞは思ひも寄らなかつた処だが、今日では其の鳥の糞も窒素肥料として頗る珍重せらるゝ事になつてるでは無いか。これらは一・二の例たるに過ぎぬが、南洋には斯る先人未知の富源が、なほ多く潜んでるに相違無いのである。
 又南洋には既に護謨の栽培行はれ、椰子も盛んに生ひ茂つてるが、今後なほ新に適当の耕地を発見し、之に護謨樹を植付けると共に、同方面の特産植物たる椰子樹及び其の実の新利用法に就て詳細の研究を遂げる事にしたら、これによつても、日本と南洋との貿易を発展させる余地を猶ほ充分に発見し得らるゝ事と思ふのである。その他にも鉱産物・水産物・林産物等の先人未知のもので、その利用法を発見しさへすれば、文明人の利益幸福を増進するに足る物資が随分尠なく無いだらう。ラサ島で発見された燐鉱の如き物を何か一つ新しく発見すれ
 - 第55巻 p.666 -ページ画像 
ば、忽ちこれによつて日本も利を得れば又南洋土人も益を受くる事になる。
△良知に従ふ貿易策 故に、日本と南洋との貿易増進を計る道は、まづ人を派して、彼の地の土地に就ても、物産に就ても充分なる調査を遂ぐるにある。然し、犬も歩るけば棒に当る主義で、別に確たる目的も立てず、何か探して歩るいたら儲かりさうな物が見付かるだらうといふ如き漠然たる方針で、踏査したのでは、容易に効果の挙らぬものだ。猶且斯んな物を発見しやうとか、斯んな土地を見付け出さうとか、斯んな事業を起さうとかと、予め一定の方針を立て、之によつて調査に着手せねばならぬものである。之れには、資本の放下も亦労働者を渡航させることなぞも必要だが、文明人たる日本人として、未開人たる南洋の土人と事業を共にしたり、之と貿易したりするに当つて、第一に心得置かねばならぬのは、南洋人に損害を懸けず、利益のみを与へるやうにする事である。
 文明人と文明人との取引に当り、自分のみを利して先方へ損害を懸くる如き所置を取れば、先方が承知せぬので、如何に無理を貫徹さうとしても貫徹されるものでは無いが、未開人は無智なる為め、如何に対手方から損害を懸けられても、之に気付かず、仮りに気付いても之に楯付くだけの実力に乏しいので、そのまゝ泣寝入になつてしまふのが例である。然し未開人と雖ども、永いうちには之に気付き、気付けば反抗するやうにもなる。この時になれば、従来未開人を酷責めてばかり来た者は忽ち排斥せられてしまひ、如何に之を対手に貿易を盛んにしやうとしても、その未開人とは到底円満に貿易して行け無い羽目になる。
 人間本然の性は、孟子も説いた如く、素と善である。故に一時気質の性によつて其の本然の性が覆はれるやうなことがあつても、よく内に省れば、人には善の如何なるものなるやを知る力がある。これが即ち王陽明の所謂良知だ。南洋の土人の如き未開人と日本人が貿易するに当つて、この良知に従つて事業を経営し、南洋人は未開人であるから、如何に損害迷惑を懸けても拘はぬ、自分だけ利すれば其れで可いなぞと想つてはならぬのである。そんな事をすれば、何れの日にか日本人と其製品とは、南洋人によつて排斥せられ、日本の南洋貿易は全く行詰りになつてしまはねばならぬのだ。
 然るに、南洋貿易に従事しやうといふ日本人には、兎角良知に従つて貿易を営まうなぞとの殊勝なる心懸の者尠なく、南洋の土人は未だ無智の野蛮人であるからとて之を侮り、その無智な処に乗じて不当の利を貪り、相当の代償金を払はず、その所有物を横奪したり、高い値段で悪るい品物を売り付けたりなんかしたがる傾向がある。こんな目前一時の利に眩惑して貿易に従事するやうでは、如何に南洋貿易の前途が有望であつても、到底永久的の発達を遂ぐる見込は無いのだ。南洋の土人は如何に未開蒙昧の種族であるからとて、之を踏んだり蹴つたり打つたり、日本人は勝手な真似をしても可いといふものでは無いのである。猶且之に臨むに仁義を以てし、如何にすれば南洋土人の利益幸福を増進し得らるゝものか、この点を充分に焦慮し、成るべく利
 - 第55巻 p.667 -ページ画像 
益を土人に与へるやうにして貿易を営む事を、心懸けねばならぬものだ。斯うして貿易さへすれば土人も自ら日本人に信頼し、何事も日本人で無ければならぬとの感を起し、その結果南洋貿易は期せずして増進し、日本も大に利し得らるゝ事になる。