デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.46-52(DK560016k) ページ画像

大正7年10月11日(1918年)

是日、当会議所ニ於テ、内閣総理大臣原敬外各大臣招待午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正七年(DK560016k-0001)
第56巻 p.46 ページ画像

集会日時通知表  大正七年       (渋沢子爵家所蔵)
十月十一日 金 正午 内閣諸公招待会(商業会議所)


東京商業会議所報 第七号・第一七―二二頁 大正七年一一月 当会議所大臣招待会(DK560016k-0002)
第56巻 p.46-52 ページ画像

東京商業会議所報  第七号・第一七―二二頁 大正七年一一月
    ○当会議所大臣招待会
東京商業会議所に於ては十月十一日正午閣員招待午餐会を開き、主賓として原首相・床次内相・高橋蔵相・田中陸相・加藤海相・中橋文相山本農相・野田逓相の各大臣、高橋書記官長・横田法制局長官・古賀拓殖局長官・岡警視総監、小橋・栃内・犬塚・中西の各次官、陪賓として渋沢男爵・井上東京府知事・田尻東京市長其他京浜知名の銀行家実業家十数名、主人側より藤山・杉原・山科正副会頭以下各議員・特別議員・時局調査会員等主客百余名出席、午後一時デザート・コースに入るや、藤山会頭の挨拶、原首相の答辞及陪賓渋沢男の演説あり、歓を尽くして二時半散会せり
藤山会頭演説
○中略
  本日此午餐会を開きまして、原総理大臣を始め御来臨を願ひました次第は、平生御懇意を願つて居りまする諸公が、上 陛下の御信任を得て内閣を組織せられたことを御祝賀申上げると同時に、此度の原総理大臣の内閣は我国に於ける真正の意味に於て最初の政党内閣であると我々は信じます、此政党内閣と云ふ以上は、第一に此総ての事を民意に基礎を置いて、民情に基いて政治の御方針を御立て下さることだらうと信じます、故に我々は商業会議所として今日内閣諸公の祝賀会を開いた次第であります、 ○中略 幸に此商業会議所は商工業者の集団でありまして、商工業の苦痛休戚、総て之を具申する所の集団であります、どうか内閣諸公に於きまして今後此経済上の問題に対しまして、商業会議所に向つて御諮問を下され、又我々の訴ふる所も十分に御聞き下さいまして、此政治の御方針を御立て
 - 第56巻 p.47 -ページ画像 
下さらんことを希望致します、今日の場合に於きまして経済間題中頗《(問)》る我々の痛心致した問題は物価の問題である、殊に此米価の調節の問題の如きは、私は国民の生活問題として非常に大事な問題でありはしないかと考へます、其他通貨の収縮のこと、或は交通機関の拡張の如き、実に内閣諸公の御配慮を仰ぐべき緊急問題は沢山ありまするし、殊に戦後に対しましては関税の問題若くは税制の整理の如き、総て是は国民の利害休戚に係はる所の大問題であると考へまするが、是等の問題に就いても内閣諸公は夙に懐抱せられる所の御高見があるだらうと思ひますが、此政策を御樹てなさる上に於きましても、どうか民情民意に基いて、同時に此商業会議所の意見を御聞き下さいまして、十分に我々の訴へを聞き、希望を聞き、而して此政治の御方針を御立て下さらんことを希望致します ○中略
原総理大臣演説
  閣下並に諸君、本日は斯の如く多数の諸君の御来会に依りまして玆に御招待の光栄を受けましたことは深く感謝する所であります、我々は微力をも顧みず内閣組織の大命を拝しまして、今後に於て国家諸般の事に力を尽さなければならぬのでありまするが、夫に就いては殊に商工業の代表者たる所の商業会議所の力に俟つことが多いのであります、今日御礼を申すと同時に、将来に於て上下の意志を極めて疏通して御同様共に国家の為に尽力致したいと考へるのであります。
  私は此会議所に参ります度毎に想ひ起すことがある、夫れは何かと申せば此商業会議所の創立に際しましては多少関係を致しましたのであります、夫は斯様な歴史を有つて居る、夫は御承知の御方もありませうから申述べる必要もないかも知れませぬが、如何にも私に取つては今昔の感に堪へませぬのでありますから一言致します。
  玆に渋沢男を始め其他の御関係の御方も居られますが、之は商法講習所と申しましたか、矢張り商業会議所と申しましたか、兎に角さう云ふものが設立せられて居ましたが、去る明治二十二年頃即ち議会の開設前でありました、間際ではありましたが、其前でありました、法律に依つて会議所を設立することを然るべしと当時政府で考へまして、商業会議所条例と云ひましたか、夫を元老院に提出したことがありましたが、仲々議論烈しく、元老院に於ては此商業会議所条例なるものは二・三の賛成者がありましたのみ、殆んど全会一致を以て否決せられたのであります、即ち当時此法律に依つて設立しやうと云ふ商業会議所なるものは、斯の如き運命に遭遇致しました、元老院で殆んど全会一致で否決されたのでありますが、夫れにも拘はらず、政府は其必要を認めて条例を発布して、之を設立したのであります、尤も当時元老院の議論も必らずしも商業会議所を立てることを絶対に否なりと云ふのではありませぬ、其方法宜しきを得ないと云ふやうな事からさうなつたのであります、然るに其後商業会議所が此法律に依つて設立せられ、以来両三度此法律の改正もありましたが、段々完備致して今日の商業会議所を見るに至つたのでありますから、当時私も其元老院に委員として出席致して大に
 - 第56巻 p.48 -ページ画像 
弁論に努めましたが、遂に否決の運命に遭遇しました事と、今日商業会議所が斯く迄盛大になつた事を考へますると、真に今昔の感に堪へぬのであります、勿論日本の国情は明治二十二・三年に比しますれば非常な進歩であります、商工業の発展又驚くべきであります故に商業会議所なるものは其法律が立派になりしのみならず、又其勢力も偉大となり、国家に尽す所の効果も偉大なるものに立至つたと云ふことは、実に喜ぶべき事でありますけれども、併ながら是には局に当られる人々の御尽力も少なからぬ、唯今承はりますれば、藤山現会頭が丁度此商業会議所の三代目の会頭に当られるそうであります、渋沢男、其次は中野君、此間御亡くなりになつた中野君、誠に惜しいことを致しました、是等の御方々の尽力は少なからぬ事だと考へます、兎に角今日に於ては非常に発達した所の商工業を代表せられ、此の如き勢力ある機関を造る為に倶に尽力せられたる諸君の労を深く感謝すると同時に、国家の為に喜ぶ次第であります、夫れに承はりますれば、山科副会頭は近々海外へ赴かれると云ふことでありますが、定めて今日の商業会議所の状態並に商工業の有様を外国に紹介せられることでありませう、是又其効果は偉大なるに相違ない、斯様な次第でありまして、如何にも私は今日の商業会議所の盛大を喜ぶものであります、此事は此所に参る度毎に浮ぶ感想でありますから、甚だ詰らぬ事でありますけれども、今昔の感に堪へぬ故に申上げたのであります。
  次に此度此内閣に立ちましたことに付いて、藤山君より縷々御話がありました、私共微力にして国民の期待に添ふことが出来やうか否や、甚だ怪訝の至りに堪へぬのであります、併ながら一度其局に当りました以上は、十分に力を尽したいと考へまするのでありますが、今日迄各地に於て又各方面に機会の到着致す度毎に、我々は多少の意見を世間に公表致して居ります、以前公表致したる意見は朝に立ました故を以て変説改論はしたくないのであります、必らず是は実行したいと思ひます、又さう致さぬければ、朝に立ちましても何の効力もなからうと考へます、今迄我々の公表致した意見は必らず御記憶の御方も多いと思ひますが、是は時に触れ問題に到着する毎に、更に繰返して之を明瞭にする場合もありませう、玆に大体の事を申すと、唯今藤山君も仰せられた如く、此戦争の以後に於ては列国の間に非常な競争が起るであらう、無論外交上にも起るでありませうが、夫れは暫く惜いて経済上其他の方面に於て激烈なる競争が起るだらうと云ふことは予期せざるを得ぬのである、戦争が今や稍や講和に傾いたるが如く見へる、之は諸君御承知でありませうが果して此儘平和になるや、或は平和克復は尚ほ数年の後なるや、何共断言することは出来ないのでありますが、兎に解此戦争《(角)》が終りましたならば、大競争が起ると云ふことは当然の事であります、各国何百億の財を費して戦争を致し、此傷痍を療するばかりでも実に容易ならぬ経済上の工風を要することでありますが、如何なる工風をして見た所で、帰する所は国力の発展である、国力を発展せんとするには国の外に向つて力を伸べるより外ありませぬが、世界に於け
 - 第56巻 p.49 -ページ画像 
る列国の競争なるものは、実に非常なるものであらうと云ふことは何人も予期せらるゝ問題であります、玆に於て我々は如何なる処置を取れば宜しいかと考慮致しまするに、今日最も急務として考へて居りまするのは、第一教育の問題であります。
  教育の現状は如何なる状態であるか、玆に私が詳しく説明致さぬでも皆様御了解だらうと思ひます ○中略 此教育には十分の力を尽したいと考へます。
  次は交通機関であります ○中略 此運輸の状態を見ましたら迚も満足は出来ない、海運の事、鉄道の状態尚ほ然かり、電信・電話・港湾などの状態を見ましても、今日の此状態の儘で置くことは出来ぬのであります ○中略
  其次は国防であります、国防は極めて不生産的なるものと見られて居る、又其通りであります、併ながら我々は此国防を完全にしたと云ふ訳を以て、侵略的の何か野心を逞うしやうなどと云ふことは毫頭考《(毛)》へて居りませぬ、又日本の国防の原則は左様な侵略的な意味は含んで居らぬのでありますが、併ながら各国の大戦争に於ける状態を見ますると、今日の有様で置いて宜しいかどうかと云ふことは何人も能く了解することが出来ませう、其不足不備を感ずることが非常に多いのであります、之を完全にして国を守る力が十分に備はりませぬければ、如何に商工業の発展を努めました所が、学問を致しました所が、到底国の発達を図ることは出来ぬと思ひます、依つて我々は此国防上の充実を期する訳であります ○中略
  次に現在の問題、現在焦眉の問題、今日急を要する問題は沢山あるのであります、夫を悉く玆に申すことは甚だクドクドしくもなりまするし、又斯様な事は余り実行せぬ内に弁論ばかり費しても仕方がない、私は別に不言実行などと云ふことは考へて居りませぬが、併し凡そ事を処するには余り先触ればかり大層致して置くと云ふことは如何と思ふ点もありますから、多くは申しませぬ、併し一例を申すと、丁度藤山君も御話のあつた通り物価の問題であります、之は此儘には置けない、併ながら物価は此儘置けぬと云ふ訳を以て、然らばどう致せば宜しいかと云ふことは仲々工風を要することゝ考へます、我々は第四十議会に以て建議致して、世間に公表致したる議論があります、此物価の暴騰致したり暴落致したりすることは、経済界に極めて面白からざる影響を与へるのみならず、之が又どちらに致しても国民の生活に甚だ不安の状態を醸すことであります、故に暴騰が宜しくないと同時に、暴落も又戒しめなければならぬ、物価の平準を保つと云ふことを努めなければならぬのであります、此平準を保つと云ふことは仲々是れは困難なる事には相違ありませぬ、之が為には色々なる計画を要する、其中には政府以外でなければ力を延べることの出来ぬやうな問題もありますが、何れにしても其問題は多々ある、関税をどうする、通貨をどうする、諸般の問題がありますが、無論左様なることは考へなければならぬのでありますが、之も建議中には無論置いたのであります、兎に角あらゆる手段を尽して物価の平準を保たなければならぬ、物価は決して米のみ
 - 第56巻 p.50 -ページ画像 
ではないのであります、米は無論相当なる程度の価を保たなければなりませぬ、非常に暴騰をしても相成らぬが、暴落致しても困ります、此平準を保つと云ふことは困難なる問題ではありまするが、併し之は努めなければならぬのであります、其他米のみならず諸物価又斯様に致さなければならぬと思ふのであります、其中には余りに人力に訴へ、余り人造的に、法律の力を過信して自由に動かし得ると考へましたら、夫れは間違ひだらうと思ひます、成る可く自然に近寄せまして、自然の趨勢に依つて相当なる処置を致さぬければ健全なる政策は立つまいと思ひます、故に内閣組織以来段々当局大臣に於て其処置を執られて居ることは諸君御承知の通りであります、仲々以て急速には効果を挙ぐることは出来ぬことであります、併し目的は斯様なる所に置いて成る可く自然に近寄せる、自然の趨勢に応じて国民をして不安の念を起さしめざる様なる政策を立てゝ行かなければならぬと考へて居ります、其外種々なる問題も起るのであります、玆に具体的に夫を列挙することは到低時間《(底)》の許さゞる所で又之は必要はなからうと思ひます、何れに致しましても今日の状態に於ては、以前と違つて国民が皆其心を一にする、所謂上下一致と云ふことは能く口で申すことでありますが、真に其上下一致して国家の為に力を致さなければならぬ、政府単り進みました所が、国民が是に伴はなければ仕方がない、国民如何に希望し主張致しましても、政府一向顧みずんば用を為さぬのであります、夫等の事に付ては成る可く朝野上下の一致を計つて、国策を樹てなければならぬと思ふのであります ○中略 夫れには商工業を代表せらる所の此の如き機関、即ち商業会議所のやうな機関とは最も密接なる関係を保たなければならぬのであります、今日以後に於て我々の足らざる所は腹蔵なく御意見を伺ひたい、我々も又考へる所あれば事情の許す範囲に於て諸君に御諮り致して、相当なる処置を致したいと考へます ○中略 今日御招待を受けました一同に代りまして御礼を申上げ、且つ皆様の御健康を祝します。(拍手大喝采)
渋沢男爵演説
  閣下並に諸君、私も本会議所会頭よりの御案内を得まして、此最も盛大なる午餐会に参列する光栄を担ひましたことを深く感謝致します、最早実業界をも退きまして、所謂名利の境を脱却した積りの私でございますから、斯かる御席へ参上するさへが少し憚り多いやうな心持が致します、去りながら又一方からまだ国民の辞表は出さぬのであります、国民の辞表は何れ墓場で出さうと思ふので、それまでの間は何時迄も何やら致して、御役に立ちたいと云ふ私の申さば一つの癖と云ふか、持つた病とどうぞ御諒承の程を御願申上げます、唯今当会議所会頭より新御組織の内閣諸公に対し、且総理大臣に段々希望の点を申上げましたことに対して、原総理大臣閣下より或は基礎的根本に亘る政策、若くは現在に属する処置に就て頗る大要を御示し下すつたことは実に商業会議所の此上もない御手柄で、私は此の如き成功は藤山さんに向つて金盃を献じなければならぬ位に思ふのであります、勿論大臣の御沙汰の通り言ふは易くして行ふ
 - 第56巻 p.51 -ページ画像 
は難い、余り方法だけを喋々して事実は一向無かつたと云ふことは吾々実業界の者は尚更望まぬのである、故に御沙汰の通り此効能書が多くて薬がそれ程利かぬと云ふことは望ましくございませぬけれども、併し苟も国政を御執り下さる内閣が、凡そ此方針であると云ふことの御示しを戴くのは、斯かる御場所に於ては最も謹聴し、其御趣意に応じて働かねばならぬ、即ち官民一致は玆に於て成ると申して宜からうと思ふのでございます、此意味に於て唯今御求めなすつた会頭の希望、又之に対して大臣が趣意を御示し下すつたことは私等は実に忝なく感謝致すのでございます、此点に就ては最早私共駄弁を添へる点はございませぬ。実は此政党内閣の成立は国民の多数が大旱の雲霓の如く望んで居つたのでございます、私も其一人である、此雲霓の如く望んだのは、御湿りさへあればそれで沢山なんだから、雨を乞ふと云ふ意味に属するが、併し今度の内閣を望んだのは唯雨さへ降らして下さればそれで宜いのでない、天気にもして貰ひたいと云ふ種々なる希望を持つて居つたのでありますが、此希望に対して大方針、此方針でしろよと云ふ御言葉は短くして意長し最早之に向つて毫も申上げる必要はないと思ひますが、吾々、即ち実業界の者は兎角人に縋ると云ふ観念がどうも多い、今日は段々世が進んで参り、人智も増して参つたから其意味が余程減じては参りましたけれども、まだ民間多数が兎角政府様、御役人様と云ふ観念が多くて、寄縋ると云ふことが全く脱却したとは申せぬ、私等は実業界を退いたが、若し居つたら矢張其脱却せざる一人と世間から笑はれるに相違ないのでございます、此意味はどうしても永遠に除くと同時に、御互の間に無いやうに致して、自ら進んですると云ふ考を以て世に立ちたいと思ふのであります、所謂今の御趣意の通りどうしても此事業全体に深く注意をして政は施さなければならぬと云ふ、大体の御趣意にあると云ふ此重きを担ふ即ち実業界の御方々が唯寄縋るの観念のみを以てやることは吾々共が又切に考へねばならぬのでございますから、今日の弊として独り此当路の御方に望む許りでなしに、即ち此事業に直接に当る満場諸君にどうぞ同じく御願を申上げて、其御勉励を希ひ上げるのでございます。唯今総理大臣は此会議所の事に就て古い御記憶を玆に御出し下すつて、今昔の感に堪へぬと仰せられました、私共其古い人間故に今の御話に就て思起すと、更にもう一層古い事を申上げ得るのでございます、是は蓋し総理大臣よりも大分の年長である故に、此記憶を有つて居ると申上げても憚り多くないと思ふのであります、抑々此商業会議所の起りを申上げますと、明治十一年であつたのであります、今まだ存在でござる大隈侯爵、故人になられた伊藤公爵、斯う云ふ御方々が実は私共に御依頼になつて創立した、即ち官命の商業会議所が抑々日本商業会議所の起りであつたと云ふことは、或は此中に御承知の御方は御一人も無いかも知れぬのであります、大倉さんと近藤さんは能く知つてござるが――何故斯う云ふことの商議が起つたかと云ふと、色々外国人と取引抔をするに就て、外国人と談判すると云ふとお前方はそれを高いとか安いとか言ふけれども、誰が言ふのか、役
 - 第56巻 p.52 -ページ画像 
人は何も知つて居る筈が無からう、民間で言ふ、民間で誰が言ふのか、言ふべき機関も何も備へないで、さうして民間が言ふと云ふのは一向当にならぬ、玆で一本参つた、そこで何か宜い趣向は無いかそれには商業会議所が宜からう、其時は商法会議所と申した、丁度明治十一年に私が特に官命を帯びて商法会議所設立員と相成つた、此時には年々千円宛の補助金を頂戴して商法会議所を設立したのが其初めでございます、それが甚だ微々として振はぬ為に是ではいかぬ、商工会としやうと云ふので、商人と工業者の組合を造つて、其組合から代表者を出すと云ふ趣向で、十八年頃から経営したのが商工会と云ふので、第二の組織であつた、最も組合から出る人は其組合中の生粋の人は出ぬで、マア彼れでも出さうと云ふ、でも付会員許りが出て来る、何分振はぬで困つて居る、是に於て陸奥伯爵が是非是は法律にして貰つた方が宜い、日本の今日では一層やつて仕舞はふでないか、君は何と思ふか、私は法律はいかぬ、英吉利も、亜米利加も法律ではないぢやないか、そんなことを言ふけれども、英吉利や亜米利加はそれで宜しいが、日本は矢張其方が宜いだらう、費用も何も出はせぬぢやないか、如何にもそれは困る、さう云ふ訳ならば法律に御同意しませうと云ふのが、即ち此法律に依つて商業会議所を制定したので、丁度明治二十二年であつたと記憶致します今総理大臣の御話は是から後のことである、此時に初めて商業会議所となつたのでございますから、商業会議所としては総理大臣の御記憶が確かだが、もう一代前の商法会議所の方はまだ御承知ないのであります、玆に商業会議所の由来を一応申上げて、総理大臣の御言葉に敷衍を致し、且今の会頭の御望み、総理大臣の御答に対しては、私は何等申すことはございませぬが、唯満場の諸君が此新政府は吾々の味方である、是は助けて貰ひさへすれば宜いと云ふ観念だけは御止め為すつて貰ひたいと思ふのであります、此一言を申上げて置きます。(拍手喝采)