デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.98-103(DK560029k) ページ画像

大正10年4月29日(1921年)

是日、当会議所ニ於テ、アメリカ合衆国シアトル及ビタコーマ実業家一行ノ、歓迎午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正一〇年(DK560029k-0001)
第56巻 p.98 ページ画像

集会日時通知表  大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
四月廿九日 金 正午 東京商業会議所ヘ御出向


東京商業会議所報 第四巻第五号・第八―九頁 大正一〇年五月 歓迎会(DK560029k-0002)
第56巻 p.98 ページ画像

東京商業会議所報  第四巻第五号・第八―九頁 大正一〇年五月
    歓迎会
大正十年四月二十九日正午当所に於て、今回来邦せられたるシヤトル及タコマ実業家の為め歓迎会を開催したり、出席者は正賓団長ジエームス・ヱス・ギブソン氏、シヤトル商業会議所副会頭ユーゲン・ジーアンダーソン氏、同書記長ローイ・オー・ハドレー氏及一行十七名、陪賓渋沢子爵、大倉・阪谷両男爵、松方・和田・馬越・伊東其他の諸氏、新聞通信社員、主催側当会議所藤山会頭、杉原・山科両副会頭、議員等総員六十余名にして、正午一同食卓に着き、「デザートコース」に入り、藤山会頭歓迎辞を述べ、之に対し団長ギブソン氏より謝辞あり、次て渋沢子爵は日米親善に関する所感を演説せられ、主客歓を竭し午後二時三十分散会したり(各演説の速記は四〇頁に掲ぐ)

 - 第56巻 p.99 -ページ画像 

東京商業会議所報 第四巻第五号・第四〇―四四頁 大正一〇年五月 歓迎会演説速記録(DK560029k-0003)
第56巻 p.99-103 ページ画像

東京商業会議所報  第四巻第五号・第四〇―四四頁 大正一〇年五月
    □歓迎会演説速記録
藤山会頭演説
 閣下並に諸君、本日は海路恙なく此度御来遊になりました亜米利加ワシントン州シヤトル商業会議所の一行、ヂヨン《(マヽ)》・ギブソン君を団長とした御一行を此所に迎へまして、我々東京商業会議所を代表して午餐会を開くことを得ましたのは誠に光栄とする所であります、此御一行は承はりますると日本に於ける御滞在は極めて短い、僅に二日だけ御滞在になると云ふことであります、其間に各所を御見廻りになつて仲々時間のないにも拘はりませず、多数皆様が此所に御出下さつたことに対して深く感謝の意を表する訳であります、殊に今日は御多用にも拘はらず、商業会議所に関係ある皆様が御繰合せ下すつて此午餐会に御出席下さいましたことに対しまして私は感謝の意を表します。
 シヤトル市は亜米利加に於きましては最も我国に近い港でありまして、我々回顧しますると、二十有余年前はシヤトルは亜米利加に於きましても余り名も知れない所の一寒村に過ぎなかつたやうに考へます然るにヒル氏が大北鉄道を亜米利加に起しまして、其終点をシヤトルに定め、而して当時我郵船会社に御交渉がありまして、郵船会社は即ちシヤトルに船を寄することになりまして、詰り第一に亜米利加の御方と日本との提携はシヤトルに私は始まつたやうに考へます、今日より考へて見ますると、シヤトル港の発達に対しましても幾らか我日本人は与かつて力あると考へます、此事に付きましては、シヤトルの御方も即ち日本人に対しては実に深い感情を有つて居られまして、亜米利加政府の往々我日本に対して、殊に移民に対して甚だ面白くない運動などの起ります場合に於きましても、此シヤトル市は務めて日本に親善の意を表せられまして、屡々日米親善の為に御尽力下さつたことに付きまして、我々は常に感謝の意を表して居る次第であります、我我は夫故に此シヤトルに対しては、常に日本人の頭には忘れない所の印象を有つて居る、又一昨年は、即ち大正七年でありますが、丁度此欧洲大戦に付きまして亜米利加と日本は西比利亜に共同動作を取ると云ふことになりまして、此際に於きましても、シヤトル商業会議所は此機会に於て日本と亜米利加との提携を密にしなければならね《(ぬ)》、益々経済的関係を結ぶは此時が一番便利であらうと云ふことの為に、特にシヤトル商業会議所に於ては決議をなされて、有力なる実業家の一団体を送つて日本へ渡つて、日本の経済的提携《(と)》をしなければならぬと云ふことになりました、既に其為には特派使節を出すと云ふことを決議されまして、我商業会議所に其事を御通告になつた、我々は実に是は美挙である、斯う云ふ場合に即ち我政府と貴国政府と共同動作を取つて居る場合に、実業家が相互に経済的提携をなすと云ふことは最も機宜を得たものである、シヤトル商業会議所から此東京へ御出になつたら大いに歓迎しやう、大いに提携しやう、大いに日米親善を計らうと云ふことの考を持ちまして、此所に列席して居られまする渋沢子爵・阪谷男爵其他商業会議所の全員挙つて、是が準備を整へたのであります、然るに其後事情を変化しまして、亜米利加に於きましては此欧羅
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巴の戦争に対しましても終局の勝利を占めなければならぬと云ふことで、総ての実業家は戦争の計画に関係されて、丁度六週間暇を潰して日本に遊ぶと云ふ計画も、六週間の長き即ちシヤトル市を離れることは出来ないから、遺憾ながら此度日本へ来ることは見合せなければならぬと云ふことになつて、其報告を得ました時には、我々は甚だ失望したのであります。是非御出を願つて共にさう云ふことを計りたいと考へて居りましたのに拘はらず、其企てを中止されたと云ふことは、其当時非常に遺憾に考へた訳であります、所が幸にも此度は、実は予期しなかつたのでありますが、丁度ヴアンナツチ号が東洋に向つて処女航海をなすに付いて、其船に乗つて日本へ行き、且つ東洋を見、ヒリツピンに遊ばうと云ふので、シヤトル商業会議所の有力なる御方々が団体となつて御出になつたのであります。是は我々は予期しなかつた、もう少し早く其話を聞き、又日本へ御出になつてももう少しゆつくり御滞在になりますれば、我々は総ての力を尽して御歓迎を申したいと考へましたが、如何せん、さう云ふ次第で、甚だ準備も不行届であり、又今日の歓迎会も誠に粗末なる次第で、甚だ相済まぬ訳でありますが、実は始め待設けて居つて失望したのが、今度は待設けなかつた御客さんが御出下さつたと云ふのは、我々は満腔の喜びを有つて居る次第であります。
 シヤトル市は今日に於ては、亜米利加に於ても有数の貿易港と私は考へて居ります ○中略 夫れでシヤトルは今後は益々日本とは其関係を密にして、共に此大いなる発達をしなければならぬ関係を有して居る所の場所である、而して其地に住める人は皆此日米親善の実に大切なることを諒承して、常に其日米親善を高唱せられる人々である、我々は実に亜米利加に於て益友を得たと云ふことはシヤトルに於て始めて言ふことを得ると考へるのであります、甚だ私の遺憾に考へて居りまするのは、近頃亜米利加に於ては此日本に対して面白くない感情を持つて居られる人が沢山あるやうに見えます。殊に此西部地方カリフオルニヤあたりには、さう云ふ傾向が大変に多い、然るにも拘はらず、ワシントン州殊にシヤトルに於てはよく日本人の真意を解して居られる人が大変多いのであります、私は其点に於て深くシヤトルに感謝したいと思ふのであります、日本に向つて亜米利加と云ふものが、之は私は確に申上げることが出来ますが、全く誤解である、即ち日本はミリタリズムを以て立つ所の国である、侵略を好む国民である、平和を愛する所のものでないと云ふやうに考へられると云ふ、此不幸なる誤解が日米の間に大なる禍をなしつゝあると云ふことを私は悲しむのであります、此機会に於て我々日本人殊に実業家の此集まりに於て、皆さんに此事を申上げると云ふことは、私は非常なる愉快に存する、即ち諸君の力を以て亜米利加の人々によく此事惰を了解せしめられんことを希望するのであります。
○中略 どうか此機会に於きまして、御滞在は短いですが、成る可く多数の方面に御出下さいまして、此我々国民の真意のある所を御悟り下さることを御願致して置きます、終りに臨みまして、皆様どうぞ御健康を維持されて観光の目的を達せられんことを希望致します。
 - 第56巻 p.101 -ページ画像 
団長ギブソン氏演説
 藤山会頭・渋沢子爵、其他日本朝野の名士諸君、私共は皆様の御親切に対しまして感謝の言葉もない次第であります、私共は今回急にこちらへやつて参りまして、斯る日本に於ける御馳走に接するといふ事は、自分等の予期しなかつた所でありまして、実に感謝の至りに堪へない次第であります、私共は商売人の団体として今回アドミラル・ラインの東洋に於ける第一船ヴアンナツチ号が米国の国旗を翻して参るに付いて、其船客となつてこちらへ参つたものであります、私は政治家でもなければ、論客でもない、唯通商貿易に関係して居るものでありまして、或は材木商、或は造船業、或は鉄道に関する商売、或は商船其他さう云ふ風な商売に関するものでありまして、私共が今回こちらへ参りました目的及び希望は、両国親善に幾分なりとも資し、又自分達の通商も盛んに致したいと云ふことにあるのでございます、唯残念に感じますのは、私共一行の内にはヴンダーリツプ氏もなければ、アレキサンダー氏もないことであります、又多年日本に対して友情を持つて居りますシヤトルのジヨージ・バツク或はローマン氏を此一行の中に見ないことであります、併しジヨージ・バツク氏もローマン氏も以前渋沢子爵御一行が亜米利加へ来て下さいました時、夫等の方々を自分の家庭に招待したと云ふ経験もありますので、さう云ふ事に依りまして諸君に対して一層の友情を有つて居りまする故に、どうか皆様に宜しくと云ふことを呉々も私共に伝へられて来た次第であります先程藤山会頭から申されたる如く、太平洋に於ける所の通商関係たるや、殊に船舶の関係若くは交通関係は、日米両国をして益々親善にするものであります、殊に又両国の運輸業者の貢献に依つて、両国は益益親密になつて来るのである、而して本日此所に此日米両国の親善の為に資せられた所の亜米利加の親友である近藤男爵が、我々と共に居らないことを非常に残念に思ひまして、男爵の為に追悼の意を表せんとするものであります、本日は此会が済みますと、是れから近藤男爵の墓へ詣りまして花輪を捧げんとするのであります、私は玆に於きまして日本のグランド・オールド・マンとして私共の敬意を払う渋沢子爵に敬意を表せんとするものであります、子爵は常に亜米利加に対して友情を披瀝して居られまして、日米親善の為に御尽力下さつて居りますことは、我々の常に感謝して居る所でありまして、亜米利加の家庭に於きまして、日本のグランド・オールド・マンとして子爵に敬意と友情を表して居るのであります。
 私の日本に於ける滞在は誠に短くて残念でありますが、船が故障の為に後れましたことに付きましては、会社に取つては損害でありますが、私共に取つては其為に日本に滞在の日が少しでも延びたと云ふ訳で、是に付ては寧ろ感謝して居る次第であります、此所に居れば居るほど居たくなつて、仲々日本を去るのが困難になるやうに感じますが再び又日本の地に来たいと私共は希望して居ります、もう是れ以上私は御話は致しませぬ、又他に話をしたいと云ふ方もあるだらうと思ひますが、今日は時間も切迫して居りまするし、夫等の人の言ひたいと思ふことは私が已に言尽して居ると思ひますから、是にて皆さんの御
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健康を祝します。
渋沢子爵演説
 斯様な愉快な御席へ出て一言を申上げる機会を御与へ下さつたことを当商業会議所の会頭に感謝致します、嘗て亜米利加へ参りました以来、亜米利加の御方の多数と斯うして親しく御話をすると、私は何だか亜米利加へ参つて諸君と相会して居るやうに感ずるのであります、唯皆様方が余りに日本を小さく御覧なすつて、一日か二日で日本は見尽せると思召して居ると云ふことは、折角御出下さつた御方に御怨み申すと云ふは失礼でありまするけれども、夫れ丈けは私は残念と云ふことを申さゞるを得ないのであります、
 十年前に私はシヤトルへ参りました、其時は忘れもしませぬ九月一日に着して五日滞在を致しました、其五日の間にシヤトルの諸君が我我一行を歓待して下さつた事は、今も尚ほありありと光栄に存じて居るのでございます、其三日は特に日本デイと云ふ名を御付け下さつて其日本デイにはワシントン・ホテルから博覧会場へ行く間を自動車で日本の言葉で言ふとオネリと申す、静に歩く、之は余程奇異の感を致した、自動車は早いものである、オネリは極く静かなもものである《(衍)》、其静な行動を極く早い所の自動車で取つたのであるから、余程我々は奇異に感じました、而して其日は甚だ暑い日である、而かも亜米利加の自動車は皆オープンである、無蓋である、其オープンの自動車で暑い所をオネリをした時には嬉しくもあり、苦しくもあり、余程宜い感情を今も持つて居ります、夫れから其晩に政府の建築されたる大公堂に於て、我々一行の為にレセプシヨンが開かれた、所が私は小さい、亜米利加の御方は大きい、夫れが大勢来られて私の手を殆んど小さくなる迄に握つて下さつた時に、日本に痛み入ると云ふ言葉がありますが、其痛み入る程に感じたことを今も記憶して居ります、蓋し此旅行は唯単に慰みでなく、丁度あの折柄の亜米利加と日本との国交に多少得る所がありたい、どうか親善を進めたいと云ふ趣意から、太平洋沿岸の各所の商業会議所の諸君が御出下さつた御答礼として翌年上つたのであつて、我々が相交換した両国の友情は、果して完全に其時の紛議を解いたか、どうか分りませぬけれども、大いに与かつて力あつたやうに考へて居ります、亜米利加の御方々が力を致し、又我々が微力を致しましても、御互に此世界の国には兎角種々なる紛議を惹起すと云ふことは、何れの時にも免かれぬことで、今日と雖も、日米間には聊かも議論がないとは申せぬのであります、今藤山会頭の希望される如く、シヤトルは最も日本と経済上の連絡は一番強いと申して宜からうと思ふ、既に貴国でアドミラル・ラインを御聞《(開)》きになつて、日本に向つて交通を頻繁にすることとなりますれば、我交通の便と貴国の交通の便とは益々太平洋を狭くすることになると思ひます、此太平洋を狭くすると云ふことは、即ち経済上の関係を益々密にすることも多言を要せぬと思ひます、両国の間柄が、政治上即ち移民等の紛議を何時迄も挟さむと云ふことは誠に謂はれないことでございますから、皆様も我々も大いに奮つて此間の紛議を全く解除したいものだと希望して已まぬのでございます、今日は御旅行の御忙しい為に長く御滞留を下
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さらぬで、私の申述べる如き事柄を御席に御出での諸君と十分御諮りすることの出来ぬのは甚だ遺憾でございまするけれども、既に申上げました通り新しく航海の開きもあれば、是から先きの相交通することは頗る頻繁だらうと思ひまするので、御一行の皆様方が御帰りになつたら、唯今仰せのローマン君其他の諸君と御諮り下さつて、此シヤトルと日本東京の人々と協議会でも一遍開くやうに致したらば、更に妙だらうと希望して已まぬのでございます、或る機会に我々共罷出ても宜しい、如何に老いたりと雖も喜んで参上致します、御互に胸襟を開いて御相談も致したいと思ひまするで、此我々の真情を諸君には十分御諒得下さつて、御帰りの上は近くはシヤトル地方、又広くは亜米利加一般に宜く貫徹するやうに希望して已まぬのでございます。


竜門雑誌 第三九六号・第七二頁 大正一〇年五月 沙市実業団歓迎午餐会(DK560029k-0004)
第56巻 p.103 ページ画像

竜門雑誌  第三九六号・第七二頁 大正一〇年五月
○沙市実業団歓迎午餐会 東京商業会議所にては四月廿九日正午より過般来朝せる米国沙市商業会議所議員ギブソン団長、ソルン副団長、アンダーソン実行委員、ダラー汽船会社々長ダラー氏等一行廿四名の歓迎午餐会を催したるが、当日は青淵先生、阪谷・郷両男、伊東米治郎氏其他の陪賓を始め、藤山・山科・杉原の正副会頭並に各議員出席し、藤山会頭の歓迎辞あり、之に対しギブソン氏の謝辞等ありて一同和気靄々裡に午後二時散会せる由。