デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.109-116(DK560035k) ページ画像

大正11年5月16日(1922年)

是日、当会議所ニ於テ、英米訪問実業団帰国歓迎午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席ス。副会頭山科礼蔵、実業団ニ対スル歓迎ノ辞ヲ述ブルト共ニ、先ニ渡米シテ日米親善ノタメ尽瘁セル栄一ニ対シ、感謝ノ意ヲ表ス。栄一、謝辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正一一年(DK560035k-0001)
第56巻 p.109 ページ画像

集会日時通知表  大正一一年       (渋沢子爵家所蔵)
五月十六日 火 正午 訪英米実業団歓迎午餐会(東商会議所)


東京商業会議所報 第五巻第六号・第一〇―一五頁 大正一一年六月 ○英米訪問実業団帰朝歓迎会(DK560035k-0002)
第56巻 p.109-116 ページ画像

東京商業会議所報  第五巻第六号・第一〇―一五頁 大正一一年六月
    ○英米訪問実業団帰朝歓迎会
大正十一年五月十六日正午当所に於て、英米訪問実業団一行の為め歓迎会を開催したり、出席者は主賓団、大橋・串田・中島・藤原・持田阪井・馬越・宮島・鋳谷・伊藤・米山・原・石井・松本・南条の諸氏陪賓田中農商務次官・鶴見同商務局長・村上同水産局長・伊藤同商事課長・宇佐美東京府知事・後藤東京市長・渋沢子爵・大倉男爵・和田
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松方・木村(清)・服部(金)・有賀・加藤・福井・小野(英)・高田高山・児玉の諸氏、高松・添田・松本・松岡・塩沢・井上の各博士、大阪商業会議所今西会頭・京都商業会議所錦光山常議員其他の主なる実業家、新聞通信社員、主催側当所杉原・山科両副会頭及議員・特別議員等総員九十五名にして正午一同食卓に着き「デザート・コース」に入り、山科副会頭は英米訪問団御一行各位が世界大戦後の経済界変動の状況を視察の為め、英米各地を訪問なされ、到処盛大なる歓迎を受け、各地の代表的実業家と意見を交換せられ、殊に英国皇帝陛下より拝謁を賜り、一大福音を齎らして無事御帰朝ありしを以て、軈て我国経済上に寄与せらるゝこと多大なるべきを信ず、仍て玆に歓迎の微意を表し、又渋沢子爵閣下が先般米国より御帰朝の際工業倶楽部と聯合し歓迎会を開催したる節は、生憎御病気にて御光来を得ず、甚だ遺憾に覚え居りたるに、本日幸に御臨席を忝ふしたるに由り、曩日華盛頓会議の最中同地に於て間接に我国の為め御尽瘁下されたることに就き、此機会に於て同子爵閣下に敬意を表し、並に英米訪問団各位に対し其御成功を祝し深く感謝する旨」挨拶辞を述べ、次で渋沢子爵閣下は、華府会議最中同地に在りて間接に自分の本分を竭したる迄にて、山科副会頭の讚辞には当らざるも、欧洲大戦後日本が英米と並び称せられて世界の強国となりたるは御同慶に感ずる所なりと説述せられ、次に団琢磨君より訪問団一行を代表し、渡航中到処に於て予想外の待遇を受け、米国に於ては時恰も華盛頓会議の最中なりしに拘はらず、朝野知名の士と会談し、其結果米国人の我国に対する感情を緩和したるが如く、英国に於ては我々訪問団一行の視察上に注意を払ひ、同国政府が「プログラム」を造り諸種の便宜を供与せられ、団員中仏蘭西其他を訪問したる方々もあり、先年当会議所に於て招待せる加奈陀銀行の頭取ウオーカー氏にも紐育にて会見、彼我の意見を交換して意思の疎通を努めたるが、之を要するに欧洲諸国は近時社会問題勃発し、生活の安定を欠く為め、之れが匡救の方法に苦心し居れり」との報告ありて、本日の招待を感謝せられ、主客歓談の後午後三時閉会したり各演説の速記は左の如し
    山科副会頭挨拶
○中略
 本日、英米訪問実業団として昨秋から両国を御訪問に相成り、而して到る所盛んなる歓迎を御受けになりまして、今回一大成功を齎して御無事御帰朝になりました団団長閣下を始め其御一行に対し、東京商業会議所は聊か祝賀の微意を表しまする為めに御招待を申上げました所、御帰朝早々非常な御多忙に居らせられますにも拘はりませず、此所に御来臨を辱じけなう致しましたことは深く感謝致します次第でございます ○中略
 此度の御旅行に付きましては殊更に申上げまする迄もございませぬが、時恰も世界の戦後に於ける経済界の一大変動の時期に際しまして英米及び其他の各国を御訪問に相成りまして、経済上の御視察を遊ばされましたことは、非常に意義あることでありまして、深く私共は此点に付いては敬服を致して居る次第でございます、而かも此度は単純
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なる旅行漫遊にあらずして、到る所で各重もなる代表的実業者と膝を交へて意見の交換を遊ばされましたこと、而して商工業の経営状態を視察攻究遊ばされましたのでありまする故に、軈て我経済界に刺戟を与へ、之を原動力として大なる進歩を見るに至るであらうと思ふのであります、此点に付きましても私は深く今回の御旅行は非常なる御成功を遂げられたと信ずるのでありまして、深く慶賀致しまする次第でございます。
 尚ほ他の方面より承はる所に依りますると、各都市に於て非常なる御歓迎を御受けになつたことは之は勿論のことでございますが、殊に英国に於て国王に拝謁と云ふことは、是迄は大使若くは宮内当局者の斡旋の下に行はれたと云ふことでございます、然るに此度の御一行は其斡旋仲介を俟たず、国王御自身の御発意に依つて拝謁を賜はつたと云ふことを承はつたのでございます、之は全く先例のないことでありまして、私は此一事をもちましても、御一行が如何に海外に於て御成功になり、如何に海外に於て重要視せられたるかを証するに足ることと思ふのでございます、此の如くにして英米の上下に好感情を与へ、彼我の国交上に親厚の度を加へられたる段は、実に重ね重ねの御成功と云ふことを私は申上げたいのでございます。
 今や惨憺たる戦禍の後を受けまして、世界は所謂国際協同の傾向の濃厚ならんとする時に当りまして、斯く英米並に各国との国交を厚くせられ、其関係を円満ならしめられたと云ふことは、我国の商工業の将来の発展の為めに一大福音を得たと思ふのでございます、希くは御一行に於かせられまして御齎らせになりました結果を完全に収穫して而して之を帝国国運の伸張に寄与せられんことを希望する次第でございます。
 尚此機会に於きまして一言渋沢子爵に対しまして御挨拶を申上げたいと思ひます、実は先般工業倶楽部と当会議所と聯合致しまして、子爵閣下の御一行の歓迎会を開催致しましたのでございます、然るに生憎子爵閣下には御病気でございまして、御賁臨の栄を得ることが出来なかつたのでございます、私共は之を甚だ遺憾に存じて居りました、然るに今日は幸に御出席下さいました故に、此機会を利用致しまして私は一言歓迎の辞を申述べたいと存じます、渋沢子爵閣下の先般御渡米に相成りましたのは、丁度華盛頓会議の真最中でありまして、渋沢子爵閣下には御高齢にも拘はりませず、御渡米に相成り、さうして我実業界を代表せられまして、間接に華府会議に対して非常に御尽瘁になつたのでございます、華府会議の成功に対しては渋沢子爵の力与かつて力ありと思ふのでございます、元来子爵には常に国家の為めに、殊に日米親善の為めに御尽瘁下さいますことは、我々は勿論、日本国民と致しまして大いに感謝致して居る次第でございます、玆に盃を挙げまして、皆様と共に渋沢子爵閣下並に実業団御一行の御成功を祝したいと存じます。
    渋沢子爵演説
 閣下並に諸君、唯今山科副会頭より歓迎の御言葉を頂戴致しました私は仲々それには当らぬのでございますが、唯無事に帰つたと云ふこ
 - 第56巻 p.112 -ページ画像 
と丈けは皆様に向つて申上げられるのであります、それに付いては今団君から年の上からお前より先きへ何か申上げろと云ふことでありましたが、年よりは私が先きへ帰つたから旅行順で申上げた方が宜からうかと思ひます、唯今余りに賞讚の言葉を頂いて、私としては非常に恐縮して居ります、此度米国へ参つたことに付ては皆様を《(は)》大抵御了解でありましようから、言ふ丈け野暮でありますが、唯私は自分の尽す丈けの本分を尽したと考へて居る丈けであります、決して功があつたとは思はぬのであります、表立つて仕事をしたのではない、随つて何等功がないとしても誹りがないと同時に、誉がない代りに又誹りもないと云ふ訳であります、実は亜米利加でヘボン先生と年寄話しをしたことがある、成る可く人は働きの表はれぬやうにするのが本当であるさうお前も心掛けなさいと言はれましたが、今もつて私は其事を忘れない、兎角影で働くことを好まず、それが表に現はれたいと云ふのは決して其の功能をなさぬものである、此の事は大いに考へなければならぬことゝ思ふのであります、
 併し夫れは暫く別の問題として、実は私は先達つて或る御席で外国旅行の今昔の談を申述べたことがありましたが、今から五十年前英国倫敦の博覧会へ参りました時に、日本と云ふ国はどうも多数の人に分らなかつた、支那人支那人と言はれるので、甚だ残念であるから支那人ではない、日本人だと云ふと、それなら支那の属国かと言はれて更に腹の立つたことがあるのでございます、当時ナポレオン三世が非常な勢力を振つて居つたが、之は独逸に破られ、暫く世の中は乱れて居つたが、日ならず平和は恢復し、先達つての大戦争に独逸皇帝はあゝいう運命に陥つた、其時分何所の国か分らぬ日本が、日英米と並び称せられて、世界強国の地位に進んだと云ふことは、五十前の昔を顧みますると実に喜ばざるを得ぬのであります、去りながら再び翻つて考へますると、此有様が何時迄継続するか、後に又ナポレオン三世やカイゼルの如く、其昔日はどうであつたと嘆息の声を発するやうなことがあつてはならぬと、日本の未来に向つて考を持たなければならぬやうに思ふのでございます、それは五十年前の昔の御話であるが、丁度私は二十年前に即ら《(ち)》一九〇二年に英吉利へ参つたことがございます、其時の御話を今日団君御一行の場合とどう変つて居るかと云ふことを知る為に申上げようと思ふ、其時の私の旅行は全く今度の日本実業団が英米を訪問すると云ふ趣意ではございませぬけれども、併し渋沢が旅行するに付いては、商業会議所の会頭であるから、全国の商業会議所の人々が此所に打寄つて会議がございまして、其の会議に於て日本の商工者の意志を欧米の国に疏通するやうにと云ふ訳で、意志疏通と云ふ職掌を持つて参つたのであります、意志疏通と云ふことは誠に漫然たる言葉で、仲々徹底的に言ふことは六ケしいのでありますが、其時倫敦商業会議所で頗る困惑の地位に立つたことを玆に告白して諸君の御参考に供したいと思ひます、向ふの当時の商業会議所の会頭は日本の横浜にも長く来て居つた人で日本通である、折角渋沢が来たのだから成る可く親しくして遠慮のない話をしたいと云ふので、私を招待された、其時には其商業会議所の何掛り何掛りと云ふ人も皆集つた、私は
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招待されて意志疏通に対する意見を陳情せへと云ふことで、そこで、私は日本語で述べた、多分市原盛宏氏が、それを英語に訳したかと思ひます、商売上では何しろ隔意なき十分なる意見を御互に述べた、其時に其会員中から一つの動議が出た、左様に極く遠慮のないことを話合うと云ふは誠に結構である、それで其の身柄は商業会議所の会頭であり、永年銀行業に従事して居ると云ふ渋沢に向つて一言することは実に名誉である、日本の商売人の御方々が商業道徳を重んじて呉れぬと云ふことを自分は嘆息する、兎角商売人にはさう云ふ弊害は多いけれども、横浜に居る所の商売人の取引の仕方と云ふものは全く誠意を欠いて居る・何事もチヤンと約束を極めて契約をする訳にいかぬ、始《(殆)》んど申合で以て取引をする、糸なら糸の景気が宜しいとちやんと約束通りやるが、少し悪くなると色々難癖を付けて契約を破る、取引が少しも堅固でない、約束を重んじない、之が東洋に於ける而かも横浜・神戸の商売人の常習と云ふて宜しい有様である、そう云ふ風であるから之を直して貰ひたい、今一つの困難は送状を二重に書く、インボイスを両通書く、値の安いインボイスを書く、之は全く詐欺同様であるから忌やだと言ふと、それでは取引は止そう云ふことになる、如何にも之は困る、どうぞ之を廃して貰ひたいと云ふ動議でありました、私も之にも一寸面喰ひまして、成程御尤とも言ひ兼ねる、そんなことがあるものかとも申し兼ねる、何と答をしたものかと一寸躊躇しました其時にミツドルと云ふ人、是は横浜に商店を開いて居りました、一時英国へ帰つて居られたので、私も一二度会見したことがある、其人が商業会議所の幹部の一人として来て居られたが、之が助け船になつて呉れた、ミツドル曰く、成程さう云ふことは無いと言はれますまい、併しそれが日本人のみにあるやうに言ふのは少し無理な誣ひ言である倫敦にもさう云ふ商売人が現在あるではないか、之は悪いことは悪いけれども、さう云ふことはどうも商売人の或種類の人には決して無いては言へ《(と)》ない、それを総て日本の商売人がさうである如く論ずると云ふは誣ひるも又甚しいではありませぬか、故に意志疏通と云ふ趣意は左様に迄細かく立入つての考で言ふのではなからうと想像するから、先づ是位のことにして、今の動議は御取消になつたら宜からう、斯う言ふてミツドルが私を助けて呉れた、そこで私も夫れに対して黙つて居る訳にもいかぬから、今のミツドル君の御厚意は辱けないが、私は今立派に御受合申て必らずさう云ふことは改めるやうにしやうと思ふそれと同時に英吉利人もさうして貰ひたいと思ふ、善いと云ふことは共にやつて行かなければならぬ、同盟協約は双方お互にす可きことはしなければならぬ、どうか相共にやりたい、斯う申したが、何も其当時契約書を書いた訳でもないから、夫れは其儘済んだのでありますが此度の御一行に付いても段々御話を伺ひまして、中島君の覚書などを拝見しますると、商業上のことに付いて矢張り種々の問題が提出されたやうであります、之はさう云ふことが出て参るのが宜しいのでありますけれども、二十年前に私が遭遇したやうなことは今度はなかつたでありませうけれども、今日御集りの皆様方に、昔は斯う云ふことがありましたと云ふ事実談を御参考に御聞きに入れた次第であります、
 - 第56巻 p.114 -ページ画像 
無論私の申上げることは、今日の御讚辞に対して御答にはならぬのでございますけれども、一寸既往の旅行のことを回想致しまして一言御礼と致します。
    団琢磨君演説
○中略
 此度私共に対して此の如き宴会を御開き下さいました以上は、一同に代りまして、此度の旅行のことに付き、又私共の感想に付きまして一応御報告申上げますることが順序と思ひます ○中略
 大体に於きましては皆様御承知の通りであります、始め米国へ行き四十五日滞在致しました、米国に於きましては私共は予想外の待遇を受けたのでございます、民間に於きましては紐育のあたりの有力者は総出で種々斡旋をして呉れました、各団体殊に商業会議所の御方が度度各方面の人を集めて宴会を開き、且つ相談会を開いて下すつた、到る所で招待を受けましたが、唯此方は時間がないので断はつた所が多いと云ふ次第でありますが、兎に角非常に便宜を得ました、又政府の方でも種々便宜を与へられ、大統領にも謁見を致しました、又商務卿が主人となつて政府を代表して宴会を開き、又華盛頓あたりの役所などは殆んど開放して便宜を与へられた、民間に於て各工場も又然かりで、何処へ行つても開放して見せて呉れたやうなことで、予想外の歓迎を受けたのであります、米国に於きましては殊に華盛頓会議の最中でありまして、米国の提案に此方も同意するとか種々なることが重なつて参りまして、余程米国の誤解と申すか、感情が緩和し掛つて参りました、右のものが左に向き掛つたと云ふ有様が見へました、之は我我が参りましても其感じは大変あつたのでございます、唯此度私共は何分日数が短くて長く米国に滞在が出来なかつたのは甚だ遺憾な次第でありますが、随分いろいろ要求もありました、種々の問題に付いて話をして呉れと云ふことも度々ありましたが、時間の都合があるものですから一々応じられなかつたのは甚だ残念であります。
 此の如く大体米国の意向が動き出したのでありまする、どうか此機を逸せず、全国力を入れて左の方へ車を押すと云ふことに力を尽したいと云ふ考が非常に起つたのであります、唯今渋沢子爵が五十年前の御話がありましたが、それはまだ継続して居るのであります、どうも大体に於きまして日本を知つて居る人が甚だ少ない、動もすれば非常な化物みたやうなものであると云ふやうな感じがある、有識階級の中でも随分誤解して居る人がある、何だか文明の破壊者でもあるやうに思つて居る、之は愚昧な人ばかりではない、相当の人もさう云ふ感じを有つて居るやうである、之れが幸に今度車の方針が変つて来たのであるから、此際大いに米国の国交、又民間の交際に全力を尽さなければならぬと云ふ感じを深くしたのであります、何しろ今や世界の中心点はどうしても米国であると思ひます、それに此誤解を受けると云ふことは商業上から見ても、総ての点から見ても甚だ不利益ではないかと思ひます。
 英国に渡りましては、之は又非常に政府の方でも我々の一行に対して注意をされました、殆んど政府の方で各団体へ交渉されて、もう我
 - 第56巻 p.115 -ページ画像 
我が参りました時には殆んど一日も空きのないやうに、ちやんとプログラムが出来て居つて、随分其忙しいプログラムでありましたが、兎に角夫れに従つて進行するより外はないと考へたのであります、是又米国と同様、殊にいろいろ人に面会をする、或は評議をすると云ふやうなことは、之は政府で用意して居られたやうなことでありまして、又行くや否や直に英国の皇帝に謁見を致しました、伺つて見ますると非常に取込んで居られた時でありましたが、夫れにも拘はらず謁見を許された、それから倫敦市の大宴会、又商業会議所の歓迎会、何や斯や十日余りも日々歓迎を受けまして、夫れから田舎の方へ参りまして田舎の重もなる市街は大概廻りました、之も又至る所商業会議所が中心となつて歓迎を受けました、さうして評議会と云ふものは商業会議所が主催で開くことになつて居る、さう云ふ訳であります、英国に十四日間、殆んど毎日歓迎を受けたやうな次第であります、英国を廻ります際には、此商標問題或は契約履行問題に付いて大分各所で苦情を聞きました、此商標問題などでは随分いろいろな議論を持出しまして実例を挙げて大分手酷く突込まれました、私共もそれを御尤も御尤もと言ふ訳にもいかぬ、日本には日本の法律がある、其法律に反することは出来ぬ、且又商売人の関係もある、商売人が註文を受けて、其品物を造る人は何も知らぬ人が造つた、更に悪意も何もなしに造つたものもある、それ等のことは遠慮なくあなたの方から商業会議所へ宛てゝ手紙で言つてやつて貰ひたい、私共も帰れば出来る丈け皆さんの御満足になるやうにしたい、一体此の如きことは之は我々が一番困る、あなた方が困るのではない、あなた方は商売が妨げられたと云ふことはあるでせうが、私の方では信用問題に関係する、日本の商業の将来に非常なる関係がある、こつちの方が困るのである、若し信用を害することがあれば之は棄て置けぬと思ふから、日本の商業会議所に於ても十分に研究されると思ふ、其点は御安心あつて宜からうと云ふことを言つて来た、要するに種々論議はありましたが、法律を知らぬからと言つて商売は法律で出来るものでない、信用が第一である、此徳義問題と云ふことに付いては余程研究を要することと考へます、日本へ帰つたら、商業会議所へ報告するからと云ふことを明言して参りましたから、今日の機会に一言申上げて置く義務があると思ひます。
 さう云ふ風で英国に居りましたが、其内にどうしても仏蘭西の方に参らんければならぬやうな羽目になつて参りました、所が此度私共は英米方面と云ふことで参つたのであります、然るに其以外へ行くといふことは如何なものであらうかと大分心配したのでありますが、詰り此英米訪問団の中から別動隊を造つて、仏蘭西を訪問するなら宜からうと云ふので訪問致しました、之は僅かの日数でございまして三日間ばかりを費やしましたが、仏蘭西に於きましも大統領に謁見を致し、それから大宴会も開かれ、それにも非常な有力者が集まつて参りまして、殊に或る宴会の如きはフオツシユ将軍が其会長に推戴されて居りました、さうして仏蘭西では皆、戦地へ行つて貰ひたいと云ふのが人人の切なる希望でありました、夫れから先きは各自由行動を取ることになり、中には此機を利用して外の国々へ廻はられた人もある、大体
 - 第56巻 p.116 -ページ画像 
さう云ふ順序でありました。
 此度の旅行に付いて私共にもいろいろ感想もありまするが、それが当を得て居るかどうか、それは皆さんの見方一つであるが、大体に於きましては欧羅巴の如きは戦争で非常に困つた、漸く其戦争を終つた所が、又仲々思想問題が乱れて、社会の問題等に付いて非常に苦心をされて居るのであります、同時に経済上の困難が段々多くなつて来た所が労働問題の如き戦争中に比べると今日は隔世の観がある、余程緩和して参りました、今日は経済の大問題が起つて来た、即ちパンの問題になつて来た、所が其方は事実に於て非常な困難が現はれて来ました、其困難たるや、どうしても自分丈けでは如何ともすることが出来ない ○中略 それには各国が話合つて協定するが一番宜いのだと云ふことを、何処の国でも深く感じて居る、所が玆に困ることは国が違う、国情が非常に異なつて居るから、仲々一致点を見出すことは六ケしい、露西亜も引張り出して来なければいかない、どうしても各国相俟つて回復を計らなければならぬと云ふことに向つて来たやうでありますけれども、さてどうして之をやるが宜いかと云ふことが、今日の大問題であらうと考へる、此問題は仲々六ケしい問題のやうに思ひます、華府会議・ゼノア会議が開かれ、一歩一歩其方へ進んで行く、仲々容易な話ではない。
 兎に角今日の大問題は回復問題にあるといつて宜い、併ながら元との通りに回復する訳にはいかぬ、と云ふは新しい国も出来て来た、又大きい国が小さくなつた、さうして夫れが皆回復を急て居ると云ふので汲々としてやつて居る、之には米国の如きは我れ関せぬと云ふ風でありましたが、何しろ世界のことでありますから、結局米国も其中へ這入ることであらうと期待されます、唯私共が感心しましたのは、何処でも各団体、商業会議所、又個人が非常に努力して居られることで倫敦の如きは固より距離も近いことでありますが、一週間に何度となく各地から出て来て互に寄合つて評議をして、政府に建議するやうなことが盛んに行はれて居る、それを見て我々も自治的の力を養成して大いに努力することが今日の時勢に必要であると云ふことを感じたのであります、此商業会議所の如き兎に角十分の御活動を願ひたい、今度日本に帰ります前にも、何だか日本は非常に暢気であるやうな感じが欧米ではして居ります、少しも風が立つて居らぬやうである、併ながら世界は少さくなつて来た、日本は今日十分の準備あるや否やと云ふことを疑う、然るに先日来帰つて来まして渋沢子爵其他の御方に御目に掛りまして、最も緊張した熱誠なる御教訓を賜はり、甚だ其意を強うした次第であります、私共此度参りまして何か利益があつたかと云ふと、今迄の蒙を啓くことが出来た、未熱が少し直り掛つたと云ふやうな感じが致します、私共は之れからは世界に対して誤解のないやうに、又我々の事業を思切つて整理して、さうして新しき組織に向つて十分の活動が出来るやうにしなければならぬと考へます、私共は出来る丈け諸君と共に働きたいと思ひます。
○下略
   ○本資料第四十巻所収「其他外国関係資料」大正十一年五月十日ノ条参照。