デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.126-132(DK560039k) ページ画像

大正12年2月27日(1923年)

是日、東京会館ニ於テ、当会議所主催ニヨリ、南米視察実業団山科礼蔵一行、第三回国際労働会議出席ノ星野錫及ビ汎太平洋商業会議出席ノ服部文四郎・阿部吾市等ノ帰国歓迎会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、歓迎ノ辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一二年(DK560039k-0001)
第56巻 p.126 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一二年     (渋沢子爵家所蔵)
二月二十七日 半晴 寒
○上略 十二時東京商業会議所ノ招待ニ応シ東京会館ニ抵リ、各国旅行ヨリ帰京セル諸氏ノ歓迎会ニ出席シ、午飧後一場ノ歓迎演説ヲ為ス ○下略


集会日時通知表 大正一二年(DK560039k-0002)
第56巻 p.126 ページ画像

集会日時通知表  大正一二年       (渋沢子爵家所蔵)
二月廿七日 火 正午 藤山雷太氏ヨリ御案内(東京会館)


東京商業会議所報 第六巻第三号・第六―七頁 大正一二年三月 ○歓迎会(DK560039k-0003)
第56巻 p.126-127 ページ画像

東京商業会議所報  第六巻第三号・第六―七頁 大正一二年三月
    ○歓迎会
大正十二年二月二十七日正午、丸の内東京会館に於て、今回帰朝せられたる南米視察実業団山科礼蔵氏一行並に中村巍氏、万国商事大会に出席せられたる内田嘉吉氏、第三回国際労働会議に出席せられたる星野錫氏、及汎太平洋商業会議に出席せられたる佐野善作氏・石川文吾氏・男爵東郷安氏・田中武雄氏・阿部吾市氏・服部文四郎氏等を招待し歓迎会を開催したり、出席者は正賓山科礼蔵君・土橋源蔵君・奥村安太郎君・神谷忠雄君・川口留吉君・古川大斧君・星野錫君・男爵東郷安君・田中武雄君・阿部吾市君・服部文四郎君、陪賓西野大蔵次官岡本農商務次官・芳沢外務省亜細亜局長・鶴見農商務省商務局長・田島同商事課長・赤池警視総監・宇佐見東京府知事・河井貴族院書記官長・棚橋東京博物館長・渋沢子爵、井上・木村の日本銀行正副総裁、阪谷・中島両男爵、児玉・一宮・石塚・伊東・団・有賀・福井・浅野成瀬・高田・江口・藤原・志村・根津・木村(久寿)・添田・塩沢・松岡の諸氏其他主なる実業家、新聞通信社員、主催側本会議所議員・
 - 第56巻 p.127 -ページ画像 
特別議員等総員百二名にして、正午一同食卓に着き、「デザート・コース」に入り藤山会頭の挨拶あり、次いで山科副会頭は南米視察の感想を述べ、服部書記長は汎太平洋商業会議の概要と今後の注意に関して演説し、阿部吾市君はハーヂング大統領と会見の模様を述べ、奥村安太郎君は帰朝後の感想を述べ、次に星野錫君の謝辞あり、最後に渋沢子爵は歓迎辞と感想を述べられたり。午後二時三〇分盛会裡に散会したり。(尚当日の各演説速記は次号に掲ぐ。)


東京商業会議所報 第六巻第四号・第一八―二二頁 大正一二年四月 大正十二年二月廿七日開催せられたる財界諸氏帰朝歓迎会に於ける各氏演説(DK560039k-0004)
第56巻 p.127-132 ページ画像

東京商業会議所報  第六巻第四号・第一八―二二頁 大正一二年四月
    ○大正十二年二月廿七日開催せられたる財界諸氏帰朝歓迎会に於ける各氏演説
      藤山会頭挨拶
 閣下並に諸君、本日は過般南米実業視察団を組織されまして南米を視察して御帰りになりました我東京商業会議所の副会頭山科礼蔵君御一行、並に先般布哇に開かれました汎大平洋会議に御出席になりました服部文四郎君・阿部吾市君、並に少し古くなりましたけれども先年ゼノアの労働会議に御出でになりまして、長い間欧米並に南洋方面迄も視察して帰られた星野錫君を主賓と致しまして、今日は歓迎の宴を催したのであります、御多用中此東京市内の有力なる皆様の御出で下さつたことは、私より深く光栄として御礼を申上けます。
 私が申上げる迄もないことでございまするが、南米は今日世界の耳目の焦点となつて居ると考へます、我日本と致しましても、今日の人口過剰を調節する上に於きましても、其他の点に於きましても、南米調査と云ふことは最も大切なことゝ考へて居ります、幸にも山科君は各方面の最も実際に通暁された諸君を同行されまして、あちらへ行かれまして隅なく十分の御視察をして御帰りになりましたのであります此結果は我国の実業の上に之を実行する機会を得られんを私は希望するのであります、又汎太平洋会議は我々実業家の方面から見まして、最も大事なる会議と考へて居りました、どうしても商業会議所は是に代表者を出さなけれはならぬ、故に阿部君並に服部文四郎君が全国商業会議所の代表として此会に臨まれた、又貴衆両院からも東郷男爵並に田中武雄君が代表として御出でになつたのであります、太平洋の中心に国を立てる我国としては、此太平洋会議に於ては最も主なる地位を占めなければならぬと考へます、幸に御出になつた御方が其人を得た為めに、太平洋会議に於きましては主要なる地位を占めて、いろいろなことを決定されたと云ふことである、凡そ我々は国際会議に於ては、我日本は兎に角今日は三大強国の位地に上つた以上、それに相当する力を以て此会議に当らなけれはならぬと考へて居ります、此点に於きましては、私は汎太平洋会議に臨まれた其結果は、我国をして事実上有力なる位地にあることを認めしめるに至つたことゝ信ずる、是れからは度々さう云ふ会議は起るだらうと思ひます、私は此次には我帝国内即ち東京に於て開かれて、さうして此太平洋に面する国々、亜米利加なり、加奈陀なり、濠洲なり、其他の国々の人と相互に提携して、太平洋の平和を保ち、さうして其貿易上商業上盛んに成り立つて
 - 第56巻 p.128 -ページ画像 
やると云ふことの目的を達する時期の至らんことを私は希望するのであります、又星野君は私が推挙した一人であります、殊に農商務省は星野君を代表として貰ひたいと云ふことであつたので、進んで行つて貰つたのであります、それは御承知の如く今後我国の立場は産業立国商工立国でなけれはならぬと思ひます、国際的に今日は平和主義を頻りに唱へて居りまするが、其平和の根底たる労働同題《(問)》は、我国に於て最も大事なものである、此問題の如何に依りましては実に我国産業上至大なる影響を及ぼすものであると考へます、労資の協調相俟つて産業の発達を期さなければならぬ、然るに今日に於きましては労働者は労働万能を唱へ、資本家は資本万能を唱へるやうに、各々自分の立場上相依ると云ふ考のないものは実に遺憾な次第であります、どうしても労資協調の道を開いて、相依り相俟つて十分協調をせねばならぬと考へます、此点に於きまして星野君は資本家であり、而して又労働者の人々に最も親しい人でありますから、私は特に同君を推挙致したのであります、而して同君は殆ど一年有半に亘つて視察をされて帰られましたのは非常な幸と存じます、此の如く三君が大事なる使命を遂げて此度御帰朝に成りました、我々は深く是に向つて感謝の意を表さなければならぬと考へます、故に今日の宴を開いて、三君を御迎へ致した次第であります。
 私は此場合皆さんに御願をしたいと思ひまするのは、即ち南米視察も議論に止まらずして是が実行を期せられんことを希望する、汎太平洋会議に於て決定せられた事項に付いては日本も相当責任を持たなければならぬと考へます、之は其後土産話を聞いて我々は相当の力を尽したいと考へます、玆に御来会の諸君に対して御礼を申上げます。
      山科礼蔵君演説
 今日は我々の為めに特に盛大なる御歓待を蒙りまして、殊に唯今は藤山会頭より過分なる御言葉を賜はり、甚だ光栄に存ずる次第であります、私は玆に南米視察団を代表して御礼を申上けます、私は南米には大正九年に参りまして、今回は二回であります、最初参りまして此方へ帰りました当時、いろいろ南米のことに付いて御話を申上げましたが、政府の方も耳を傾けるに至らず、民間に於ても何等も御考へもないと云ふ訳で、殆んど南米なるものは御認めにならなかつたのであります、然るに幸に今回はいろいろ皆様の御配慮に依りまして南米視察実業団を造ることになりました、今回帰朝を致して見ると、前に南米に参つて帰りました時の有様と大変な違ひがあります、政府に於かれても此南米に対しては非常に注意する気分が出来たやうに認められる、又民間に於きましても此南米と云ふものに十分に耳を御傾けになるやうな傾向がありまして、各方面に相当の反響があつて昨今は何処でも此話で持ち切るやうな心持ちの致しますやうな次第であります。
 唯今藤山会頭の申されましたやうに、南米に向つて我国は大いに注意しなければならぬ、今や此方面に向ひまして日本が発展致しますと云ふことに付きましては、我国家の為めに御同慶に堪へない次第であります、併し此度帰朝致しまして、連日各方面の御招待を蒙りましていろいろ御話も致し、御意見も承つたのでございますが、其際に受け
 - 第56巻 p.129 -ページ画像 
たる御質問に付いて玆で申上げて見たいと思ふ、それは何かと申ますると、或る御方が一体南米と云ふ所は白昼猛獣の横行するやうなことはあるまいと云ふ質問があつた、是には私も驚いたのであります、又一つは日本の道路なるものは甚だ宜しくないが、無論之は欧米には及ばぬ話であるが南米よりは宜しいだらう、斯う云ふ御質問を受けた、此二つから考へますと、仲々南米の宣伝を今後大いに努めなければならぬと思ふのであります。道路の上から申しましても、南米に於ては実は非常に立派な道路を設けて居る、或る方面に於ける道路の如きは恰も絨氈を布いたやうな形でありまして、其立派なことは欧米に於ても見る可らざる道路である ○中略
 さう云ふやうな訳でありまして、此南米のことに付いては今後努めて宣伝しなければならないと思ひます、尚ほ是に付きましてはいろいろ御話を申上げたいと思ひますが、藤山会頭は今日は大勢である、五分位で切上げて余り余計饒舌らないやうにと言はれながら、御自分は私が今勘定しますと十一分やりました、併し私は謹んでそれを守つて是れで止めます。
      服部文四郎君演説
○中略
 併なから玆に三分間丈け御許しを願ひたいと思ひますが、第一に申上げたいことは、日本を出発致しまする前に、汎太平洋会議はあれは御馳走会議である、遊び半分の会だから其積りで行つたら宜からうと云ふやうな一方に御話がありました、所が一方には、此汎太平洋会議は亜米利加が自国の為めに便利を図るべく考へて居るやうに見へるから、余程注意して貰ひたい、斯う云ふ双方氷炭相容れざるやうな御訓戒でありましたが、実際行つて見ました所に依りますると、此会議には実利実益に関することが多いのでございます、何分各国の利害問題に関することが多い為めに、各国共相当注意を払つて居る、其議事の結果と致しまして、来年の七月天産資源に関する会議を開くことになりました、之は御承知の通り日本と亜米利加其他と結びました漁業の条約の期限が切れる、夫れに関する下準備と見て差支へないのであります、それから又太平洋会議に於ては仲々議論も盛んであり、亜米利加では何でも自分に都合の宜いやうな提議をして居りました、又種々考案を提出すると云ふやうな訳で、是等のことが矢張り其時の問題になります、そこで他の会議のことは存じませぬが、経済の利害に関係する此会議には特に御注意を願ひたい、日本が今後此会に出席しない出席しないと自国に取つて面白からざる決議でもされたら、却つて不利益の地位に陥りはしないかと云ふことを痛切に感じました、為めに夫れ丈けを申上げて置きます、今後はどうか十分に御注意を願ひたいと思ひます、本日は有難く御礼を申上げます。
      阿部吾市君演説
○中略 私は汎太平洋会議丈けで帰つたなら、服部さんの御挨拶だけで、もう此所に立つ必要はないのでありますが、私は更に進んで米大陸へ参りまして、さうして唯今大統領の写真の写しを皆さんに御配り致しましたが、此大統領に会見を致しました、此会見の一節を五分で申上
 - 第56巻 p.130 -ページ画像 
げることは少し六ケしいと存じます、何ぜかと云ひますると玆にも書いてまする通り、大統領と三十分は確に握手して快談致したのであります、それを今五分間に縮めると云ふことは困難でありますが、併し成る可く早く此模様丈けを申上げて見たいと思ふのであります。
 私は汎太平洋会議に列しまして、夫れから米大陸へ参りまして、石炭・石油其他一般の産業並に経済の事情を調査したい、それには成る可く亜米利加の偉い人に遇つて見たい、斯う云ふ趣意で、大統領に遇うことが予定の一つでありました、そこで渋沢子爵にどうか成る可く偉い経済界の中心人物とも云ふ人に招介《(紹)》して頂きたいと言つて願つて有名なジヤツヂ・ゲリー氏に紹介をして頂いたのであります、所が渋沢子爵は、紹介状に私のことを大変によく紹介して下さつたので、先方でも愉快に話をして呉れました、お前は何しに来た、私は石炭屋の子僧ですが、亜米利加の石炭・石油を見に参りました、さうか、然らば日本では石炭はどの位出るかとやられた、日本では二千五百万噸出ます、さうか、俺の鋼鉄会社の関係丈けでも三千五百万噸出る、鉄は幾ら出来る、百万噸出来ます、それは亜米利加では俺のやつてる丈けでも二千五百万噸は出ると云ふやうな話を聞かされて恟くりした、併し恟くりしてはならぬ、渋沢子爵にもしつかりしなければ駄目だと言はれて居りましたので、こんなことで恟くりしては往けないと思ひまして、あなたの御関係の会社のことは私も聞いて居ります、此頃は余り鉄は宜くないではありませぬか、それは近頃は宜くない、一時は宜かつた、其利益を積立つて五億弗ある、資本金は一億弗、鉄は二千五百万噸出す、さうして将来を始終見て居る、さう云ふことを段々話をして居る内に、一体人間は第一に自己の子孫の為めに務めなければならぬ、第二に社会公益の為めに尽さんければならぬ、第三には世界人類の為め、世界平和の為めに一身を捧げなければならぬ、丸で渋沢子爵の論語のやうなことを言はれた、之には私も驚いた、イヤ夫れは私の方の渋沢子爵も其通りで、尚ほ進んで日米親善の為めに努力して居る、あなたも日米親善の為めに努力すると言はれたい、イヤ夫れは俺もやつて居る、斯う云ふやうな話をして有名な炭鉱の紹介やら、各方面の知名の人々に手紙を呉れました。
 それから私が大統領を尋ねたのは十二月の九日で、是非御目に掛りたいと云ふことを国務卿に就いて申入れました、所が議会が開会中で船舶法案だの、農業法案だの、いろいろな問題で非常に忙しい時であるから、如何かと思ひましたが、幸に遇ほうと云ふことで、快よく大統領の部屋へ通されました、御遇ひになつた御方は御承知でありませう、非常に大きな人である、非常な温顔を以て私を迎へて、私の小さい手をウムと握つた、そこで左様ならといつて帰るやうではいけないと思つて、渋沢子爵は始終日米親善と云ふことを言はれて居るから、果して亜米利加の大統領なるハーデング閣下は日米親善に付いてどう云ふ考を有つて居るか、それを聞かうと思ひました、それからウムと手を握つて私は斯う云ふやうに申しました、私は日本で商業会議所の議員であります、さうして実業聯合会の副会長をして居る、其代表である、今度汎太平洋会議へ出席致しまして、それから此米大陸へ参り
 - 第56巻 p.131 -ページ画像 
まして、世界的の偉大なる産業の状態を拝見致しました、合せて世界の偉人たる閣下に拝謁したいと思つて参つたと言ふと、大統領は笑を含んで、まあ腰を掛けろ、斯う言はれたからもう占めたと思つて腰を掛けた、それから日米親善に付いて話をして、渋沢子爵にも宜しく伝へて呉れ、自分も日米親善に付いては深く望んで居ると言はれた、そこで私は閣下と遇つたと云ふこと日本へ帰つて仮りに歓迎会でもある場合には人々に申したい、大統領と握手した、斯う云ふ話をしたと言つても、何、阿部が法螺を吹くかと仰しやるに違ひない、渋沢子爵なら何もあなたの写真を貰つて行く必要はないが、私はさうはいかぬ、どうか閣下の写真に私と話をしたと云ふことを書いて戴きたいとやつた、すると大統領はどう思つたか宜しいと言つてペンを取つてスラスラと写真へ書いて、夫れを私に呉れた、それは此所に持つて居ります此写真に対して大統領は自からペンを取つて「余は衷心より日米両国間の永久的友誼と親善を望む」と認めて私に呉れた、玆で私は御別れをして帰りました、それから各方面を視察致しまして、桑港へ参りまして商業会議所の会頭アレキサンダー氏・副会頭のリンチに遇つた時に此写真を見せた、すると両氏は此写真に向つて非常に敬意を表して之は阿部君お前に大統領が呉れたのだけれども、実は日本国家に対して呉れたものだ、斯う云ふことでありました、尚更宜い御土産たと思つて、然らば日本へ帰つて斯う云ふやうな歓迎会を開いて戴く場合には、之を御披露しやうと思つて持つて帰つたので、実は昨晩急に見世の小僧に之を写さして印刷して皆様に御分ちしたやうな次第であります、私は決して好加減なことを申上げるのではありませぬ、斯う云ふことを大統領も言はれ、アレキサンダー氏も言はれましたので、私のやうな微力な者が洋行をして大統領と話をして来れば、之は誇つても宜いと思ふ所から之を諸君へ御土産と致しますのであります、もう五分を過ぎましたから之れで止めます。
      奥村安次郎君演説 ○略ス
      星野錫君演説
 私は一昨年ゼノアの労働会議へ参りまして暫くあちらに居つたのでございます、私の参りましたのは第三回の労働会議でありまして、今日其状況を申上げるが必要とは思ひますが、併し昨年の十月に第四回の労働会議があつて夫れに出た方々も既に御帰りになつて居る位ですから、今日私が其御話をするのは丁度証文の出し後れのやうなものであります、もう皆様は御聞きになつて御承知のことゝ思ひます、それでもう其証文は済んで居る。
 私があちらに居りますと、山科君から南米へ来ないかと云ふ電報で御誘ひを受けましたので、私も南米へ参つたのであります、併し此の南米の話も唯今ございましたから私から申上げる必要はありませぬ、唯私が申上げて御参考に供したいのは矢張り労働会議のことであります、此国際労働会議と云ふものが催されたと云ふことは極めて私は宜い事であると思ふ、どうか私は此会議のことは成る可く長く維持したいと考へた、此事に付いて申上げると長くなりますから今は夫れ丈けのことを申上げる、第四回の会議の時に日本へ国際労働会議の出張所
 - 第56巻 p.132 -ページ画像 
を置くと云ふ決議になつたやうであります、恐らくは其内に出来るだらうと思ひますが、兎に角此労働会議へ各国から出た人は何れも立派な人ばかりであります、実に立派な議論をして居る、実に此会議は必要な会議だと申上げて差支ないと思ふ、尚ほいろいろ申上げたいこともありますけれども、今申す通り証文の出し後れなやうなものですから是れ丈けで止めます
      渋沢子爵演説
 閣下並に各位、本日は最近帰朝さられましたる南米視察実業団山科礼蔵君《(せ)》の御一行、同じく汎太平洋商業会議に出席し、更に米国をも視察して帰朝せられたる服部文四郎君並に阿部吾市君、又ゼノアの労働会議に出席せられ、其後各国を視察して帰朝せられたる星野錫君の歓迎会を催され、一堂に相会して諸君の着眼点が非常に進歩したることを最も喜ばしく思ふ者でございます。従前私共の海外視察に参りましたる頃は、山水の美を賞し、名勝旧蹟を探ると云ふやうな事柄が多かつたのであります。山の姿が秀麗であるとか、海の色が美しいと云ふやうな事柄が多く眼についたのであります。従つて其当時にありましては、海外視察の帰朝談なるものは、海外の山水風光の美を語ると云ふのが普通でございました。
 然るに只今諸君の御話を承りますと、風景を論ずると云ふやうな事柄はなく、海外諸国の経済状態或ひは社会状態と我国の其れとを比較せられ、或は彼我産業上の差異を明かにせられ、而して其結論として更に斯く斯くの施設を必要とする、或ひは斯く斯くの方策を採らねばならぬとやうの実行論にまで進んで居られるのであります。私が御話を拝聴いたしまして、往時を顧み、其進歩の著しいのに深く感歎した次第であります。
 ついては、諸君が詳細に視察研究せられ、其結果到達せられたる御意見は、成る可く之れを実際の施設の上に現はすやうに努力いたしたいと考へます。政府当局におかれましても、諸君の御報告は十分尊重せられることでありませうし、又民間に於ても之れを実現することに協力いたしたいと考へます。諸君の御話を承りまして、敬服の余り、一言懐旧の所感を申述べ、歓迎の言葉に代へた次第であります。