デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.141-148(DK560043k) ページ画像

大正12年6月29日(1923年)

是日、当会議所、東京会館ニ於テ、新駐支公使芳沢謙吉並ニ新東京市長永田秀次郎及ビ助役馬渡俊雄・田島勝太郎・吉田茂ノ送迎午餐会ヲ開ク。栄一、陪賓トシテ出席シ、挨拶ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正一二年(DK560043k-0001)
第56巻 p.141 ページ画像

集会日時通知表  大正一二年       (渋沢子爵家所蔵)
六月廿九日 金 正午 山科礼蔵氏ヨリ御案内(東京会館)


東京商業会議所報 第六巻第七号・第一二―一三頁 大正一二年七月 ○芳沢駐支公使送別並東京市長三助役歓迎午餐会(DK560043k-0002)
第56巻 p.141 ページ画像

東京商業会議所報  第六巻第七号・第一二―一三頁 大正一二年七月
    ○芳沢駐支公使送別並東京市長三助役歓迎午餐会
 大正十二年六月二十九日正午丸の内東京会館に於て、新駐在支那公使芳沢謙吉氏、東京市長永田秀次郎氏及東京市助役馬渡俊雄氏・田島勝太郎氏・吉田茂氏を招待し、送別並に歓迎午餐会を開催したり、出席者は主賓芳沢公使・永田東京市長並に三助役、外陪賓八十九名にして、陪賓中の主なる者は渋沢子爵・田中外務次官・西野大蔵次官・岡本農商務次官・出淵亜細亜局長・永井通商局長・山川条約局長・赤池警視総監・宇佐見東京府知事並に加藤正義・神戸挙一・高田釜吉・成瀬正恭・木村清四郎・内田嘉吉・一宮鈴太郎・梶原仲治・浅野総一郎池田成彬等の実業家、東京商業会議所議員・特別議員・新聞通信社員等たりき
 午後一時一同食卓に着き、「デザート・コース」に入るや、劈頭山科副会頭は一同に多数の出席を得て深く感謝する旨の挨拶を為し、芳沢公使に対しては、目下日支経済上に於て重大問題となり居れる日貨排斥の解決に関して、其希望及東京商業会議所の之に対する態度を説述せられ、次に永田東京市長に対しては、市将来の発達の為めには先づ第一に道路の改修完備を期することの急務なるを述べられたり、次で渋沢子爵の挨拶ありて、山科副会頭の排日問題並に市の道路問題に対する意見及希望に極力賛同の旨を述べられたり
 芳沢公使は日貨排斥問題と支那の政治上の不統一とは極めて深き因果関係を有すること、及排日問題に対する意見を絮述し、此招待会に対する謝辞を述べられたり
 最後に永田市長は東京の道路の改修は、市の財政問題と密接なる関係を有する旨を説き、本問題並に一般市政に就ては将来実業家と相提携し、且つ十分其援助を得たき旨を述べ、此招待宴を大に感謝せられたり、次に三助役のこの招待会に対する感謝の挨拶ありて、主客一同盃を挙げ歓を竭して午後二時十分散会したり(各演説の速記は次号に掲ぐ)

 - 第56巻 p.142 -ページ画像 

東京商業会議所報 第六巻第八号・第一九―二二頁 大正一二年八月 ○芳沢駐支那公使送別並に永田東京市長歓迎午餐会に於ける 演説速記(DK560043k-0003)
第56巻 p.142-148 ページ画像

東京商業会議所報  第六巻第八号・第一九―二二頁 大正一二年八月
    ○芳沢駐支那公使送別並に永田東京市長歓迎午餐会に於ける
    演説速記
 大正十二年六月二十九日正午丸の内東京会館に於て、新駐在支那公使芳沢謙吉氏・東京市長永田秀次郎氏及東京市助役馬渡俊雄氏・田島勝太郎氏・吉田茂氏を招待し、送別並に歓迎午餐会を開催したるは既報の如くなれども、尚当日の演説速記を掲ぐれば左の如し。
      山科副会頭挨拶
 閣下並に諸君、芳沢公使閣下の御送別又市長閣下が今回大多数を以て御当選になりました御喜びを申上げまする為めに、又馬渡・田島・吉田の三君が助役に御就任に相成りました為めに、本日玆に午餐会を催しまして御招待を申上げました所が、公務御多端に居らせられまするにも拘はらず、御繰り合せ下さいまして、御揃ひで御光臨を辱じけなう致しました、尚ほ渋沢子爵閣下を始め朝野の名士各位が斯く多数御来会下さいましたことは、主催者たる東京商業会議所と致しまして深く光栄と存じまして感謝致ます次第であります。
 芳沢公使閣下は多年支那に御駐在になつた、而して尚ほ内にありては亜細亜局長として亜細亜殊に支那の政策に付ては全体に御携りに成りまして、其枢機に御参与に相成り、全く支那のことに付きましては御精通に相成つて居る御方であります、此御方が此際支那の公使となられましたことは最も適任でありまして、我々は此両国の為に閣下の御赴任を慶賀措く能はざるものであります、尚ほ只今我国に於きましては最も有力なる手腕ある外交官を要する時代であります、今や排日の問題は益々悪化致しまして、我財界にも大なる影響を及ぼして居る此事に付きましては皆非常に憂慮して居る次第でございます、今回の排日貨問題は之迄の如き幼稚なるものにあらずして、其因て来る所の原因は最も深いやうに思ふのであります、所謂経済上より来りしものにあらずして、根原は政治上より来つて居るやうに我々は考へて居るのであります、之は非常に遺憾に堪へぬ次第でありまして、尚ほ私は屡々申上げまするのでありますが、支那に対しましては総務商会及び総商会は最も信頼すべき公団体と実は考へて居つたのであります、然るにも拘はらず、今回は其総務商会が先に立つて排日貨を企て、或は宣伝して居ると云ふことに至りましては、実に此一事を以てしましても、今回は容易ならざることゝ考へるのであります、それで華盛頓会議以来我々は此支那に対しましては、特に互譲的精神を以て譲るものは大いに譲つて居るのであります、然るにも拘はらず、斯の如き暴挙を企て、さうして両国の通商条約を無視し、甚しきに至りますると、排貨のみならずして日本人を排斥するやうな傾向迄あると云ふことであります、実に此点に付きましては重大なる問題であります、我々は甚だ強硬なることを申上げまするやうでありますが今回は最早因循するの時にあらず、飽迄根本的に解決をしなければならぬと決心して居るのであります、此の如き場合に当りまして、芳沢公使閣下の如き手腕ある外交官の御赴任になりますることは実に喜びに堪へざる次第で
 - 第56巻 p.143 -ページ画像 
あります、何卒公使閣下に於かれましては、我々の希望の貫徹致しまするやう御尽瘁あらんこととを偏へに希う次第であります。
 永田市長閣下の今回の御就任に於きましては、之は最早市長たるの手腕力量に付いては我々が申上げる迄もなく、諸君は皆よく御承知になつて居ることであります。既に二年有余助役として市政に御尽力になつた御方であります、さうして今回市長として御立ちになつたのでありまして、加ふるに敏腕家の三助役を得られましたことは、今後市政を料理せられる上に於きまして実に慶賀に堪へない次第であります東京市は私が申上げる迄もなく輦轂の下にある首府でありまして、全国の模範都市と相成るべき所であります、只今も此所で市長と御話を致したのでありますが、先づ道路・上水・下水は申す迄もなく、教育の施設、社会事業・築港・其他漸次改修せられ改善せられて居ることは認めて居りまするけれども、之を欧米各国の都市に比較致しますると、まだ甚だ憂慮に堪へないのである、殊に此道路の如きは、私は八年計画であるとか、殆と一昔に近いやうな年月を以てやると云ふことは御止めになりまして、一気呵成と迄は申上げませぬが、せめて市長の御在任中に道路丈は御改修の実行を期せられんことを切望して止まぬのであります、之は必ず市長の御手腕を以て御やりになりましたならば、成効すべきことと確信致して居ります、又相当御用がごさいますれば、我々は驥尾に付いて働くと云ふことは辞さない考であります尚ほ申上げたいこともこざいますが、兎に角今日は両閣下に対し、三助役の御方に対して御喜びを申上げる次第であります、是れより渋沢子爵に御願致しまして乾杯を御願したいと思ひます。
      渋沢子爵演説
 閣下、諸君、只今座長よりの御指図で年長の故に私に一言祝辞を述べて、合せて杯を挙げて来賓の御健康を祝するやうにと云ふことでございました、御沙汰に従うて此所へ立ちましたのでこざいます。
 此御催しに於て商業会議所代表の山科君が今芳沢公使閣下に御願したること、又新市長永田君及び助役御三名に対して御願したる点は、私も全然御同意で誠によく急所を御申述べになつたものと讚辞を呈するのであります、御主人の御希望は蓋し私が御同意するのみならず、満場諸君の皆一致賛同する所であらうと思ふのであります、但し芳沢公使閣下の此御赴任は、一方から御喜びを申すと同時に、一方からは老人としては頗る御同情に堪へぬのであります、併し斯る手腕を持つたる御身の仕合せで、又不仕合せと申しませうか、何れに致せ、此位地に御立ちになつた以上は、今御主人の御希望の如く此場合に大いに御奮励御努力あらんことを期待致すのであります、此度の件に付ては私は実務に遠ざかつて居る身柄にも拘はらず、日華実業協会と云ふ団体に御仲間入りを致して居る所からして、柄にもなく度々大臣・次官にも御目に掛り、種々御協議を致して居ります、又種々の懇願を、否或は強請を致しつゝ居るやうな訳であります、幸に只今の山科副会頭の御要望は我々の希望と全く一致して居りますので、宜い味方を得たやうな感じを致すのでございます、又永田新市長に対しては種々御願したいこともございますが、第一に此道路でございます、私は日本橋
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に住つて居りますが、あの江戸橋から日本橋の間の道などゝ云ふものは、実に世界無比の道でございます、山坂が多くて、あの一町ばかりの間が容易な力では通行が出来ない位でございます、斯の如き珍しい道を持つて居るのは、東京市の世の中に対する誉れといつて宜いか知れぬと思ひます、蓋し市長さんは此誉れを御取除き下さることだろうと私は期待して居ります、非常な御骨折のことゝは存じますけれども我々は希望を申上げて共に共に此首府の進歩発達を希望致すのでございますから、どうぞ十分に御尽瘁下さることを御願致します、玆に杯を挙けて皆様の健康を祝します。
      芳沢支那公使演説
 山科副会頭、渋沢子爵並に諸君、私は之迄屡々当会議所の午餐に招かれましたが、今回支那に参りますことになりましたに付いて、図らず本日は主賓として御招きに与かりまして誠に光栄と致す処であります、只今山科副会頭並に渋沢子爵からいろいろ私に対する祝辞、並に私の職務に対する御希望を御述べになりましたが、私としましては実は御祝辞に対しては敢て当らぬのでありますが、只今渋沢子爵の仰せられた通り、目下のやうな支那に於ける時局の極めて紛糾して居る際に於きまして、私の如き者が斯る所へ身を投じて、果して皆様の御希望に副うことが出来るかどうか、甚だ自分ながらしつかりした確信は持つて居らぬのであります、併し兎に角命ぜられた以上最善の努力は致す決心で居るのであります、御承知の通り、今更私が申上げる迄もなく、支那は日本に取りまして最も重要なる関係のありまする国でありまして、政治上から申しましても、此隣邦の関係上、例へば支那の一部たる満洲の如き地方に付ては、日本としましては国防上並に国民の生存上最も緊切なる利害関係のある所であります、通商上に付いても、又政治上の方面と同じく、之又極めて密切にして重大な関係のある所でありまして、兎角四億の生霊を持つて居り、又無尽蔵の天然資源を有する所でありまして、日本が支那に対して多大の貨物を輸出し又支那の天然資源を利用して原料を輸入すると云ふことは、外の国には企てることの出来ぬ関係を有つて居るのでございます、然るに只今山科副会頭の述べられましたやうに、日貨排斥と云ふことが数月来支那に於て非常に猖獗を極めて居つて、此事に付いては只今も御話がありましたが、日華実業協会並に其他の方面に於ていろいろ御心配をなすつて居らつしやることでありますが、我々と致しまして、職務上非常に憂慮して居るのみならず、実業家諸君に対しても深く同情を致して居るところである、一体此日貨排斥と云ふことはどうして出たのかどうして発生したのかと申しますと、そはいろいろな事情もあります支那人の申しますことを聞きますと、今回の日貨排斥は例の二十一ケ条から来たと云ふのである、二十一ケ条問題に付いては、先般支那から、三月中旬の頃でしたと思ひますが、二十一ケ条廃棄の通告が来ました、我政府は之を拒絶した次第であります、其当時から日本の態度は甚だ不都合だと云ふので、支那で以て日貨排斥の声が徐々に盛になつて参りまして、本月の初め頃から此運動は非常に烈しくなつて参つたので、誠に困つた形勢だと認めて居ります、然らはどう云ふ工合に
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して此日貨排斥を止めさせることが出来るか、只今山科さんの申されたやうに今度は日本としても勘忍袋の緒が切れた、何処までも相当の態度を以て□《(之カ)》に対し、是非共今回限り之が終熄する手段に出なけれはならぬと云ふ御話でありましたが、之は誠に御尤な次第で、我々も願はくばさう云ふことに致したいと考へて居るのであります、此日貨排斥と云ふことに付きましては只今申しましたやうに、果して其二十一ケ条問題から来たとしますると、私の考へて居る所では、只今の所日貨排斥運動は仲々猖獗を極めて居りますが、若し二十一ケ条問題からのみ来て居るとすれば、左程根底は深くないのではないかと考へて居るのであります、何ぜかと申ますると、二十一ケ条問題と云ふものに付いては、支那人は成程三月には之が廃棄を提議して参りましたけれども、之は到底日本の方で応ずることが出来ぬ、日本の方で応ずることはないと云ふことはよく承知して居る、二十一ケ条問題と申ましても山東問題は解決しましたし、残る所は満洲だけの問題であります、而して満洲問題で最も重要なるは旅順・大連の租借の点だけである、日本の方で此旅順・大連の租借期限の短縮に同意しないと云ふことは支那人の中で多少知識のある人は皆覚悟して居る、之は私共に向つて支那の責任のある人がさう云ふことを申したことがあるのであります然るに其支那人の中で多少知識のある人達も今回は矢張り民衆若しくは学生と一致して、さうして日貨排斥の運動をやつて居ると云ふことは、之は私は非常に深い決心若くは確信があつての結果ではなかろうと思ふ、只さう云ふやうな運動をやつて居る丈で、日本の方で若し之に応ずると云ふ見込があるならば、運動をやると云ふことも実はあると思ふのでありますが、日本の方で支那の希望に副はないと云ふことが彼等の中に明かに解つて居るのでありますから、それが解つて居つてさうして斯う云ふ運動をやると云ふことは、要するに私は左程深い決心があつて致して居ることではなかろうと察して居るのでありますそれでありますから、もう少し時期が経過するとか、若くは或る甘い適当な手段が行はれることになれば、日貨排斥と云ふことは止むかも知れぬと思ふのであります、而して之を終熄する為めにはどう云ふ手段が宜いかと云ふと、其はいろいろ手段もありませう、支那に対して与へて居る恩恵を撤回するとか、若くは与へて居る援助を停止するとか云ふやうな手段もありませうが、併しどう云ふ手段を行うにしましても、最も有効に之を終熄する為めには、支那の政治が統一し居らなけれはならぬ、統一政府、少なくとも中央政府と云ふものが余程鞏固なしつかりした政府であるのでなければ、如何なる手段があるにしても之を行うことは出来ない、そこで結り此支那の政治が今のやうに混乱して居つては、仮令手段があるにしても行ふことは出来ない、要するに統一政府が出来るか、若くは鞏固なる政府が出来て呉れるでなければ、本当に最も有効に排日運動を終熄させることは困難である、斯う考へるのであります、併しながら統一政府が出来るとか若くは非常に鞏固な政府が出来ると云ふことが差向きの所望みがないとすれば、一時的の便法として出来る丈の手段を講ずるより致方がないのでありまして、只今の所どうしてもさう云ふ一時的の便法若くは手段の中で
 - 第56巻 p.146 -ページ画像 
最も有効なる手段を攻究して行ふより致方がないと考へられるのであります、勿論此政治上の紛糾の為めに、日本で以て損害を受けて居ることは、目下行はれて居る日貨排斥ばかりでなく、種々の問題に於て非常に損害を蒙つて居るのであります、二・三年前に起りました琿春事件なり、其他の事件に於きましては十人以上の人が殺されたり、或は傷つけられたりして居る、而して支那政府は一年に数回交迭致す状態であるが為めに、今日に至るまで之が懸案になつて解決して居らぬ五月七日に起りました臨城事件の如きは、人は一人殺されて居る、併し抑留された外国人は皆釈放された、兎に角支那政府は不完全ながら解決の道は着々付けつゝある、然るに日本に関係して居る琿春事件なり何なりは一々解決の道が付かぬ、其他支那に対して二億に近い金が貸してあるが、昨今に至つては利子も支払はない、斯様な訳で此日貨排斥問題以外にも訳山の誠に厄介な問題であつて、さうして損害を受けつゝある問題があるのであります、之は何だと云ふと、矢張り政治が混乱して居つて鞏固な政府がない為めに、統一してさうして多少永続して居る政府がない為めに斯う云ふ状態であるので、之は誠に遺憾な次第であります、併しさうであるからと云ふて、此日貨排斥問題を閑却することは出来ないので、承はれば日華実業協会は之に対する方策を講じて居られると云ふことであります、誠に結構なことゝ思ひます、又政府の方に於きましても、当局者はいろいろ攻究をしつゝあるのでありまして、兎に角一時的なりとも出来る丈け一つ方案を立つてさうして出来るだけ有効に日貨排斥の終熄を計ると云ふことに致したいと思ふのであります、私も来月は匆々出発を致しましてあちらへ参ります、いろいろ皆様の御意見も承はり、又自分でも今後出来る丈け一つ努力致しまして、さうして一日も速かに又出来る丈け有効に、此運動の終熄に努力致したいと考へて居ります、只今日貨排斥に付いて山科副会頭からいろいろ御話がありまして、至極私も御同情に堪へない所から御話を申上げたやうな次第であります、本日は誠に送別の意味を以て叮重な午餐を賜はつたことに対して厚く御礼を申上げます。
      永田市長演説
 本日私始め三助役迄此盛大なる午餐会へ御招待を受けまして、誠に有難く御礼を申上げます、又山科副会頭より御叮嚀な御言葉があり、更に渋沢子爵よりも東京市の道路に付いて御念の入つた御挨拶がありまして、しみじみと有難さを感ずる次第であります、過去二年間市に在職致して居りまして、私が記憶をたどつて見ますと、市役所に這入つて一番最初に非常に強く感じた事柄が一つあります、それは二年半以前に商業会議所の議員の選挙の時であります、此時には非常に選挙人が沢山殖へて居りました為めに、私が其監督になつて居りまして実にさんざんな目に遇ひました、又此記憶を喚起しまして、市役所に這入つた劈頭からゑらい教訓を受けたと云ふことを、今尚心に喜んで居る次第であります、併し此教訓なるものは私には非常な教訓になりましたけれども、之は新しき助役に又再び経験させたくないと思ふて居ります、又此市役所の仕事を進めて行きますに付きまして、第一に考へることは財政の問題でありまして、此点は特に商業会議所関係の方
 - 第56巻 p.147 -ページ画像 
方に御努力を御願ひしなけれはならぬ、此点に付いて私は各位の御智恵を借りたいと思ふて居りまするのは、どうも実業家と此市役所に関係のある仕事とが非常に都合宜く行つて居る点もありまするが、又我我のやり方が悪いか、どうも都合悪く行つて居る点もあるのでありまして、現在瓦斯会社とは補償契約の問題に付いて訴訟中であります、又近頃は鬼怒川水電との間にも何か訴訟が起りはせぬかと憂へて居ります、それで諸君の御智恵を借りたいのはそこである、実業家の諸君と訴訟などをしないでやつて行ける方法がありますまいか、どうか御智恵を拝借致しまして、成る丈けさう云ふことのない内に此市の財政問題を解決して行きたい、今後に於きましても電車とか、水道とか、或は電灯とか云ふやうなものゝ収入に依り、又他の収入のない所の下水其他の問題に付いて、財政的に自給自足の出来るやうな方法を考へたい、之等のことに付きましては特に経済界の実情に明るい諸君の御努力御後援を切に御願致す次第であります。
 尚ほ一言道路のことに付いて申上げたいのは、道路のペーヴントをやることに付きましては、御承知の通り皇室より三百万円御下賜がありまして、我々としては非常に内外上下に対して重大なる責任を感じて居る問題であります、此事に付きましては道路の路面をペーヴントすることが夫れ丈けで直に一気呵成にやれと言はれても之は一気呵成には出来なくなつて居る、少なくとも下水の完成位は早くやらなければならぬと思ふ、然るに此下水をやると言ひましても、之は其の三分の一の補助を政府に願つてある、然るに我々が七ケ年で二千万円でやると云ふ第一期の工事に対して、三分の一の補助は下さるが、それも二十五ケ年に下さつて、而かも最初は一年に四千円宛しか下さらぬ、斯う云ふ実情であります、只今副会頭より何か自分達も協力が出来ることがあるなら協力しやうと云ふ有難い御言葉がありました、其御言葉に甘へて誠に相済みませぬが、私が此席で御願を致したいことは、斯う云ふ実情でありまするから、少なくとも此補助問題に付いてどうか私を御助け下すつて、本日は幸にも大蔵次官の御顔も見へるやうでありますから、私は之迄も度々申上げてある、又大蔵次官の御顔を見る度にさう云ふことを申上け悪い、それで諸君からどうか困るからと云ふことを、今日只今でも宜しうございます、又後でも宜しうございますから、諸君から直ちに大蔵次官に御願ひ下さるやうに致したい、又大蔵省に直接申上げるよりは、内務省が直接の関係でありますので内務省との交渉の点に付いても御後援を御願致したいと思ひます、道路を一気呵成にやる、どうか斯う云ふ問題に付いても諸君の一気呵成的の御努力御後援を希望して止まぬのであります、斯う云ふやうに我我が市の仕事をやつて行く上に付いても、いろいろ御註文等のことを何時も承はりまする次第でありますが、御後援と云ふことに付いても十分に御助けを願ひたい、今日の御招待の言葉に甘へまして、或は少し私の申上けることが角が立つかも知れませぬけれども、それは詰り諸君と我々理事者の間と云ふものは、表面相争ふが如く見へても、其実根元は一つである、根元は皆東京市を都合善くして行かうと云ふにあるので、其為には私達が小言も聞きまするし、又私達からも諸君に
 - 第56巻 p.148 -ページ画像 
御願を致すのであります、丁度側から見れば喧嘩をして居るやうに見へるが、実際は一緒になつて根元は一つである、又斯う云ふやうになつて始めて東京市の利益も期待されるのであつて、互に小言の言ひ合ひをして居るばかりでは、決して東京市の仕事は渉取つて参りませぬ此意味が即ち自治の精神ではないかと思ひまする、私は誠に失礼なことを申すやうでありますが、私が此席を離れて立つと私は市長と云ふ資格を得るのであります、市長と云ふ名の下には諸君は私の子供のやうに見へる、それで言過きましたけれども、実情を述べて御願を申上げたのであります、私は座りますれば個人としての永田に還りますから、諸君に何処迄も縋りまする、御願を致しまするが、市長としましては寧ろ強ひて斯うやつて下さいと云ふことを半ば命令するが如く、嘆願するが如く、申上げる次第であります、どうぞ悪からず御酌み取り下さいまして、十分の御後援を希望致す次第であります、本日の御招待に対しまして厚く御礼を申上けます。
   ○本資料第五十五巻所収「日華実業協会」大正十二年六月十一日及ビ七月八日ノ条参照。