デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.164-166(DK560047k) ページ画像

大正14年4月18日(1925年)

是ヨリ先、栄一、当会議所会頭問題ニ関シ、井上準之助・大橋新太郎・指田義雄及ビ会頭藤山雷太等トソレゾレ会談ス。是日、当会議所総会ニ於テ、会頭選挙行ハレ、指田義雄当選ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一四年(DK560047k-0001)
第56巻 p.164-165 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年     (渋沢子爵家所蔵)
三月十九日 雷雨 寒
○上略 午前十一時井上準之助氏来訪ス ○中略 又東京商業会議所会頭問題ニ付目下ノ紛議調停ノ事ヲ特ニ依頼スル所アリ ○下略
三月二十日 曇 寒
   ○本文略ス。
(欄外記事)
夜食後八名ノ新聞記者来リテ、東京商業会議所会頭問題ニ付種々ノ質問ヲ受ク
三月二十一日 晴 寒
○上略 大橋新太郎氏来ル、船舶ノ事、商業会議所ノ近状ヲ談話ス、又服部文四郎氏午前後ニ於テ両度来訪、商業会議所問題ニ付内容ノ説明ヲ得、更ニ藤山氏ニ余ノ意見ヲ伝言ス ○下略
三月二十二日 快晴 寒
○上略 午飧後井上準之助氏来ル ○中略 商業会議所ノ件 ○中略 等ヲ協議ス ○下略
三月二十三日 雨 寒
○上略 服部文四郎氏来ル、商業会議所ノ問題ニ付藤山会頭ニ余ノ衷情ヲ伝言セシム ○下略
三月二十四日 晴 寒
午前八時起床洗面朝食例ノ如クシテ ○中略 藤山雷太氏来リ、東京商業会議所会頭問題ニ付過日服部書記長ヲ以テ伝言セシ趣旨ニ対シ鄭寧ナル回答アリ ○中略 大橋新太郎氏来話ス、会議所問題ト ○中略 ニ付種々ノ談話ヲ為ス、山崎亀吉氏来ル、東商会頭問題ヲ談話ス、指田義雄氏モ来リテ同問題ヲ話ス ○下略
   ○中略。
 - 第56巻 p.165 -ページ画像 
三月二十六日 晴寒
○上略 指田義雄氏来訪、東商会頭問題ニ付意見ヲ述ヘラル ○下略
三月二十七日 曇 軽寒
○上略 井上準之助氏来ル、頃日来協議シ来レル ○中略 東京商業会議所ノ件 ○中略 ニ付種々ノ協議ヲ為ス ○下略
   ○中略。
三月三十日 曇 軽寒
○上略 井上準之助氏来リ、東商会頭ノ件 ○中略 ニ付談話ス ○下略


東京商業会議所報 第八巻第五号・第二頁 大正一四年五月 ○総会(DK560047k-0002)
第56巻 p.165 ページ画像

東京商業会議所報  第八巻第五号・第二頁 大正一四年五月
    ○総会
大正十四年四月十八日当所に於て総会を開会したり、出席者左の如し
  岩崎清七君 ○外四七名氏名略ス
    午後九時三十五分開議
杉原副会頭議長席(藤山会頭不参に付)に着き開会を宣し、報告を為し、次て左の件を議事に付す
○中略
(議件)
一会頭一名選挙の件
本件は議長より投票開披の場合に立会人を置くや否を諮り、(二十五番)稲茂登三郎君より五名(議長指名にて)を設置することを発議せられ、多数の賛成者ありて之に決し、議長は(四十八番)山本留次君(四十五番)神谷伝兵衛君・(十一番)鹿島精一君・(三十五番)阿部吾市君・(四十一番)森盛一郎君の五名を立会人に選定し、投票は服部書記長をして議席順に氏名を点呼せしめ、議員は之に応し投票を為し、終つて後書記長は立会人と共に投票を点検したるに、投票数四十八票(出席議員四十八名)ありしを以て直に開票し、其結果を左の如く報告す
    指田義雄君     二十七票
    山科礼蔵君      二十票
            外に白票一票
仍て議長は指田義雄君が当選の旨を宣し、続て左の件を議題に付す
○下略



〔参考〕竜門雑誌 第四五一号・第一―五頁 大正一五年四月 商業会議所に就て 青淵先生(DK560047k-0003)
第56巻 p.165-166 ページ画像

竜門雑誌  第四五一号・第一―五頁 大正一五年四月
    商業会議所に就て
                      青淵先生
 東京商業会議所は又も問題を惹起して居るやうである。先日も指田さん、稲茂登さん其他数名の方々が見え、親戚の阪谷を会頭に推薦したから、其の就任方を勧めて呉れと云ふ話であつた。私は商業会議所とは今では疎遠であるから、之に付て彼是云ふべき筋合ではないが、然し同所の創立せられた明治十一年から同三十九年まで、二十八年間会頭を勤めたから、以前は深い関係があつたと云ふて差閊ない。さう云ふ事惰にあるので、此処に東京商業会議所が如何に変遷して今日に
 - 第56巻 p.166 -ページ画像 
到つたかに就て、又之に関する私の感想を概略述べることにしやうと思ふ。
○中略
 尚ほ私は現会頭の指田さんなどとは心安いので、情に於て気の毒に思ひ、此頃阪谷に起てと勧めるやうに頼まれたので、さう話して見たが、どうしても阪谷が引受けぬ、其理由は
 『会頭となる以上片手間では何事も出来ない。或は全力を尽すとしても、純商人でなく役人上りであるから、なんの役人上りがと云はれるやうな点もあらう。而も今の処貴族院に席があり、其方に思ひ入れもある。従つて其方を辞して会頭の地位に就くことは、自分の長所とまで行かずとも、慣れて居ることを放擲することになり、長所でない方へ赴く訳で、自己に不忠実な結果とならう。情からは応じたいが、自分を虐待することは出来ない。又双方やれるではないかと云ふかも知れないが、他人は知らず、自分には不可能なことである』
とて全然断つて居る。私も頼まれた関係と、会議所との永い縁故を思つて勧めても見たが、希望は達せられなかつたのである。
 斯くて東京商業会議所の将来はどうなるかと云ふことは、勿論問題である。現在事に当つて居る人々は、其の現状のみに止らず、根本的な点までも深く考究して、今後に善処する要があるであらう。(四月十五日談話)