デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

補遺・追補

2章 追補
(既ニ款・項目ヲ定メテ収録セルモノヘノ追加)
節 [--]
款 [--] 2. 株式会社六十九銀行
〔第五巻・第五十巻所収〕
■綱文

第56巻 p.692-695(DK560158k) ページ画像

明治43年8月6日(1910年)

是日栄一、当行ニ於テ行員ニ訓話ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK560158k-0001)
第56巻 p.693 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年     (渋沢子爵家所蔵)
八月六日 曇 冷
午前六時起床 ○中略 畢テ汽車ニ搭シ四時頃長岡ニ着ス、来リ迎フ者頗ル多シ、若松亭ニ投宿ス、入浴後種々ノ来人ニ接シ、午後五時半六十九銀行ニ抵リ行員ニ一場ノ訓示ヲ為ス ○下略


岸宇吉翁 小畔亀太郎編 第二六八―二七四頁 明治四四年一〇月刊(DK560158k-0002)
第56巻 p.693-695 ページ画像

岸宇吉翁 小畔亀太郎編  第二六八―二七四頁 明治四四年一〇月刊
 ○追懐談
    渋沢男爵訓話記要
      本篇は明治四十三年八月六日岸翁の請に依り、六十九銀行に於て男爵が行員に諭されしものなれば、玆に掲ぐるも亦多少の縁なしとせず。翁は其後間もなく病褥に入られたれば、翁の銀行に臨まれたるは実に此日を以て最後となす。噫渋沢男爵と岸翁と六十九銀行と、是何等の宿縁ぞや。
余は個人として岸頭取其他の重役諸氏と交誼あり、又た余の経営する第一銀行と六十九銀行とは、三十余年来浅からぬ関係を結び来れり。此座に居らるゝ松井氏、小畔氏は共に第一銀行の出身にして、松井氏は久しく第一銀行新潟支店長の職に在り、小畔氏は最初余が深川邸に寄宿して勉強せられ、後に第一銀行に入りて数年職に在りし経歴あり今両氏の経営せらるゝ六十九銀行が、万事我第一銀行と親密なる取引を為し、年を逐ひ繁栄に至れるは実に余の慶賀する所にして、恰も親族の栄ゆる如き感なきを得ざるなり。故に今日岸頭取の需に応じて玆に諸子と相見え親しく談話を為すは、我部下に対するの情あるを以て忌憚なく自信する所を陳べて、岸頭取首め重役諸氏が平日の厚誼に報いむと欲す。
惟ふに吾人が銀行者として世に立つに於て、第一に銘すべきは『事務を処するに叮寧にして敏速なるを要す』といふ語なり。叮寧と敏速とは一聞して矛盾なるが如くなれども、其実決して矛盾ならず。こは蓋明治五年第一国立銀行創設の際、英人ギルバルト氏銀行実験論の反訳に於て見たる所の語にして、爾来余は同業者と語る毎に斯語を誦出せざることなし、今に至る迄三十八年間誦出せし所なるを以て、甚だ陳腐の如くなれども、敢て然らず。彼の道徳仁義の教は二千五百年前の古昔に於て説かれたるもの『君子は本を務む本立つて道生ず孝悌なるものは其れ仁の本たる歟』とは千古不易の格言にして、所謂温故知新其意味今日に於て愈々適切なるを見るべし。是を以て余は『事務を処する叮寧にして敏速なるを要す』との一語を事務者の金科玉条なりと信ずるなり。
次に諸子は銀行の得意先に対して極めて懇切に待遇するを要す、而して其得意先の善悪を鑑別すべき才識を養はざるべからず、蓋其待遇に階級を付し、不利益の得意先に対して冷遇するが如きは尤も戒むべきものなり。又其懇切なるも煩冗に失する時は徒に時間を費すの恐れあれば、所謂礼約中を得るの程度に在るを要す。
次は事務を機械的に為すべし、機械的と謂ふも機械其物の如く無意識
 - 第56巻 p.694 -ページ画像 
に動作せよといふに非ず、換言せば秩序整然として事務を執るに在り例へば一日の事務は規定に従つて敏捷に処理して渋滞せず、翌日に留宿せざるやう励行すべし、次は諸子の拳々服膺すべきは誠実勤勉といふ事なり。此誠実勤勉といふ事は、最も古き語にして最も新しき意味を有せり。古往今来幾多偉人の蹤跡を尋ぬるに、其成功は一として刻苦勉励の結果にあらざるなし、余は其的確なる一例として米国製鋼王と称揚せらるゝカーネギー氏の伝を略説せむ。近頃同氏の自著にして某氏の訳に成れる『実業之帝国』を一読して氏の径路を知ることを得たり。蓋氏は西暦千八百三十七年英国スコットランドに生れ、十二歳の時其家族と共に米国に移住せり、氏は当時父と共にアリゲンの紡績工場に入り、一週一弗二十五仙(我貨にて約二円五拾銭)の賃銀を受けたり、氏は此薄給に甘んぜず、十四歳に及びピツヽバーグの電信配達夫となり、余暇を以て通信技術を学び、尋で電信技手となれり、南北戦争の起るや、氏も亦従軍し、鉄道電信隊に属して功あり、戦後某鉄道会社に就きて其書記に採用せられたり。氏は此職に在つて非常に興味と満足とを感じ、粉骨砕身して勉励し、遂に上長の認むる所と為つて支配人に抜擢せられたり。後氏は更に大に見る所あつて此会社を辞し、独立して製鉄所を創設せり、是れ氏が今日の成功を見る一行程なりと謂ふべし。昨秋余は渡米団と共に彼邦に至り、其工場を実見して規模設備の壮大なるに喫驚せり、氏は実に刻苦勉励一日の如くして今日に至れるなり。
関白秀吉が其昔信長の草履把として仕へたる時の苦心は、善く人口に膾灸する所、厳寒の際は常に其草履を懐にして暖を取りしが如き、畢竟彼が贏ち得たる栄爵も、其精励刻苦と、注意周到の賜ものなりといふべし。
余も青年時代より頗る勤勉なりしが、今の専門教育を受けたる青年の言を聞くに、最初の不平は事務を与へずと云ふに在り。然れども是れ誤解の甚しきものなり。大凡事務なるものは人の命を待ちて然る後之を為すべきにあらず、自ら進むで之を得ざるべからず。自ら進むで之を得んには、其事務を敏捷に且つ丁寧に処理して以て僚友顧客等の信用を博するに在り。是れ宛も鉄の磁石に吸引せらるゝ如く、事務の勤勉者の身に輻輳すべきは明白ならむ。古語に曰く、人一度なさば己れ之を十度なせと、是れ其事務を収得すべき秘鍵なり。
最後に余が諸子に望む所は、上下克く秩序を守り、戮力協同、首尾相呼応して以て動作すべき事是なり。即ち重役は重役として、下僚は下僚として、各其職責を重んじ、彼の機関の円滑に運転するが如く、上下心を一にして六十九銀行の昌盛を期せらるべし。世には下僚は徒だに勤労して、其功は一に重役に帰す、懌ぶべけむやと謂ふものあり、一理あるが如しといへども、然も銀行会社の役員店員は猶ほ軍隊の如し。見よ卅七・八年戦役に当り、第一軍・第三軍と言はずして、黒木軍・乃木軍と称し、世の毀誉褒貶挙げて将帥の頭上に落ちしを。銀行会社の成績如何が皆其重役の責に帰すると一轍なり。故に諸氏は銀行の成績も、亦軍隊が兵卒と将校との協力を以て効果あるが如く、重役下僚一致奮励して事に従はゞ其好成績を挙ぐるも亦決して難事ならざ
 - 第56巻 p.695 -ページ画像 
るを知るべし。
此の如く陳套なる言を諸子の前に列ねたる余が衷心は、此六十九銀行の益々昌運ならんことを祈るに外ならずして、余は斯の如き機会に逢遇せしを深く喜ぶものなり。