デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
2款 親族
■綱文

第57巻 p.102-103(DK570049k) ページ画像

昭和2年2月25日(1927年)

是日、栄一女大川照子逝ク。


■資料

(増田明六) 日誌 昭和二年(DK570049k-0001)
第57巻 p.102 ページ画像

(増田明六) 日誌  昭和二年     (増田正純氏所蔵)
二月廿六日 土 晴                出勤
朝飛鳥山邸参上、飛鳥山邸より大川家へ御供物の件を子爵ニ御協議の上午後之を持参したり
御香料金弐百円、花環壱個(五十円)御通夜見舞弁当七十人分


大川平三郎君伝 竹越与三郎編 第四四〇―四四一頁 昭和一一年九月刊(DK570049k-0002)
第57巻 p.102-103 ページ画像

大川平三郎君伝 竹越与三郎編  第四四〇―四四一頁 昭和一一年九月刊
 ○第二十七、家族間に於ける大川君
○上略
 - 第57巻 p.103 -ページ画像 
    故大川照子夫人碑文
先妣諱照子、子爵渋沢栄一第四女、明治六年四月二十九日生于東京市神田渋沢邸、年十八出嫁于家厳 ○中略 先妣有二男二女、一男夭折、初養甥尾高鉄雄為子、鉄雄与長男義雄倶助厳君事業、既在重職、長女孝子夫田辺武次、二女貞子夫迫本実亦皆精励家業前途将益多幸、不図昭和二年二月二十五日俄得病歿于滝野川邸、享年五十五 ○中略
  昭和四年二月二十五日
                      大川鉄雄
                      大川義雄


(増田明六) 日誌 昭和三年(DK570049k-0003)
第57巻 p.103 ページ画像

(増田明六) 日誌  昭和三年     (増田正純氏所蔵)
二月廿五日 土 晴                出勤
○上略
後五半東京会館ニ於て大川平三郎氏故夫人照子氏の一年忌追悼晩餐会ニ招かれて出席した、食前伯鶴の講談があり、食後大川氏の挨拶に次て渋沢子爵の答辞があり、一同鄭重なる饗応に感謝した
本日の来訪者は絶間無き程にて、遂ニ大川平三郎氏故夫法要(午後三時中里大竜寺)《(人脱カ)》に参列する事が出来なかつた、遺憾の至である
○下略



〔参考〕実業之世界 第二二巻第一〇号・第五四頁 大正一四年一〇月 渋沢子爵の姻戚関係(DK570049k-0004)
第57巻 p.103 ページ画像

実業之世界  第二二巻第一〇号・第五四頁 大正一四年一〇月
    渋沢子爵の姻戚関係
○上略
 子の四女てる子(明治八年生れ)《(マヽ)》は、大川平三郎氏に嫁した。氏は旧川越藩士大川修三氏の二男で、大川英太郎氏の弟、田中栄八郎氏の兄に当る。そして子爵には甥に当る。文久元年の生れ、先代栄助氏の養子となる。若くして米国に留学し、現在は約二・三十もの諸会社に重役として、実業界に重きをなし、就中本邦製紙界の功労者として世の重望を負ふてゐる。
○下略