デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
2節 健康
■綱文

第57巻 p.120-121(DK570055k) ページ画像

大正2年3月23日(1913年)

是日栄一、東京ヲ発シ、静岡県島田町ニ赴キ修養団島田支部一週年記念大会ニ出席、演説中脳貧血ヲ起シ、演説ヲ中止、応急手当ヲ受ケ、翌二十四日帰京ス。翌四月中旬ニ至ル迄静養ス。


■資料

竜門雑誌 第二九九号・第五三―五四頁 大正二月四月 ○青淵先生の微恙経過/○青淵先生の島田行(DK570055k-0001)
第57巻 p.120-121 ページ画像

竜門雑誌  第二九九号・第五三―五四頁 大正二月四月
    ○青淵先生の微恙経過
青淵先生突然の発病に就ては竜門社員は申すに及ばず、世間一般の心痛大方ならざりしが、今その経過の概略を記さんに、別項記載の如く廿四日帰邸の後直ちに高木博士並に主治医堀井宗一氏等数回診察の結果、脳自体の疾患に非ずして、全く一時偶発的極めて軽微の脳貧血症たることを確められたり、其原因は先生には三月二十日頃より聊か風邪の気味ありしにも拘らず、連日連夜の外賓の歓迎に、来客の応接に其他公私の要務に当られ、寸時も休養の暇を得ざりし、尚ほ其上に二十三日午後八時過折からの寒さをも厭はず、急行車に乗りて島田町に赴き、数時間演説を聴聞して後、演壇に立たれたることゝて、風邪に加ふるに連日連夜の疲労重なりて脳貧血の症状を現はし、気管支加多児を併発せるものなりと云ふ、併し脳貧血は極く軽微にして気管支加多児も亦軽く発熱する程に至らざりしかど、時節柄或は肺炎に変ずる患なしとも云ふ可らず、且つ一時的とは云ひながら脳に多少の症状を現はせるからは、兎も角安静に養生を専一とし、再発を予防せざる可らずとて、医師より厳重に戒めらるゝ所あり、爾来一切来客を謝絶して静養の結果最早や昨今に至りては風邪は殆ど全癒し、脳貧血とても
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何等懸念すべき症状あるに非ざれども、尚ほ医士の注意もあり旁々大事を取り居るとは云ふものゝ敢て平臥し居るにも非ず、但だ室内に閉籠り繁務を避けて時々庭園の散歩、徒然の書見を為す程に、日増に快癒の状、著しうなりたれば、日ならず平常の如く事務を執らるゝに至るべしとぞ、安心ありて然るべしとなり。(四月十五日稿)
○青淵先生の島田行 青淵先生には静岡県島田に於ける東京修養団同地支部一週年記念大会に臨むべく、三月二十三日午前八時三十分新橋発汽車に投じて午後一時三十五分同地着、かねて休憩所に当てられたる森淑氏方に赴きて少憩後、会場なる開盛座に出向かれ数番の演説聴聞後演壇に立たれて「時局に対する青年の覚悟」と題し、今や将さに本論に入らむとする刹那、眩暈を催ほし到底演説を継続する能はざるより玆に講演を中止し、直ちに森氏邸に引返し、同地医士高橋・戸塚両氏の応急手当を受け、尚ほ静岡より柴医学士を迎へて診察を受け、其夜は同邸に一泊し、翌廿四日午後三時三分島田発汽車に投じ、静岡駅にて急行列車に乗替へ、沼津まで出迎はれたる堀井主治医・増田秘書と共に午後八時二十五分新橋着、無事飛鳥山邸へ帰還せられたり。
   ○本資料第四十三巻所収「財団法人修養団」大正二年三月二十三日ノ条参照。