デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
2節 健康
■綱文

第57巻 p.123-127(DK570059k) ページ画像

大正8年2月15日(1919年)

是日以後、栄一感冒ノタメ静養、四月下旬ニ至リテ回復ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正八年(DK570059k-0001)
第57巻 p.123-125 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年        (渋沢子爵家所蔵)
二月十五日 晴 寒
午前七時半起床、風邪気全愈セサルニヨリ入浴ヲ廃シ、洗面シテ褥中ニ於テ朝飧ス、朝来訪問客アリシモ面会ヲ謝絶ス ○中略 終日褥中ニ在テ新聞紙又ハ雑誌類ヲ朗読セシメテ聴取ス ○中略 堀井医師来診ス、夜飧後酸素吸入器ヲ購入シテ試験ス、夜飧後喘息ノ気強クシテ呼吸ニ困難ナリ、依テ硝石紙ヲ以テ応急ノ治療ヲ為ス、夜十一時就寝
二月十六日 晴 寒
 - 第57巻 p.124 -ページ画像 
午前七時半起床、病尚愈ヘスシテ入浴スルヲ得ス、褥中ニ於テ洗面シ後朝飧ス ○下略
二月十七日 晴 軽寒
午前七時半起床、病全愈セサルニヨリ入浴ヲ止メ、洗面シテ直ニ朝飧ス、後臥床中ニ在テ新聞紙ヲ一覧ス ○下略
二月十八日 雨 寒
午前七時半起床、入浴ヲ廃シ、洗面シテ褥中ニ於テ朝飧ス ○中略 堀井医師来診ス ○下略
二月十九日 晴 軽寒
午前八時起床、洗面脚湯シテ後朝飧ス、頃日来ノ小痾軽快ニ付、臥牀ヲ掃除ス
(欄外記事)
風邪気軽快ニ付、朝来褥ヲ去リ、平素ノ如ク来訪ノ客ニ接セシモ、夜ニ入リテ少シク発熱ヲ覚フ
 ○下略
二月二十日 晴風 軽寒
午前七時半起床、洗面シテ臥床中ニ於テ朝食ス、昨夜来熱気全ク去リ気分モ異状ナケレトモ、朝来風強キニヨリテ外出ヲ見合ハセタルナリ
○下略
二月二十一日 曇 寒
午前八時起床、入浴ヲ見合ハセ、洗面シテ朝食ス、宿痾朝来快方セシニ付、今日ヨリ外出ヲ試ントセシモ、食後験温《(検)》スルニ尚数分ノ熱気アルヨリ、止ムヲ得ス出勤ヲ止メ ○下略
二月二十二日 雨 寒
午前七時起床、病愈タレトモ入浴ヲ見合ハセ、洗面シテ朝食ス ○下略
   ○中略。
三月一日
此日ヨリ流行感冒ニ罹リテ気分悪カリシモ ○中略 夜十時散会帰宅セリ、爾後感冒頓ニ重ヲ加ヘ夜中ヨリ発熱シテ、終夜苦悶セリ
三月二日
此日ハ病気ニテ起床スルヲ得ス、堀井医師ノ来診アリテ、更ニ入沢博士ノ来診ヲ請フテ、療養ニ勉ム、爾来三日、四日ト経過シテ、喘息ノ発作アリシモ、熱度ハサマデ高カラザリシガ、越テ五日ノ午後ヨリ病勢大ニ進ミテ、悪感強ク、午後ニ至リ高度ノ発熱アリテ、苦悶甚シク殊ニ食慾全ク絶シテ、牛乳サヘモ呑ミ得サリシ程ナリシカハ、自身ニテモ大患タルヲ自覚シ、当日以後約一週間許リハ、回復ノ望ナキモノト思フテ、身後ノ処置ニ付、海外ニ於ル例ノ国際ノ関係ヨリ、国内現在ノ思想界ノ不安定ナル事、経済界ノ膨脹セルヨリ其実質ノ不鞏固ナル事、道徳心ノ日ニ増シテ衰退セル事、資本・労働ノ調和不完全ナル事、社会政策ノ樹立セサルニヨリテ防貧ノ策及恤救ノ方法具備セサル事等、憂慮スヘキ案件頗ル多ク、之ニ加フルニ一家内ノ小事ニ於テモ同族ノ安寧協和ニ付テモ訓諭スヘキ事共多々アリシヲ以テ、熱度高ク苦悶ノ加ハルニ従テ、種々ノ憂患胸中ニ往来シテ、時々医臥《(師)》ニ請フテ病ヲ努メテ心事ヲ叙述シテ、遺言センコトヲ要求シタルモ、医師ハ其
 - 第57巻 p.125 -ページ画像 
事ノ治療ニ害アリトテ許容セザリキ、斯ノ如キ有様ニテ、数名ノ看護婦ノ扶助ニヨリテ、約一ケ月ヲ経過シ、四月ニ入リテ日日少シク食事モ進ムヲ得、殊ニ熱度ハ三月下旬ヨリ低下シテ、三十六度台トナリ、時ニ小高低アルモ四、五分間ヲ超ヘサルニヨリ、医師モ回復ヲ証言シ自身ニモ平愈ノ望アルモノト思フテ、薬方・食事ニモ心ヲ用ヘテ、四月二、三日頃ヨリ病褥中ニ坐シテ食事ヲ取ルヲ得ルニ至リ、其九日ニハ室内ヲ歩行シ、入浴ヲモ試ムル事トナレリ、是ヨリ日々食慾モ増加シ気力モ回復シテ、四月中旬ヨリ室内ニ於テ親戚及懇親ノ向ニ会話シ月末ニ至リテ外出ヲ試ミ、兜町事務所ニ出勤スルヲ得、廿四、五日頃ヨリ稍平日ト同シク、来人ニモ接シ、内外ノ事務ヲ弁スルニ至レリ
三月一日ヨリ四月三十日迄ノ日誌ハ、前記ノ如ク大患ニ罹リシ為メ詳悉スルヲ得ス、依テ病間殊ニ記憶スルモノヲ、左ニ記載シテ他日ノ参考ニ供スト云爾
   ○中略。
十七日 ○三月阪谷男爵・姉崎博士来話 ○中略 姉崎博士ニハ渡仏後ノ注意ニ付平日ノ企望ヲ陳述ス、時ニ病未タ愈ヘス、苦悶強クシテ談話意ノ如クナラス、幾回トナク氷片ヲ以テ口中ヲ潤シテ、漸ク意見ノ幾分ヲ述ルヲ得タルナリ、而シテ其為メ熱度五、六分ヲ増シタルヲ見レハ、如何ニ其日ノ談話ノ苦痛ナリシヤヲ知ルヲ得ヘシ
二十三日姉崎博士再ヒ来リテ明日発足ノ由ヲ告ケラル、依テ我カ使節及随行ノ人士ヘノ伝語、又ハ米国及英仏ナル知人ヘノ音信等ヲ托ス
月末ノ夜(時日ヲ忘ル)武之助・正雄両人来リ、病苦ヲ努メテ心事ヲ詳話ス
越ヘテ数日、武之助来リテ病ヲ訪フ、依テ其将来ノ勤務ニ付詳細ノ訓示ヲ為シ、且余カ青年ノ時ヲモ引証シテ、切実ニ誡告ス、但此誡告ノ際ニハ、兼子及穂積歌子モ其席ニ在リテ傍聴セリ
三月三十日、飛鳥山邸ニ於テ同族会ヲ開ク、当日会議席ヘ出席シ得サルモ、病稍快方ニ赴クヲ以テ、会議終リテ後、穂積・阪谷・明石ノ三氏ヲ病床ニ招キテ、家事ニ関ル意見即チ篤二身上ノ事、及余ノ死後兼子別居ノ事、武之助以下三人ノ将来ニ付テ意見ヲ内示シ、且飛鳥山邸ノ処分ニ付テモ内意ヲ予告シ置キタリ
四月ニ入リテ熱気全ク平常ニ復シ、且食慾モ進ミタレハ、二日ヨリ褥中ニ起坐シテ食事ヲ取ル事トシ、室内ノ歩行ヲ試ム
   ○中略。
五月一日 曇 軽寒
午前七時半起床、昨夜ヨリ少シク熱気アリテ、気分清爽ナラス ○中略 此日大磯ナル明石ノ別宅ニ転地シテ、病後ノ疲労ヲ医セントス ○中略 十二時半第一銀行ニ抵リテ午飧ス ○中略 午後一過時兼子王子ヨリ来ル、直ニ同車ニテ中央停車場ニ抵ル、同族多人数来リテ行ヲ送ル、一時五十分発、四時大磯着、余ハ人車ニテ明石ノ家ニ抵ル
○下略
五月二日 曇 軽暖
○上略 三月々初ヨリ本日ニ至ルマテノ日記ヲ編成ス、而シテ三月二日大患ニ罹リシ後ノ経過ト其病中ノ感想トヲ、記憶ニ任セテ略記ス ○下略
 - 第57巻 p.126 -ページ画像 


竜門雑誌 第三七〇号・第七二ー七三頁 大正八年三月 ○青淵先生の容体(DK570059k-0002)
第57巻 p.126 ページ画像

竜門雑誌  第三七〇号・第七二ー七三頁 大正八年三月
○青淵先生の容体 青淵先生には二月十五日以来、風邪にて、飛鳥山の自邸に引籠り専ら静養あらせられたるより、同月二十二日には殆ど平常の健康に復せられたるを以て、同日より兜町の事務所に出勤せられ、例の如く内外諸般の要務を扱はれ居りし所、三月二日又々風邪再発の気味あり、気分悪しとて引籠られて静養中、五日夜に至り発熱三十九度七分に上りたるより、親族一門の方々は申すに及ばず、堀井主治医の心痛一方ならず、即日入沢医学博士の来診を乞ひ、続いて高木博士の往診をも乞ひて、堀井主治医が昼夜附切りにて療養に尽されたるより、元来健康勝れたる先生の事とて、経過頗る順調にて、十日に至りては体温は殆ど平常に復せらる、唯未だ充分なる食気を発生せられざるを多少の懸念とするも、患部は漸次快方に向ひつゝあるを以て遠からず全快せらるゝことならん。(三月十三日記)


竜門雑誌 第三七一号・第五八頁 大正八年四月 ○青淵先生全快せらる(DK570059k-0003)
第57巻 p.126 ページ画像

竜門雑誌  第三七一号・第五八頁 大正八年四月
○青淵先生全快せらる 青淵先生は其後病気全く快復せられ、去る四月廿四日より兜町事務所に出勤せらるゝに至れるは、これ実に諸君と倶に欣慶に堪えざる所なり、尚ほ先生病床中の次第は次号に掲載する所あるべし。


竜門雑誌 第三七二号・第四二頁 大正八年五月 ○青淵先生病床日誌略(DK570059k-0004)
第57巻 p.126-127 ページ画像

竜門雑誌  第三七二号・第四二頁 大正八年五月
○青淵先生病床日誌略 青淵先生には健康今や全く旧に復せられたりこれ会員諸君と共に欣賀に堪えざる所なるが、今当時の日誌に依りて其概略を記すれば左の如し。
因に先生今回の御病気に際し入沢博士・高木博士及び堀井主治医の綿密なる診断と周到なる注意を与へられたるは、吾人の深く感謝して已まざる所なり。
 △三月一日朝来気分勝れざりしも相変らず活動を続けられしが、二日に到りては体温三七・七度に上りしかば、堀井主治医並に入沢博士の来診を乞ひしに、喘息併気管支カタルなりとの診断あり、警戒を怠らざりし所、五日夕刻に到り体温三九・七度に上りしかば、同夜再び入沢博士の来診を乞ひたるに、右肺後下部に肺炎の疑あり、大に警戒を要すとの診断あり、六日入沢博士参たび診断の結果は今や全く肺炎と認定するの外なしとの事なりき。七日高木男・入沢博士・堀井主治医の診断前日の如くなるも、特に病勢増進の兆を認めず、この日体温前日より下降し、脈搏最高九二を数ふ。八日体温・脈搏共に下降し、九日高木男・入沢博士の診断は、食慾減退せるも体温下降により心配なきを告ぐ。十日入沢博士来診せられ、病勢稍軽快に赴きたりとの診断にて、一同初めて愁眉を開くに至れり。十二日入沢博士来診せられ、前日よりも更に病勢減退せりと診断せらる。たゞ食慾の不振の結果身体の疲労を懼れ、牛乳其他の摂取を切に希望せらる。かくて病勢は次第に減退し、十五日初めて警戒を解きたるが、十六日よりは食慾も次第に進み、廿一日には粥一碗半、
 - 第57巻 p.127 -ページ画像 
三十日には二碗を摂られ、其他の食事亦これに順じて其量を増し、一般の病状亦従て日増に良好に赴かるゝ一方なりき。斯くて四月七日には庭園の散歩を試みられ、八日入浴あり、十五日参度び運動の後入浴せられたるが、この日体量を、計られたるに着衣(七百五十目)にて十七貫九百目あり、体温三六・五度、脈搏七〇、今や平生の健康に復せられたり。斯くて静養の後、兜町事務所に出勤せられたるは、既に報道せし如くなり。
 附記 先生は去五月一日大磯なる明石氏別邸に赴かれ、静養を試みられつゝありしが、十日一旦帰京せられ、十七日再び大磯に赴かれたるも、二十五日に帰京せられたり。