デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

5章 交遊
節 [--]
款 [--] 14. 佐々木勇之助
■綱文

第57巻 p.466-468(DK570226k) ページ画像

昭和6年11月11日(1931年)

是日、栄一歿ス。佐々木勇之助、葬儀委員長トナル。


■資料

竜門雑誌 第五一八号・第一五―一七頁 昭和六年一一月 ○病状(二)(DK570226k-0001)
第57巻 p.466 ページ画像

竜門雑誌  第五一八号・第一五―一七頁 昭和六年一一月
 ○病状(二)
十一日 ○一一月
○中略
    薨去
 一時五十分
火の様な心臓の働きが、遂にバツタリと止んだ。 ○中略 早速書院に先生の大写真額を掲げ、その前に焼香台を供へて一般の弔問を受けた。また一方には葬儀委員を定め、委員長に佐々木勇之助氏、副委員長に石井健吾氏がそれぞれ任じ ○下略



〔参考〕竜門雑誌 第五三〇号・第八―一〇頁 昭和七年一一月 祖父の後ろ姿 渋沢敬三(DK570226k-0002)
第57巻 p.466-468 ページ画像

竜門雑誌  第五三〇号・第八―一〇頁 昭和七年一一月
    祖父の後ろ姿
                      渋沢敬三
○上略
      三
 私は未だ子供でよく存じませんでしたが、明治三十七年日露の風雲
 - 第57巻 p.467 -ページ画像 
急なるに及んで、祖父は実業界の一人として国家の為、その下た働きに一身を捧げんとした矢先、突如中耳炎を病み重態に陥つたことがありました。その趣き畏も 天聴に達し、辱くも御見舞を賜りましたがその御菓子の中に金玉糖があつて、四角な寒天の中に羊羹で出来た奇麗な金魚が二匹浮んで居たのは、子供心にもはつきりと今でも眼に残つて居ります。国運を睹するの時、将に働かんとして之を阻止された祖父の気持は如何ばかりであつたらうと思ひます。幸病気もぢきに快方に向ひましたが、この時分のものが、先達片付ものゝ中から出て来ましたので御目にかけます。
    佐々木ぬしよりおくられたる鉢の梅の花はまだ開かねども、老幹嵯峨として、わか枝につほみもてるさまのいとをかしけれは、己が身にたくらへ感慨の情やみかたくて
 雪霜にをりくたかれし古枝にも
      つぼむは梅のちからなりけり
 つぼみつゝ冬こもりしてもろともに
      春まちてさけはちの梅か枝
右に対し佐々木茗香翁からのお返しがありました。
    青淵先生に粗末なる鉢の梅を奉りたるにお歌をたまはりたれは御返へし
                        勇之助
 山里にそたちしまゝの梅なれと
      君か恵に香をやますらむ
此の梅の鉢は、凡そ三十年を経て、未だに曖依村荘に春を待つて居ります。
 先般祖父の病中ふとこの話が出て、わざわざその鉢を取り寄せて見たり致しました。
 十一月 ○昭和六年三日か四日と思ひます。私はお医者さん方と相談の上佐々木さんを病室にお通し致しました。病室には入沢博士の外林さんと桜沢さんとが居られました。祖父はその時上半身を少しベツドごと上げて僅か右下にし、眠つては居ませんでしたが、何の苦痛なしに眼を閉じて居ました。祖父の顔を見る為には、ベツドの足の方から一廻りせねばなりません。佐々木さんは――病臥せる祖父を見るのが痛々しくて堪えられぬと云ふ面持ちで、静かに近寄られ一礼の後、ジツト祖父の顔を見つめられました。そのまゝ又一礼して去られ様としたので、私は「佐々木さんがお見舞にいらつしやいました」と申しますと祖父は軽く眼を開いて、しばし無言で佐々木さんを見て居りましたが右の手を差し延べて握手を求められました。佐々木さんは恐縮され乍らも手も延べてお二方は固く握手されました。否、佐々木さんは両方の手で祖父の手を暖くつゝんで居られました。佐々木さんが「どうか御大切に」と云はれて手を離さるゝまで随分と長い間御二人とも殆んど無言でした。しかしお二人とも眼に涙も浮ばれず多く語らず、而も極めて平静でした。少くとも私共には六十年に亘つて相許した友人の二人が、十二分にその最後を意識してのお別れとは思へぬ程、閑寂であり枯淡でありました。併しその時の空気は実に絶大な真剣さが部屋
 - 第57巻 p.468 -ページ画像 
中にこもつて居りました。後ろでかすかにハンケチの音がするので振り向くと、入沢さんも林さんも桜沢さんも声を呑んで泣かれて居ました。私には此の時の光景と感じはとても筆に尽せません。梅の鉢の話がつひ此処まで来てしまひました。意足らず筆運ばず、佐々木さんに非礼を御詫しなければなりません。只私は今後もあの梅の鉢を大切にして行き度いと思つて居ります。
○下略