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『竜門雑誌』第332号(竜門社, 1916.01)p.31-34

◎金の威力

青淵先生

 本篇は雑誌「向上」記者が青淵先生を訪ふて聴き得たる談話なりとて九月一日発行の同誌上に掲載せるものなり(編者識)

▲金は交際の媒介となる

 金は、尊いものであるとか、貴ばねばならぬものであるとか、いふ事に関しては、古来随分多くの格言もあり、俚諺もある。或人の詩に、『世人交を結ぶに黄金を以てす。黄金多からざれば交深からず。』とある一句などは、黄金は友情といふ無形の精神までも支配する力のある如くに言つたものとも取れる。精神を尊んで物質を卑める東洋古来の風習では、黄金によつて友情をまで左右されるのは、人情の堕落思ひやられて甚だ寒心の至りであるが、然し斯ういふ事が吾々の日常よく出遇ふ問題である。例へば親睦会などいふと、必ず相集つて飲食する。是れは飲食も友愛の情を幇助するからである[。]又久し振りに来訪して呉れる友人に、酒食を供することも出来ない様では、締交の緒も結び難い。而して是等の事には皆黄金が関係する。

▲金の効能

 俚諺に、『銭程阿弥陀は光る』と言ふて、十銭投げれば十銭だけ光る。二十銭投げれば二十銭だけ光ると計算して居る。又『地獄の沙汰も金次第』といふに至りては、評し得て頗る皮肉の感が無いでもないが、又以て金の効能の如何に大きいものであるかを表したものと見ることが出来る。一例を挙げると、東京停車塲へ行つて汽車の切符を買ふとするに如何なる富豪でも、赤切符を買へば三等にしか乗れない。又如何に貧人でも、一等切符を買へば一等に乗れる。是れは全く金の効能だ。兎に角金には或偉大なる力あることを拒む訳にはならぬ。如何に多く財を費しても、唐辛子を甘くすることは出来ないけれども、無限の砂糖を以て其辛味を消すことは出来る[。]又平生苦り切つて八釜しく言つてゐる人でも、金の為めには直ぐ甘くなるのは世間普通の事で政治界などに能く見る例である。

▲宝とも仇ともなる

 斯く論じ来れば、金は実に威力あるものなれども然しながら金は固より無心である。善用さる〻と悪用されるとは、其使用者の心にあるから、金は持つべきものであるか、持つべからざるものであるかは卒爾に断定することは出来ない。金はそれ自身に善悪を判別する力はない。善人が之を持てば善くなる[、]悪人が之を持てば悪くなる。つまり所有者の人格如何によつて善ともなれば悪ともなる。此事に関しては、余は常々人に語つて居るが、昭憲皇太后の もつ人の心によりて宝とも
   仇ともなるは黄金なりけり
 との御歌は、実に感佩敬服に堪えぬのである。

▲古聖賢の教訓

 然るに世間の人は、兎角此金を悪用したがるものである、されば古人も之を戒めて、「小人罪なし宝を抱くこれ罪」とか、君子財多ければ其徳を損じ、小人財多ければ其過を増すなど〻言つてある。論語を読んで見ても金に対する教訓は随分多くある。「不義にして富み且つ貴きは我に於て浮雲の如し」といひ、又は、「富にして得べくんば執鞭の士と雖も吾亦之をなさむ」と言ひ、大学には「徳は本也。財は末也」とも言つてある。今か〻る訓言を一々此処に引用したならば、殆ど枚挙に遑ないであらうが、此れは决して金を軽視しても好いと言ふ意ではない。苟くも世の中に立つて、完全の人たらんとするには、先づ金に対する覚悟がなくてはならぬ。而して斯る訓言に徴しても社会に於ける金の効力は如何に思察すべきものであるか、頗る考慮を要するのである、蓋し余りにこれを重じすぎるも誤りなら又之れを軽じ過るのも宜しくない。「国道ありて、貧且つ賤しきは恥也。国道なくして、富且つ貴きは恥也」といふて、孔子も决して貧乏を奨励はなさらなかつた。只「その道を以てせざればこれを得るとも処らざるなり」である。

 元来金とは、現に世界に通用する貨幣の通称にして而して貨幣は諸物品の代表者なのである、貨幣が特に便利であると言ふのは、何物にも代り得るからである。太古は物々交換であつたが、今は貨幣さへ出せばどんなものでも心に任せて購ふことが出来る。此の代表的価値のあるところが貴いのである。だから貨幣の第一の要件として、貨幣そのもの〻実価と物品の値とが等しくなけられば[なければ]ならない。若し称呼同一にして其貨幣の実価が减少すると、反対に物価は騰貴する。又貨幣は分割に便利である、茲に一円の湯呑がある。之れを二人に分けやうと思つても分けることは出来ない。壊して半分にして、五十銭宛に分ける事は出来ない。貨幣だとそれが出来る。一円の十分の一が欲しいと思ふと、十銭銀貨がある[。]又貨幣は物の価格を定める。若し貨幣といふものがなかつたなら、此茶碗と煙草盆の等級を明確に定める事は出来ない。然るに茶碗は一個十銭、煙草盆は一円といふならば即ち茶碗は煙草盆の十分の一に当り、貨幣あつて両者の価格は定るのである。

▲大銀行家ギルバルトの話

 総じて金は貴ばなければならぬ。これは単に青年ばかりに望むのではない。老人も壮者も男も女も、凡そ人の貴ぶべきものである。前にも言つた如く、貨幣は物の代表であるから物と同じく貴ばなければならぬ。昔禹王といふ人は、些細な物をも粗末にしなかつた。又宋の朱子は一食一飯まさに之を作るの難きを思ふべし、半紙半縷来処の易からざるを知れと言つてある、一寸の糸屑半紙の紙切、又は一粒の米とても决して粗末にしてはならないのである、これは敢て自分の為のみではない、詰り社会の為めである、其について此処に一つの佳話がある、英蘭銀行に有名なるギルバルトといふ人が、青年時代に目見への為めに銀行に出頭して其帰る時に室内に落ちてありし一本のピンを見つけて、ギルバルトは直に之を拾つて襟にさした、これを見た銀行の試験役はギルバルトを呼び止め、今足下は室内で何かお拾ひになつた様ですが、あれは何であるかと聞く、ギルバルトは臆する色もなく、一本のピンが落ちて居たが、取り上れば要用のもので此儘にして置けば危険であると思つて拾ひましたと答へた。是に於て試験役は大に感心して更に色々質問して見ると誠に思慮深い有望な青年であつたので、遂に之を任用し、後年に至りて大銀行家となつたといふ事である。

▲よく集めよく散ず

 要するに金は社会の力を表彰する要具であるから、之を貴ぶのは正当であるが、必要の塲合に能く費消するは勿論善いことである、よく集めてよく散じて社会を活潑にし、従つて経済界の進歩を促すのは有為の人の心掛くべき事にして、真に理財に長ずる人は、よく集むると同時によく散ずる様でなくてならぬ。よく散ずるといふ意味は、正当に支出するのであつて、即ちこれを善用することである。良医が大手術に用ひて患者の一命を救つたメスも、狂人に持たしめると人を傷くる道具となる。又老母の孝養に必要なる飴も、賊徒に与れば櫃の開閉に音無きの盗具となる故に、吾々は金を貴んで善用することを忘れてはならない。実に金は貴ぶべく、又賤しむべし。之をして貴ぶべきものたらしむるのは偏に所有者の人格による。然るに世には貴ぶといふことを曲解して、只無暗にこれを吝む人がある、真に注意せねばならぬことである。金に対して戒むべきは濫費であると同時に注意すべきは吝嗇である。能く集むるを知りて、よく散ずることを知らねば其極守銭奴となるから、今日の青年は濫費者とならざらんことを勉むると共に守銭奴とならぬ様に注意せねばならぬのである。

効力の有無は其人に在り(仁義と富貴)

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能く集め能く散ぜよ(仁義と富貴)

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