デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 第一国立銀行 株式会社第一銀行
■綱文

第4巻 p.544-555(DK040056k) ページ画像

明治30年1月24日(1897年)

株主総会ヲ開キ本店新築ノ為毎期積立金ヲ設クベキ事ヲ議決ス。栄一之ニ出席シテ営業継続後ノ諸要件及ビ前年下半期ノ営業景況ヲ報告ス。同期後半以降経済界漸ク日清戦後ノ反動期ニ入リ金融逼迫ヲ告グ。偶前年十月大阪ニ於テ逸身銀行ノ危機ヲ大阪同盟銀行救済セントスルニ際シ、同行大阪支店ハ、救済額予定ノ十倍ニ達セシ故ヲ以テ、之ガ加入ヲ拒否シ、為ニ大阪同盟銀行ヨリ同店除名問題起ル。


■資料

株式会社第一銀行第一期株主総会決議録〔明治三〇年一月〕(DK040056k-0001)
第4巻 p.544-545 ページ画像

株式会社第一銀行第一期株主総会決議録〔明治三〇年一月〕
   第一期株主総会決議録
明治三十年一月二十四日午後一時第一期株主定式総会ヲ東京銀行集会所ニ開ク、株主総数千拾弐名、此株数九万株ノ内出席者百七拾七名此株数弐万七千弐百参拾参株、委任状ヲ以テ代理ヲ委托シタル者百八拾五名、此株数壱万八百七拾八株、合計参百六拾弐名、此株数参万八千百拾壱株ナリ
頭取ハ会議ニ先チ、昨年七月総会後ノ要件即チ九月二十五日第一国立銀行営業満期ヲ以テ第一銀行ハ諸勘定ノ引継ヲ承ケ、翌二十六日変更ノ登記ヲ了シ、同二十九日引継ノ届ヲ大蔵省ニ差出シ、尋テ七月一日ヨリ九月二十五日マデノ報告書、即チ考課状ヲ編製シテ同省ヘ開申シ而シテ其印本ヲ株主各位ニ頒布セシ事、及先是五月臨時総会ノ決議ニ係ル積立金ノ処分、及株主諸君ヨリ役員一同ヘ贈与セラレタル慰労金ノ分配ヲナシタル事、株券引換ハ旧一株ヲ以テ新二株トナシタルコト、営業満期継続ノ祝意ヲ表シ盃、服紗、扇子等ヲ本支店従前ノ取引先ニ贈付セシコト、十月十七日頭取飛鳥山別荘ニ園遊会ヲ開キテ朝野ノ貴顕紳士同業者等ヲ請招シテ満期継続ノ披露ヲナシ、其費用ハ従前賞与金ノ内ヨリ積立来リシ慰労金ヨリ支弁セシ事等ヲ報告ス、次ニ本店家屋改築ノタメ毎期其積立金ヲ設クヘク、而シテ其構造ハ事務室坪数大略参百参拾坪余、金庫参拾弐坪、外ニ附属家屋等若干ニシテ其費用ハ大約拾五万円以上弐拾万円許ノ予定ナレトモ、目下其製図設計ニ従事シアルヲ以テ他日予算ヲ確定シテ更ニ報告スヘキ旨ヲ告ケ、因テ本季ヨリ其積立金ヲ設ク可キ事ヲ議決ス
次ニ昨年下期営業ノ景況ヲ報告シ、同期貸借対照表、財産目録、損益表ハ株主各位ニ配付シタル営業報告書ニ添付シ置キタルニ付、其承認ヲ得タキ旨ヲ告ケ、一同異議ナキ旨ヲ述フ、依テ左ノ如ク利益分配案
 - 第4巻 p.545 -ページ画像 
ヲ提出シタルニ満場一致原案ノ通可決ス
一金参拾万千七百拾弐円四拾六銭八厘   当期利益金
一金五万四百参拾七円九拾参銭弐厘    前期繰越金
 合計金参拾五万弐千百五拾円四拾銭
 内
 金弐万四千百参拾円          役員賞与金
 金五万九千八百六拾九円四拾六銭七厘  積立金純益金ノ一割九分八厘余ニ当
 金弐万円               新築費積立金
 金拾八万円              配当金百円ニ付四円即年八分
 金六万八千百五拾円九拾参銭参厘    後期繰越金
右之通決議候処相違無之候也
   明治三十年一月二十五日
               株式会社第一銀行
                  頭取  渋沢栄一
                  取締役 西園寺公成
                  取締役 三井八郎次郎
                  取締役 佐々木勇之助
                  取締役 熊谷辰太郎
                  監査役 須藤時一郎
                  監査役 日下義雄
   ○「第二期営業報告書」 ハ株主総会開催ノ日ヲ一月二十五日トナス。


株式会社第一銀行第一期営業報告書 〔明治二九年下期〕(DK040056k-0002)
第4巻 p.545-546 ページ画像

株式会社第一銀行第一期営業報告書 〔明治二九年下期〕
    営業ノ景況
本季ハ前半即チ七月ヨリ九月ニ至ルマテハ一般ノ商業前季引続キ平穏ニシテ、其水害地ヲ除クノ外ハ或ハ前季ニ優ル所ノ者アリシカ、後半即チ十月以降ハ或ハ金融必迫ノ為メ、或ハ其警戒予防ノ為メニ制セラルヽ所アリテ、諸種ノ取引円滑ナラス、其場処ト事業トニ因リテハ幾分退縮スルモノアリテ市場洶々売買流暢ナラサルノ観アリ、玆ニ其市場ニ於ル巨大貨物ノ二三ニ就キ消長ヲ考査スレハ、則米穀ハ価格漸次騰貴スルニ随ヒ市ニ上ルノ数益多ク、十月以降殊ニ著ルシト為ス、紡績糸ハ全国ノ製造一ケ月多キハ三万九千梱少キモ尚三万梱ニ降ラサルモ需用足ラサルノ勢ヒアリシカ、十月以後ハ大坂金融ノ影響ト各地農事繁忙ノ時節トナリシニ因リ銷售大ニ衰ヘ、価格随テ下落ノ傾キナリシモ製糸未タ滞積スルニ至ラス、生糸ハ昨年ニ比シ甚タ不作ナルヲ以テ本年横浜ニ入荷ノ数ハ昨年ヨリ三割五分余ヲ減セリ、而シテ其銷售ノ総数ハ大略六万梱ニシテ昨年ヨリ二万梱余減少シ、其残留ハ三万梱余ノ多キヲ為ス、公債証書ハ自来低価ノ傾キアリテ十一月ニ至リ微シク起色アリシカ概シテ沈静ト謂ハサルヘカラス、要之本季ノ商情ハ前季ト甚タシキ優劣ナキカ如クナレトモ、敢テ之レヲ評スル時ハ前半平穏ニシテ後半動揺セリト謂フヘシ、金融ハ季初ヨリ漸次繁忙ニ赴キ、而シテ十月ニ至テハ九月ヨリモ一層緊シク、十一月ハ十月ト同情ニシテ、爾後甚タ変遷ヲ告ケスシテ経過セリ
 - 第4巻 p.546 -ページ画像 
商情金融此ノ如クナルニ当リ、当銀行本支店ハ務メテ着実ナル商工業者ノ為メニ金融ノ便宜ヲ与ヘタルヲ以テ、幸ニ営業満期継続ノ前後ニ於テ決定セシ方針ヲ誤ラス、前季ニ比シテ優超ナル結算ヲ告クルヲ得タリ、囚テ各店ノ要略ヲ叙スルコト左ノ如シ
本店ハ季初ニ当リ業已ニ営業満期継続ノ準備ニ着手シ、其継続後ハ奥羽ノ二支店ヲ減シテ勉テ営業ノ鞏固ヲ計リシカ、資金ノ放収モ随テ便宜ナルヲ以テ、毎ニ金融ノ繁閑適度ニシテ稍方針ニ達スルヲ得タリ、而シテ定期預ハ百分ノ廿一、当座預ハ同廿七、貸附ハ同十四、当座貸越ハ同廿五、送金取組ハ一倍百分ノ廿九、荷為替ハ同二、割引ハ同十二ヲ増シ、利益モ亦百分ノ廿七ヲ増加セリ、又利息ノ高低ハ左ノ如シ
  貸附利息   最高一割八厘   最低八分六厘
  割引日歩   最高二銭九厘   最低二銭三厘
大坂支店ハ米穀ノ輻輳巨数ニ達シ、新設諸会社株金ノ払込続々其期ヲ告ケ、加ルニ生糸輸出振ハサルノ影響等相待テ金融ノ逼迫ヲ促シ、一時ハ恐慌ヲモ生セントスルノ形勢ヲ現ハシタルヲ以テ、資金ノ収放非常ノ注意ヲ要セシカ、幸ニ定期預ハ百分ノ三十五、当坐預ハ同一、貸附ハ同三十、当坐貸越ハ同九十四増シタルヲ以テ、利益モ亦百分ノ五十六ヲ増加セリ、又一般利息ノ高低ハ左ノ如シ
  貸附利息   最高一割三分九厘  最低八分四厘
  割引日歩   最高三銭八厘    最低二銭二厘
○下略


第一銀行五十年史稿 巻五・三―五頁(DK040056k-0003)
第4巻 p.546 ページ画像

第一銀行五十年史稿 巻五・三―五頁
    明治廿九年の金融逼迫と大阪支店除名問題
本行が私立商業銀行として営業を一新せる頃は、日清戦後の企業熱が一転化せんとする際なりき。蓋し明治二十八年の下半季より二十九年の上半季にかけては、経済界殷盛の極にして、銀行業者も多大の利益を収めたるが、同年の下半季に入りては漸く其反動期に入り、物価の騰貴外国貿易の逆勢となりて、正貨の海外に流出するもの尠からず、加ふるに風雨和を失ひ、各地の農産物不作なりしかば、市上《(場)》は恐慌の声と共に金融逼迫し、大阪における一二銀行の破産より、延きて東京木綿問屋等の手形の不渡となり、一葉落ちて天下の秋を知るの兆候あり、此時大阪の逸見銀行取付《(身)》に遇ひ、其一時の救済に要する資金は三十万円にて事足るべく思はれたれば、大阪同盟銀行は同行の請を納れて分担貸出を承諾し、本行の大阪支店また同盟銀行の一員として之に加はれり、然るに救済に着手するに及び、予定に十倍して三百万円となりたれば、支店副支配人山口荘吉大に驚き、かくては銀行内規の許さヾる所なりとて、分担加入を辞せしかば、同盟銀行は背徳行為なりとて之を責め、遂に本行支店を除名せんとす、よりて本行にても捨て置き難く、山口の職を免じ熊谷辰太郎をして之に代らしめ、僅かに事無きを得たりき。


稿本日本金融史論 (滝沢直七著) 第四八九―四九四頁 〔大正元年〕(DK040056k-0004)
第4巻 p.546-549 ページ画像

稿本日本金融史論 (滝沢直七著) 第四八九―四九四頁 〔大正元年〕
 - 第4巻 p.547 -ページ画像 
    大阪地方に於ける金融逼迫
金利は引締り、内閣の動揺はあつても八月中には一億二千二百万円の新設事業資本を増加し、二十八年一月以降より十億千八百万円に上り九月中は一億二百万円増進して十一億二千万円に達し、十月は八千五百万円を増加し十二億五百万円を算するに至る。かくの如く企業勃興の余勢は未だ盛んにして止むべくもあらず。然れども早くも恐慌来の声を聞き、識者は枯尾花を目して幽霊となすの類なりとしてその杞憂を破らんとしたが。金融市場は最早大に警戒して平年十月に於て引緩むべき金融は毫も引緩むべき景色なく、一二屈指の大銀行と雖ども、容易に貸出を承諾せず、金融市場高日歩を唱ふるに至り、識者は折角計劃せし会社鉄道の雲散霧消するを憂ひ、当局者をしてこれを救済せしめんことを慫慂するあり。時に大阪市の糸商大門利兵衛が振出したる一万二千円の約束手形の不渡りとなるや、同市の加島銀行の為めに財産を差押へられ、大門利兵衛が頭取たりし大阪同盟貯蓄銀行は俄然預金の取付に遭ひ、数百の職人雇人等早朝より押掛け我れ先きにと取付けんとして、大声疾呼戸を破り石を役ずる者あり。大門利兵衛が取締役及支配人たりし島之内銀行もまたその影響を蒙りて、預金の取付忽焉として起り、同日の午後に至り河内紡績会社より一万六千円の預金を取付けらるゝに至りて、忽ち窮して支払を停止し。また大門利兵衛が取締役であった讃岐国琴平銀行の大阪支店も支払を停止し。本店もまた支払を停止するに至りて、大阪に於ける銀行の警戒は一層厳なるを加へたり。これより先き大阪手形交換所同盟銀行三十有余の銀行中、景気に誘発せられて出来得る限り営業を拡張したるものあり、一行にして百万円近くの手形を売出したるものあり。三四行は余りに拡張し過ぎたるが為に借入一方にして、諸銀行愈々警戒を加へ来りて、融通将に杜絶せんとするの状況に進み、交換日歩は三銭七厘に昂騰し取引僅に一万円に減少したりし日さへありしといふ。こゝに於てか交換所同盟銀行間に融通を得来たりし銀行は俄に融通の途を失ひたるに手形交換所に於て盛んに手形を売出したる第四十七、第七十九の国立銀行及大阪明治銀行、大阪銀行、天満銀行、天王寺銀行、木津銀行、玉造銀行、逸見銀行《(身)》、近江銀行等は続々預金の取付に遭ひ、必死これに応ずるの策を運らし、次第に預金取付の増進すると共に、次第に狼狽状態となりて融通に焦慮し、大阪に於ける金融市場は逼迫を来たして、旧幕府以来有名な両替商であった逸見銀行は融通の途を失ひ、危急旦夕に逸り、若し同銀行にして支払停止せば手形の売出百万円に近く、預金は五十万円に上りしを以て、その影響よりして一恐慌を起すべきを憂ひ、同盟銀行はこれが救済の途を講じ、同盟銀行七行の保証により日本銀行大阪支店より三十万円を借入れ、纔にその破産を免れたのである。
大阪金融市場の形況かくの如くなるを以て、これより早く銀行業者はその救済に日夜奔走し、終に大阪商業合議所の総会を開きて、日本銀行総裁に救済の道を求むることに決議し、直に同行総裁にその救済を仰ぎ、日本銀行総裁はこれを処する方針を定めて、大阪支店に訓示したのであつたが。未だ訓示なき以前に於て大阪支店主任である理事川
 - 第4巻 p.548 -ページ画像 
上佐七郎は本店の訓示を待たず専断を以て、同盟銀行聯帯の責任を担保として手形三百万円の割引を承諾した。こゝに於て本店と支店との間に衝突を生じ、川上理事は辞職するに至り、然かも川田総裁は川上理事の然諾を重んじ、断然これを実行せんことを公言して曰く『日本銀行は信用を以て営業上の堅城鉄壁と看做し以て其営業をなす、故に過般川上理事が処置あるや予は直に其責に任ぜしめ、辞職のことありしと雖ども彼の処置たる川上一個の意見にあらずして、明かに日本銀行理事たる資格を以て為したる事なるを以て、社会に対する信用上前約を変ぜざるものなり、彼の二三新聞が記するが如く川上の意見を執行するものと見るは大なる誤なり、試に思へ、若し川上の意見を継行するものなれば、焉ぞ川上をして責を引かしむる必要あらんや、予は固より大阪金融界を救済するの必要あるを知る、然れども其手段に至りては川上の行ひし所に大不同意なり、故に若し日本銀行にして代言的に営業せしめば、彼が如き口頭の契約は取消されたるや勿論なりとす、唯強て之を行ふものは、社会に対する信用を重ずべきを知ればなり、然るに之を以て川上が為せし契約を継行するものゝ如く見るは予の解し能はざる所なり』と。この語以て当時に於ける大阪金融市場に対して千金の重きを為したるものであつたらうとおもふ。
然るに該聯合中の一たる第一銀行大阪支店が聯合契約を破り、三井銀行大阪支店もまた聯合を脱し、こゝに聯合の運動覚束なからんとし、大阪株式市場は気崩れを生じ、大阪株式取引所株は十円方の暴落を為したる有様であつて、残存六銀行の懇請により日本銀行は三百万円を限り融通するに至つたが、第一銀行支店長が漸次融通を受くべき割引手形に対し、最初に於て三十万円の手形に裏書を承諾しながら、本店の命を奉じてこれを峻拒するに至りて大阪同盟銀行は第一銀行を同盟より除名することを決議し、大阪手形交換所にも通知せしを以て、交換所同盟銀行もまたこれが為に交換所申合規則に『加入銀行ニ不徳義ノ行為アリタル時ハ除名ス』との追加条項を加へて後直に除名を決議せる紛擾を惹起するに至つた。
大阪にこの波瀾ありしと同時に東京にあつては木綿問屋小杉伊兵衛、本多銀次郎その他二三者の手形不渡あり。次でこれ等と相聯絡して融通手形を濫発せし同商数十人の危機切迫を告ぐるあり。人心既に恐怖の念に駆られある時この事あつて、経済界は一大椿事の起りしかの如くに感じ、信用取引は大に警戒せられ、銀行みな手形割引に警戒を加へ、殊に機業地は手形の流通頻繁なると、聯想上織物商の手形に警戒すること殊に厳となり、さなきだに手形を濫発して融通し、纔に危窮を逃れ得居たりしもの愈々窮境に陥り、上野国桐生に於ける関東第一流の織物買継商佐羽吉右衛門は手形の支払停止を為したり。世にこれを佐羽吉の不渡事件と称するもの。桐生、伊勢崎、足利等の機業家に密接なる関係を有し、東京、横浜、名古屋、大阪等広く得意を有してその手形を濫発せしもの百万円と称せられ、地方の銀行家、機業家、製糸家等の驚愕一方ならず。その信用の厚く、営業の規模大なりしことは、物質上の影響よりは心理的に影響せしこと尠なからざるものがあつた。こゝに於てか信用取引の愈々円滑ならざらんとして、今にも
 - 第4巻 p.549 -ページ画像 
椿事を惹き起しはせずやと恐怖するやうになつたが、東西相応じて救済に努め、整理漸く成るも金融依然渋滞して、金利は二銭七八厘より高きは三銭二三厘を呼び、容易に緩和の模様はなかつたのである。
銀行に破綻ありし場合の恐慌時の普通現象として、一般預金の小銀行を去りて大銀行に行くの傾向をこの時に生じ、三井三菱の如きを始めとして大銀行は反て預金増進したり。
かくの如くなれば株式市場はこの影響を受けて、株式価格の低落を来たし、企業熱も漸く覚醒せんとし、企業熱最高潮の時にありては権利株の分配を争ひて、発起人間に紛擾を生ぜしもの、今は全くこれに反し、権利株は義務株となり、払込金に困難するやうになり、銀行に担保として差入れある株式は価格下落して、増担保を徴せられ、会社よりは払込を迫られ、然かも手形の融通は殆んど杜絶せんばかりなりしを以て愈々株金払込の困難を生じ、権利株の下落すると共に会社は未払込株券を公売すること能はず。こゝに泡沫会社なるものは漸々消滅せんとするに至つた。
これ等の出来事は一小波瀾に過ぎずして金融の前途を疑惧すべきものにあらずと為すものもあつたが、吾人は戦後金融の大勢より達観すれば、これ戦後金融に於ける変態の兆候として現出せしものなりと為すのである。戦後の企業勃興に誘発せられ、信用の発達せしより遂に濫用し、金融の緊縮し来るやこれ等信用濫用者は企業に失敗し投機に失敗し居りて漸く弥縫し能はざることゝなり、終に破綻を来したるものであつて、これを変態の兆候となすも誤謬にあらぬであらう。


東京経済雑誌 第三四巻・第八五二号 〔明治二九年一一月二一日〕 大阪同盟銀行の紛議(DK040056k-0005)
第4巻 p.549-551 ページ画像

東京経済雑誌 第三四巻・第八五二号 〔明治二九年一一月二一日〕
    ○大阪同盟銀行の紛議
大阪同盟銀行者等は、同地に於ける金融必迫を救済する為に、其委員たる七銀行をして同盟銀行者連帯責任を以て、特別金融三百万円を日本銀行大阪支店より借受くることを強請せしめ、川上理事は之を承諾したるに、日本銀行に於ては川田総裁其の越権を咎めて、川上理事を辞職せしめ、同盟銀行者に於ては第一銀行大阪支店先づ連帯責任に反対し、三井銀行大阪支店次で亦反対し、連帯責任の瓦解に帰したることは既に読者諸君に報道したる所なり、而して同盟銀行者等は右第一銀行大阪支店の反対に対し、同支店長代理山口荘吉氏は既に逸見銀行救済《(身)》の為に委員たる七銀行の連帯責任を以て、三十万円の金融を日本銀行大阪支店より受くることには賛成して手形に裏書しながら、今更三百万円の連帯責任に反対するは其の意を得ずとて論争の末、同支店を同盟より除名することに決し、本月六日左の通知書を同支店に贈れり、
 過日来度々御協議を尽しゝ手形裏書御拒絶の件に対し同盟銀行総会を開き協議の末貴行を除名することに決議相成候間此段及御通知候也但手形交換の義も同様御承知相成度候也
右第一銀行大阪支店除名の通知は今回新に組織せられたる大阪手形交換所にも贈られたりしかば、同所同盟銀行者等は、去九日堺卯楼に臨時総会を開きて第一銀行大阪支店に対する処分を協議したり、当日同
 - 第4巻 p.550 -ページ画像 
交換所委員長田中市兵衛、同委員松本重太郎両氏の案内に応じて出席したるは日本銀行支店、第十三、第三十二、第三十四、第四十二、第五十八、第百三十、第百二十一、第百三十六、第百四十八、住友、大阪、明治、日本中立銀行及び第一、第五、第廿二、第七十八、第百四十七、近江、三井、三菱銀行支店等の代表者にして、第三及帝国商業銀行の両支店は欠席したり、田中委員長は座長席に着き交換所申合規則第廿五条「加入銀行の内危険ある時は手形交換を拒絶し得」とある下に「加入銀行に不徳義の行為ありたる時は除名す」との但書を加へんとす各位の意見如何、と諮りたるに、異議なく之を可決したるを以て、直に委員長は申合規則に準拠し日本銀行支店に向ひて其の諾否を謀りたるに、同支店は片岡支店長の不在中なるにも拘らず、直に之を認諾したり、斯くて除名の条項確定せしかば、直ちに之を適用して第一銀行大阪支店を除名せんとするの形勢を示せり、是に於て同支店長熊谷氏は退席したるに、愈々議事は第一銀行支店の除名問題に移れり其の発議者は第十三、第三十二、第百四十八の三銀行にして、第十三銀行代表者発議して曰く、第一銀行大阪支店が同盟銀行集会所の委員として日本銀行支店より連帯責任を以て三百万円の融通救済を受くるに同意したるが如にして、後頑として之に反対したるは徳義を失したるものなりと認めざるを得ず、同盟銀行が第一銀行支店を除名したるは当然にして、当手形交換所も亦斯る徳義に悖るものと手形の交換を計るは屑とせざるなれば、須らく同盟銀行と同しく之を除名すべしと三井銀行大阪支店代表者は田中委員長に向て質議を試み、且此の発議に反対して曰く、単に申合規則中に除名の条項を追加したるは注意周到敢て間然する所なしと雖も、直に此の追加条項を適用して第一銀行支店の除名を計らんとするは甚だ非なり、元来法律は既往に溯らざるを原則とす、然るに直に採て以て既往の事を律せんとす、条理に反すること甚だ大なり、同盟銀行集会所頻に第一銀行支店の行為に就て其不徳義なるを難ずれども、此の事不徳義なるや否や公論未だ定まらざるものあるに拘はらず、既に同集会所は之を不徳義と認て以て同支店に厳刑を加へたり、若夫れ仮令同集会所に対して不徳義なる行為ありたればとて、何等の関係を有せざる当手形交換所に於ても亦彼に傚ふて之を除名せんとするは、非理の最も甚しき者にして、又不利の甚だ大なるものなり、然るに此の非理をも顧みずして同支店を除名する時は天下の笑となるのみならず、当手形交換所同盟銀行の不利も亦頗る大なるものあり、除名の結果第一銀行支店の不利は則ち交換所同盟銀行の不利にして、手形交換の便利之が為めに阻害せられ、金融機関之が為めに其効用を減少するに至らん、此の除名に就ては飽迄反対なるのみならず、併て各銀行の反省熟慮を望むものなりと論じ、三菱、住友銀行等の代表者之を賛成したりと雖も、大勢既に定れるを以て如何ともすること能はず、終に之を可決せり、斯くて第一銀行支店の除名を可決したるのみならず、更に同銀行に対して手形の取引を為さゞるべしとの議を提出したるものありしと雖も、斯る事は到底出来得べからさるのみならず、他の営業を侵害するものなれば、其取引を為すと否らざるとは各銀行の任意にせんとするに決したり、
 - 第4巻 p.551 -ページ画像 
抑々第一銀行大阪支店が三百万円の連帯責任に反対し、手形の裏書を峻拒したるは、正を履みて自家の利益を保護せるものなれば、他の銀行は之に対して容喙し得べき権利なし、況や多数決を以て之を制せんとするに於てをや、尤も同支店長代理山口氏が三十万円の連帯責任に同意し、其手形に裏書したるは事実にして、第一銀行本店か頃日山口氏を解職したるは其の失計を咎めたるものなるべし、故に大阪銀行集会所か其の同盟より第一銀行支店を除名したるも、大阪手形交換所か之を除名したるも、共に無法の処置にして、全く一時の感情に制せられたるものに外ならず、而して此の感情の度合は以て彼等困難の程度を想像するに足るべきものなり、唯々此の除名は果して日本銀行大阪支店に於て承認すべきや否や、余輩は其の決して承認せざるべきを信ぜんとす、


東京経済雑誌 第三四巻・第八五三号 〔明治二九年一一月二八日〕 第一銀行大阪支店除名取消の決議(DK040056k-0006)
第4巻 p.551 ページ画像

東京経済雑誌 第三四巻・第八五三号 〔明治二九年一一月二八日〕
    ○第一銀行大阪支店除名取消の決議
大阪手形交換所が第一銀行大阪支店を除名したる事件に付き、其後双方の間に立ちて仲裁の労を執るものあり、又日本銀行に於ても其除名は穏当を欠くの嫌ひありと認め居るよしなるが、結局第一銀行は大阪支店支配人熊谷辰太郎氏を他に転任せしめ、之と同時に手形交換所は第一銀行の除名を取消すの協議纏りたるものと見え、在東京の松本重太郎氏より交換所委員長四十二銀行頭取田中市兵衛氏に向て第一銀行の熊谷氏は他に転任することに内定したれば、交換所は無条件にて其除名を取消すべき旨電報し、日本銀行よりも田中氏に第一銀行の除名は不穏当に亘るを以て此際何とか始末すべしとて松本氏と同意味の電報を送れり、之が為め手形交換同盟銀行は去二十日の夜急に総会を開き、田中委員長より前記電報の趣を報告し、衆員の意見を徴したるに一同異議なく全会一致を以て無条件にて第一銀行の除名を取消すことに決議したるよしなり、


東京経済雑誌 第三四巻・第八五七号 〔明治二九年一二月二六日〕 大阪同盟銀行総会の決議(DK040056k-0007)
第4巻 p.551-552 ページ画像

東京経済雑誌 第三四巻・第八五七号 〔明治二九年一二月二六日〕
    ○大阪同盟銀行総会の決議
大阪同盟銀行は去十四日午後六時より大阪銀行集会所に総会を開きて左の諸件を協議したり
(一)大阪同盟銀行に於て交換する手形交換残額の整理を為すに当り聯帯責任を以て日本銀行大阪支店より三百万円の融通救済を仰かんとするに際し、第一銀行大阪支店当事者の行為を非認して之を同盟銀行より除名するの決議を為したるも、既に同行支店当事者の交迭あり、感情に行違の廉ありしことも判然したるを以て其除名の決議を取消すべき事
(二)大阪同盟銀行が第一銀行大阪支店の除名を決議するや、三井銀行大阪支店当事者は之に対して異議あり、其協議に参与するを欲せすして退会届を提出したるも、既に同盟銀行第一銀行支店の除名を取消すに於ては其届出を返戻して同行支店の復帰を望むべき事
 - 第4巻 p.552 -ページ画像 
(三)逸見銀行は大阪同盟銀行の後援に依りて危急を免かることを得以て今や貸付金百八十余万円の大半を回収し、又日本銀行大阪支店より融通救済を仰きし三十万円は既に其大半を償還して残額十二万円となり、整理の方法成れりと雖とも、同銀行の同盟銀行に与へし迷惑甚だ少なからさるものあるを以て、徳義上責を引きて退会の届出ありし事
右三項とも異議なく原案通り可決し、委員銀行より更に之を当該銀行に通告せしむることとなれり、次で現今中廃に帰せる手形交換開始の件に就て協議あり、結局同規則の改正を計りて其基礎を鞏固にする事即ち(一)抵当品の種類を精撰して確実なるものゝみとする事、(二)日本銀行の日歩を標準として交換日歩に乱高下なからしむる事、(三)手形交換高に制限を設けて不相当の交換を為さしめざる事、(四)若斯る不相当の交換を為すが如きことある時は委員銀行をして臨時中止を命するの権力を有せしむる事等を議定したりと云ふ、


株式会社第一銀行第二期株主総会決議録〔明治三〇年七月〕(DK040056k-0008)
第4巻 p.552-553 ページ画像

株式会社第一銀行第二期株主総会決議録〔明治三〇年七月〕
    第二期株主総会決議録
明治三十年七月二十五日午後一時ヨリ第二期株主定式総会ヲ東京銀行集会所ニ開ク、株主総数千弐百壱名、株数九万株ノ内、出席者百六拾弐名、此株数弐万参千五百九拾五株、委任状ヲ以テ代理ヲ委托セルモノ百参拾九名、此株数弐万千九百参拾壱株、合計参百壱名此株数四万五千五百弐拾六株ナリ
右出席株主ハ午後二時議席ニ就キ、頭取ヨリ明治三十年上半季営業ノ景況ヲ報告シ、同期貸借対照表、財産目録、損益表ハ株主各位ニ配付シタル営業報告書ニ添付シ置キタルニ付其承認ヲ得タキ旨ヲ告ケ、一同異議ナキ旨ヲ述フ、依テ左ノ如ク利益分配案ヲ提出シタルニ満場一致原案通可決ス
一金参拾参万弐千五百四円四拾四銭四厘   当期利益金
一金六万八千百五拾円九拾参銭参厘     前季繰越金
 合計金四拾万六百五拾五円参拾七銭七厘
  内
 金弐万六千六百円            役員賞与金
 金拾万円                積立金
 金弐万円                新築費積立金
 金弐拾万弐千五百円           配当金百円ニ付四円五拾銭年九分
 金五万千五百五拾五円参拾七銭七厘    後季繰越金
 右之通決議候処相違無之候也
   明治三十年七月二十六日
               株式会社第一銀行
                  頭取  渋沢栄一
                  取締役 西園寺公成
                  同   三井八郎次郎
                  同   佐々木勇之助
                  同   熊谷辰太郎
 - 第4巻 p.553 -ページ画像 
                  監査役 須藤時一郎
                  同   日下義雄


株式会社第一銀行第二期営業報告書 〔明治三〇年上期〕(DK040056k-0009)
第4巻 p.553 ページ画像

株式会社第一銀行第二期営業報告書 〔明治三〇年上期〕
    営業ノ景況
本季間全国ノ商情ヲ通観スルニ、近来農工ノ諸業ハ通商機関ノ漸次ニ具ハルト倶ニ、年ニ其盛ヲ加フルコト歴々徴スヘク、但時トシテ財政ノ挙措金融ニ影響シ、一部分ノ不景気ヲ鳴ラシ否塞ヲ唱フルコトナキニアラサルモ、大体ノ実想ハ世運ノ拡伸ニ伴フテ常ニ進歩ノ一方ニ向フモノナリトイフヲ得ヘシ、請フ試ニ市場巨擘ノ貨物二三項ノ事情ヲ示シテ之ヲ証スヘシ
甞テ輸出ノ第一位ヲ占ムル処ノ生糸ノ業ハ近年荐リニ豊産ヲ告ケ、本季ノ輸出ハ毎月少ナキモ四五千梱、多キハ壱万梱余ニシテ、通計四万五千百三十五梱ト為ス、之ヲ一昨年上季ヨリモ大略壱万梱ノ輸出ヲ増加セシ所ノ昨年上季ニ比シテ、尚又六千梱余ヲ増加シテ其残留ハ僅ニ千八百三十梱ト為シ、前年上季残留ノ六分ノ一弱ニ当レリ、実ニ盛ナリト謂ハサルヘカラス、次ニ綿糸ニ於テハ毎月三万梱以上ヨリ四万梱ノ巨数ヲ製出シ、随テ製シ随テ供シ、市場常ニ需用ニ促サルヽノ感アリトイフ、而シテ其価格ハ月ニ騰進シテ一ケ月ノ銷售代価ハ大略三四百万円ヲ下ルコトナキハ、近来清国ヘノ輸出漸次増加スルモノ与ツテ力アリトス、綿糸ノ銷售已ニ斯ノ如クナレハ其木綿織物産出ノ如何モ推テ知ルヘシ、次ニ米価ハ騰貴ノ一方ニ属スルモ市場聚散ノ情態ニ至テハ甚タシキ変遷ナキカ如シ、公債証書ノ売買ハ季初沈静ナリシカ幣制問題ニ於テ起色アリ、勧業銀行創立ニ際シテ聊カ退縮シ、英国トノ売約ニ依リテ復タ進ミ、整理ノ放売ニ就テ復タ退クカ如キ屡々起伏翻覆セシハ近時稀ニ見ル所ノ景状ナリシ、金融ノ大勢ハ東京ニ於テハ一月ヨリ二月ニ及ヒ緊縮シ、三月ヨリ四月ニ亘リ稍弛ミ、五月ニ入リ復タ緊シク、六月中旬ニ至テ少シク緩ミタルモ、或ハ地方ニヨリテハ必シモ一軌ニ出テサリシ
此ノ如キ商情金融ノ要衝ニ当リタル当銀行ノ本支店ハ、殊ニ継続以後ノ方針ニ従ヒ、其予算ヲ目的トシテ勤励セシ所ノ結果トシテ第一期ニ超越セシ利益ヲ得タリ、因テ各店ノ事情ヲ略叙シ、並ニ営業各項ノ増減ヲ前年上季ニ比較スルコト左ノ如シ ○下略


株式会社第一銀行第三期株主総会決議録〔明治三一年一月〕(DK040056k-0010)
第4巻 p.553-554 ページ画像

株式会社第一銀行第三期株主総会決議録〔明治三一年一月〕
    第三期株主総会決議録
明治三十一年一月二十三日午後一時第三期株主定式総会ヲ東京銀行集会所ニ開ク、株主総数千参百六拾壱名、此株数九万株ノ内出席者百六拾六名、此株数弐万四千七百参拾参株、委任状ヲ以テ代理ヲ委托シタル者百五拾壱名、此株数壱万六千七百七拾弐株、合計参百拾七名此株数四万千五百五株ナリ
右出席株主ハ午後二時議席ニ就キ、頭取ヨリ明治三十年下期営業ノ景況ヲ報告シ、同期貸借対照表、財産目録、損益表ヲ株主各位ニ配付シタル営業報告書ニ添付シ置キタルニ付、其承認ヲ得タキ旨ヲ告ケ、一
 - 第4巻 p.554 -ページ画像 
同異議ナキ旨ヲ述フ、依テ左ノ如ク利益分配案ヲ提出シタルニ満場一致原案ノ通可決ス
一金参拾五万九千七百七拾壱円五拾銭   当期利益金
一金五万千五百五拾五円参拾八銭     前期繰越金
 合計金四拾壱万千参百弐拾六円八拾八銭
  内
 金弐万八千八百円           役員賞与金
 金拾万円               積立金
 金弐万円               新築費積立金
 金弐拾万弐千五百円          配当金百円ニ付四円五拾銭年九分
 金六万弐拾六円八拾八銭        後期繰越金
次ニ本店改築ニ付在来家屋ノ裏手兜町二番地ヘ仮営業所ヲ設置シ、次期ヲ於テ同所ニ移転スヘキコトヲ告ケ其承認ヲ得タリ
右之通決議候処相違無之候也
  明治三十一年一月二十四日
               株式会社第一銀行
                  頭取  渋沢栄一
                  取締役 西園寺公成
                  同   三井八郎次郎
                  同   佐々木勇之助
                  同   熊谷辰太郎
                  監査役 須藤時一郎
                  同   日下義雄
   ○「第四期営業報告書」ハ株主総会開催ノ日ヲ一月二十四日トナス。


株式会社第一銀行第三期営業報告書 〔明治三〇年下期〕(DK040056k-0011)
第4巻 p.554-555 ページ画像

株式会社第一銀行第三期営業報告書 〔明治三〇年下期〕
    営業景況
本季間一般ノ商情ハ各地方豊歉ノ均シカラサルカ為ニ市面或ハ殷盛ナルアリ、或ハ常態平穏ナルアリ、或ハ萎微衰頽スルアリテ其勢一様ナラス、随テ物貨ノ消長ニ至テモ大ニ前季ニ異ナルノ観アリ、今其巨擘ナルモノ数項ヲ挙ケテ之ヲ査考スレハ左ノ如シ
生糸ハ豊産ヲ占メテ陸続市ニ上ルモ售路善ク開ケ、一ケ月多キハ一万四千九百梱余、少ナキモ四千六百梱余ノ輸出ヲ得テ合計無慮八万梱ト為シ、昨年ノ当季ニ比シテ殆ト二万梱ノ増加ニシテ其残留ハ一万五千百五十三梱、同季ノ残留ニ比シテ其半数タリ、綿糸ハ前季引続キ七八月ニ於テハ盛ニ銷售セシカ爾後綿価非常ノ下落ニ際シ、九月以降ハ内外ノ售路次第ニ梗塞シ、同業者ノ困阨近年稀ニ見ル所ナリ、然ルニ十一二月ノ交ヨリ清国ヘノ輸出稍々回復シ、価格モ随テ漸長シ、内地ノ商況モ多少起色アルニ至レリ、米穀ハ豊産地ヨリ凶歉地ニ向ヒ頻リニ出荷ヲ為スヲ以テ、本季ニ入リ価格一進セシ以来、月ニ騰躍ノ勢ヲナセシカ十二月ニ入リ始メテ底止スルヲ得タリ、公債証書ノ市況ハ前季以降次第ニ退歩シ、其間小高低アルモ大勢ニ於テハ価格売買トモ衰縮ノ一方ニ属シ、其成蹟寥々ニシテ前季ニ及ハサルコト遠シト為ス
金融ノ大勢ハ七月以降漸次緊蹙ニ赴キ利息モ随テ騰上ノ一点ニ向ヒ、
 - 第4巻 p.555 -ページ画像 
諸銀行ハ概シテ資本ノ操縦ニ警慎セシカ、幸ニ甚タシキ必迫ニ至ラスシテ経過セリ
当銀行ノ本支店ハ皆商工業ノ要区ニ在リテ、本季ノ如キ劇勢ニ対スルモ継続以後ノ方針ニ一従シテ挙措誤ル所ナク、経営皆宜シキヲ得ルヲ以テ前度ニ超越スルノ決算ヲ得タリ、因テ各店ノ事情ヲ略叙シ玆ニ営業各項ノ増減ヲ前年下季ト比較シテ之ヲ左ニ列ス ○下略



〔参考〕銀行通信録 第一三五号 第六九―七〇頁 〔明治三〇年二月〕 東京第一銀行現在の建物(DK040056k-0012)
第4巻 p.555 ページ画像

銀行通信録 第一三五号 第六九―七〇頁 〔明治三〇年二月〕
    ○東京第一銀行現在の建物
は明治四五年頃の建築にして、特に有名の建物なりしが、追々破損の箇所もあり、且つ執務上不便の廉も尠なからさるに付、今般右建物を取崩し、同所に新築するに決したる由にて、其設計は辰野工学博士に嘱托し、建築費の如きは未た予定せされとも凡十五六万円の見込なりと云、但右新築中は従来の建物裏手の方に仮家を築造して玆にて営業すへしと云