デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.583-596(DK060158k) ページ画像

明治38年2月28日(1905年)

是日銀行倶楽部第四十四回晩餐会ヲ開キ、来賓トシテ大隈重信・片岡第三艦隊司令長官・山田同司令官・目賀田韓国財政顧問等出席ス。栄一演説ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK060158k-0001)
第6巻 p.583 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三八年
二月二十八日
六時倶楽部晩餐会ニ出席ス、大隈伯、片岡中将、山内司令官、目賀田種太郎氏等来会ス、食卓上ニ於テ一場ノ演説ヲ為ス、夜十一時王子別荘ニ帰宿ス


銀行通信録 第三九巻第二三三号・第三七四―三八六頁〔明治三八年三月一五日〕 銀行倶楽部第四十四回晩餐会(DK060158k-0002)
第6巻 p.583-596 ページ画像

銀行通信録 第三九巻第二三三号・第三七四―三八六頁〔明治三八年三月一五日〕
    ○銀行倶楽部第四十四回晩餐会
銀行倶楽部にては二月二十八日東京銀行集会所第四回国庫債券応募協議会終了後、午後五時三十分より第四十四回会員晩餐会を開きしが、当日は大隈伯・片岡第三艦隊司令長官、山田同司令官、目賀田韓国財政顧問も招待に依りて出席せられ(松方伯及阪谷大蔵次官は病気又は差支の為め欠席)来会者は主客合して九十余名に上りたり、斯くて宴酣なる頃、豊川委員長は起て一場の挨拶を為し、次で同委員長の発声
 - 第6巻 p.584 -ページ画像 
にて 両陛下の万歳を三唱し、終て大隈伯の演説、片岡司令長官の答辞、目賀田韓国財政顧問、及渋沢男の演説あり、午後八時宴を撒して別席に移り、主客歓談の上同十時散会せり
当日豊川委員長の挨拶、大隈伯以下の演説並答辞左の如し
    豊川委員長の挨拶
来賓諸君に御挨拶を申上げます、明治三十七年二月十日に宣戦布告と相成りまして、さうして第一回国庫債券一億円を募集されましたが、其官報は二月十三日に出されました、又続いて五月に第二回の国庫債券が一億円募集されました、又十月に至つて第三回の国庫債券八千万円と云ふものが募集されましたが、其度毎に発行総額の三倍以上或は四倍に上り、又外債に於きましては前には一千万磅、後には千二百万募られましたが二回とも非常な好結果であつた、何故であるかと言へば宣戦布告の前後に海軍が仁川、旅順に於て大捷を得、後に陸軍が鴨緑江、南山に於て大捷を得た結果と思ひます、又内債の好結果を得たと云ふのは、彼の頼朝公が覇府を開いて以来七百年の武断政治が遂に御維新となりまして 天皇陛下の御世となりました、其後の財政は随分困難であつたかと思はれます、其困難の時代に財政の局に当られたのは即ち大隈伯と松方伯とで、大隈伯は前に九年間松方伯は後に十何年間其局に当られたのでありますが、御維新の戦後の経営は難いことであつたと思はれます、大隈伯と松方伯は二十年間財政の局に当られましたが、民間の方も其間に追々発達して来て、殊に渋沢男は曩に択善会を起して非常に骨を折られた結果、遂に銀行集会所が出来、集会所から又倶楽部が出来たのでございます
扨昨年五月の第二回国庫債券募集の時には伊藤侯、大隈伯が此所へ来て御演説下され、又第三回国庫債券募集の時は大隈伯、松方伯が御出で御尽力下された、是等は大に是迄の国庫債券の好結果を結んだ所以であらうと思ひます、又年が改まつて明治三十八年となりましては、一日以来四日までの間に旅順陥落、敵艦全滅、皇孫御誕生と斯う三箇日の間目出度い事が続いた、又先達て黒溝台附近で我陸軍が敵の逆襲を撃退したけれども戦争は前除遼遠である、第四国庫債券を募集しなければならぬと云ふことからして、渋沢男初め我々五六名大蔵大臣の官邸に招かれて諮問に答へました結果、政府は遂に第四回国庫債券一億円を募集することに成りました、依つて今晩此銀行倶楽部に宴会を開きまして大隈伯、松方伯、片岡司令長官、山田司令官、阪谷大蔵次官、目賀田朝鮮顧問を御招待申しました、所が残念なるかな松方伯は御病気又阪谷君も御差支で御両君とも自分の考も話し、又諸君の説も聞かうと思つたが残念ながら能う出ないと云ふ御挨拶で昨日御返事がありました、又主人となる我々も松方伯、阪谷次官の来られぬのは遺憾に思ふ、併し御出がなくとも御出も同様に自分は思つて居ります、それで今日斯様に大隈伯、松方伯、片岡司令長官等を御招ぎ申すと我我は何だか我田へ水を引いて此国庫債券の良くなる為に皆さんを御招待したやうに思はれるか知らぬがさうではない、実は今日三時から渋沢男始め我々が打寄りまして協議の結果六時までに纏まつた応募額を一寸来賓及会員に申上げたいと思ふ、それは日本銀行二千万円、十五
 - 第6巻 p.585 -ページ画像 
銀行一千万円、三菱銀行五百万円、三井銀行五百万円、正金銀行五百万円、第一銀行三百万円、興業銀行三百万円、第三銀行二百万円、安田銀行二百万円、第百銀行百万円、村井銀行百万円、帝国商業銀行百万円、明治商業銀行三十万円、中井銀行三十万円、東京銀行三十万円、二十銀行三十万円、肥後銀行二十五万円、八十四銀行二十万円、丁酉銀行二十万円、田中銀行十万円、京橋銀行十万円、日本通商銀行七万円、三十銀行五万円、其締高を申しますると六千十七万円の応募高であります、之れに帝室の二千万円を入れますれば八千十七万円になります、又各種の保険会社が千万円応募する、さうすると九千万円余になる若し之に日本郵船会社、日本鉄道会社、又前田公爵、島津公爵、毛利公爵等所謂皇室の藩屏たる華族が第一回の如く応募されますれば、無論一億円以上となる次第でありまするが、此席に居りますもので只今すでに定まつた申込高は六千万円余りになります、此の如き好成績を得るのも畢竟我陸海軍が連戦連勝の功を奏し、又大隈、松方両伯が二十年間財政の事に付て御尽し下された其結果だらうと思ひます、今日は海軍の第三艦隊司令長官片岡閣下、山田司令官閣下が御出になります、それに大隈伯が今夕我会へ御出下されたことは非常に我々の感謝する所であります、第一に来賓諸公に御礼を申し、併せて会員諸君に一言御挨拶を申上げます
    大隈伯の演説
諸君、本夕は御案内を受け御鄭重なる御饗応に預りまして殊に名誉ある艦隊の司令長官……凱旋せられたる御方々と席を同じくして一夕の歓を共にすることは私にとつて満腔の愉快を感ずることであります、深く会長及諸君に感謝の意を表します、併ながら一言座長の豊川君に向つて不足を言はねばならぬ、何時も会長は不思議な命令をする、実は私は演説を御断して居るにも関はらず脅迫して演説をしろと云ふ、無論会長の下に集まつた所の其会は会長の不当な命令にも余儀なく服従しなければならぬ義務はあるが、来賓は其命令に服従しないでも治外法権を保つても宜いと思ふ、併し其会に臨んだ以上は礼儀として余儀なく服従は致しまするが、既に演題まで命令を下すと云ふことは頗る大胆にして且つ乱暴な訳である(笑声起る)、今や豊川良平君も昔の壮士ではない、今日は豊川君の口調を籍りて御話すれば銀行屋中の最も名高い銀行屋になつて居る、少しは慎んで貰ひたい(笑声起る)、甚だ失礼に当るが是は復讐である、私の復讐は露西亜皇帝の言はるヽ如き百倍の復讐でなくして誠に一部分の復讐である。
偖前置は大分えらさうにあるが何を御話して宜いか少しも考へない、唯今伺ひますると第四回の国庫債券も非常な景気で既に一夕の銀行家の集会に於て六千万円以上の応募があつたと申すことである、或は東京だけで一億に達するであらうと云ひ、又先刻から承ると此度は全国を通算すれば多分五億になるだらうと云ふ、寔に盛なりと云ふべきである、是は諸君と共に国家の為め実に悦びに堪へぬ訳であります、是に於て私は一の疑問を諸君に提出して見たいと思ふ、私は少しも金融社会のことは……殊に近来疎くなつた、御承知の通り私は郡部の百姓の方で、商人とは余程縁の遠い方であるから、近来は甚だ不注意であ
 - 第6巻 p.586 -ページ画像 
る、今豊川君の御話の通りに前後二十有余年松方伯と私は明治初年以来の財政の局に当つたに相違はないが、それは昔の物語で、近来は全く田舎人となつて、偶さか斯う云ふ所から御案内を蒙つて出席する位である、併ながら私の所には学校かある、其処には経済の学者が沢山ある、大学からも高等商業学校の先生も来て余程高尚なる学理を常に承る、所謂門前の小僧習はぬ経を読むで少しばかりつヽ切れ切れに聞いて知つて居るが、先づ経済上から殊に所謂金融抔と云ふ銀行業などの上から観察すると、日本の此大戦に向つて軍費を供給すると云ふことは余程困難であらうと……此戦の起つた以来学者は勿論多分当局者もさう考へて居たであらうと疑ふのである、又最も金融の事に経験を有つて居る所の倫敦、紐育、伯林、巴里と云ふ如き所の資本家達も銀行者も日本の軍費と云ふことには余程危ぶんだやうである、何故に危ぶんだかと申すと、総て物は経験実例を以て示す数字の上から割出して来るのである、日本の富は今日凡そドレ位の富であるか、日本の生産はドレ位の生産があるかと云ふことを土台として、それから日本の銀行の資本は如何なる資本であるか、日本の信用はドレ位な程度であるかと云ふことから推測して見れば、毎年数億万……先づ二箇年間の予算で見ますると十三億五千万、驚くべき大金である、御承知の通りに英国がトランスヴアールと戦つた時と同じ金を使つて居る、若し是が三年続けば無論二十億以上になることは誠に明かな話である、日本の幼穉なる富に於て、数字上迚も許さぬ此戦に堪ゆるは余程困難であらうと、是は日本に同情を有つて居る国も亦同盟国も等しく憂慮したのである、外国人のみならず日本人も憂慮した、殊に学者達は余程憂慮したやうである、然るに思つたよりは……唯今豊川君の御話の通りに、昨年の二月以来此度で四回であるが、三億八千万と云ふ公債が一回は一回毎に殆ど其額に超過すること数倍と云ふ好況である、それから二回の外債……二回の外債も或意味から言へば少しく利息が高いとか、或は抵当がどうだとか云ふ非難もありますけれどもが、日本人が考へるよりも金融市場で日本を推測するに余程むづかしく見て居る、日本の富、日本の生産力が此戦に堪ゆる力がドレだけあるかと云ふことには余程心配して居る、而して今将に戦酣なる秋に当つては、已む得ぬとは思ひながらも其の応募額は二億二千万……二千二百万磅と云ふものが直に出来たのである、是は日本内地に於けるよりも遥に其応募が多かつたと云ふ有様である、併ながらナカナカ割引もえらいのである、そこで私は余程考へて見たが如何にも是は分らぬのである
先づ日本の富はどう云ふ有様であるかと云へば、御承知の通り日本には統計がない、統計はないが凡そ完全なる統計があつても統計と云ふものは大部分は推測である、そこで私は荒つぽい一二の根拠から推測しますると、日本の富に就ては種々の計算が出る、学者に依て種々異同はあるが、先づ百二十億乃至百六十億、日本の生産力は十三億より十八億マア此間である、今私は余程之に就いて研究して居るが皆違ふのである、そこで日本人の消費する高はドレ丈であるかと云へば、先づ一人に二十五円若くは三十円或は三十五円……或は二十五円以下と算当する者もあるが、ナカナカ是がむづかしいのである、併し凡その
 - 第6巻 p.587 -ページ画像 
平均がさうである、其生活の程度はドレ位であるか、一番下等の生活私の標準であるが、先づ是が二十五円から三十五円、仮りに三十円と見ますると、凡そ五千万の人口であれば十五億円消費するのである、日本の生産力が若し十八億と見れば、日本人は即ち三億の貯蓄を為すと云ふ、貯蓄と云ふことに就ては先づ一億から三億の間の貯蓄力がある、併ながら無論国民は孜々営々として生産を為し、而して消費を倹約して多少蓄積を為し居るに相違ないのである、其証拠は総ての物の進歩が著しく証拠立てるのである、さう云ふものを総て細かに統計を挙げて見ると、稍々国の富、国の生産力而して之に対する消費を差引いて国の貯蓄を推測することも難いことではなからうと思ふ、其方から云へば多少の蓄積がある、而して又祖先から蓄積した所のものもある、今日は戦の為に国民は非常なる倹約をして居る、且非常なる働きを為して居る、平生より余計働いて、而して消費は余程省いて居りますから平常よりは蓄積が余計になつて居る、平日三億なれば四億の蓄積があると斯く見なければならぬ、是が第一軍費に堪ゆる基であると思ふ、それだけは兎に角解釈することが出来るが、一層大なる原因に就ていまだ充分に解釈が出来ぬ、併し其原因の最も大いなる部分を或意味から云へば甚だ遺憾ながら国の幼穉を現はすやうであるが、日本の農業国であること、是れが今日の日本の力である、若し此戦が二十五年後に起つたならば、金融社会は非常な恐慌を惹起して、ナカナカ二年三年の戦に堪ゆることは困難であると私は信ずるのである
其証拠を一つ挙ぐると千八百七十一年に普魯西が仏蘭西に向つて戦を起した時には、前後九箇月であつた、而して其時の連戦連勝と云ふ有様は、日本の日露戦役に於ける連戦連勝よりも余程花々しかつた、それは境を接して居る普魯西は、鉄道を利用して一時に軍隊を仏蘭西の国境に向けましたから、宣戦の公布以来二箇月間でセダンに於てナポレオンを生捕つたのである、非常な速力を以て仏蘭西と云ふ殆ど欧羅巴の覇権を占めて居る所の大国を破つたのである、其時に普魯西の国会はどうしたかと云ふと、一億二千万「タルレル」の国債を募ることを大蔵大臣に委ねたのである、其当時の「タルレル」は日本の金貨に換算して見ますると殆ど一億五千万円ばかりになるかと思います、然るに国債はどうであるかと云ふと大失敗、金利はどうであるかと云うと日本の此度の公債と同じことで……昨年の第一回の公債と同じ事で五分である、而して発行価格は八十八である、而して五分の公債で此方は数倍と云ふに拘らず普魯西では半額ならでは応募者がないと云ふ大失敗である、然らば普魯西の其当時の富は幼穉なものであるかと云ふと、決してさうではないのである、既に其時の普魯西はナカナカ学問は盛んな国で、工芸も余程盛んであり、それから化学的工業は既に非常に進歩して、機械的工業も非常に進歩し、農業も亦驚くべき進歩を為して居つた、其上に六十六年に澳地利の戦に於て、澳地利の日耳曼に於ける勢力を打砕くや否や、普魯西は直ちに北部日耳曼と同盟をして一つになつて仕舞つた、即ち今日の日耳曼帝国と同一の版図である、決して普魯西ばかりではない、そこで仏蘭西に向ふ軍隊は南独逸のババリヤの兵器を取て当つたのである、それが即ち今日の日耳曼で
 - 第6巻 p.588 -ページ画像 
ある、其日耳曼の民は盛なもので、決して日本の今日の如き有様ではない、然るに公債には……僅かに一億五千万の公債に大失敗をした、而して発行価格は日本は初め九十五であつたにも拘らず、普魯西では八十八、即ち百分の七丈価格が安くて失敗したのである、然らば普魯西人は愛国心が無いかと云ふと決してさうではない、御承如の通りにフレデリツキ大王の遺業は全くナポレオン一世に打砕かれたので、殆ど普魯西は滅びたと云ふても宜い有様で、殆ど十余年間仏蘭西の馬蹄に蹂躪せられたのである、其時に当つてスタイン、ハーデンブルグなど云ふ愛国者が立つて此復讐を企つて、前後殆ど五十年、所謂日本の言葉で言へば臥薪嘗胆ナカナカの苦心をした、而して此戦の前途を恐れたかと云ふと、実に日耳曼の復讐の兵の嚮ふ所敵なく、連戦連勝で僅に二箇月の間に仏国軍を殆ど全滅し、前途は洋々たる勢ひであつたが、猶且公債には失敗したのである、そこで此愛国心と経済と云ふことは決して並立しないと云ふことを私は考へたのである
それで私は之に就てどう云ふ解釈を為したかと云ふと、初めに戻つて日本の今日の生産組織、産業の組織が未だ幼穉で、遺憾ながら農業国である、而して工業に於ても大規模の工業は今漸く其端を発したと云ふ場合で是も誠に幼穉である、概ね工業は内職的家庭的工業である、第一外国貿易に現はるヽ工芸品の大部分は皆内職的の工業から成立つて居る、夫れ故に婦人の手に成立つて居る物が多いのである、殆ど三億の半ば以上の物は婦人の手に依つて製出されてある、斯の如き国が世界に在るか実に不思議である、そこで日本は農業国、私が言ふ日本の生産力は先づ十三億から十八億と云ふ数の内の殆ど十億以上は天産物で農産物である、之に鉱山・水産・山林を加へれば凡そ十三億と私は積つたのである、総ての商工業を合して役員の給料から銀行から得る所の報酬並に零砕の小さな小売商の儲けから労働者の給料等を合して六億位、極度に大きく積つて十八億斯う云ふ訳である、そこで日本の経済組織は、実に殆ど三十余年渋沢男爵の如きは非常に大骨を折つて御尽力になつて今日余程進んだやうであるが、世界の進んだ所と比例して見れば遺憾ながらまだ幼穉と言はなければならぬ、そこでまだ日本は農業国である、工業は矢張り内職的である、それ故に戦争の影響を受けることが余程少ないのである、人口が繁殖して多少食物の不足を告ぐるやうになつても、働けば食ふものが取れる国である、一層働けば収穫も多少増すと云ふ国である、御覧なさい、当年は疑なく小麦の収穫は二割乃至三割増すと云ふことを断言するを憚らぬ、充分私は信じて居る、非常な麦の価である、此戦争に於て殆ど百人に付て一人と云ふ人は皆兵器を取つて敵に臨んで居る、さうすると千人の村は十人兵を出して居る、さう云ふ所は皆子弟が死生の巷に立つて居る、之を想へば余程勉強をしなければならぬ、それから麦が高い、戦争が長く続いては困難であることを思つて成るたけ働いて平生よりは麦も余計蒔くのである、先づ五十万の壮丁が兵器を取つて居るが為に、労働者が減ずると云ふことは少しも心配することはない、土地の者が少しばかり百分の一だけ余計に働けば不足を補ふことが出来る、五千万の大国が五十万や百万の労働者の不足を告げた所が何も困らぬ、女が
 - 第6巻 p.589 -ページ画像 
稼ぐ、男女共稼ぎをするに於ては何も憂ふることはない、生産したものが戦争の為に高くなるから一層裕かである、心配するに及ばぬ
そこで是がモウ一年続けば此次はどうなるかと云へば、恐らく七八千万乃至一億の増税をしなければならぬ、此税を増すに付いても余地はある、地租も取る、家宅も取る、人頭税も取る、此処に税の事には経験ある有名な目賀田さんが居るが、税の取り方に依つては巧拙はあるが、税の余地があると云ふことは言ふに憚らぬ、吾々は富の力がないとは一言も言つたことはない、そこで是が世界の現在の生産組織、金融組織、信用組織の下に働いて居る、所謂世界の資本家、実業家は各各其観察を異にするけれどもが、皆基する所は此処にある、昨年私は此倶楽部に於てトランスヴアールの戦争の前には「バンク、オフ、イングランド」の利子が二分であつたのが、トランスヴアールの戦争が起つた時、直に六分に昂つたと云ふことを御話したことがある、多分それは或人の御望みよりは少しく言ひ過ぎたかも知れぬが之は事実である、斯う云ふ事があるから、日本の銀行者は油断なく気をお付けなさいと云ふことを私は注意したまでのことである、英国は僅かな金を使つて居る大金持で日本とは身代が違ふ、銀行屋さんと我輩の早稲田の百姓と違ふ以上まだ違ふ(ノーノー)、然るに英国は二十億内外の金を三年間に使つて金利は三倍、日本の此小世帯が英国と同様の大金を使ひつヽ多分銀行屋さん方は少しも金に御困りはないと思ふ、夫故に或人は悪口を言ふ、銀行者等は今度の国庫債券に付ての算当が余り我儘ぎると云ふ批評がある、それが経済と愛国心とは違ふと云ふので、是は混淆されると困る、是までは愛国心に訴へたのであるが、銀行も矢張り営業的である、それを分らぬ人が種々高利貸銀行であるなど云ふけれどもが甚だ宜くない、皆観察が誤て居る、世界にしても観察が誤つて居る、日本でも多くの学者達が観察を誤つて居る、所が古い歴史を見ると直ぐ明に之を解釈することが出来る、御承知の通り歴史を見れば欧羅巴には三十年戦争と云ふものがある、丁度日本で云へば関ケ原の戦争……関ケ原戦争の荒武者達があつた其時代に日耳曼の内乱から到頭欧羅巴の大乱になつて三十年続いた、今日の欧羅巴では三十年は偖置き三年も戦つたなら欧羅巴は破壊して仕舞ふ、数百年掛つて築上げた文明は全く滅びて仕舞ふのである、殆ど不可能である、所が二百年以前には三十年戦争があつたけれども我慢して続け得られたのである、七年戦争も其通りナポレオン戦争も其通である、それは農業も工業も総ての信用も地に墜ちて余程困難になつて居るが、皆産業の組織が幼穉で大規模の工業が起つて居ない、大資本が集合されて居ない而して農業が富の基になつて居るときであると此戦が続けられるのである、前にも言ふ通り総て日本の生産の殆ど六以上は天産物である、農業的生産は天然に多少人力を加へて製作するものである、是は強いものである、之を考へて見ますれば日本が今日斯の如き大戦に出遇ひ驚くべき軍費に堪へて居ることを十分理解せらるであらうと信じて居るのである
之に付いて私は世界の人達の少しく惑ひを解きたいと思ふ、それも一二の友人から頼まれましたので、今其疑問を調査し、議論を試みて見
 - 第6巻 p.590 -ページ画像 
やうと思つて大に苦んで統計を蒐めて居る、それには外国の例も必要があるので人に頼んで其調べを拵えて居るが、若しそれが出来上つたならば……或は出来上らぬかも知れぬが、出来上つたならば此集会所で御披露を願ひたい、私は全く此軍費に堪ゆる力は農業にあると思ふ無論国柄も違ふが、即ち愛国心……燃ゆるが如き愛国心は大ひなる力であるが、如何に燃ゆる如き愛国心も食はずには出来ないのである、私が早稲田村の百姓であるが為に我田へ水を引くやうに御考になるか知れぬが、農業国である(ヒヤヒヤ)此力は実に盛んである、私の言ふ農業は、土地の生産を総て合して居るのである、天然の生産を合して居る、即ち鉱山も山林も水産も合して居るのである、それがなければ日本の生産力は少くとも三分の一以下であらうと思ふ、私は余程贔負目に見てもさうである、其三分の一には多数の農民が内職で拵へた物も這入つて居るのである、そこで先づ平日の蓄積は三億、此戦争の為に所謂勤倹貯蓄によつて奨励され、愛国心に依つて非常に克己心を惹き起して多少生産を増すと同時に貯蓄を増す為に、三億以上に上つて居ると思ふ、それから戦争の為に内地に消費される物品を取扱つて居る商業工業は多少困難に陥つて居るけれどもが、一般の農業は国民の大多数を占めて居る最も多数を有つて居る生産は少しも困難を見ぬのである、又私などは地方に友人が幾らもありまするが、さう云ふ者に依つて承ると、案外都府よりも田舎の方が十分に余裕がある様であるから、私は此戦が来年まで続いても再来年まで続いても必ず勝つと思ふ、昨年は当年中に済む積りでお話をした、又来年に延ばすと鬼が笑ふかも知れぬ(笑声起る)、併し大抵済むに違ひない、若し間違つて延びても行けると云ふことを十分認めたのである(ヒヤヒヤ)、是はモウ諸君は十分御研究になつて居ることであらうと思ひまするが、私は近近其調査を拵える積りでありますから、貴君方にも名論卓説があるならばどうか教を請ふて、私の調査にそれを附加へることが出来れば私の最も幸ひとする所である
終に臨んで此処には正金銀行の頭取、副頭取が御出でになつて居りますが、是も多少将来に国の経済若くは戦時の金融、或は殆んど骨を削るの寒気と戦ひ而して常に昼夜敵の弾丸と戦ひつゝある所の多数の軍隊の上に関係を有つと考えるから、私は御参考に供して見たいと思ふのであります、目賀田君が大蔵大臣の御代理であると大に宜かつたが今日は御代理でないから敵なしに弾丸を放つやうであるが、どうか御序があつたら大蔵大臣に御伝へを願ひたいと思ふ、今度は決して悪口ではないから御心配には及ばない、実は名を公にしても差支ないかと思ひまするが、或は若し新聞などに出て其人に迷惑を掛けると相済まぬ訳でありますから名は指さぬが、立派な紳士である、其人から承り又チヨイチヨイ新聞などで切れ切れに報告を見、又戦地から帰つた人から直接に話を聞いたこともある、凡そ今日戦地に於ける総ての金の働きは何であるかと云ふに、軍用手票で余程便利なものである、而して今幾ら流通して居るか能く存じませぬが、一二の人に承はると七千万以上流通して居ると云ふことである、然るに段々価を失つて来ると云ふのは甚だ恐るべきことである、それで其引換は初めは五百円、それ
 - 第6巻 p.591 -ページ画像 
が三百円、到頭今日は一人に付いて百円に減じて仕舞ひ、其上に時間を早く切上げて僅かな時間であるから幾らも引換が出来ないと云ふ、そこで或銀行に小言を言ふと、其銀行は誠に御気の毒であるけれども私共は命令に依つて働いて居るから仕方がないと云ふ、段々下落して到頭二割五分、殆ど三割と云ふ下落、換言すれば今日は物が三割高くなつたと云ふ訳であらうと思ふ、そこで私は五十万の軍隊に大概は軍用手形で御渡しにならうと思ふ、或は現金で御渡しになる分もあらうが一部は軍用手形があらうと思ふ、それを以て何か物を買ふと所謂給料を三割減らされたと同じ結果を起すから、私は之に対しても甚だ遺憾である、殊に兵站部などでは余程困つて居らるゝことであらうと思ふ、所が戦地に於ては此手形と云ふものが巧妙な働きを為す上に於て実に必要なものである、又受取る者も現金を沢山受取つても仕様がない、手形は余程便利である、併ながら何時でも是が金に換ると云ふ安心があつてこそ誠に都合の宜いものであるが、是が容易に金に換えられぬと云ふことであれば大変であるから受取らぬと云ふ者が起る、兎も角も今日七千万以上の流通と云ふことは七千万以上の金の倹約が出来て居る、然らざれば日本銀行から一時の借上金が七千万円増すか、乃至は国庫債券が更に七八千万円起ると云ふ結果となるから一般の金融にも多少響くと思ふ、是は戦時匆卒の際で当局者も其処迄お気が付かれぬか知れぬが、或は手が届かぬと云ふので決して我慢とか横着とか或は金が無いと云ふのではなからうと思ふ、其証拠は露西亜が連戦連敗而して国には殆ど革命が成立つと云ふ大騒動の間に露西亜の手形はどうであるかと云ふと、矢張一留は一留で通用して居るのである、露西亜の一留の手形は墨西哥弗の一弗より五銭高いのである、然るに日本のは墨西哥弗と換はるべきものが三十銭安い、すると露西亜の手形に比して三十五銭安いのである、彼は大混雑をして居つてさう云ふ信用を保つて居るのである、是が露西亜の信用でも何でもない、唯だ慣習と遣り方が巧者に行つて居るからである、どうか是は銀行集会所に於ても実に国家の大切なる機関を預つて居る諸君であつて、唯だ一夕の相談で国家の為には五千万六千万の国庫債券に応ずると云ふさう云う大なる力を有つて居る御方々であるから、どうか当局者と御相談下すつて、殊に正金銀行は到る処に支店を有つて居る、金が無いとは云へない、無ければ外債を起しても構はない、さうして又払方も巧みに遣つたならば、余計払はずして信用を博することが出来るかも知れない、然るに今の占領地に幾らの人口があるか、是亦実際の事は知らぬ、推測で能くは分らぬが、併ながら色々の人に承ると先づ三百万から三百五十万は出ぬと云ふ、そうすれば遼陽以南の占領地に於て丁度一人に付いて二十円以上に当るのである、若し其通りの紙幣が日本に発行されたと仮定すれば十億以上の紙幣が日本に発行されたと同じ訳になる、若し日本に十億の紙幣が発行されたと見たならば、直に日本銀行は支払停止即ち兌換停止となつて、多分物価は今日の三倍に騰貴すると斯う思ふ、所が日本は兎も角も外国貿易は殆ど七億に近い貿易があり、内地の貿易は少くとも三十億以上、外国貿易に比し五倍の貿易があるので其他商工業の盛んなる国であるから、尚且さう云ふこと
 - 第6巻 p.592 -ページ画像 
は出来ないのである、三百五十万の所に七千万円即ち一人に二十円と云ふ算当になると云ふのは或は余程過当ではないかと斯う思はれる、玆に於て之を天津で引換え或は遼西に於ても引換え或は上海で引換え或は芝罘で引換え或は多少為替に或は郵便電信にもそれを取る、占領地は日本の命令でどうでも往けるから総ての税も軍用手形でやると云ふ仕方を少しく巧みにしたならば、今日の下落を防ぐことは出来はしまいか、若し此の勢であつたならば直に価を失つて或は半価になるかも知れない、それから軍用手形は戦争が済めば直ぐに支払はなければならぬ、それが斯様に下落しては恐るべき高利となる、一年に払ふと思へば一年三割の高利を借りたと同じで、国家は約束を履行しなければならぬ、是は実に恐るべきことであると考へますから、今日大金を使ひまする時に当つては誠に当局者達も御心配であらう、何億と云ふ金が要る時であるから十分なる事は出来ぬでも、財政に或は経済に於て巧妙なる働きが出来ぬことはなからうと思ひますから、どうか正金銀行其他の銀行が御相談下すつて、当局者とも諮つて、何とか之を救ふ途も攻究しなければ私は実に国家の信用に関して恐るべきことであると考えまするから、序ながら一言申述べて置きます(拍手喝采)
    片岡司令長官の答辞
今晩は御招待を受けまして大隈伯爵閣下、其他の諸君と卓を同じうして御鄭重なる御饗応を受けまするは、誠に私の名誉とする所でございます、曩に聯合艦隊司令長官が上京されました節には、此処に御出の皆様其他国民総てが熱誠なる歓迎を下されまして、此聯合艦隊の一部に居りまする私も、其長官を斯の如く熱誠に歓迎して下されたと云ふことを聞きまして、誠に難有く感じて居りましたのでございます、私は旅順陥落以来、鎮守府が彼処に置かれますまでの間、跡に残つて居りました、さうして其任務を終りまして、内地に帰りました処が、まだ戦争半ばにして上京をせよと云ふ命令を受けて上京致しました、所が図らずも斯の如き御招待を受けまして、先刻豊川君から今回凱旋したる第三艦隊の司令長官と云ふ御言葉もあり、又大隈伯閣下は交戦の最中に名誉ある第三艦隊司令長官と席を同うするは誠に悦ばしいことであると云ふ御言葉がありましたが、実に恐入る次第であります、併し私は今申しまする通り聯合艦隊の一部に居りまして、一個人としては至つて僅かな働きしか致しませぬが、私の部下に属して居りまする司令官、其他士官下士卒に至るまで一箇年以上昼夜とも実に人の知らない難儀を致して居りましたのでございまする、それを唯今申しまするやうに大隈伯閣下から名誉ある司会長官と云ふことを言ふて下されましたのは、聯合艦隊の長官も聞かれましたらば、誠に有難く感じられ、且私の部下に居りまする司会官其他一同が如何に有難く感ずるであらうかと私は思ふのであります、それで私は私の部下に居りまする一同に代りまして、会頭初大隈伯其他此席に御出の御方に厚く御礼を申上げます
    目賀田韓国財政顧問の演説
私は昨今朝鮮から帰つて参りました、幸に御招きに預りまして有難く感謝致します、彼地に於て一二感じた点を申上げます、日本人は兎角
 - 第6巻 p.593 -ページ画像 
駄目を押すのが好きである、私は駄目を押すと云ふことはどう云ふことか存じませぬが、免角議論を先にして実地を後にする、既に私の朝鮮に居りますに就ても始終私の任務其他の関係に就て議論があつた、私は駄目を押すのは嫌ひである、故に自分に於ては天性であるか、余り心配致さぬ、朝鮮の如きは実地が前きで議論は後である、其事は一寸諸君の御参考に供して置きます、内地に於きましては私の職務権限に就いて随分議論あるに拘らず、外国人は私の職務に対しては最も容易に見て居るやうである、と云うのは私が京城に到着する予定は九月十五日でありましたが、実は船の都合に由つて少々遅れましたが、九月十三日の巴里の通信を見ますると、私の為すべき事がチヤンと書いてある、それは私が到着した後に受取つたのでありますが、扨て其九月十三日の巴里の新聞に書いて居る其通りを私が遣ると云ふことは如何にも業腹に思ふがチヤンと書いてある、誠に已むを得ない次第であるが決して私が申したのではない、併ながらそれは刻下の問題として事態の自然の必要が命ずることを書いたのであるから一向怪むに足らない、決して外国人の云ふ通りにしたと云ふのではありませぬが、事態の必要がさうなるのであるから已むを得ない、故に駄目を押すことも議論を為すことも何も要らぬ、元来さう云ふ所に向つて私の如き者を遣るに就ては其職務と云ふものは世界で大抵極つて居る、議論も何も要らない、さう云ふやうに私は考えて居ります、是が私の感じた点でございまするが、余り議論と云ふことは要らぬと思ふ
第二に韓国の如きは表面と実際とは非常に違つて居る、往々報告等に伝ふるが如く表に現はれて居る事と実際とは違ふのである、それは其国の事情が違ふのであつて、事態の然らしむるのであつて、毫も怪むに足らぬ、又毫も心配することもない、是が第二に注意すべき点であると私は考へます、又モウ一つは兎角右のやうに違つた所の地方の事を以て内地の枠に入れて考へると云ふことは是は非常な誤を来す、先づ行政の事にしても内地流の行政学と云ふものがあり、又内地流の一の学問があつて又内地流の一の法理と云ふものがある、所がそれとは全く違ふのでありますから、唯だ其名称に依つて内地流の枠に入れて之を画策或は之を心配することは要らぬ、是が諸君に申上げて御参考に供する所以である、モウ一つは朝鮮の国富は一般に言ひますると世の中に伝ふる如き貧乏ではない、国土は善良なる国土であつて、気候地味に於ても日本に劣ることはない、農業海産其他の殖産に於ても充分に見込がある、唯だ今日の行政が経済の発展を妨げるのである、それに就ては其行政の主たるものは収税の事であります、是が最も内部に害を為して居る、大隈伯閣下も申されましたが私は如何なる悪縁か兎角それ等の世話をしなければならならぬ、兎に角朝鮮に於ては収税の事が総ての経済の発展を妨げて居ります、さうして金を借りて殊更に貧しき真似を粧ふて居ると云ふ有様である、若し之に金を貸したならば如何なる発展を致すか実に測り知るべからざることであつて、今日の関係に於て朝鮮の利益を増進することは非常に我帝国の為に肝要なことであると思ふ
玆に唯だ一つ考ふべきことは、朝鮮の一体の人気と云ふものは平生の
 - 第6巻 p.594 -ページ画像 
習慣が余程緩漫のやうでありますが又一方には非常に短気であつて又非常に理窟的である、それに向つては常に斟酌して短気を警めなければならぬし、又理窟的の事を戒めなければならぬと思ふ、殊に朝鮮の流義に就ては私は深く研究したことはありませぬが、総て行政の官衙は公開的である、それであるから一の秘密はない、正々堂々国家の事を論ずると云ふ主義である、主義はさうであるけれども実際はさうは行かぬ、又奥に一つの場所がある、それ故に多くの報告が虚実半ばすると云ふ有様であるのでございます、今日朝鮮と帝国とは非常に密接して参りまして、今日私が此処に申すことは八日以内には矢張り朝鮮の新聞に出るのでありますから、私も此席に於て御話をするに就ては非常に困るのであります、何故なれば兎角日本に於ての報告と云ふものは、色眼鏡を以て之を見るのでありますから、私の言ふ通り出るかどうか分らぬので非常に心配致しますが、扠て言はぬで置いて宜いと云ふ訳には行きませぬから憚なく申しますが、直ぐ向ふに出る、さうすると疑感を起す、こう云ふ事は追々に直さなければならぬことであらうと思ふ、そこで今日交通の機関たる京釜鉄道と云ふものは非常に便利なものであつて私も現に此度経験の為に参つたが、至つて都合が宜しうございます、五月以後になりますれば京城東京の間を四十八時間で行けれると云ふことである、私は丁度三日三夜四日目に東京に着きましたが、斯の如く交通機関の発達したる時に於て、尚ほ旧時の未だ改らざる報告を伝へ若くは色眼鏡を以て朝鮮を見ると云ふことは大に考へなければならぬことゝ存じます、今日は段々時刻が延びますから細かなことは申しませぬが、右の如き要項を申述べて諸君の他日の御参考に供します、誠に名誉ある席に着きまして御鄭重なる御饗応を受けまして厚く御礼を申上げます(拍手起る)
    渋沢男爵の演説
閣下及諸君、当銀行倶楽部の晩餐会に大隈伯爵、片岡司令長官、目賀田君、山田君の尊臨を得ましたのは誠に此会の光栄を増しました次第と感謝に堪へませぬのでございます、昨年戦局の開けて以来、軍事関係より我々同業者が負担をせねばならぬ事抦よりして此倶楽部に会議を開きましたことも数回に上つて居りますが、私は不幸にして一昨年来病気に罹りました為に其度毎に参列することを得ませぬで頗る遺憾に存じまして、病蓐に在つて唸り唸り世の中を慨嘆致し居りましたが幸ひに今夕は此席に列して、伯爵及名誉ある司令長官又目賀田君、山田君其他の諸君にも御会見を得ますのは実に此上もなき悦でございます、唯今大隈伯、司令長官、目賀田君より種々我々を裨益する所の御演説を承りまして当倶楽部の為に感謝に堪へませぬのでございます、伯の仰せに今日の戦局に対して巨額の軍費に応じて困難の有様の見えぬのは、或は日本がまだ農業国であるからである、国の進歩が十分でないのが寧ろ軍費の支出に堪ゆるではなからうかと云ふ御説は私共初めて之を聞きますると、或は大に疑を起すことであります、去りながら深く翫味しますると如何にも御尤千万で、未だ工業国若しくは商業国と其位地を進めぬのが即ち今日の場合に耐忍し易いのであると云ふ道理となる、斯く理会すると一面には国の農事に於て余力があるを悦
 - 第6巻 p.595 -ページ画像 
ぶと同時に一面には我々が三十余年来苦辛して日本の国を商工業国に致したいとの希望は、まだまだ此戦争と共に前途遼遠だと云ふことを感ぜねばならぬと考へます(ヒヤヒヤ)、果して左様でござりまするならば伯の御説の如く更に一年を重ねて戦争が続きましても之に応ずる壮丁の力も亦一方の軍費に就ても充分に堪え得るであらうかと云ふ望みは持ちますが、それと同時に若し平和が克復した暁に支那朝鮮に対して我が経済力の進みゆく有様は如何あるかと思ふと、丁度前にいふ日本が農業国の為に今日の維持が出来ると云ふならば即ち商工業の進歩はまだ不充分の国であるから、其場合には他国の後に瞠若たらざるを得ぬと云ふ結果を来たしはせぬかと憂ふるのであります、斯く考へて見ますると御賞詞を頂戴したやうな伯の御言葉は我々の頂門の一鍼にして大に憂へ大に勉めねばならぬ必要を生ずるやうに存ぜられます、実に開戦以来数回の国庫債券を募集されますにも関はらず毎回充分に之に応ずると云ふことに一般の人気が進んで参りますのも、実は一方に海陸軍の連戦連捷の力が我々一般の人気と相応じて斯く都合能く参るやうには考へますけれども併し此戦争も遂に平和は克復する、平和が克復した後が我々商工業者の真正の責務である、それこそ日本の奮励担任すべきものである、其担任すべきものに於て若し前に申す如く我々の力が十分でないと考へますると我々は是より大に努力せねばならぬと云ふことを自ら思ふのござりまする、我々商工業者は平時に於きましても亦国家有事の時に於きましても始終成る可くだけ安穏に奇変の少ないことを望むと云ふのが我々の本分でござります、それに就て甚だ古めかしい一の比喩を申上げるやうでござりまするが私は平素漢籍を好みまして古文真宝といふ書物に唐子西の古硯の銘と云ふものを読て其論説の立て方に甚だ感心したことがござります、至つて活気の無い陳腐の談でござりまするが或は我々の位地が世の中に対して一つの比喩になりはせぬかと考へました為に試みに玆に一言を呈します唐子西の古硯の銘に硯と筆墨は気類が同一である、用法も一つである共に文房具として人に珍重される、左様に用ゐることは同一でありながら寿命に於ては大なる懸隔がある、硯は世を以て数へる、墨は月を以て数へる、筆は日を以て数へる、等しく世人に珍重されて同じ机上に装塡しながら右様に年齢に大差がある、どう云ふ訳であらうか、想ふに硯と云ふものは甚だ静なものである、墨は決してさうでない、筆は又甚だ鋭きものである、果して然らば鋭きものは寿命が短くて静なるものは寿命が長いか、さう考へて見ても若し又筆をして硯の如く静ならしめた所が、果して百年の寿を保つと云ふ訳には往くまい、然らば鋭と静とは性質に依て寿命の長短も亦其の天より命ぜられた処に依るものであらう、但し静なるものゝ寿命の長い硯を私は愛すると云ふ主意でござります、其の語は有益なことでも何でもござりませぬ、斯かる御場所に論ずるほどの価値のないものである、蓋し静を愛し、鋭きことを嫌ふと云ふ支那流の一つの寓意的の議論であらうと想像致しまするが、それに付いて私が我々の業体を玆に比喩して考へましたのでございます、私共は硯でも何でもございませんけれども、凡そ社会を為して居るには種々な人類が国家を装飾点綴して居る、政治家もご
 - 第6巻 p.596 -ページ画像 
ざいませう武官もございませう学者もございませう教育家もございませう、総てのものが交互錯綜して丁度或方には是が発達し、此方には是が努力し、各々其本分を尽して一国と云ふものが立派なる形を為して居る、尚ほ一家の飾付を見ますると、床の間の置物もあれば玄関に飾る武器もあり、又書棚の書籍もあれば骨董品の種類もある、奥の方勝手の方へ往くと米櫃もあれば味噌漉もある勝手道具もあると云ふのが即ち一家の装置である、一国の有様も猶其通りであらうかと思ひます、即ち前に申す政治家、武官或は教育家、学者として之を譬へて見やうならば政治家は或は床の間の掛物若くは置物の類でもございませうか、又武官は或は門前に飾る甲胄でもありませう、弓鉄砲でもございませう、書棚は即ち之を学者に喩へても宜しうございませうか種々なる装飾はそれで成立つが、扠て我々実業家は如何なる器物に喩へ得るかと云ふと、即ち米櫃若くは勝手道具と云ふものであるのでございます(ヒヤヒヤ)、平日一家の装飾に於ては此米櫃、勝手道具は至つて閑散に堪へぬ、即ち家人に軽蔑されて居ります、併し或場合一国多難なる時、否一家に多人数の客来でもする場合には必ず米櫃や勝手道具が甚だ必要になるのでございます(拍手起る)、我々は即ち彼の古硯の銘の硯が世の中に活溌なる効能が無い代りに寿命か永いと同様に、米櫃又は勝手道具が平生世人にもてはやされぬ代り、常に之を整頓し、或る場合に必要視されて床の間の置物や玄関の飾物と共に各其本分を尽すことを望むものであります、今晩は幸に国家を装飾なさるゝ諸君の光臨に対して我々米櫃として玆に御礼を申上げます(拍手喝采)