デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
1款 東京鉄道組合
■綱文

第8巻 p.357-372(DK080022k) ページ画像

明治8年3月27日(1875年)

是ヨリ先、麝香間同列ノ華族相謀リ鉄道組合ヲ組織シ東京青森間ニ鉄道ヲ建設セン事ヲ計画シ、其規則方法ノ立案ヲ栄一及前島密ニ依嘱ス。草案成リ是日第一回会議ヲ開ク。尋イデ第二回第三回会議ヲ重ネ第一次着手里程ヲ宇都宮迄トシ、建設工事方ハ高島嘉右衛門ニ依嘱セリ。


■資料

鉄道会社会議要件録 第一巻・第九―二五頁(DK080022k-0001)
第8巻 p.357-360 ページ画像

鉄道会社会議要件録 第一巻・第九―二五頁
                        (株式会社第一銀行所蔵)
鉄道建築ノ挙ハ先年麝香間同烈《(列)》ノ華族中ニ於テ協議シ、而シテ之ヲ政府ヘ上申ス、政府ハ之ヲシテ其規則方法ヲ案定シ以テ稟候セシム、然リ而シテ其挙遷延ニ属シ、終ニ明治八年ニ至リ更ニ其議ヲ振張シ、東京ヨリ青森ニ達スルノ目的ヲ以テ規則方法ノ案定ヲ発起ノ華族一同ヨリ渋沢栄一・前島密ニ依頼シ、草案成ヲ告ケ、乃チ三月廿七日ヲ以テ発起一同浅草茅町徳川慶勝ノ邸ニ会同セリ、之ヲ此会社ノ第一回会議トナス
   ○第一回会議 明治八年三月二十七日浅草茅町徳川慶勝邸ニ於テ開之
                 出席人名
                      徳川慶勝
                      松平慶永
                      伊達宗城
                      池田慶徳
                      池田茂政
                      毛利元徳
                      亀井玆監
                      山内豊範
                      伊達宗徳
                      池田章政代理
                      河原信可
                      蜂須賀茂韶代理
                      小室信夫
                    員外前島密
右出席ノ各員ハ先ツ規則方法ノ草案ヲ閲了シテ後各意見ヲ商権シ、左ノ二件ヲ決議セリ
    第一
方法草案ニハ此方法草案其外政府ヘノ願書及ヒ盟約書ノ類ハ会議第四回ニ至リ目的変換セシニ付此要件録中ニ記載セス此鉄道工業ヲ差向キ下野宇都宮迄トナスト云トモ、尚其線路ヲ増延シ磐代福島迄トナシ、且其成功ノ期ヲ向後十ケ年トスヘシ
 - 第8巻 p.358 -ページ画像 
    第二
右工業ノ資本金ハ十ケ年ノ久キヲ要スルニ在レハ各所有ノ金額ノミヲ以テ素ヨリ其額ニ充備スルヲ得ス、且其出金法モ確実ナラサルニ在レハ宜シク一同ノ家禄幾分ヲ以テ此出金ノ抵当トナシ、其年限中資本集合ヲ担保スヘシ
右ノ両件ヲ決シタル後、来ル四月六日本所横網町池田章政ノ邸ニ於テ第二回会議ヲ催シ、以テ各其出金高ヲ明言スヘキコトヲ約シテ退散セリ
  明治六年三月麝香間華族ヨリノ上申書
                        臣等叨リニ
海岳ノ
朝恩ヲ辱シ、而シテ空手徒食毫モ国家ニ報スル所旡シ、実ニ恐悚ノ至ニ不堪、窃ニ惟ルニ欧米諸州今日文明強大ノ隆盛ヲ致ス所以者皆人民合心協力結社自国ノ大業ヲ興セリ、臣等モ亦之ニ傚ヒ曩ニ英国竜動留学蜂須賀茂韶及至願鉄道滊車ノ儀相談申越候通リ共同会議シ会社ヲ結立シ鉄路滊車ヲ興スコトヲ希望ス、仰願クハ臣等ノ素志ヲ遂シメ、前件興立ノ儀御允許ヲ蒙リ候ハヽ臣等随テ広ク同志ヲ募リ共ニ此挙ニ従事セシメ
皇国隆盛ノ万分ヲ裨補センコトヲ奉懇願候也、誠恐誠恐
                      池田従四位
                      細川従四位
                      山内従四位
                      亀井従三位
  明治六年三月廿三日           池田従三位
                      毛利従三位
                      池田従二位
                      伊達従二位
                      松平正二位
明治七年九月十八日
御附箋
願之趣ハ其方法委詳書載工部省ヘ可差出事
                    太政官
   ○第二回会議 明治八年四月六日本所横網町池田章政邸ニ於テ開之
                 出席人名
                      伊達宗城
                      池田慶徳
                      池田茂政
                      毛利元徳
                      亀井玆監
                      山内豊範
                      池田章政
                      蜂須賀茂韶代理
                      小室信夫
                    員外渋沢栄一
                      前島密
 - 第8巻 p.359 -ページ画像 
右出席ノ各員ハ第一回ノ会議ヲ訂正シテ左ノ七件ヲ決定セリ
    第一
此鉄道工業里程ハ岩代福島マテト相定メ、其事業ノ時間ハ向後十ケ年ヲ期スヘシ
    第二
経費概算ハ七百万円ト見積リ、外予備トシテ五拾万円ヲ充テ、合計七百五拾万円ヲ以テ竣功ノ目算ヲ相立ヘシ
    第三
発起華族ノ集合金額ハ左ニ記載スル金高ヲ以テ十ケ年間毎年ニ之ヲ出金スヘシ
    第四
右出金ハ家禄ヲ抵当トシ、且現在所有ノ金額ヲモ差加フヘシ
    第五
左ニ記載スル発起ノ華族ヨリ集合ノ金額ハ十ケ年ニシテ合金百七拾四万円余、則目的ノ要費概筭七百五拾万円ニ対シ十分ノ二、三二ニ在リ、因テ尚各其集合金ヲ増加シ要費概算ノ半高ニ充タシメ、他ノ半高ハ外華族ヘ相募リ、都テ華族ノミヲ以テ此竣功ヲ期スヘシ
    第六
右ノ都合ヲ以テ奮発スルトキハ、政府ニ求ムヘキ約定書面モ尚一層存分ノ特典ヲ要センコトヲ願請スヘシ
    第七
若又右増加ノ挙行届兼ヌル時ハ先ツ発起外ノ加入ヲ凡七八拾万円ト予算シ、之ヲ発起中ニ加ヘ総経費ノ三分一ニ充タシメ、即今取調フヘシ《(マヽ)》約定書面ヲ以テ政府ニ上申シ、尚衆族ニ株高募方ヲナシ、其徴集ノ模様ニ応シ就業ノ見込ヲ相定ムヘシ
    集合金額割合
 一金三万円                徳川義宜
 一金壱万円                伊達宗徳
 一金五百円                松平慶永
 一金七万円                蜂須賀茂韶
 一金五百円                池田慶徳
 一金壱万〇五百円             池田輝知
 一金弐万四千円              毛利元徳
 一金五百円                池田茂政
 一金壱万五千円              池田章政
 一金壱万円                山内豊範
 一金三千五百円              亀井玆監
  合計金拾七万四千五百円也
   此十ケ年分
    金百七拾四万五千円也
右ノ七件ヲ決議シタル後来ル十六日第一国立銀行ニ於テ第三回会議ヲ催シ、且金高増加並発起外ノ華族ヲ徴集セン事ヲ約シテ退散セリ

   ○第三回会議 明治八年四月十六日第一国立銀行ニ於テ開之
 - 第8巻 p.360 -ページ画像 
                 出席人名
                      徳川慶勝
                      伊達宗城
                      池田慶徳
                      亀井玆監
                      池田茂政
                      毛利元徳
                      徳川義宜代理
                      白井武啓
                      細川護久代理
                      島田泰臣
                      山内豊範代理
                      真辺正心
                      松平茂昭代理
                      中根新
                      松平頼聡代理
                      三宅十郎
                      大村純熙代理
                      稲田又左衛門
                      山川前耀
                      池田輝知代理
                      吉田恭敬
                      蜂須賀茂韶代理
                      小室信夫
                    員外渋沢栄一
右出席ノ各員ハ第二回会議ノ趣旨ヲ逐ヒ資本金増加ノ事ヲ議ス、然レトモ到底瑣少ノ増額ニ過キサルヲ以テ不得已左ノ二件ヲ議シ、而シテ焉ニ決セリ
    第一
向後更ニ一同ノ尽力ヲ以テスルモ尚其発起ノ金額ノ《(ヲ)》以テ総費ノ半額乃至三分一ニ至ルノ徴集ヲ得サル時ハ、其集合高ノミヲ以テ此願請ヲ為シ、其許可ヲ得テ後此鉄道ノ株券公売法ヲ起シ、以テ資金ノ徴集ヲ謀リ其模様ニ応シ実地ノ事業ニ着手スヘシ
    第二
若シ又其徴集モ行届カサレハ最初ノ見込ニ復シ工業ヲ短縮シテ宇都宮迄ノ成功ヲ期スヘシ、右ノ二件ヲ決議シタル後来ル廿六日ニ於テ第四回ノ会議ヲ催スヘキ事ヲ約シ各退散セリ


雨夜譚会談話筆記 上・第一二七―一二九頁〔昭和二年一一月―昭和五年七月〕(DK080022k-0002)
第8巻 p.360-361 ページ画像

雨夜譚会談話筆記 上・第一二七―一二九頁〔昭和二年一一月―昭和五年七月〕
  第六回昭和二年四月廿六日 於飛鳥山邸
○上略蜂須賀茂韶氏が海外へ赴いて鉄道の緊要なるを知り、奥羽の地方へ鉄道を敷設せねばなるまい、奥羽を開発することは日本を進める所以である、華族仲間で是非やるがよいと、華族連中へ云つて来た。大抵早く海外へ行つた人は金融と交通とに目をつけて居るが、蜂須賀氏も鉄道に着目した。それは明治六年のことであつたが、華族連中は何分資力のある人達であるから、忽ち奥羽の鉄道計画が成つた。それも早く京浜鉄道が敷設せられて、鉄道の必要なり面白味なりが理解出来て居たからであらう。で早く内々の世話役として前島密氏が依頼を受け、色々方法を講ずる位置にあつたが、其内私が銀行業者になつたので、大蔵省で伊達宗城、松平春岳と云ふやうな人達と知り合ひであつ
 - 第8巻 p.361 -ページ画像 
た関係から、更に私に鉄道の世話役を頼んで来た。何分奥羽へ鉄道を敷くには少々の金では出来さうもない、又其調べも余程確乎たるものでなくてはならぬので、先づ初めには東京宇都宮間、次で福島まで、更に仙台、盛岡と云ふ風にして調べたいと思ふ。又之にも高島屋などが工事を引受けたいと云うて居た。私は如何なる方法で資金を集めて経営に任ずるか、又政府が如何なる程度まで援助するか等に関して心配した。当時株式組織と云ふものが、おぼろげながら知られるやうになつて居たので、鉄道はそれによるがよからうと云ふことになり、明治七八年の頃まで約二年程色々と評議した。其の仲間は毛利元徳、九条道孝、前田茂昭《(マヽ)》、池田慶徳、池田章政、井伊直憲、松平頼聡等廿軒ばかりで申合せ調査中であつた。○下略


呑象高島嘉右衛門翁伝 第二四二―二四五頁〔大正三年八月〕(DK080022k-0003)
第8巻 p.361-362 ページ画像

呑象高島嘉右衛門翁伝 第二四二―二四五頁〔大正三年八月〕
之より先き翁は或る米国人の許に行きたる事あり。時に其妻女等日本の地図を広げ、頻りに何事やら語りをるを見たれば、通訳を介して其何事を談じをるやを問へるに、彼等答へて云ふ。今日本の地図を見るに、御覧の如く日本帝国は甚だ細長き国なり。若し何れよりにても此の細長き国の半途を中断するものあらば全国の脈絡忽ち絶えて如何ともすること能はざるに至る可しと思へば、実は今其事を談じ居たるなりと、翁は之を聞きて大ひに驚き、彼等外人は婦女にても尚且斯かる事を考へをれり、決して聞き捨てにすべき事にあらず。且夫れ誠に此女等の云ふ如く、日本は南北の距離実に八百余里此間の交通にして完全なるを得ずんば国家の存立上誠に由々しき大事生ず可し。乃ち如何にしても此間の交通を能くする事を計らざる可らずと、玆に於て東北鉄道敷設の考案を起し、一には中央と東北との交通を便にし、二には更に進んで北海道との聯絡を計り、以て日本帝国の脈絡を通ぜざる可らずとせり。乃ち明治四年中翁は詳かに其理由を述べたる建白書を政府に捧ぐること二回、同五年亦同一の建白書を提出し、更に其前後に於て敷地検分の為に青森地方へ往来せしこと数回に及びたりし也。
政府に於ても翁の云ふ所を理ありとし、当時工部省の測量方たる小野友五郎氏を東北に派遣して敷設地の踏査測量に着手せしめ、且其敷設に関する経費等の調査に従事したるが、翁には当時之に就て一の成案あり。即ち其案に拠れば、先づ華族の禄券を政府に買上け、其代償として鉄道券を交付し之を略ぼ株式組織として十箇年間政府より年八朱の補助を附することゝなす也。而して其禄券買上の現金を以て東京より青森に至る鉄道を敷設するにあり。斯くすれば、一は以て国家の脈絡を通じ一は以て華族の収益を計り、更に亦之に因て無職の人民に就職の道を得せしめ、或は不毛の地を開き、或は有用の物産を出さしめ而して華族は禄券に徒食するの譏を免かるゝに至り、政府も人民も倶に大ひに利する所ある可しと云ふにあり。
政府当路の人も当時翁の此案には賛成するものあり。頻に華族間に勧誘する所ありしも当時未だ企業の時期に達せず。空しく両三年を経過し、明治七年に至れり。翁は時に岩倉右大臣に謁して更に亦此事を説き、華族中にて是等文明的事業に志ある人の指名を請ひたり。右大臣
 - 第8巻 p.362 -ページ画像 
は即ち伊達宗城、松平春岳の両卿を指名したれば、翁は両卿に面謁して懇々説く所あり。更に浅草瓦町なる尾州徳川邸に諸華族の集会を催し、翁亦其席上に於て三時間に亘る演説を試み、以て其賛同を求めたり。然るに翁の熱誠は稍や貫く所あり。其翌日資金七十万円を集め得たれば直に之を第一銀行に預入し、次に役員を選定せしに華族総代には前島密氏、会計には渋沢栄一氏、作業方には翁其任に当ることゝなり、扨て愈々敷設の計画に着手し、其旨を出願するに至れり。
然るに、当時の民情は未だ文明の何たるを解せず。殊に斯かる大事業の経験もなければ、或は之を不可とするあり。或は之に危惧を懐くあり。又或は之を羨望するあり、世論囂々として決せず、遂に意外の処に意外の反対者を出だして支障百端、幾んど収拾す可からざるに至りて、亦復意外にも斯かる大事業をなさんよりも京浜間の鉄道を華族に払下ぐるに若かずと云ふものあるに至りて翁の宿志は画餅に帰し、東北鉄道敷設の計画は遂に中止の已むを得ざる事となれり。
   ○高島嘉右衛門ノ東京青森間鉄道建言書ハ「日本鉄道史」(上篇・第三三六―三三八頁)参照。


青淵先生伝初稿 第二四章・第一二―一五頁〔大正八年―一二年〕(DK080022k-0004)
第8巻 p.362 ページ画像

青淵先生伝初稿 第二四章・第一二―一五頁〔大正八年―一二年〕
    東京鉄道会社創立の議
明治五年十月、英国に留学中なる華族蜂須賀茂韶旧阿州藩主。より政府に建言して、華族の家禄を合同し、更に有力なる士族の家禄をも募りて、鉄道会社を組織し、東京・青森間、又は東京・新潟間に鉄道を敷設するの急務なるを説き、別に同族中へも勧告せり。是より先き横浜の商人高島嘉右衛門、東京・青森間に鉄道敷設の計画を立て、華族の出資を仰がんとて、松平春岳・伊達宗城等の諸華族に説きしが、此に至り松平・伊達及び徳川慶勝・池田慶徳・毛利元徳・池田茂政・亀井玆監・山内豊範・細川護久・池田章政等の華族十名は蜂須賀の説を賛し、明治六年三月連署して、会社設立の許可を太政官に請願せるに、太政官は翌七年九月、事業の方法を詳記して工部省に呈出すべし、と指令せり。
然るに八年に至りても事業進行せず、組合も壊崩せんとせしかば、伊達宗城・池田章政等熱心に之を支持し、在官にては駅逓頭前島密、在野にては高島嘉右衛門等亦其議に参ぜり。されど至難の事業なるが故に、前島は適当なる指導者を得んと欲し、遂に先生を屈請することゝなる。此に於て先生内議に参じ、前島と共に鋭意其調査に従へり。最初の計画の東京・青森間は事業大に過ぐるを以て、東京・福島間に改め、建設費を七百五十万円と見積りしが、幾もなく又東京・宇都宮間に変更し、集会を開くこと三回に及びたり。


明治史第五編交通発達史(「太陽」臨時増刊)第一〇九―一一一頁〔明治三九年一一月〕(DK080022k-0005)
第8巻 p.362-366 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕岩倉公実記 下巻・第四八〇―四八二頁(DK080022k-0006)
第8巻 p.366-367 ページ画像

岩倉公実記 下巻・第四八〇―四八二頁
敬白臣等無能徒ラニ
陛下ノ鴻恩ニ浴シ家祖ノ余業ニ藉リ以テ猥ニ封禄ノ富ヲ忝フシ列ヲ四民ノ上ニ専ラニス、臣等豈其独リ能ク之ニ報効スル所ノ者ヲ思ハサルヘケンヤ、苟モ徒ラニ是ノ恩ニ浴シ是ノ富ヲ有シ飽暖遊逸一モ報効スル所ナクンハ則
陛下ノ仁能ク恕シテ之ヲ問ハサルモ其レ何ヲ以テ臣等ノ家祖ニ応シ其レ何ヲ以テ天下蒼生ニ対センヤ、是故ニ臣日夜焦心苦慮以テ上
陛下鴻恩ノ万分ニ報シ下天下蒼生ノ衆ニ利シ以テ家祖ノ余声ヲ辱シメサルモノヲ謀ラントシ、而シテ頃ロ窃ニ見ル所アリ、以テ左ニ陳シ特
 - 第8巻 p.367 -ページ画像 

陛下ノ聖裁ヲ仰カントス、夫レ宇宙文明ノ運ニ方リ
陛下神聖英武天下ノ賢ヲ網羅シ四海ノ才ヲ登庸シ諸官悉ク理リ百弊倶ニ挙ル臣等夫レ何ヲ以テ能ク其万分ヲ議センヤ、然リト雖モ臣等華士族ノ如キ封建積習ノ未タ除カサル者ニシテ而カモ天下財ヲ粍スルノ尤ナル者ナリ、是必将ニ政府諸官其措置ヲ議シ以テ速ニ其消尽ノ験ヲ挙ケスンハアルヘカラサル者トス、然ルニ今日ノ勢一旦之ヲ廃シテ給セサレハ則蒼生其産ヲ失シ、以テ窮途ニ狼狽セントスル者各県各地ニ普ネカラントス、是亦慮カラスンハアル可カラサル者ナリ、然リト雖モ是則政府百官ノ事耳臣何ソ敢テ多言センヤ、唯臣等今日ノ務ハ自ラ理産ノ道ヲ弁シ而シテ以テ政府一大冗費ヲ消尽シ得ルノ効ヲ助ルニ在ルノミ、臣是ニ於テ自ラ其理産ノ道ヲ弁スル所以ノ方法ヲ尽シ以テ復タ天下蒼生ノ洪福ヲ致スノ一端ヲ稗補セントス、臣頃ロ欧洲ノ実況ヲ歴見シ以テ各国隆盛ノ由ヲ観ルニ蓋シ鉄道ノ利以テ其富強ヲ致ス亦大ナリト謂フヘシ、今ヤ
皇国商賈行旅運輸消息ヲ便ニシ富強ノ礎ヲ建テントスル鉄道蒸汽車ノ設最其急タル固ヨリ論ヲ俟タスシテ之ヲ知ル、然ルニ鉄路蒸汽車ノ設固ヨリ其費ス所巨万而シテ其功始メテ挙ル、臣窈ニ惟フニ今日政府ノ歳入猶未大ナラス而シテ其費ス所百端多カラサルヲ得ス、加之巨万ノ費徒ラニ政府ノ力ヲ以テ鉄道蒸汽車ノ役ニ従事セントス豈夫レ容易ナランヤ、是故ニ臣謂フ、願クハ臣等華族有志ノ者之ヲ率先シ以テ広ク士族等ノ有力者ニ募リ其家禄家財等ノ余ス所ヲ合シ以テ一団ノ会社ヲ結ヒ、而シテ其会社ノ力ヲ以テ或ハ東京ヨリ奥州青森ニ至リ、或ハ東京ヨリ越後新潟ニ至ル等ノ地ニ鉄路蒸汽車ヲ設ケ、以テ上
陛下文明ノ治政府巨万ノ効ヲ裨補シ下天下蒼生洪福ノ基ヲ開キ而シテ臣等亦自ラ其理産ノ道ヲ弁スルヲ得ントス、然シテ十数年成功ノ後果シテ其会社ノ利ヲ以テ臣等生産ノ財本ヲ生シ得ルニ至リ、華士族等ノ禄挙テ之ヲ政府ニ還納セハ則政府亦一大冗費ヲ省キ以テ有用ノ費ニ供スルヲ得ントス、誠ニ如此ンハ臣等又遊逸暖飽ノ譏ヲ免カレ労衣力食ノ道ヲ得、従テ家祖ニ報セントス、豈亦臣等ノ至幸ナラスヤ、臣幸ニ許可ヲ得ハ即チ同志ヲ募リ以テ一社ヲ結立シ、即チ臣カ家禄家財等ヲ以テ社ニ投セントス、臣海外ニ在リト雖モ其人ヲ得テ此挙ニ従事セシメン、仰キ願クハ 聖明臣カ迂言ヲ棄テス速ニ允許アランコトヲ
  明治五年十月              蜂須賀茂韶


〔参考〕華族会館誌 第二巻 【七年七月十六日 ○中略…】(DK080022k-0007)
第8巻 p.367-371 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕渋沢子爵家所蔵文書 黒一二之二〇 【今奥州道中を最も先として鉄道を建築すへき其所以之大略を五条ニ分て左之如し】(DK080022k-0008)
第8巻 p.371-372 ページ画像

渋沢子爵家所蔵文書 黒一二之二〇
今奥州道中を最も先として鉄道を建築すへき其所以之大略を五条ニ分て左之如し
    第一条
一陸奥国は北地ニ接し其末又魯国と之境堺ニ接す、此境堺ニ付而は屡有志輩之論説あり、既ニ北地之開拓を緊要としこれを専ら盛大ニし其実功を挙て当ニ魯国をして蚕食之念を絶たしめんとするハ人皆よく知る所也、雖然方今之摸様ニ於て蚕食之念慮弥深く往日如何これあらん、これ我国之患ひ最も大といふべし、左れは果して北地之開拓を盛大ニして此大患を除き彼之境堺を正ふするハ奥州道中ニ鉄道を設るニ如ハなし、これ即此鉄道建築之最も主要とする大眼目也
    第二条
一鉄道建築工業之全功を挙げ及び蒸気器械製造元組より運転ニ至る迄日本人之手ニ大成するを現在ニ顕して而して人智進歩之実功を奏すべき也
    第三条
一計《(経)》済之亢《(元)》を堅くして此鉄道を全国ニ及し、全国計済之元を堅くして富国富饒之基を開らくべき也
    第四条
一鉄道建築之大略は亜米利加合衆国之鉄道ニ基き、更ニ用前を堅固ニして目覧之美を不好、勿論費用減少するを肝要とすべき也
    第五条
一東海道中仙道之如きハ嶮岨之地多く大河急流ニして建築之費用不可計知、爰ニ奥州道中ハ右二道ニ比較すれハ平坦之地多く費用大ニ減ずべし、一体ニ土地も豊かニして青森と盛岡を合せて西京ニ又仙台と福島を合せて大坂ニ比較すべく、既ニ建築成功せは北地をして東京ニ接近する如く一図ニ産物之富饒を極め其便宜挙て言べからす、凡全国鉄道ニ於て此利潤ニ如くものなかるべし、加之北地開拓之実
 - 第8巻 p.372 -ページ画像 
功を奏し彼境堺を正ふすべし、扨又鉄道建築ハ全功を挙る共蒸気器械製造元組ハ覚束なしと、若し疑ふあらハ今を去ル十ケ年前外国人を一切不頼日本人許ニて蒸気軍艦製造せし其軍艦現在海軍省ニ有之其名を千代田形といふ、屡戦争ニも出たる由、此処を以疑を入さるべし、又曰外国人ハ日本人を概して無智之者とし其軽蔑は人皆自から知るといへ共此事如何んともすべからさる姿也、稀ニ日本人彼ニ学術勝る者有之といへ共又如何ん共すべからす、実ニ歎息之至ならす哉、思ふニ我国ニ於て未タ著しき工業を奏せさる故ならん、これ此軽蔑は
 皇国全体之強弱ニ関係し、最も患べき之最大ニして人皆憤発せすんハあるべからす、依之必シも急き第二条之実功を挙げ、更ニ外国人の目を覚さしめ、我国をして海外諸州と共ニ並立すべき基本を開らくべき也、右鉄道建築は北地開拓之大眼目ニして方今之急務是より大なる者ハなかるべく、人皆
 皇国之為として是より尽す者はあらさるへし、鉄道便宜之利潤に於て是より善なるハなかるべし、雖然此実業正ニ大ニして如何ん共すべからす、誰かこれを能せさらん、誰か能これをなささらん、依而一向高評之宜しきに出で、急ぎ全功之挙を期すべきと偏ニ希ふ而已
   亥二月