デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
29節 其他
4款 朝陽館
■綱文

第15巻 p.226-236(DK150018k) ページ画像

明治10年2月24日(1877年)

是ヨリ先明治九年九月、五代友厚政府ヨリ借入レタル低利資金ヲ以テ大阪府北区堂島浜通ニ朝陽館ヲ創立シ、製藍販売事業ニ従事ス。栄一朝陽館創立以前ヨリ五代ト郷里ノ親戚ノ製藍ニ従事スル者トノ間ニ斡旋スル所アリシガ、是日栄一対清借款ノ事ヲ以テ上海ニ赴ク途次、大蔵書記官岩崎小次郎ト共ニ同所ノ見学ヲ希望スル旨ノ書翰ヲ送ル。


■資料

(尾高幸五郎)書翰 渋沢栄一宛(明治九年)六月二七日(DK150018k-0001)
第15巻 p.226 ページ画像

(尾高幸五郎)書翰 渋沢栄一宛(明治九年)六月二七日
                     (渋沢子爵家所蔵)
一筆奉拝啓候、打続雨天勝ニ御座候処
大厦御皆々様愈御揃益御機嫌克被為入奉粛賀候
随而弊屋無異罷在候間乍憚御寛懐奉祈候
陳者此度予テ製藍之義五代氏より両名被差越候ニ付、御雲書奉拝承候条才三郎様と御談示候上種々趣右両名江打合候処、生葉藍反別弐拾町歩計も手配致度趣ニ付、就テハ器械等之義大桶計ニ而ハ開戸口ハ出入相成兼殊ニ不便利事故も有之由ニ而大箱三拾計舟大工ニ誂江外ニ取扱之小樽等三四拾本計其職方ニて拵江右手配仕候、寄テハ製シ所義広ク入用之事ニ候間才三郎様と双方ニ訳テ可仕積リ之処、右両名申ニ手を訳テ者差支之由、製シ中ハ皆時間ヲ以テ致候ニ付、壱ケ所ニ取設ケ度趣ニ寄テ猶御談示之上小生本宅明屋ニ候故此方ニ可仕義ニ相定候旨此段奉申上候、且此程五郎方より乍憚一寸奉申上候五代氏方より被申越候義水勢と申ハ井水ノ湧方強弱之由、依テハ本宅西ノ屋敷ニ井戸壱ツ有之処至極手近ニて便用ニ候、尤も何れの井戸ニ而も壱ツニ而ハ差支之見込ニ付、直脇江□《(続カ)》堀ニテ新規井戸壱ツ西南長屋江張掛ケ小屋壱ツ外ニ右西ノ屋敷江同小屋張壱ツ右相仕立度旨ニ付取懸リ候、猶委細之義者才三郎様より可奉申述候、宜敷奉願上候
右者種々之趣乍踈略不取敢捧愚札候 匆々頓首頓首恐々敬白
                    尾高幸五郎(印)
  第六月廿七日
                       千拝
    渋沢尊大人様
          虎皮下


(尾高幸五郎)書翰 渋沢栄一宛(明治九年)七月二八日(DK150018k-0002)
第15巻 p.226-227 ページ画像

(尾高幸五郎)書翰 渋沢栄一宛(明治九年)七月二八日
                    (渋沢子爵家所蔵)
一翰奉拝稟候、炎威赫々難凌御座候処
大厦愈御揃益御清適被為入奉敬賀候、随而親戚一同無異消光罷在候間乍憚御休神奉祈候
 - 第15巻 p.227 -ページ画像 
陳者過ル十八日深川御邸江御越ニ相成候趣奉拝承候
嘸御繁忙之御事と奉存候、偖製藍之義ニ寄テハ其御後ハ藍作方時気ニ依リ候哉、謂所小きアフラ虫と申を生シ追々下葉より枯上り、一般之クセト相成無拠之ノ期節ニ相成不申候得共、一般某商ニ仕納ニ取掛り、左スル故買置申事更ニ難出来、然ルニ右ニ依テハ別而売人者弐三里外処々よりも申入も有之事ニ候得共、此ク見込よりも早故ニ器械之義等も間ニ合兼、漸ク過日市郎様より御申上候頃より相始メ勉励候得共、何方右様整ひ兼旁之処藍葉之義者俄ニ取急と相成、今日ニ至り藍葉製シ置付方共反別六七町歩迄位ニ及候処、最早血洗嶋辺より新戒沼尻村迄ハ大低者仕納《(抵)》ニ相成、且場外ニ而町田堀田或ハ明戸新井村方抔ハ相後れ当今仕納中之事ニ候得共、此ク日てり故皆日枯れ同様ニ相成途而も買入之品ニハ難相成、其中上物を撰ミ少々宛買取り候、此代価反ニ付拾弐三円より拾五七円位之相場ニ而手配仕候、且買入方ハ予テ御申有之候件右衛門方万端相談ニ致し手配仕候、先ツ一番者あらましニ相成、是より弐番ニ気込を付ケ手配可仕積り之処、此ク天気ニ而近ク雨降無之ニてハ同ク枯物と相成歎息之至、天成之義ニ者候得共只顧雨乞を所祈ニ御座候次第ニて此段奉申上候
一乾藍葉之義ハ右条気候故ニ豊作も却テ不作と相成、此上自然品少之見込ニ付最寄之旧藍師とも夫々買入方ニ心を寄セ候哉、殊ニ足利辺之紺屋とも藍玉を買入方多分ニ手配有之候旨旁昨年よりも亦気配強ク当今相場上物円ニ壱ツ半より並物三ツ位ニて見込成行実ニ困入候旨、且貴表五代氏方より被差越候者之内、中ニ阿州藍買付之義反ニ付金拾五円之由噺之趣も有之哉之処、当地辺ハ品少故追々高直ニ相成、先ツ乾藍之義ハ御延引方如何可然哉御事ニも乍恐奉存入候、猶委細者市郎様よりも可奉申上候、宜ク御承允奉願上候、右者乍麁略得尊意度候
猶後音縷々奉申認候 匆々頓首頓首敬白
                         尾高幸五郎(印)
  第七月廿八日
                            千拝
    渋沢尊大人様
          虎皮下
二白、今般市郎様江御雲書御事御様子ニ寄テハ御尊来も可為在旨奉拝承候、乍恐奉待入候、御炎暑中御愛護奉祈候、偖深川御邸之義ハ至極風気流通ノ宜ク炎煇も御凌克ク被遊候御事之由奉恐悦候、乍憚御序之砌ハ御奥様ヘ宜ク御鳳声奉希候 草々頓首々拝


(尾高幸五郎)書翰 渋沢栄一宛(明治未詳年)九月一〇日(DK150018k-0003)
第15巻 p.227-228 ページ画像

(尾高幸五郎)書翰 渋沢栄一宛(明治未詳年)九月一〇日
                     (渋沢子爵家所蔵)
拝啓本月七日高崎表より御発御尊書難有奉拝誦候
愈御皆々様方聊御障も無御座御入浴被為遊嘸御相応之御事条欣然之至奉敬賀候、且馬場先生薬籠之義馬車会社ニ御取落しニ相成候処、早速御送届之御事大慶ニ奉存入候、偖御尊君ニ於テハ御多端之御儀ニ付六七日之頃日者御帰京被為遊候御事ニ奉拝承候、六日深谷駅福岡方江市郎君小生義御待入候、当日御通行不被為在翌朝両人義罷出候処、即今御通行ニ相成候義、実ニ失敬奉拝謝候
 - 第15巻 p.228 -ページ画像 
一製藍之義御配慮を蒙り候弐番作分相始メ、両三日之内ニ伊丹樽ニ二三本程出来ノ義、不取敢右朝陽館宛ニ差送り度積り候間、此段奉申上候、且続テ処々ヨリ葉藍売人入合候故追々下直ニ出来候ニ付買受仕候分ニテ跡拾樽余も出来可申哉とも存入候、且試験旁可仕之処右ニ付御伺ひ奉申上候、只今之見込ニ而者亦五代氏方より出張ニ相成候歟、又ハ御注文ニ候ハヽ、壱番製高位ハ出来可仕哉とも存入候旨右ニ寄テハ予テ被仰聞ニも御座候御義ニ付、私共両名ノ内不日御伺ひ奉申上度此段御承允奉願上候、拙筆失敬をも不顧右者得尊意度、匆々頓首々恐々謹言
  第九月十日             尾高幸五郎(印)
                       千拝
    渋沢尊大人様
          玉机下
    追白
  弐番藍生葉相場凡見込拝記ス
   当地血洗嶋村より沼尻高島村辺迄北ハ利根川南ハ小山川内ニテ
  一上品ニテ円ニ付弐拾貫目より
  一下等   〃 廿七八貫目まて位
   但シ肥ノ為ニ旱枯れ多分ノ事ニ御座候
   右より上郷ニ至テ
   沼和田村都嶋及ひ八町川岸辺ニテ
  一上等円ニ付廿七八貫目より
  一下等円ニ付三拾七八貫目迄位
   但シ此処ハ踈地故殊ニ肥等者至テ少ク候故か早枯レ少ク能ク相長シ候也
   亦右より二所ニ至テ
   間々田村蓮沼及ヒ茨原村辺ニテ
  一上等円ニ付廿弐三貫目より
  一下等 〃 三拾四五貫目位迄
   但シ之地も上郷よりも少ハ相勝り候得共矢張場違之事ニ候尤も右同断
   作方能ク生長シ候事ニ御座候
  右乾上ケ貫減シノ義者
   壱番者生葉壱貫者
   同干上葉拾貫ニ相減シ候、平均高予メノ事ニ御座候由
   弐番者生葉壱貫者
   同乾上ケ葉拾弐貫ニ相減シ候、平均高但シ大抵予メノ御事ニ御坐候
右試験ニ相成候次第調書持参奉上申候 以上
   ○コノ書翰モ明治九年ノモノカ。


(渋沢才三郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治九年)八月一三日(DK150018k-0004)
第15巻 p.228-229 ページ画像

(渋沢才三郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治九年)八月一三日
                     (渋沢子爵家所蔵)
以郵便奉拝呈候、大暑甚敷御座候処
 - 第15巻 p.229 -ページ画像 
御邸皆々様益々無御替被為入候条欣喜之至奉拝祈候、次ニ当方一同無事罷在候間乍憚御休神可被下候、陳者去月中者御無滞御転宅被遊恐悦至極奉祈候、出京之砌者種々製藍之義被仰聞其後者御無遠仕御用捨可被下候、先頃中尾高幸五郎殿製藍之義申上候通り機械之手配方不なれ猶生葉藍も油虫旱焼ニ而大不作致シ、去月十四五日買入始其後少々ツツ製シ、惣製造高反別八町弐反計ハ代金者壱反ニ付金六七円ヨリ三拾弐三迄之事ニ買入申候、本月五日迄ニ壱番藍製相済十日ニ青木敏之殿五六日掛ケニ而出京仕、定メ御邸江も伺委細御聞取之事ニ奉存候、其後日々照リ続キ弐番藍葉者此分ニ照リ続候得者皆無同様ニ被存候、併両三日之内しめり御座候得者三四分者宜敷可相成様ニ被存候、此分ニ而者都而秋物者大委作之事奉愚察候、藍玉者追々高直ニ相成、春相場上物壱駄二拾円位之物者当今三拾円位ニ引上候、乾葉抔も上物壱ツ八九分位ニ御座候、都而上直ニ相成米麦抔少々引上り申候
蚕種も追々上直ニ相成、一昨十一日手作紙弐百枚三百九拾円ニ而売払申候、少々売負候様ニも思召被有候や、新田之内抔去月中本部百枚弐百五拾円位新屋敷之内本部百枚弐百円位ニ而売払申候、右様日増ニ相場上ケニ而何程ニ売払候て当り相成候や計り兼候、都而蚕之品者早売程売負実ニ上景気ニ御座候、養種あらあら商人売纏ニ相成申候、右之成行申述候 早々謹言々々
  八月十三日                渋沢才三郎
    渋沢大君様
         閣下


渋沢栄一 書翰 五代友厚宛(明治一〇年)二月二四日(DK150018k-0005)
第15巻 p.229 ページ画像

渋沢栄一 書翰 五代友厚宛(明治一〇年)二月二四日
                     (五代竜作氏所蔵)
拝啓昨夕漸当地着仕候、就而銅藍等之事ニ付拝晤申上度ニ付即刻罷出可申御都合奉伺候、尤大蔵書記官岩崎氏も同行ニて製藍場拝見仕度旨申居候間、右辺も御程合相伺候、拙生輩之止宿ハ伏見町酉亭ニ一泊仕候、為念申上候
右相伺候為メ匆々再拝
  二月廿四日                 渋沢栄一
    五代様
   ○栄一、明治十年一月二十六日益田孝・岩崎小次郎等トトモニ対清借款ノ事ヲ以テ上海ニ向ケ出発、二月二十三日神戸帰着、即日大阪ニ赴ク。(本資料第四巻第三一九頁参照)


(五代友厚)書翰 (渋沢栄一宛)(明治未詳年)五月三一日(DK150018k-0006)
第15巻 p.229-230 ページ画像

(五代友厚)書翰 (渋沢栄一宛)(明治未詳年)五月三一日
                     (渋沢子爵家所蔵)

図表を画像で表示--

  御請              友厚 



鳳墨拝誦仕候処愈御多祥奉大賀候、然者製藍一条云々被仰聞趣拝承仕候、明日午後二時頃迄者差支無御座候付、御泊り之商人衆御同伴御枉駕被下度奉願候、何茂其上と申上残候
 - 第15巻 p.230 -ページ画像 
御答迄 恐々頓首
  五月卅一日
  弐白、銀行株云々以之外なる事と而過日も申上置候通最早右株ハ不売心得ニ候、其上辻何某とか申仁者迂生名姓も不知ものニ御座候、自然山子之類と一笑仕候、猶明日も可奉伺候


(五代友厚)書翰 渋沢栄一宛(明治未詳年)一二月二〇日(DK150018k-0007)
第15巻 p.230 ページ画像

(五代友厚)書翰 渋沢栄一宛(明治未詳年)一二月二〇日
                     (渋沢子爵家所蔵)
愈御多祥奉正賀候、然者一昨日者御多忙中参上、種々御難躰歎願仕候処、快御承知被下御陰を以充分之目的も相□《(届カ)》鴻恩生涯亡脚不仕《(マヽ)》ると奉拝謝候、就而者一昨日粗申上置候通藍相場も一時相下、阿洲表と茂夫夫着手仕度然るに欠額者桐生より来信有之、該地之景況追日人気を迎候趣ニ而皆藍玉之買入抔も各紺屋見合居候趣、何れ精製藍及□《(粗カ)》製之藍売れ立候て藍玉者此末下落之見込ニ御座候、仍時機藍玉御買入相成候而者如何と申上置候得共、右之景況ニ付失策と御用捨被下度申上候、御礼旁奉得御意候 恐々頓首
  十二月廿日                       友厚
    栄一様
  弐白、夜前各賢子御集会と奉存候□《(彼カ)》迂生方江一会之儀如何御催被下候哉奉伺候



〔参考〕東京日日新聞 第一三七四号 明治九年七月五日 公報(DK150018k-0008)
第15巻 p.230-231 ページ画像

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〔参考〕東京日日新聞 第一三七七号 明治九年七月八日 雑報(DK150018k-0009)
第15巻 p.231 ページ画像

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〔参考〕団々珍聞 第八〇号・第一二七四頁 明治一一年九月二八日 近世盛衰競(DK150018k-0010)
第15巻 p.231 ページ画像

団々珍聞 第八〇号・第一二七四頁 明治一一年九月二八日
  前頭 五代朝陽館
近世盛衰競
  前頭 小野三谷



〔参考〕中外物価新報 第六三号 明治一一年一月二三日 東京商況(DK150018k-0011)
第15巻 p.231 ページ画像

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〔参考〕竜門雑誌 第三七号・第一九―二三頁 明治二四年六月 寄書 日本藍業の前途を卜し製法を改良するの必要を説く 尾高節太郎稿(DK150018k-0012)
第15巻 p.232-233 ページ画像

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〔参考〕染料と薬品 第七号・第五八五頁 昭和五年一二月 高松豊吉老博士を訪ふ(山川隆平)(DK150018k-0013)
第15巻 p.233 ページ画像

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〔参考〕五代友厚伝 (五代竜作編) 第四〇七―四一九頁昭和九年六月刊(DK150018k-0014)
第15巻 p.233-236 ページ画像

五代友厚伝 (五代竜作編) 第四〇七―四一九頁昭和九年六月刊
  第十章 実業界に活躍す
    (一) 製藍事業を興す
 明治初年、我国に於ける染色藍精製の技術は極めて幼稚にして、粗製濫造に傾むき、汚物混淆して色沢美ならず、且つ褪色し易き為め、漸く舶来の「インチゴー」に圧迫せられんとするに至れり。仍つて君は大に之を憂ひ、之に改良を加ふるに於ては、啻に農民を利し、染色業者を益するのみならず、延ひて本邦の重要輸出品として、国益に資するに至るべしと為し、或は其の精製方法に、或は其の染色方法に、
 - 第15巻 p.234 -ページ画像 
或は又た其の普及方法に就き、思を潜めて苦心研究を重ぬること三ケ年に及びて大に得る所あり、明治九年四月に至り、左の特許願を東京府知事に提出し、且つ産業資金として金五拾万円の補助を申請せり。
    特許願
                          私儀
 年来御国産ノ品物ヲ以、製藍精製ノ方法発明致シ、富国ノ万分ヲモ相補ン為、日夜研究ヲ積ミ、遂ニ今般成功ヲ遂ゲ、已ニ欧米各国ノ経験其他確報ヲ得、往々輸出ノ目的モ相立候ニ付、尚一層盛業ヲ起シ度、依テ恐入候ヘ共、積年苦心成功ノ廉ヲ以、何卒先キ五ケ年間特許ヲ蒙リ、盛大興行、広ク販売ノ道相開キ候様仕度奉願候。尤五ケ年後ハ一般普ク通知候様仕度素志ニ候。
依之此段奉願候也。
  明治九年子四月
           東京築地新栄町七丁目一番地寄留
              鹿児島県士族 五代友厚
    東京府権知事 楠本正隆殿
 当時君が、東京府に提出せる藍製造概算調書に拠れば、生葉買入地は、阿波・摂津・河内・和泉・山城・大和・播摩・備前・武蔵の各地に及びて六十万貫。乾葉買入地は、前各地の外、備後・備中・安芸・美濃・伊勢・讃岐に亘りて八十万貫也。
 企業の方法今日の如く備はらず、交通運輸の便亦た現今の如く完からざる当時に在りては、之れ実に驚くべきの大計画と言はざるべからず、而かも君は、之が為め担保品として、殆んど其の全財産を挙げて政府に提供せんとするなり。即ち君が抵当品として政府に差出せる鉱山の借区券は、天和銅山・栃尾銅山・和気銅山・蓬谷銀山及び半田銀山の五鉱山にして、就中半田銀山の如きは、我国に於ける三大鉱山の一と称せらるゝものなり。此の一事を以て看るも、製藍事業に対する君の意気込の、如何に大なるものありしかを窺知するに難からず。
 而して君の請願は、政府の許可する所となれり。
 玆に於て同年九月、地を大阪府北区堂島浜通二丁目に相して朝陽館を創立し、大に之が製造販売の業に従事す。其の計画の広大なる、内地は勿論、支那及び朝鮮の各地に、支店又は売捌所を設け、更に進むで製品を欧米各地に輸出し、外国品を駆逐して、大に国益の増進を図らんとするなり。
 大久保利通嘗て朝陽館の扁額に題して曰く「尽人事無不成」と。君此の語を印刻し、館員の辞令に押捺す。館中役員と称する者実に百五拾名、以て其の規模の大なるを知るべく、組織尽く弘成館に做ふ。
 斯くて君は、一方に於て鉱山事業を経営すると共に、他方に於て製藍事業の拡張を企て、先づ其の羽翼を北越・関西・九州に伸ばし、或は染業伝習の生徒を集め、或は教授出張所を設け、更に上海・寧波・天津・北京の支那各地に、染業所又は支店を設置して巨額の藍料を分与し、又は当業者を大阪に誘致して、染業の実際を教習せしめ、以て鋭意之が普及宣伝に力むる所あり。之が為め其の事業漸次世上の知る所となり、需用大は開け、販路次第に拡張し、君に就いて之が教習を
 - 第15巻 p.235 -ページ画像 
受けんとする者亦た漸く多きを加へ来れり。
○中略
    (二) 朝陽館行幸
 明治十年二月 天皇陛下西南に幸し給ふに方り、同月十六日畏くも有栖川宮熾仁親王・木戸孝允・西郷従道・伊藤博文以下の群僚を率ゐて朝陽館に臨幸あらせられ、親しく其の実際を臠はせらる。此の日
 陛下には、御着後製理課に於て御休憩遊ばされ、恐れ多くも君を召させられて謁を賜ひ、君の御先導に依りて順次各課を御巡覧あらせられたり。
 陛下には先づ藍試験場に玉歩を進ませられ、製染方法に関して種々御下問のことあり。君は天顔に咫尺して詳細に御説明申上ぐ。此の時扈従の高官僅に五名、他は皆場外に在りて御警護申上ぐ。陛下の御力強き玉音と君の高声とは、しばしば場外に洩れたりと聞く。次いで久世義之助は召されて御前に伺候し、薬品を加へて種々染方の変化を天覧に供し奉れり。
 尋いで 陛下には撰藍課・除水課・溶製課・製薬課等を御順覧遊ばされ、再び製理課に成らせられ、特に君を御召の上、館の組織、事業の状態に関して種々御下問の事あり。君謹むで聖恩の辱きを感謝し、一々御奉答申上げ、深く 陛下の御嘉賞を得たり。
 此の日伊藤博文は、御前に於て「誠心一到何事不成」の八字を揮毫し、木戸孝允其の他の顕官、亦た各々詩歌祝詞を君に贈りて其の寵幸を讃ふ。惟ふに
陛下曩には半田銀山に玉歩を運ばせられ、今復た此処に鳳駕の跡を印して君が鴻業の記念を留む。個人の事業にして此の如く再度の光栄に浴せるもの真に稀なりと謂ふべし。
 当時大阪府知事渡辺昇より松方正義に宛てたる書翰に曰く、
 藍製造所云々の華墨拝誦、右は素より大兄より御達と申事無之共承知の事に候得共、御内話の次第も有之、同人より為願出候て御覧と申も如何に付兼て御咄しも申上候通、地方官より管轄内の勧業の事業大なる者を撰び 天覧願上候はゞ、今日専ら勧業を旨とするの折柄なれば不相叶儀も有之間敷と存候より、其用意可致置旨内達致置候次第也。然るに何ぞ、御次第も被為在 天覧無之との事なれば憾を呑んで止む而已。唯小官の不信に止る迄に御座候。乍去昇の見る所を以論すれば、同所等は幾万の大金を御仁借被仰付候程の事なれば、第一日本の洪益と見据へ相立候ての事なるべし。其辺を体し地方官に於ても飽迄保護を加へ、是非成功為致度、右は五代の為に保護するに非ず、上は政府の御見込違無之様、下は人民の幸福を永遠に保たせ度、則目今此製造始しより、土地一反に付、生藍の宜敷は二十七八円より漸次下り二十円位の収穫有之是迄は十五、六円より十二、三円迄前途必ず盛大の産物に可相成、加之年々当地に於て、二三十万の金を費し候事業故、利潤の人民に波及するもの不少、治民上の便益なる事なれば、随て御覧被下候ても可然事と於小生は相信候事に御座候。
 木戸先生の御咄にも、於奥州は養蚕家の自宅へも段々御出有之候趣同一の事と存候条、決て貴兄の御達を以相達候事に無之、全く御内
 - 第15巻 p.236 -ページ画像 
話の次第昇の頭脳に相響候より、五代へ昇の心を以て相違候事也。決て時間を長く御費と申訳には無之候条、何卒地方官の一言と雖も信を人民に失せざる様御尽力被下度、此儀は頃日上京の砌り木戸先生へも縷々申上置、同公も御承知の事にて、紙製造所並藍製造所は路次も近傍の事故、両所共是非御願申上度所存に御座候。因て謂、今天下に無税にて輸出の品は則藍と紙と也。其二ケ所なれば 上より被仰出候ても御覧有之度事に非ずや。
 右藍等に至ては世上に色々の説も有之候へ共、夫は於我輩毫も不顧所にして、唯地方官の職掌を以て申上候儀なれば、其辺は宜く木戸先生と御申合被下、是非相運候様御取執伏て希上候。余は拝鳳を。乱筆の儘草々頓首。
  二月一日                    昇
    松方先生閣下
 以て当時の牧民官が如何に地方産業の勧奨に熱心なりしかを窺ふに足るべく、又以て製藍事業が如何に一般人民に与へたる利潤の大なるものありしかを知るに足るべきなり。