デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

6章 対外事業
1節 韓国
2款 京釜鉄道株式会社
■綱文

第16巻 p.410-417(DK160059k) ページ画像

明治33年4月11日(1900年)

是日栄一、帝国ホテルニ於ケル地方官集会ノ席ニ臨ミ、当会社ノ創立ニツキ演説ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三三年(DK160059k-0001)
第16巻 p.410 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三三年         (渋沢子爵家所蔵)
四月十一日 雨
○上略 午後五時帝国ホテルニ於テ内務大臣ノ催シタル各地方官集会ノ席ニ抵リ、京釜鉄道発起人勧誘ノコトヲ演説ス○下略


中外商業新報 第五四六二号 明治三三年四月一九日 京釜鉄道の創立(一)(渋沢栄一氏の演説)(DK160059k-0002)
第16巻 p.410-412 ページ画像

中外商業新報  第五四六二号 明治三三年四月一九日
    京釜鉄道の創立(一)(渋沢栄一氏の演説)
○上略
諸君私は渋沢栄一であります、御会同中には今日始めて拝眉の方々もありまするが何卒自今御懇命の程を願ひます、偖て私が此席に参上致しましたのは、京釜鉄道会社創立委員を代表致しまして各位にも御聞知の京釜鉄道会社成立のことに付て各位の御助力を以て地方の人々へ此事業の必要を御紹介相成り、併て此会社の発起人に加名することを御勧励なされる様御願の為めであります、元来当春内務省に於て地方官会議御開のことを好機として吾々創立委員は各位に一夕の御会同を乞ひ、爾来会社創立に関する成行を陳上するの企望でありましたが、
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過日小松原内務次官に其事を請願しましたら、其中に御一同会同の時機もあるべきにより其際委員の一名出席して陳せば時間も少くして却て便利ならんとの指示がありましたから、今日は内務大臣の許可を得て此に参席した次第であります、抑も京釜鉄道布設のことは明治二十七年頃の日韓暫定条約に起因しましたけれども、吾々発起人が此事業を企図しましたのは明治二十九年七月であります、当時百三十八名の発起人が集会しまして其発起会で八名の委員を撰定しました、其八名は前嶋密・尾崎三良・竹内綱・大江卓・大三輪長兵衛・中野武営・井上角五郎で、私も其一人に加へられました、そこで、其委員中尾崎三良・大三輪長兵衛の二名を其年の秋韓国に派出して鉄道布設の請願に尽力し、我公使に於ても種々に助力せられましたが、終に其許可を得ることが出来ませぬ、越て明治三十一年九月に至りまして漸く其請願を許可せられて終に京釜鉄道布設に付て合同条約と云ふものを締結するに至りました、併其鉄道線路は曩に暫定条約締結の際我政府に於て踏査せられましたるものに拠る積りでありましたが、翌明治三十二年春委員大江卓を線路踏査の為め韓国へ派出して京城釜山間の山川を跋渉し、曾て政府に於て踏査せられましたるものを考案を少し変じまして丁度京城から忠清道を南へ全羅道へ這入つて全州から東へ折れるやうにして、終に慶尚へ出て霊山・大邱などを通つて釜山に達すると云ふ大体の方向でございます、是は韓国八道の中で三南と称へて人口も多く殖産等も盛んな土地でございます、少し距離は遠いやうでございますが、鉄道の交通上最も都合が宜からうと云ふ考で其処に致したのでございます、其調査を終つて帰つたのが昨年の四月頃でございました、然るに此会社の組立を色々と考へ見ましたが、奈何せん其資金は少くとも二千五百万円を要するのでございます、而して何様初ての仕事でございまして且つ中には殆んど無人の境とも謂ふべき所もございますから、迚も通常の営利事業としては世間が十分に認めて呉れぬのでございます、故に政府に対して相当なる御補助を請ふと云ふことがございませぬ以上は成立たせると云ふことはむづかしいのでございます、で種々吾々共も頭を悩まし思を労して、今尚ほ其思案中にあるのでございます、此事柄は日韓の貿易上甚だ必要だと云ふことは商売会社が思ふ点もございますが、又一方には政治観念からも其企望か強いので、当年の春に至つて議会に於ても建議案が出て又法律案も出まして速成を期すると云ふことは殆と政治社会では大多数を以て決せられたのでございます、去り乍ら政治上の観念で此事業の速成を期すると云ふ如く、商売会社が踏込んで参らぬのは前に申すが如き事情で、差向き利益が有るか無いかと云ふことが分らぬ、又事業は始めてのこと故困難であらうと云ふ気遣がある、旁々以て十分に成立つ場合に至つて居らぬのでございます、それで吾々共は政府に対して是非斯様な方法にして此鉄道に補助を与へられたい、第一鉄道会社は内地であると私設鉄道条例若くは又商法の制裁を受けなければならぬのでございますが、どうしても其順序には従ひ兼るから其範囲を外づして総株金二千五百万円の中五百万円の募集が出来たならば此会社は成立したものとして、跡は追々に株を募つて往きたいと考へる、又此会社が社債を
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起すことは他の会社より分量を強めて即ち二千万円だけは之を募ることを許可して戴きたい、又此会社の株金が取極つた以上はそれに対して六分たけ政府は補給して戴きたい、若し社債が都合よく出来れば宜し万一出来ぬ場合には此社債の募集に対しては政府は特別なる方法を以て募集の出来得るやうに十分御助成を蒙りたいと、夫等の廉々を趣意書に書列ねて出してございます、大要右等の方法に依て此会社の成立を計りつゝあるのでございます、此事が如何に極まるかと云ふことは今玆に予め申上げることは出来ませぬが、何れ政府に於てそれそれ詮議なされ是は出来ぬが是れだけは許可すると云ふことを遠からず御指図があらうと考へます、依て吾々が玆に御願ひ申するのは右の方法に依て会社の創設に取掛つて居るのでございますから、どうぞ此事業は営利と云ふよりは寧ろ国家と云ふ観念が多く含んで居るのでございますから、地方官各位は各地方に於て相当な資本家若くは顔役と云ふ人には段々御懇意もありませうから、何卒御勧め下されて此会社の成立に十分応援することの御心配がして欲しいと云ふに過ぎぬのでございます、尤も是迄の発起人の組立はどう云ふ仕組になつて居るかと云へば、今申すやうに単に営利会社を興すのと違ひますから、先づ取敢へず其発起人となるには百円宛出す、さうして愈々会社を組織する時には其の株式の引受は銘々其望に従ふと云ふことに明治二十九年に取極めてあるのでございます、それで発起人の総代として創立委員と云ふものを作つて、始め其委員か韓国政府にも又日本政府にも請願を為し種々なる取調を為して、愈々斯る組織で政府か許すと云ふ場合に最初百円出した人が幾許の株式を引受けると云ふことを定め、それから広く世間に株主を募らうと云ふ仕組にしましたのですから、最初出した人が其場合に至つて千株持つも可なり、又は発起人となつて百円は出したが株主となるのがいやだと云ふ人は其儘御止めなさるも可なりと云ふ次第にて、発起人となつたに付て通常会社の如く責任を持たせぬと云ふことに相成つて居るのでございます、故に玆に発起人たるものに加名して戴きたいと云ふのも、唯だ百円だけ出してさうして他日政府より与ふる補助方法が満足と云ふことになつた場合に株主になつて下されば宜い、即ち株主と云ふことは第二に御極め下すつても宜いと云ふ訳であります(未完)


中外商業新報 第五四六三号 明治三三年四月二〇日 京釜鉄道の創立(二)(渋沢栄一氏の演説)(DK160059k-0003)
第16巻 p.412-414 ページ画像

中外商業新報  第五四六三号 明治三三年四月二〇日
    京釜鉄道の創立(二)(渋沢栄一氏の演説)
第二に申上げて置きたい事は、現に今実測の為めに委員の中三名即ち竹内綱君・大江卓君・大三輪長兵衛君が曩きに韓国へ出張して昨年春予測した場所を今一層念を入れて日本の鉄道で申せば本免状を受ける迄の順序に尽力して居られます、是も昨年来色々と心配して見ましたが、韓国政府の契約が明治三十一年の九月から三年の間に起工せぬと権利が無くなる、又着手してから其竣工期限は十年以内と云ふ契約になつて居ります、是は動かすべからざるもので、是から少しでも後れると云ふと自然消滅することになりますから必ず是は守つて往かなければならぬ事柄であります、然るに来年の八月で期限が切れるのであ
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りますが、御案内の通り寒い国でありますから冬四ケ月許の間と云ふものは仕事が出来ませぬ、当年実測を致しませぬと来年実測をしては若し補助法を議会の協賛を経ると云ふには其時間が無くなりますからどうしても今年実測をしなければならぬ必要が生じて来たのでございます、然るに段々取調べて見た所が三百哩もある線路を実測することはなかなか金が掛ります、そこで拠なく委員が特に他から金を工夫致しまして約そ五万円を目的として其金を以て実測に取掛つて居るのでございます、是は全躰の発起人に対して万一此鉄道会社が成立せぬ場合にも百円出した外には責任を持たせぬと云ふ考で、特に委員が連署を以て他から五万円を借りて実測費に充てたと云ふ内情でございます是も普通の会社の組織から云ふと実測に金が掛かつて居る時には発起人には後で迷惑が来るかも知れぬからと云ふ懸念が生ずるから、否なそう云ふ御心配要らぬ、決して責任は持たせませぬと斯う申上げるのでございます、斯く申上げますと或は御聞誤りが生ずるかも知りませぬ、左様に利益の少い鉄道ならば到底営利会社の組織は出来ぬ、詰り国家的事業として成功を期するより外あるまいと云ふやうになるかも知れませぬが、日本の経済上から考へて見ますると是等の事は実にせねばならぬこと、決して不利益の仕事ではないと考へます、是は申上げる迄もなく各位の百も御承知で所謂釈迦に説法でございませうが、韓国はあの通りの農産国で、其農産はどう云ふ有様であるかと云へば大抵日本で買つて居る、現に昨年も米が百万石も我国へ這入つて居ります、此農産物の価を韓国に於て安くさせると云ふのが韓国の富を増すと云ふことになるのでございます、其富を増すと云ふことが何処に利益があるかと云へば、日本の製作物か余計売れる、是はどうしても他の関係は此処迄は捗取らぬので日本が一番好き位地に居るのでございます、此点に付ては第一に韓国の生産の重なるものは日本が最も望む処の米穀である、さうして使用する工芸品は日本の製作物が一番適当であるのでございます、現に英吉利なり亜米利加なり木綿若くは金巾其他種々なる物を以て競争しつゝありますから、決して油断は出来ませぬけれども、私は信じます、是はどうしても買ふ品物と聯絡して良い製品を売出して居る以上は韓国の貿易は日本が他国の人に負けることはない、彼の国をして農産物を安くさせると云ふことは我が製造物を多く売込むの手段であると明言し得られるのであります、其農産物を安くさせるには何か主なる原因を為すかと云へば、運輸交通を便にすることであると云ふは、経済思想のない人と雖も異論のない殆と今日の問題にならぬ位のことで、一人も異論はあるまいと信します、前にも申す通り、此鉄道を架設する所は三南と称へて韓国総躰の人口か千二百万とも云ひ八百万とも云ひますが、其人口の七分は三南にあると云ふ位で、随て又殖産も一番盛んである先づ韓国八道中富饒な地と云つても宜い、此場所に今申すやうな大聯絡を付けるのでありますもしも此鉄道をして少しく未来の夢を論することを得せしむるならば義州から奉天府に向ふ鉄道――是れは仏蘭西人の手にありますが、未だ着手しませぬが、之を成立するものとして是へ繋いで参るならば欧羅巴に向ふ所の大鉄道となると云ふことは強ち夢とばかり申されぬの
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であります、左様なことになつたらば此鉄道は実に容易ならぬものでございませうが、此未来の空中楼閣は、第二に措いても、前に申上ます日韓貿易上の関係から見ましても実に必要の事業と思はれます、日本も二十八年頃から致して種々なる事業の勃興にて其弊は延て影響する所大きく、或は金融逼迫であるとか輸入超過であるとか、彼是の事からして百般の事業が䠖跙逡巡の姿がありまして、甚だ行悩んで居るが、それ等の事情のために此大関係のある鉄道をして此儘に成立し得られぬやうにしてしまうと云ふのは如何にも残念と考へましたから、吾々は及ばすながら力を尽して居りまするが、どうもさう云ふ事情でございますから、市場に於て此鉄道会社の株式の望人が多いと云ふことは到底期し得られぬ、依て前にも申す如く幾らか国家的観念と云ふことから多数の人の頭脳に染み込ませ、国民全体が受持つと云ふやうに進めて往くより他に策はなからうと思ふのでございます、去ればと申して危険なる趣向では望み手がなからうと考へまするから、政府に相当の保護を請ふのでございます、それで愈々株式の払込をすると云ふのはそれが極まつた上でありますが、是れから先きは大勢の力でやらなければ出来ぬ仕事でございますから、どうぞ各地にも成るたけ此力を分割して此事の仕遂げるやうに致したいと熱望して已まぬのでございます(未完)


中外商業新報 第五四六四号 明治三三年四月二一日 京釜鉄道の創立(三)(渋沢栄一氏の演説)(DK160059k-0004)
第16巻 p.414-417 ページ画像

中外商業新報  第五四六四号 明治三三年四月二一日
    京釜鉄道の創立(三)(渋沢栄一氏の演説)
尚ほ一つの御参考のために京仁鉄道と云ふものがどう云ふ経過で進み行くかと云ふことを申して置きまするが、丁度京仁鉄道の始めの起りは前に京釜鉄道の委員等が色々考を起して米国人より日本人へ引受けるやうな場合に至つたのでありますが、是は明治三十年の二月頃から話が起つて契約したのは五月でありました、其始は京釜鉄道の創設委員連中が談判を始めまして、米国人モールスと数回会見して先づ此位が相当と思ふから此価格で引受けやうとまで話が進みましたが、扨此資本はどうしたら宜からうと創設委員等は段々協議をして当時の外務大臣大隈伯に此話をした所が、大隈伯が早速京浜若くは大阪の重立つた資本家を集めて御相談下すつたのです、其理由は、どうも此鉄道は必要と思ふ、一方には京釜鉄道と云ふ話もあるが其成立は期し難い、今京仁鉄道をして米国人の手に成立たしめると云ふのは実に残念である、政府も相当なる補助を与へるであらうから何れ議会の協賛を経なければならぬ、何しろ日本人の手でやることが必要であるから各々方力を尽して呉れ、其補助に付ては相当なる相談もしよう、兎に角組立てることを努めて呉れ、尚ほ此事に付ては京釜鉄道に関係して尽力して居る人に就て能く聞いて呉れと云ふて京浜・大阪の有力家を勧誘され、其人達が又別に会同評議して始めて利益は無いかも知れぬが外国人の手に任せるのは遺憾であるから、銘々巨額の出資は出来ぬが少し位の金を出して日本人の手でやりたい、併し是は普通会社の制度にも依れぬから「シンヂケート」を作らうと云ふことになつて、それから私が海外にある「シンヂケート」の規約等を取調べて其連中に計つて
 - 第16巻 p.415 -ページ画像 
見ました所が、京釜鉄道の委員が残らず加入はし難いから二三人加名しやうと云ふことになつたのであります、そこで私も、京釜鉄道から「シンヂケート」へ加入して総員十六人でありました、そうしてモールスとの契約も出来ましたか、其後にモールスから色々苦情を申して来るために最初の契約通り履行が出来ぬ、それと同時に内地の「シンヂケート」の連中も懸念をして寧ろ止めてしまはうと云ふので殆んと廃滅に瀕したのでございます、所が折角斯う云ふことになつたのであるから何とかして継続して貰ひたいと大隈伯より説諭を受け、其後伊藤侯の内閣となつても種々政府と引合を重ねて結局百八十万円丈政府が金を貸して呉れることになりました、最初二百万円で米国人と約束致しましたけれども之を完成するには少くも二百五十万円は要するのです、今日は二百五十万円程金が出て居りますが橋梁等まで悉皆落成すると丁度尚ほ二十万円ばかりの金を出さなければならぬと云ふ訳合になつて居ります、而して政府から貸与された百八十万円は先づ当分無利息で貸してやらう、追て営業上利益が挙つたならば――出資者が出した金に対して五分以上になつたならば其余分は政府に納め其納めた利子が五分以上になつたならば其分は最初の出資者に復び配当せよ而して其年限は五年と限る、五年の間に株式会社に変更し、株式を売却して政府に返金せよ、若し五年の間に出来すと云ふ場合には又其処に特別の詮議を以て年限を延してやらう斯う云ふことになつたのでございます、其が都合三度の内閣で極つたので最初は大隈伯の時に百万円貸与の事を決せられ、次に三十一年に伊藤内閣になつてから八十万円の金を増して貸与することになり、それから又山県内閣になりまして三十二年一月に至り始めて百八十万円の金を議会の協賛を経て御出し下さることになつたのでございます、又鉄道の方も最初は組合で成立ちましたが三十二年一月から合資会社と致しました、今京仁鉄道は合資会社となつて居ります、営業の点は仁川の港の西方の海浜を埋て一万七八十坪の停車場が出来て、現今其停車場から漢江の傍迄二十一哩だけ営業を致して居ります、始めは営業上如何なる有様かと痛く懸念致しましたが、開始後の摸様は思つたよりは結構でございます、未だ京城迄聯絡が付きませぬから謂はゞ途中開業で、京仁と申しましても此方の東京と横浜の関係のやうではございませぬ、私も一遍参つて見ましたが途中は至つて寂莫たるものでございます、それと仁川と云ふ所は韓国の都会ではないので、唯だ港になつて居るだけです、又漢江は大河で是迄船が通じて居るのでございます、故に此鉄道に対して利益が如何あらうかと懸念しましたが、当初は二回の往復で始めると一哩五円位の利益がありました、それから六円七円に進み、三回の往復にして到頭一哩十円迄に収入が進んで参りました、併し十二月から二月迄は寒気も強いから甚だ結果が悪うございます、殊に一月二月は韓国に於ては休む時であります、それに非常に寒いので川は氷のために荷物を出すことが出来ない、又旅客も随て減しました為に八九円迄に収入が下りましたが三月からずつと進んで今日の所では昨年よりは一歩進んで十一円余りの平均を得るやうになりました、此漢江の橋梁は今年の六月に出来致す積りで、今鋭意工事をやつて居ります、漢江
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の向ふは竜山で、竜山から西大門迄五里許りあります、京城に於て日本人の居る所は泥峴と称へる所で南大門に近い、其処に日本人に便利を与へるためには停車場と倉庫を作る積りであります、漢江の橋梁が通ずると共に此開業も出来る積りであります、残らず出来れば少くも今の有様に比して二割三割の利益を進めて往くことは期して俟つべしと信ずるのでございます、さうすると二百万円の資金に対しては充分なる利益とは申されませぬが、民間の出資者に向つて相当なる利益の配当を為し其あとは政府に対して幾分の利益を納むることが出来得るかと思ひます、之を日本の昔の有様から考へて見ますると京浜鉄道の其始めは幾らであつたかと云へば八円ばかりでありました、日本鉄道も其始めは六円ばかりでありました、日本と韓国と同じやうに進歩して往くと云ふことは申されませぬが此鉄道も強ち望みのない鉄道ではございませぬ、仮に京浜鉄道或は日本鉄道に比較し、若くは中仙道線に較べて見ますれば今の処では利益の少い物であるが追々良い鉄道になるかと想像されるのでございます、或は日本鉄道なり其他の鉄道なり年を逐つて発達した鉄道にして其昔の有様を考へると株主は其株を売り得なんだために僥倖を得たと云ふ人が沢山あるのでございます
京釜鉄道も各位の御助力に依つて此株を持たとて其人達に大不幸を未来に与へると云ふことはない考でございます、故に前来申上げました事柄は単に国家的観念のみであると云ふやうに御聴き下さると大きに吾々の本意に背きまする、唯だ、目前に利益が少いと云ふ懸念はあるが、未来は相当の利益がある、況や韓国の独立を扶殖すると云ふことは年来日本に於て唱道する言語でありますが、独り外国政略、若くは兵力にのみ依るものでなく此鉄道も韓国独立扶殖と云ふことに付ては大なる庇護者であると云ふことを、各位にも御承認か願ひたう存します、斯様に申上げますと各位はもう能く分つた、十分尽力すると云ふことは殆ど信じ得らるゝ如くに自分は考へます、斯く申すのは何か御願申ながら甚だ以て各位へ対して失礼でありますが、悃願とか御依頼とか申しますれば、却て御迷惑に御感じなさいませうが、私はさう御迷惑な事を御願ひ申す積りではないのであります、どうか各地の有力者御知合の方々に御勧め下すつて、此際に此会社のために御賛成を下さるやうに願ひます、実は一日御会同を願つて創設委員が打寄つて此事を御願ひする考でございましたが、殊更に是だけの事で一日も御妨げ申すのは甚だ恐れ入ると考へましたから、内務省へ伺ひまして各位の斯かる御集りを好機として勝手がましくも御願ひ申上げました次第でございます、趣意書は、多分御手許に差出してございまする筈ですが、若し御不足であれば更に差上げます、私の今申上げましたことは或は数字に係ることを落した処もあらうと思ひますが、予算を立つたのは斯う云ふ訳であると云ふやうなことは、大抵趣意書に書いてございます、又三十間堀に事務所がございますから幸に此会社の発起人にならうと云ふ御方が出来ましたならば趣意書も事務所に沢山ございますから差上げるやうに致します、又是に付て御質問等がございますれば事務所の方から御答へするやうに致しますから何なりとも御照会を願ひたうございます(完)
 - 第16巻 p.417 -ページ画像 
  ○右栄一ノ演説ハ「京釜鉄道意見」トシテ「竜門雑誌」(第一四四号、明治三三年五月二五日)ニ転載シアリ。マタ「渋沢男爵実業講演」(乾)ニモ「京釜鉄道意見」トシテ転載シアリ。