デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

5章 学術及ビ其他ノ文化事業
2節 演芸及ビ美術
3款 日本パノラマ会社
■綱文

第27巻 p.403-408(DK270113k) ページ画像

明治23年5月22日(1890年)

是ヨリ先栄一、大倉喜八郎等ト謀リ、有限責任日本パノラマ会社ヲ創立、東京浅草公園内ニ大パノマラ館ヲ建設シ、是日開場ス。明治二十六年十二月会社ヲ解散シ、財産ヲ総テ佐々松賢識ニ譲渡ス。


■資料

青淵先生六十年史 竜門社編 第二巻・第八八七頁 明治三三年六月再版刊(DK270113k-0001)
第27巻 p.403 ページ画像

青淵先生六十年史 竜門社編  第二巻・第八八七頁 明治三三年六月再版刊
 ○第五十九章 雑事
    第十四節 浅草パノラマ館
「パノラマ」ハ油画ト実物トヲ配合シ光線ノ照シ方ニ考按ヲ用ヒ、画ト実物ノ分界ヲ知ルコト能ハス、見物人ヲシテ実境ニアルノ感アラシム、故ニ風景、戦争等ノ図ニ至テハ爽快言語ニ絶ス、実ニ学術的応用ニ基ケル一大娯楽ノ具ナリ
我邦嘗テ「パノラマ」館ノ設ナシ、明治二十三年五月青淵先生、大倉喜八郎等ト計リ東京浅草公園ニ一大「パノラマ」館ヲ建設シ、仏国人バートランド及サルジエントノ画キタル北米南北戦争ノ「パノラマ」ヲ公衆ノ観ニ供ス、看者日々蝟集、全都嘖々其奇ヲ賞ス、後チ小山正太郎ノ画キタル平壌城包囲攻撃ノ図ニ改ム、其評又頗ル高シ、此ノ後各地「パノラマ」館ノ設立続々起ル


明治事物起源 石井研堂著 第六二七―六二八頁 昭和一一年七月刊(DK270113k-0002)
第27巻 p.403 ページ画像

明治事物起源 石井研堂著  第六二七―六二八頁 昭和一一年七月刊
    パノラマ館の始
 成島柳北の〔航西日乗〕明治五年十月九日の条に『パノラマ館を観る、パノラマは、普仏戦争の実景を写せしものにて、画図にして毫も画図と思はれぬ奇巧幻妙の観場なり、斯の如き奇観は余が生来未だ曾て観ざるところなり』とあり、其後十八年を経たる明治二十三年五月渋沢栄一・大倉喜八郎相謀り、東京浅草公園内に、一大パノラマ館を建設し、仏国人バードランド、及サルジエントの画きたる米国南北戦争の絵を二十二日より観に供す、看る者日々蝟集し、全都嘖々其奇を賞せり、館は高さ十間・周囲八十間、十六角作りなり
○下略
   ○浅草パノラマ館ノ写生図木版刷ノモノ別紙ニアリ。「浅草公園第六区ニ於テ観覧ニ供ス。南北大戦争パノラマ」ナル図ニ添ヘタルモノナリ。
   ○前掲「青淵先生六十年史」及ビ「明治事物起源」ニハ大倉喜八郎ト共ニ栄一ノ名ヲ掲グルモ、後掲会社創立ニ関スル資料ニハ栄一ノ氏名ヲ欠ケリ。発起人中ニ記名アリシカ。


庶政要録 農商掛明治廿三年(DK270113k-0003)
第27巻 p.403-404 ページ画像

庶政要録  農商掛明治廿三年        (東京府文庫所蔵)
    会社創立御届
今般私共発起ヲ以テ、別冊定款之通リ有限責任日本パノラマ会社ヲ創立仕
 - 第27巻 p.404 -ページ画像 
リ、欧米文明諸国ニ行ハルヽ美術的大絵画ヲ購入シ、浅草公園地内第六区ニ於テ広ク衆人ノ縦覧ニ供シ、本邦美術ノ進歩ヲ謀リ度、此段及御届候也
               発起人総代
                赤坂区葵町三番地
                     大倉喜八郎(印)
                日本橋区小網町四丁目八番地
                     安田善次郎(印)
                京橋区南伝馬町一丁目拾七番地
  明治二十三年三月          山中隣之助
                日本橋区亀島町一丁目三地番地
                    今村清之助
    東京市
     浅草区長 杉本嘉兵衛殿


庶政要録 農商掛 明治廿三年(DK270113k-0004)
第27巻 p.404 ページ画像

庶政要録  農商掛 明治廿三年        (東京府文庫所蔵)
日本パノラマ会社定款第三拾六条但第一五一九号ヲ以テ御照会ニ拠リ則チ更正為致別紙御送付旁此段及御回答候也
  明治廿三年四月廿八日
                浅草区長 杉本嘉兵衛(印)
    第壱部長
    東京府書記官 銀林綱男殿


庶政要録 農商掛 明治廿三年(DK270113k-0005)
第27巻 p.404-406 ページ画像

庶政要録  農商掛 明治廿三年        (東京府文庫所蔵)
  有限責任日本パノラマ会社定款
      第一章 総則
第一条 当会社ノ名称ハ日本パノラマ会社ト称ス
第二条 当会社ハ、海外ノ美術画ヲ衆人ノ縦覧ニ供スルヲ以テ目的トス
第三条 当会社ハ有限責任ニシテ、負債弁償ノ為メ株主ノ負担スベキ義務ハ株金額ニ止ルモノトス
第四条 当会社ノ営業年限ハ満五ケ年ヲ以テ一期トシ、株主総会ノ協議ニ依リ或ハ解散スル事アルベシ
第五条 当会社ハ浅草公園地内ニ設置スルモノトス
      第二章 資本金
第六条 当会社ノ資本金ハ二万五千円ト定メ、之ヲ二十五株ニ分チ、一株ヲ壱千円トシ有志者ヨリ募集スルモノトス
  但シ一株ニ付五百円券状二枚ヲ発行スルモノトス
第七条 当会社ノ株金払込ハ一株ニ付金壱千円ヲ本年十二月二十五日迄ニ満株払込ムモノトス
      第三章 役員及責任
第八条 当会社ノ役員ト称スルモノ左ノ如シ
    委員     五名
    事務長    一名
 - 第27巻 p.405 -ページ画像 
    会計主任   一名
    受札入    一名
    下足番    無定員
    小使     同
第九条 委員ハ株主ノ内ヨリ抽籤法ニ依リ之ヲ定メ、委員中互撰ヲ以テ委員長ヲ推撰スヘシ、其任期各一ケ年トス
  但シ満期ニ至リ再選スルモ妨ナシ
第十条 委員ハ時々会議ヲ開キ当会社ノ要務ヲ議決スベシ
第十一条 委員長ハ委員ノ議決ニ拠リ当会社ノ事務ヲ総理シ、其常務ハ事務長ニ処弁セシムヘシ
第十二条 事務長・会計主任ハ可成的ケ株主ノ内ヨリ推撰スヘシ、其任期各一ケ年トス
  但満期ニ至リ再撰スルモ妨ケナシ
第十三条 事務長ハ委員長ノ指揮ヲ受ケ一切ノ常務ヲ処弁スルモノトス
第十四条 会計主任ハ委員長ノ指揮ヲ受ケ金銭出納ノ事務ヲ調理スルモノトス
第十五条 事務長・会計主任ハ、身元保証金トシテ当会社ノ株式壱個又ハ金一千円ニ相当スル公債証書或ハ確実ナル銀行会社ノ株券ヲ当会社ヘ預ケ置クヘシ
第十六条 書記以下ノ役員ハ事務長ノ指揮ヲ受ケ庶務ニ従事スルモノトス
    第四章 株主権利及責任
第十七条 会社ノ定款ヲ守リ株主ヲ引受クル者ハ内国人ニ限ルモノトス
第十八条 会社又ハ組合ノ名義ヲ以テ当社ノ株式ヲ引受ケントスルモノハ、其重立タルモノヽ名前ヲ定メ株式ニ対スル権利責任ヲ負担スベシ
第十九条 当会社ハ株式一個毎ニ甲乙二枚ノ株券ヲ発行シ、之レヲ引受クル株主ニ交付スベシ
第二十条 当会社ノ株券ハ記名券ニシテ当会社ノ印章ヲ捺シ委員長・事務長記名調印スルモノトス
第廿一条 当会社ハ株式帳ヲ製シ株主ノ姓名・属籍・宿所・株式ノ員数・番号及其売買譲与ノ年月日ヲ記載スベシ
第廿二条 株式ノ売買譲与ハ之レヲ当社ニ届出、株式帳ニ記録ヲ求ムベシ
第廿三条 株主ハ属籍・姓名・宿所等ヲ変換シタルトキハ、書面ヲ以テ其旨ヲ当社ニ届出ベシ
第二十四条 株主ハ何等ノ事故アリトモ、会社解散ノ期ニ至ラサレハ其株金ヲ取戻ス事ヲ得ス
第二十五条 株主ハ随意ニ其株式ヲ売却或ハ質入・抵当ト為ス事ヲ得ルト雖モ、会社ノ公益ヲ妨碍スル事アリト認ムルトキハ、当社ハ其登記ヲ拒ム事アルベシ
    第五章 賞与金及罪則《(罰カ)》
 - 第27巻 p.406 -ページ画像 
第廿六条 当会社ノ役員中功労アルモノヘハ、賞与配当ヲ給スルモノトス
第廿七条 当会社ノ役員ニシテ此定款ニ背戻シ因テ生スル処ノ損害ハ之レガ弁償ノ義務ヲ負担セシムベシ
      第六章 損益計算及配当方法
第廿八条 当会社会計ノ帳簿ハ明細正確ナルヲ要シ営業時間中株主ノ望ニ応シ検閲セシムベシ
第廿九条 当会社ノ損益計算ハ年二期ト定メ、毎年六月・十二月ニ行ヒ、株主総会ニ報告シ、七月・一月ニ於テ利益金配当ヲナスベシ
第三十条 当会社ノ収入金全額ヨリ営業上一切ノ経費ヲ引去リ、残余則チ純益金ヲ以テ左ノ割合ニ準シ配当スルモノトス
  純益金若干
  内
    十分ノ一   積立金
    十分ノ一   臨時修繕備金
    十分ノ一   賞与配当金
    十分ノ七   株主配当金
第三十一条 純益金ノ総額株主ニ対スル利益一ケ年一割以上ノ配当ニ至ラサル限リハ、役員賞与金ハ分賦セザルモノトス
      第七章 定式臨時総会
第三十二条 定式総会議ハ毎年七月・一月ノ両度ニ開クヘシ
第三十三条 定式総会ニ於テハ役員撰挙・利益金配当及諸計算ノ報告其他営業上ノ事項ヲ議決スルモノトス
第三十四条 臨時総会議ハ、営業上株主ノ発議ニ依リ臨時会議ヲ要スルノ際開会スルモノトス
第三十五条 総会ハ株主過半数ノ臨席ヲ待テ開会スルモノトシ、同意者ノ多数ヲ以テ其決ヲ取ルヘシ、若シ意見同数ニ分ルヽトキハ議長之レヲ決スヘシ
      第八章 更正増補
第三十六条 此ノ定款ハ、株主ノ衆議ニ依リ更正増補スル事ヲ得ヘシ
第三十七条 当会社ノ処務規程其他雑則ハ、委員会議ニ於テ制定スヘシ
 右之条々議定シタル証拠トシテ、各姓名ヲ記シ調印致シ候者也
  明治廿二年十二月
                      発起人


中外商業新報 第二四四六号 明治二三年五月二〇日 パノラマ館の落成(DK270113k-0006)
第27巻 p.406 ページ画像

中外商業新報  第二四四六号 明治二三年五月二〇日
    パノラマ館の落成
兼て大倉喜八郎・条野伝平等諸氏が、浅草公園第六区人造富士跡へ建設中なりしパノラマ館、工事装飾とも已に落成したるに付き、明二十一日午後広く紳士・知友を招きて観覧に供する由


中外商業新報 第二四四九号 明治二三年五月二三日 日本パノラマ館(DK270113k-0007)
第27巻 p.406-407 ページ画像

中外商業新報  第二四四九号 明治二三年五月二三日
    日本パノラマ館
 - 第27巻 p.407 -ページ画像 
パノラマとは一大絵画を環列し、光線の作用にて実境の如く見せしむるものにて、日本には是迄余り見受けざりしが、今度浅草公園地に建築ぜしパノラマ館は、米国サンフランシユスコー府に設けあるパノラマ館に擬し、至急を要したるを以て、仮に木材にて、建築せしものにて、其建築は総て日本土木会社に托し、同社技師工学士新家孝正氏の監督にて、去二月中旬の起工に係り、内部陳列は神戸三九郎氏之を担当し、此程漸く竣成せしを以て、昨日同館委員長大倉喜八郎氏・事務長条野伝平氏より府下の紳士・紳商・新聞記者等百余名を招て観覧を請ひ、愈よ昨二十二日より開業せり、今其構造の略を記せば外形十六角にして、内部は円形即ち二重壁に成り、直径百二十三尺・面積三百七十坪余・軒高さ五十四尺、頂上棟の高さ九十五尺、周囲柱は円柱にて長さ十間地中一間を埋め込み、屋根は傘の骨組様と為し、硝子板もて明取を作り、館内には唯一の安全柱あるのみ、而して館の東方に門あり、観覧台に昇るに縦覧客の混雑を免れんが為め昇降二道となして其巾各々六尺斗り、暗道なれば階段の屈曲には洋灯を吊して、老婦女子供にも容易に昇降するを得せしめるなど注意至れり、段を昇れば観覧台は直径三十三尺、棕櫚マツトを敷き、観客の穿物勝手と為し、昇口・降口とも中心に存して少しも邪魔ならず、さて其絵画は仏国有名の画伯ヂフト氏が三年を費して画きたる活画にして、米国南北戦争の時有名なるグラント将軍が、ヴツクスビルクの合戦にミスシツピー河畔なる南軍の堡砦を撃て之を抜かんとする面白き図なるが、其光線の工合巧妙にして、恰も丘陵に昇りて硝烟弾雨、千軍万馬の激戦を実見するの思ひあり、又近く陳列しある武器は皆当時使用したる実物にして、頭上の天暮もグラント将軍が戦地に用ひたるものなりと云へるが遠近宜しきを得て画と実物と其区別に迷へり、聞く処に拠れば同館設立の意は普通観世物の如く金儲け等にあらず、本邦に此館の設けなきを以て、一は其美観を添へ、一は軍人及教育家の参考と為すにあり、殊に入場券も通券一人金十銭なれども、軍人及子供は半額と定め、其株券の如きも一人にて多株を加入することとなれば、自然弊害ありて営業的に走るを以て、総て一人に付一株と為し、且実は其構造を煉化等に為して欧米のパノラマと同盟し、以て其絵画を差変ゆる筈なりしも、其費用容易ならざるゆへ仮りに木造とは為したるも、追ては其収入額を積で建築を改め、欧米に恥ぢざるパノラマ館となす都合なりといへり


添申録 工部・会社組合明治廿六年(DK270113k-0008)
第27巻 p.407-408 ページ画像

添申録  工部・会社組合明治廿六年        (東京府文庫所蔵)
    会社解散御届
明治二十三年二月私共申合、浅草公園第六区四号地ニ於テ日本パノラマ会社設立罷在候処、今般株主協議之上会社ヲ解散シ、若森直正ヲ清算人ニ撰定シ、財産ハ悉皆佐々松賢識ニ於テ譲受、従而自今権利・義務共同人ニ於テ引受候事ニ決議致候ニ付、右ハ商法第弐百三拾四条ノ手続ヲ経ヘキ義ト心得、清算人ノ住所・氏名、裁判所ヘ登記出願之処其手続ニ及ヒ難キ趣ニ付此段御届申上候也
              浅草公園第六区四号
 - 第27巻 p.408 -ページ画像 
                  旧日本パノラマ会社委員長
                     大倉喜八郎(印)
  明治廿六年十二月廿五日
                  右清算人
                     若森直正(印)
    農商務大臣 伯爵 後藤象二郎殿
  前書届出ニ付奥印候也
           東京市浅草区長 杉本嘉兵衛区長之印