デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

5章 学術及ビ其他ノ文化事業
4節 新聞・雑誌・出版
2款 東京経済雑誌
■綱文

第27巻 p.508-519(DK270138k) ページ画像

明治38年11月1日(1905年)

是ヨリ先、是年四月十三日当社社長田口卯吉歿ス。ソノ後当社員及ビ社友等協議ノ結果、乗竹孝太郎ヲ新社長ニ推薦シ、是日栄一、大隈重信・阪谷芳郎・島田一郎ト共ニ発起人トナリ富士見軒ニ於テソノ披露宴ヲ開催、故田口卯吉ニ関スル追憶及ビ新社長紹介ニ関スル演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK270138k-0001)
第27巻 p.508 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
四月十七日 雨 風寒シ
○上略 十時本郷田口氏ノ邸ヲ訪ヒ弔詞ヲ述フ ○下略


東京経済雑誌 第五一巻第一二八一号・第六二五頁 明治三八年四月一五日 田口社長の永眠(DK270138k-0002)
第27巻 p.508-509 ページ画像

東京経済雑誌  第五一巻第一二八一号・第六二五頁 明治三八年四月一五日

図表を画像で表示田口社長の永眠

     田口社長の永眠 我社の田口君は去る十三日午後十一時十五分を以て溘焉として永 以下p.509 ページ画像 眠せられたり、君の病症は腎臓萎縮と中耳炎となり、前者は不治の難病にして、後者は頗る危険なるものたること、余輩の初より承知せし所なり、而して余輩は日夕君の病床に侍せしものなり、而かも君の永眠は余輩に於て恍として夢の如し、況してや前号の紙上に掲載せし君の病状を読みたる我が読者諸彦に於ては、容易に君の永眠せるを信ずるを得ざるべし、曰く博士の中耳炎は未だ全快に至らず、且神経痛症を並発したるが為め、夜間折々睡眠を得ざるに苦むことあれども、静養の結果少しづゝ軽快に赴きつゝあれば、遠からず全快の見込なりと、嗚呼是れ君が去る五日、自ら寝台を離れて安楽椅子に頼り、文学士乙骨三郎氏を呼び、口演して筆記せしめたる病状記ならずや、独り君の斯く信ぜしのみならず、親族故旧も、将た治療に従事せられたる医士も亦悉く爾く信ぜしなり 然るに去る七日に至り、頭痛大に加はりて熱発あり、嘔気を催うして食慾衰へ、容体頗る不良となりしかば、岡田博士は仔細に耳辺の検案を為し、更に水尾医学士に請ふて眼科的診察を受けたれども、眼底に何等の異状なかりしかば、岡田博士は此の病勢増進を以て中耳炎に原因せるものにあらず、中耳炎は既に大に快方に赴き居り、切開手術を施すを要せずと断言せられたり、是に於て三浦博士は詳細に内科的診察を為し、熱発の原因は中耳炎の漏膿深く脳中に進入し、為に掀衝を起せるものにして、尿毒症にはあらずと断定せられたり、是れ実に去る十二日の事なりしが、七日以来連日高熱(三十九度以上)の継続せしこととて、心臓は痛く弱められ、脈搏は百四十に達したり、而して久しく絶えて下らざりし蛋白質も、熱発以後は多量に下りしかば、衰弱は急に加はり、精神朦朧として殆ど昏睡の状態に陥ゐり、翌十三日青山博士の来診せられた際には、既に諸症其の極に達して、流石の国手も施すべきの余地を存せず、斯くて同夜終に永眠せられたるなり 君は安政二卯年四月廿九日の誕生なるを以て、享年実に五十有一也、君春秋鼎に盛、才学日に進む、其の大成は尚将来に在るべし然るに振古未曾有の国難に際し、経国済民の大志を抱きて空しく永眠せらる、是れ独り我社の不幸のみならんや、実に国家の不幸なり、余輩豈に慟して哭せざるを得んや 




東京経済雑誌 第五一巻第一二八二号・第七〇七頁 明治三八年四月二二日 田口社長の葬儀(DK270138k-0003)
第27巻 p.509-510 ページ画像

東京経済雑誌  第五一巻第一二八二号・第七〇七頁 明治三八年四月二二日
    田口社長の葬儀
本社長故田口君の葬儀は去十七日執行せられたり、同日午後一時本郷西片町の自邸出棺、霊柩は二頭立の喪車に載せ、車上には数多の花環を飾り、親戚故旧に守られ本郷春木町の中央会堂の式場に着し、先づ牧師平岩愃保氏は迎棺の辞を述べ、次で讚美歌・祈祷・聖書朗読等ありたる後、島田三郎氏は君の履歴を朗読せられしが、懐旧の情に堪へざるものゝ如く、其の末尾に至り嗚咽禁せず朗読を続くる能はざるに至りて、会衆一同も同情の涙を催したり、次で牧師海老名弾正氏は一
 - 第27巻 p.510 -ページ画像 
場の慰藉演説及祈祷を為し、次に風祭甚三郎氏は諸方より弔詞及弔電を寄せられたるも、其朗読を省略し追て公表すべしとの挨拶あり、更に会衆一同は田口君が生前愛誦せられたる讚美歌を合誦し、平岩牧師の祈祷ありて午後四時式を終り、霊柩は再び馬車にて谷中墓地に送られ、松柏深き処に〓められたり
当日会葬の重なる人々は
 桂伯代 大隈伯 坊城伯 曾禰男 山本男 芳川子代 榎本子 長岡子 曾我子 千家知事 前島男 渋沢男代 菊池男 船越男 岩崎男 尾崎男 尾崎東京市長 加藤正義 松尾日本銀行総裁 富田鉄之助 肝付海軍少将 柴田内閣書記官長代 林田衆議院書記官長井上文学博士 穂積法学博士 鳩山法学博士 三宅医学博士 金井法学博士 古市工学博士 宮崎法学博士 松井農学博士 片山医学博士 高松工学博士 星野文学博士 南条文学博士 穂積法学博士(八束) 寺野工学博士 岡田医学博士 和田垣法学博士 入沢医学博士 呉医学博士 横井農学博士 原六郎 浜尾新 志村源太郎 大橋新太郎 大谷嘉兵衛 小野金六 木内重四郎 小野英二郎 池田謙蔵 馬越恭平 菊地長四郎 添田日本興業銀行総裁 大石正巳柴四朗 中野東京商業会議所会頭 長谷川泰 近藤日本郵船会社長渋沢篤二 芳野世経 奥田義人 栗原亮一 中村弥六 山田喜之助 徳富猪一郎 元田肇 江原素六 角田真平 高梨哲四郎 高野孟矩横井時雄 鎌田慶応義塾長 箕浦勝人 花井卓蔵 首藤陸三 磯部四郎 銀林綱男(順序不定)等の諸氏外千余名


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK270138k-0004)
第27巻 p.510 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
五月四日 晴 暖
○上略 第一銀行ニ抵リ坂谷《(阪谷)》・島田両氏ト共ニ会食シ、田口没後経済雑誌処分ノ事ヲ協議ス ○下略


東京経済雑誌 第五二巻第一三一〇号・第八九一―八九七頁 明治三八年一一月四日 乗竹社長の披露会(DK270138k-0005)
第27巻 p.510-518 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕東京経済雑誌 第五九巻第一四七二号・第八頁 明治四二年一月九日 乗竹社長の逝去(DK270138k-0006)
第27巻 p.518 ページ画像

東京経済雑誌  第五九巻第一四七二号・第八頁 明治四二年一月九日

図表を画像で表示乗竹社長の逝去

     乗竹社長の逝去 余輩は玆に新年の初に当り、我社の一大不幸を読者諸彦に報道せざるべからざるを悲む、社長乗竹孝太郎君は去四日の夜まで何等の病気をも覚えず、平常の如く寝に就きたるに、翌五日払暁突然脳溢血症を発し、殆ど治療を加ふる遑もなく、溘焉として逝去せられたり、一家の驚愕は云ふに及ばず、訃を聞きて遠近喫驚せざるものなし、嗚呼人生の果敢なきことは余輩夙に之を知ると雖、眼前斯の如き激変に接しては転々人生の無常を嘆ぜずんばあらざるなり 回顧すれば、余輩が乗竹君を迎へて社長に戴きたるは去明治三十八年十一月にして、爾来今日に至るまで三ケ年余に過ぎずと雖、君の誠実勤勉は、大に江湖の信用を博し、本誌の発行高は月に増加し、日本社会事彙の三版は昨年末を以て完成し、更に大日本人名辞書の六版発行を計画し、今や着々其の進行中に在り、君の逝去は独り我が社の不幸たるのみならず、日本学界の一不幸と謂ふべし、余輩今や悲哀に沈みて多く語るを欲せず、又語ること能はずと雖、不幸に遭遇する毎に愈々益々勇気を増して奮闘するは、我が先輩諸君が身を立て、社会に貢献したる成功の原因にして余輩後進平生の覚悟亦玆に在り、是れ余輩が玆に謹みて我が社の不幸を読者諸彦に報道するに方り、敢て諒察を請はんと欲する所なり 






〔参考〕東京経済雑誌 第五九巻第一四七三号・第七三頁 明治四二年一月一六日 乗竹社長の葬儀(DK270138k-0007)
第27巻 p.518-519 ページ画像

東京経済雑誌  第五九巻第一四七三号・第七三頁 明治四二年一月一六日
    乗竹社長の葬儀
本社長故乗竹孝太郎君の葬儀は、去八日を以て執行せられたり、同日
 - 第27巻 p.519 -ページ画像 
午後一時小石川服部坂の自邸出棺、霊柩は親戚故旧によりて守られ、本郷湯島切通麟祥院の式場に着し、読経済みたる後、島田三郎氏は別項掲載の弔詞を朗読せられ、続いて塩島仁吉氏は東京経済学協会を代表し、手代木研氏は風紀革新会を代表して弔詞を朗読し、遺族親戚故旧の焼香ありて式を終り、遺骸は日暮里火葬場に送り、荼毘に附せられ、玆に永へに君が音容に接すること能はざるに至れり、因に葬儀に就ては親戚故旧の外、式場に於ては秀英舎事務員諸君大に斡旋せられたり、当日の会葬者は五百余名にして、重もなる人々は左の如し
 伯大隈重信(代) 子仙石政固(代) 男浜尾新     男肝付兼行
 男尾崎三良    男渋沢栄一(代) 男阪谷芳郎(代) 男高橋是清
 男松尾臣善(代) 塩入太輔     志村源太郎    須藤壮一郎
 伴直之助     鈴木良輔     福田徳三     額賀松次郎
 古屋徳兵衛    首藤陸三     郷隆三郎     小池靖一
 安藤保太郎    天野大蔵     青木匡      高田小次郎
 滝本誠一     箕浦勝人     岸本辰雄     植松考昭
 鎌田栄吉     河島良温     久野昌一     野沢鶏一
 角田真平     手塚猛昌     山口宗義     瀬下清通
 上野栄三郎    上原豊吉     上田敏      乙骨太郎乙
 坪谷善四郎    江口駒之助    大岡育造     大沢岳太郎
 妻木頼黄     橋田茂重     河津暹      昆田文次郎
 相川尚清     橋本圭三郎    川上直之助    有賀長文
 加藤斌      風祭甚三郎    井上正一     岩下敏之
 池田謙三     徳富猪一郎    土田政次郎    高橋秀臣
 戸川安宅     早川千吉郎(代) 神吉翕次郎    河田烋
 鍋倉直      山川勇木     園田孝吉     相馬永胤
 高橋捨六     川島忠之助    渡辺福三郎(代) 原六郎
 松岡弁      宮田忠寛     増田義一     森本駿
 木暮寅吉     古宇田晶     斎藤徳明     佐々木勇之助
 添田寿一     中野武営     若槻礼次郎    尺秀三郎
 百瀬玄渓     百井久七     南挺三      加納友之介
 加藤元志     福島甲子三    船越鼎太郎    藤原俊雄
 成瀬隆蔵     成瀬正恭     三輪信次郎    佐々木慎思郎
 井上辰九郎    左右田金作    酒勾常明     斎藤十一郎
 桜田助作     斎藤孝治     池辺吉太郎    飯田旗郎
 有賀立雄     土子金四郎    細野次郎     播磨辰治郎
 中島行孝     島田三郎     伊地知栄蔵    室原興重
 村松恒一郎    村田俊彦     市川好廉     磯辺弥一郎
其他市内諸新聞社・秀英舎事務員諸氏(順序不定)
○下略