デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

2章 栄誉
3節 叙爵
■綱文

第29巻 p.269-281(DK290089k) ページ画像

明治33年5月18日(1900年)

是日東京商業会議所、栄一ノ授爵ヲ賀シ賀宴ヲ開ク。是前後関係会社・団体又ハ個人ニテ祝賀会ヲ開キ或ハ祝詞ヲ呈スルモノ相継グ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三三年(DK290089k-0001)
第29巻 p.270-271 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年     (渋沢子爵家所蔵)
五月十八日 曇
○上略 四時再ヒ会議所ニ抵リ、東京商業会議所ニ於テ授爵ノ事ヲ祝スル為メ特ニ開会シテ祝詞ヲ議決シ議場ニ於テ之ヲ贈ラル、依テ其答辞演説ヲ為シ、午後六時帝国ホテルニ於テ宴会ヲ開キテ祝盃ヲ挙ク、会スル者特別会員ヲ合セテ約五十名余、尤モ盛会ナリ、食卓上ニ於テモ亦祝辞演説等アリテ、賓主各歓ヲ尽シ夜十時散会ス、此夜兜町ニ帰宿ス
五月十九日 晴
○上略 午後五時帝国ホテルニ抵リ、佐々木・谷、其他数十名ニ於テ催シタル授爵祝賀会ニ列ス、一同相会シテ極テ鄭重ナル饗宴アリ、夜十時散会ス、此夜ハ夫人モ同伴ニテ宴ニ会ス、食前食後ニ余興数番アリ、家族一同招宴セラル
五月二十日 曇
○上略 午後四時帝国ホテルニ抵ル、深川区内名誉職ノ催シタル受爵祝賀ノ宴ニ列ス、余興数番アリ、食卓ニ於テ惣代ヨリ祝賀ノ辞ヲ演ヘラレ即坐ニ之ニ答辞演説ヲ為シ、各歓ヲ尽シテ散会ス、此夜ハ篤二モ同シク招宴セラル ○下略
   ○中略。
五月二十二日 曇
○上略 午後五時各地聯合会員ノ催シタル受爵祝賀会ニ帝国ホテルニ参席ス、食卓上祝辞答辞演説等アリテ夜十時散会ス、兜町ニ帰宿ス
   ○中略。
五月二十八日 曇
○上略 午後五時銀行集会所ニ抵リ、銀行集会所・手形交換所・東京興信所等ノ申合ニ係ル叙爵祝賀ノ会ニ列ス、篤二及他ノ男児モ皆招宴セラル式場ハ集会所ノ広間ニ於テ之ヲ開ク、会員一同相集リ余及篤二ヲ壇上ニ招シ、総代トシテ豊川良平氏祝詞ヲ朗読ス、畢テ壇上ヨリ一場ノ答辞演説ヲ為シ、畢テ倶楽部楼上ニ誘引シテ立食ノ饗応アリ、立食中山本日本銀行総裁・十五銀行頭取園田孝吉ノ両氏ヨリ席上演説アリテ各万歳ヲ三唱ス、夫ヨリ楽隊ニ命シ種々ノ奏楽ヲ為サシメ、門前ニハ花瓦斯・緑門等ヲ設ケテ、装飾頗ル意ヲ用ヘタリ、夜九時散会ス ○下略
   ○中略。
六月二日 晴
○上略 午後五時要件ヲ議了ス、畢テ帝国ホテルニ抵リ、埼玉県人ノ催シタル授爵祝賀ノ宴ニ出席ス、県人約八・九十名、食卓上総代ヨリ祝賀ノ詞ヲ述ヘラル、依テ其答辞トシテ一場ノ演説ヲ為シ ○下略
六月三日 晴
○上略 午後一時帝国ホテルニ抵リ、諸会社重役ノ人々ニ於テ催シタル祝賀会ニ列ス、此日来会スル者数百名、且余興トシテ大相撲ヲ興行シ、ホテル食堂前ノ庭園ヲ以テ土俵ニ充テ、準備頗ル周到ナリ、ホテル門前ニハ二箇ノ緑門ヲ作リ、各国ノ国籏《(旗)》ヲ張リ、装飾亦壮麗ナリ、午後一時半ヨリ相撲ヲ始メ、約五十番ノ取組アリ、午後六時過式場ヲ食堂前ノ階上ニ開キ、総代トシテ郵船会社副社長加藤正義氏祝詞ヲ朗読ス畢テ之ニ対スル一場ノ演説ヲ為ス、其要旨ハ、這般余ノ叙爵ニ付テハ
 - 第29巻 p.271 -ページ画像 
初メ東京商業会議所会員・全国商業会議所聯合会員・親交アル諸友ノ団体・深川区ノ名誉職諸員・各銀行者団体・埼玉県有志者ノ団体等ヨリ爾来引続キ祝賀ノ宴ヲ開カレタレトモ、余ハ其厚意ヲ謝スルト同時ニ、頗ル恐悚ニ堪ヘサルナリ、蓋シ授爵ノ恩命ハ貴重スヘキモノナルヘケレトモ、明治十七年以来此恩典ヲ蒙リタルモノ実ニ挙テ数フヘカラス、而シテ余ノ此恩命ヲ拝スルニ至レルハ、如何ナル勲功ニ依レルヤハ未タ以テ推知スルヲ得サリシ、然ルニ今日此祝賀会ノ諸君ハ、余カ数十年一意商工業ニ従事セシヲ賞セラレタルモノナリト断定セラル聖旨ヲ忖度スルハ恐懼ノ至ナリト云トモ、果シテ諸君ノ解釈ノ如クンハ余モ亦満腹ノ怡悦ヲ以テ此恩命ヲ感謝セサルヘカラス、然リ而シテ余ハ亦中情慙愧ニ堪ヘサルモノアリ、他ナシ才拙ク識浅クシテ、商工業従事ノ間ニ国家ヲ裨補シ民人ヲ誘掖スルノ少キヲ、然ルニ尚此恩命アリトセハ、聖意商工業ヲ重セラルヽヤ実ニ厚ク、且深キヲ察スルニ足ル、豈感泣セサルヘケンヤ、只恐ル余ノ不能其器ニ当ラスシテ、所謂死馬ノ骨猶千金ニ価スノ嫌アルヲ、然リト云トモ、天下是ヨリシテ良馬ヲ出シ、他日活馬万金ノ日蓋シ遠キニアラサルヘシ、聊カ所志ヲ叙シテ諸君ノ高義ニ酬ユ、答詞畢テ一同食堂ニ入テ立食シ、両陛下・両殿下ノ万歳ヲ三唱シ、及余ノ万歳、会員ノ万歳等ヲ唱ヘテ七時過散会ス、此日ハ家族一同、小児モ相携ヘテ会ニ列ス、実ニ盛事ナリト云フヘシ


渋沢男爵叙爵祝賀会々場案内 明治三三年六月 【明治三十三年六月三日於帝国ホテル 渋沢男叙爵祝賀会会場案内】(DK290089k-0002)
第29巻 p.271 ページ画像

渋沢男爵叙爵祝賀会々場案内  明治三三年六月
明治三十三年六月三日於帝国ホテル
         渋沢男叙爵祝賀会会場案内

  午後一時奏楽
   開会
  午後六時奏楽
   祝辞
  午後六時三十分奏楽
   開宴
  従午後一時
  至午後六時
  余興
  相撲数十番
  露店
  団子 煮込 寿司 煙草 日本酒 ビール 氷 ラムネ 紅茶 コーヒー
  祝賀会式場之図 ○略ス
   ○右案内状ハ三折リ葉書大、石版刷。


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK290089k-0003)
第29巻 p.271-272 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年     (渋沢子爵家所蔵)
七月一日 曇
 - 第29巻 p.272 -ページ画像 
○上略 午後二時帰宿ス、更ニ商業学校ニ抵リ、商業学校出身ノ人々ヨリ還暦及授爵ノ祝賀ヲ受ケ、賀箋ヲ送ラル、依テ答辞演説ヲ為シテ、更ニ別席ニ抵リ幹事十数名ノ人々ト学事ニ関スル雑話ヲ為シ ○下略


竜門雑誌 第一四五号・第一五―二〇頁 明治三三年六月 青淵先生授爵祝賀会紀事其之一(DK290089k-0004)
第29巻 p.272-276 ページ画像

竜門雑誌  第一四五号・第一五―二〇頁 明治三三年六月
  青淵先生授爵祝賀会紀事 其之一
    ○緒言
聞く欧米各国に於ては啻に文勲武功に依るの人々のみならず、苟も一芸一能に秀で、或は実業界にまれ、或は文学技芸にまれ、或は発明発見にまれ、鴻益を社会に垂れ教訓を後昆に残すが如き大人傑を遇するの途自ら備はり、国家は勲爵若くは其他至大なる名誉を与へて之れを賞し、国民は赤誠を以て尊崇敬意を表せざるはなしとかや、惜むらくは我国に於ては古来官尊民卑の風行はれ、実業家の地位頗る低く、国家の之を遇する薄く国民の之れを敬する厚からざりき、然るに近来漸く此弊風更まり、曩には二・三実業家に叙勲の 御沙汰あり、今又実業界の先進者として世の商工業者を誘掖し偉勲一世に冠たる青淵先生に授爵の 恩命ありたり、惟みるに之れ啻に先生一家の名誉たるのみならず、実業社会一般に光栄を添ふる所以にして、且つ国家が文勲武功の外一世の人傑を遇するの端緒を開かれたるは、余輩の最も喜ぶ所にして、先生か積年の持論たる実業家の地位を上進する主義より見るも、亦大杯を挙げて之を祝せざるべからず
先生が去る五月十日 聖旨に依て特に華族に列せられて男爵を授けらるゝや、先生の知遇を辱ふせるものは勿論、先生の名を慕ひ先生の功労に酬ゐんとするものは東西より集まり、南北より訪ひ、今回の挙を祝せさるなし、今玆に其時日の順序により、聊か祝賀の状況と祝詞を収録して社員一同の観覧に供す
    ○株式会社第一銀行の祝詞(五月十五日捧呈)
先生授爵の 恩命に接するや、第一銀行々員諸氏は五月十五日左の祝詞に添ふるに花瓶一対を以てし、祝賀の意を表せられたり
      賀表
 青淵先生閣下、恭しく惟れは閣下維新の初め理財の顕職に膺り、能く繽紛たる旧務を整理して中興の財政に従事し、将来の大計を建議して成功を後進に譲り、而して軒冕を抛つこと敝屣を棄つるか如く高踏勇退して身を商工界に委し、自来百般の事業を興起して以て今日の盛運を開導せらるゝもの、其功偉なりと謂ふへし、玆に閣下華甲の寿に躋り、世人大に祝賀せむとするに当り 朝廷先つ授爵の大典を挙けさせられて以て其勲功を彰はし、儼として商工界の儀表と為る、実に千載一遇の盛事なり、閣下固より爵禄に恋々たらすと雖已に盛世の輿望を荷ひ、遂に 聖明の聡に達し、商工界異数の寵栄を承け、躋寿の慶をして余光あらしむ、閣下豈往時の軒冕を以て之を視るへけむや、某等閣下の教下に服事し抃舞歓躍の至に任へす、因て敬て賀章を晋め、並に真葛窯花瓶一個を呈す、其瓶身万畳の波を表はし絵くに霊異の物を以てす、竜に似て角なし鱗にして翼有り是れ閣下か野に在つて 朝遇の渥きに浴し、天爵人爵相待つて青波
 - 第29巻 p.273 -ページ画像 
万頃商洋工海に霊長たるの象にあらすや、仰き願くは莞納せられむことを謹て啓す
  明治三十三年庚子五月十五日
  株式会社第一銀行員有志総代
            佐々木勇之助   中川知一
            熊谷辰太郎    湯浅徳次郎
            長谷川一彦    尾高次郎
            田中元三郎    伊藤与七
            市原盛宏     西園寺亀次郎
            西脇長太郎    荒井栄蔵
            松井吉太郎
    ○浅野総一郎氏の招待(五月十七日)
五月十七日浅野総一郎氏及同令夫人より、先生の授爵祝賀の為め、浜町常盤屋に招待せられ、先生及令夫人・令息篤二君並令息夫人出席せらる
    ○東京商業会議所の祝賀会(五月十八日)
東京商業会議所にては五月十八日臨時総会を開き、中野武営氏議長席に就き、先生の授爵を祝するが為め賀表を呈すること及其祝賀文を議決し、同日先生を帝国ホテルに招待し、祝賀の意を表せられたり
      祝賀文
 東京商業会議所会頭渋沢栄一君に白す、本会議所は今回君が授爵の朝命を拝せられたるを慶し、玆に全会一致の議決に依り、恭て君に対して祝意を表す
 惟ふに維新以降、君か主ら我邦商工業界の指導者たる位置を占め、百般事業の経営に就て直接又は間接に力を効し、多大の功労あるは天下輿衆の公認する所、而かも其の顕著なるものを挙れは、銀行業鉄道業・海運業・製造業の若き、概して今日の進歩発達を見る、一に君の協翼に由ると云ふも敢て溢美にあらさるを信す、特に明治十一年甫めて東京商法会議所の設立ありし以来、組織一たび更まりて東京商工会となり、再び変して東京商業会議所となる、其の間世況の遷移、会員の迭替頻繁なりしに拘はらす、之か会頭の椅子は毎に君に向て供せられたり、而して君の此の職に在るや始終勤勉懈らす鋭意以て商工業の発達の為め貢献せられたるの功労は、本会議所の偉なりとして永く銘記する所なり
 頃日 帝室慶典を挙けらるゝに先ち、国家に功労あるもの若干名に対し男爵を授与せらる、而して君亦此の選に膺れり、顧みるに従来授爵の栄典を辱ふするもの多く皆官界の勲蹟に由るにあらされは、則ち先世又は父祖の余蔭に由らすんばあらす、専ら商工業に従事するの人にして特に其の功蹟を録せられ、爵を授けられたるものに至ては、真に寥々晨星のみ、而して今君は一商工業者として其の盛名 天閽に達し此不次の寵命を受く、是れ豈世上一般男爵を授けられたるものと同日の談ならんや、本会議所が君の為めに祝するの微意寔に玆に在り、蓋し君の若きは素と天爵を楽むもの授爵の一事敢て其の本領品価を軽重するに足らすと雖も、抑も亦天日赫赫私照なき
 - 第29巻 p.274 -ページ画像 
の盛意に奉対し君たるもの中心必す当さに感喜する所あるべし、本会議所亦君が此の殊典に接するに於て与りて余栄あり、乃ち所懐を述へて以て祝す
  明治三十三年五月十八日
                      東京商業会議所
之れに向て先生は左の如き意味にて答辞を述べられたり
      先生の答辞
 本日は当会議所に於て臨時総会を開かれ、不肖が今回測らずも授爵の恩命に浴したるに対し、叮重なる祝辞を贈与ありしに就ては、一言不肖が以往六十年間に於て経歴せる概略を述べて、諸君の御厚意に答へんと欲す
 不肖はもと東京在榛沢の農家に生れ、此処に列席せられ居れる同姓喜作氏とは竹馬の友なり、齢二十を過ぐる頃より世事に就て憂ふる所あり、郷里を出でゝ京都に趨き、今の徳川従一位公即ち当時の一橋公に仕へ、公が入て宗家を継がるゝに及び、従て徳川家に仕へしが、兎角する中海外を巡遊することゝなり、維新の歳を以て帰朝したるに、此時は維新の大業全く成り、不肖等は殆ど喪家の狗と一般の境遇に立しより、其後は徳川公に従ふて静岡に赴き、一切世事を放擲する考なりしに、測らずも大蔵省より召されて官に入りしが、其後熟世態の実相を通観するに、政治其他の事物は日に月に着々として進歩し居れるも、商工業は依然として旧態を改めず殊に又当時の商工業者は品位甚だ低くして、三間位も隔てざれば役人に面会するを許されざる如き実況なりしが、商工業者の品位此の如く低きに於ては、我国の商工業を発達せしめんこと甚だ難きを以て、身不肖ながら商工界に投じて聊か尽す所あらんとし、明治六年五月三日時の大蔵卿井上伯の掛冠せらるゝと同時に、官を辞して銀行業に着手したるが、単に銀行事業のみにては当初の希望を達するに由なきを以て、独り銀行事業のみならず各種の事業に従事して、遂に今日あるに至りしが、爾来世運の進歩と共に商工業亦大に進歩し、商工業者の位置亦比較的大に進歩するに至りしは、敢て不肖が尽力したる結果とは言はざるも、不肖が掛冠の当時に於て心窃に期したりし所亦強ち無稽の妄想ならざりしを見るなり
 不肖は商工業界に入るの当初に於て、此の如きの所期を懐きて官を辞し、又士籍をも返上し政治方面の事の如き、又は人爵の如きは一切断念したる上にて商工業界に投じたる者なるが故に、今回の 恩命の如きは真に望外の事にして、光栄身に余りありて中心窃に忸怩たるものあるなり
 一身の経歴談は之にて擱き、更に翻て我商工業界の前途を観るに、商工業者は比較的に進歩し居れりと雖も、政治界に比すれば尚ほ及ばざること遠く、現に此程も某伯爵は、商業会議所の決議は尚ほ註釈を借らざれば世間に公示すること能はず云々と批評せられたることさへあり、品位の低きこと斯の如きは我国商工業界の為め真個に悲しむべきことにして、吾々は自今益々智識を養成して、行動を慎重にして、吾々商工業者の地位を高むるに努力せざる可らず云々
 - 第29巻 p.275 -ページ画像 
当日先生招待の為めに出席せられしは、加藤正義・中野武営・園田孝吉・池田謙三・末延道成・雨森敬次郎《(雨宮敬次郎カ)》・益田孝等の諸氏を始め、同会議所会員五十余名なりしと云ふ
    ○第一銀行員其他諸氏の祝賀会(五月十九日)
五月十九日第一銀行員其他の諸氏は、先生の授爵を祝せんが為め、先生を始めとして先生の令夫人及令息並に令息夫人を帝国ホテルに招待せられたり、当日の出席者は左の三十名なりしと云ふ
 谷敬三   星野錫    田中栄八郎  原林之助
 竹田政智  斎藤峰三郎  佐々木慎思郎 佐々木勇之助
 吉田省三  笹瀬充明   長谷川一彦  清水釘吉
 市原盛宏  西園寺亀次郎 本山七郎兵衛 仲又七郎
 清水泰吉  原田貞之介  郷隆三郎   神谷義雄
 諸井恒平  諸井時三郎  大沢正道   山田昌邦
 山中譲三  山口荘吉   福岡健良   大川修三
 萩原源太郎 和田格太郎
    ○深川区名誉職及有志者の祝賀会(五月廿日)
五月二十日深川区の名誉職及有志者は、先生及令息篤二氏を帝国ホテルに招待し、授爵の祝意を表せられたり、当日の出席者は左の五十七名なりし
 石井弥六・岩出惣兵衛・服部与兵衛・福島豊・加藤茂兵衛・松本忠次郎・久徳猶行・岩沢峯松・水野徳右衛門・小原勝五郎・神保文輔小松正一・斎藤鉄太郎・鹿島岩蔵・藤田昆直・峯岸伝次郎・窪田弥兵衛・小野津幸三郎・鹿島清左衛門・名子新七・渡辺半三郎・松村両平・中村清蔵・田辺米蔵・岡田貞三・榊原宇太郎・関口銀七・小倉鐺助・太田徳三郎・岡村文吉・大岡亨・谷崎安太郎・利光鶴松・鹿島善重郎・山田喜助・井上金次郎・田中荘七・若林源吉・鈴木正吉・長島吾助・松本充太郎・木村許一郎・浅野総一郎・飯塚佐吉・鹿島清吉・飯塚伝之助・奥三郎兵衛・佐々木利亮・前川忠七・田口篤信・北村銀平・千葉鉱蔵・松村太平・上山信吉・三野村利助・三野村利市・溝口鋳次郎
    ○全国商業会議所聯合会員の祝賀会(五月廿二日)
全国商業会議所聯合会出席の諸氏は、五月廿二日先生を帝国ホテルに招待し祝賀の宴を開かれたり、当日出席の人々左の如し
 松尾寅三・根本民治・奥田正香・井島茂作・上遠野富之助・天野伊左衛門・中野致明・松山利介・川真田徳之助・横山孝史・上野松次郎・斎藤又右衛門・大谷嘉兵衛・宮里正静・松田源五郎・藤瀬宗一郎・水登勇太郎・中山清一・佐伯勢一郎・三谷軌秀・石塚新吉・中伊兵衛・梶村宇平・香川真一・松村俊男・山葉寅楠・小寺成蔵・仲田槌三郎・中井尚珍・橋本清助・金沢伝十郎・緒方道平・小野権右衛門・酒井包義・中村栄助・高田音次郎・大西徳太郎・鈴木喜八・平林定兵衛・原正鑑
    ○大阪紡績会社の賀表(五月廿七日)
大阪紡績会社の山辺丈夫氏は、同社を代表し五月廿七日先生の授爵を祝し左の如き賀表を呈せられたり
 - 第29巻 p.276 -ページ画像 
      賀表
 先生夙に絶倫の才を以て誠意身を実業界に委ね、古今の施設を参酌して特殊の綱領を確定し、其企図画策は能く時運の進歩に適中し、之を施すに慎重、之を行ふに堅忍、経営多年本邦商工業をして粲然光輝を放つに至らしめたり、嗚呼先生の功大なりと謂ふへし、偉勲天聴に達し授爵の栄典あり、蓋し人生無上の光栄にして誰か欣舞せさるものあらんや、況んや躬ら先生の謦咳に接し指導扶翼の栄を荷ひ其事業を持続するものに於ておや、惟ふに先生の功蹟は之に止らす、更に進て一新機軸を出し、宇内実業界の先覚者たるの名声は、赫々無窮に伝らん謹て賀す
  明治三十三年五月     大阪紡績株式会社社長
                      山辺丈夫
    従四位男爵 渋沢青淵先生閣下


竜門雑誌 第一四六号・第二一―二四頁 明治三三年七月 ○青淵先生授爵祝賀会紀事其之二(DK290089k-0005)
第29巻 p.276-277 ページ画像

竜門雑誌  第一四六号・第二一―二四頁 明治三三年七月
 ○青淵先生授爵祝賀会紀事 其之二
    ○埼玉県有志者の祝賀会(六月二日)
埼玉県の有志者九十余名には、去る六月二日先生の授爵祝賀会を帝国ホテルに開かる、当日総代竹井澹如氏の朗読せられたる祝文左の如し
      祝賀文
 向者渋沢栄一君、国家に功勲あるの故を以て特に男爵を授けらる、爰に於て同県の人士相図りて賀筵を開き、以て祝賀の意を表せんとす、蓋し渋沢君は少壮にして志を立て、年耳順に至るまで国利公益を勤むること数十年、其業着々として進み、其功歴々として挙る、我国今や革新の途に在り、能く其方針を違ふことなく、漸く以て富強の域に入らんとするは、君の力与て少からすと云ふへし、此事たる天下の共に知るところ、余等の喋々を待たさるなり、其功業の顕著なる上
 聖天子の叡感し給ふ所となり、特に栄典を授与せらるゝに至れり、君は嘗て朝に在りしも、一朝退て野に下り、後再ひ官に登らす、所謂平民主義を以て世に立ち、以て今日に至り、終に
 聖聴を動し奉りしは、其勲功の偉なるを知ると共に、其栄典の益貴きを知るへきなり、或は曰く、君が華族に列するは平生の抱負に乖くことなきやと、余は曰く爵位は功労を表する為の恩賜にして、之を拝受せらるゝも君か抱負する処と毫も相妨くることなしと、余等既に君が孜々として国家に尽瘁せらるゝを欣慕す、而して今君か之か為に深厚なる
 聖恩に浴するを祝し、更に我県の此人を以て弥光耀を発揮するを賀せんと欲す、聊か此宴を設け蕪辞を呈すること爾り
  明治三十三年六月二日    埼玉県有志者総代
                      竹井澹如
当日の招待状に列記せられたる主人は、左の九十二名なりし
 岩出惣兵衛・稲村貫一郎・岩出修三・石崎丈太郎・今津覚太郎・池田豊作・井出庸造・岩片信太郎・飯塚吉五郎・長谷川敬助・橋本喜
 - 第29巻 p.277 -ページ画像 
助・花井孝太郎・原猪作・西沢芳三・堀越寛介・星野平兵衛・大谷登喜雄・大島寛司・岡田健次郎・尾崎作蔵・大谷藤三郎・大沢喜一郎・大谷兵蔵・笠間靖・金谷藤次郎・神戸千三・加藤政之助・吉田千足・横山錦柵・竹井澹如・田村新蔵・竹井懿貞・田中万次郎・田沼太右衛門・根岸武香・練木市左衛門・中井尚珍・中島林七・中村房五郎・長島菾三郎・武蔵松山銀行・内村綱礼・野本三之助・久米良作・国神銀行・熊井好孝・山中隣之助・山田半六・松岡三五郎・真中直道・増田忠順・松本楽蔵・松本伊兵衛・府川秀之助・小泉寛則・小林浜次郎・児玉銀行・江原平蔵・坂本善兵衛・榎本謙次郎・新井門之助・沢田俊三・斎藤小十郎・斎藤珪六・喜早要人・騎西銀行・宮内翁助・三輪信太郎・島甲子三・渋沢喜作・清水寿太郎・渋谷正吉・清水近太郎・渋沢作太郎・繁田武平・平沢三郎・久田捨次郎・平沼専三・諸井恒平・桃井可雄・関口弥五・鈴木久五郎・鈴木善五郎・鈴木倉衛門・須田守三・松本平蔵・斎藤蔵之助・根岸千仞森本彦市・多田直太郎


(埼玉県有志) 書翰 芝崎確次郎宛 明治三三年五月(DK290089k-0006)
第29巻 p.277-278 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

竜門雑誌 第一四六号・第二二―二四頁 明治三三年七月 ○青淵先生授爵祝賀会其之二(DK290089k-0007)
第29巻 p.278-279 ページ画像

竜門雑誌  第一四六号・第二二―二四頁 明治三三年七月
 ○青淵先生授爵祝賀会 其之二
    ○京浜実業家有志会の祝賀会(六月三日)
京浜実業家五十五名の発起に係る青淵先生の授爵祝賀会は、去六月三日帝国ホテルに開かれ、当日は主賓として青淵先生、外に先生の御家族一同を招待せられ、音楽隊・相撲等種々なる余興ありて、非常なる盛会を極めたり、来会者は発起人の外三百三十九名に上り、中には夫人同伴の方々もありたれば、さしもに広き帝国ホテルも手狭の感を起さしむるか如き有様にてありしと云ふ、今発起人及出席者の重なる人人の氏名を聞くに
 発起人は岩永省一・原林之助・服部金太郎・西村勝三・西川忠亮・星野錫・大沢省三・大川平三郎・大橋新太郎・大倉久米馬・小川䤡吉・小野寺正敬・渡辺嘉一・和田格太郎・唐崎恭三・書上順四郎・加藤正義・柿沼谷蔵・鹿島岩蔵・横山孫一郎・田中栄八郎・谷敬三高島小金治・曾和嘉一郎・園田実徳・中村清蔵・成瀬隆蔵・梅浦精一・上原豊吉・野崎広太・日下義雄・八巻道成・山田昌邦・山内政良・益田克徳・馬越恭平・福岡健良・藤山雷太・藤村義苗・古河市兵衛・近藤廉平・郷隆三郎・浅野総一郎・浅田正文・青木直治・西園寺公成・木村清四郎・喜谷市郎右衛門・皆川四郎・渋沢作太郎・清水釘吉・渋沢喜作・平沢道次・諸井恒平・鈴木恒吉の五十五氏にして、当日出席の重なる人々は市原盛宏・今村清之助・長谷川一彦波多野承五郎・本間英一郎・穂積八束・若尾幾造・渡辺洪基・田中平八・益田孝・福島甲子三・肥塚竜・小幡篤次郎・西園寺亀次郎・阪田実・佐々木慎思郎・銀林綱男・三輪信次郎・関直彦
諸氏を始めとして外三百廿名なりしと云ふ、当日発起人総代か一同に代りて朗読せし祝賀文は左の如し
      祝賀文
 男爵渋沢栄一君、閣下今回授爵の恩命を拝せらる、是れ特り閣下の光栄のみに非ず、実に我邦商工界の一大光輝たるを信するなり、玆に某等相謀り、本会を開きて聊か祝意を表せんとす、幸に高門挙けて光臨の栄を辱ふせるは、某等の深く感謝する所なり、蓋し世の華冑に列する者多しと雖も、概ね文武の勲功に依らさるはなし、独り閣下は則ち然らす、王政維新以降閣下が我邦商工業界に率先して百事経営、国家の為め多大の功労を致されたるは、天下万衆の已に認識する所なり、抑々我邦銀行・保険・鉄道・海運・造船・採鉱・紡績・製紙・瓦斯・肥料の諸業にして、今日の隆昌発達を見るもの概ね閣下の指導誘掖に依らさるは稀なり、又多年東京商業会議所に会頭として商工業の進歩を謀り、或は高等商業学校の創設に力めて斯業の為に育英の道を講し、或は養育院の成立を賛けて無告の窮民を救ふ、乃ち邦民の直接若くは間接に閣下の恵に頼ること実に深くし
 - 第29巻 p.279 -ページ画像 
て且大なりと謂ふへし、而して閣下の事業を経営するや始あり必ず終あり鋭意勤勉倦ます懈らす、半生役々一日の如し、其の功豈文勲武蹟の下に出でんや、幸に 聖明上に在り、閣下の勲労を嘉尚したまひ、玆に授爵の恩命を下さる、閣下の光栄洵に大にして、某等商工業に従事する者亦与りて余栄ありと謂ふべし、謹んで閣下の為に賀し、併せて邦家の為に慶す
  明治三十三年六月三日
                     祝賀会員一同謹白
    ○奥羽銀行同盟会の賀表(六月十日)
奥羽銀行同盟会幹事七十七銀行頭取遠藤敬止氏が総代となり、先生の授爵を祝せんが為め贈呈せられたる賀表は左の如し
    祝賀文
 正四位勲四等男爵渋沢栄一君閣下、東北七州に於ける奥羽銀行同盟会は、閣下が這般特に華族に列し男爵を授けられたるを賀せむか為め、春季総会の決議を以て、玆に恭しく一書を呈す
 顧ふに明治の初年、閣下の徴れて政府の要路に立つや、盛に改革の按を立て、運籌画策する所頗る多かりしも、一たひ財政上の意見を異にするや、決然冠を掛け、爾来民間に下り一意力を実業の発達に竭尽し、先つ金融機関に注目して銀行の整備に努め、合本事業を企てゝ商工業の進歩を促し、専ら公益を計りて私利を顧みす、中外に向て心身を労すること爰に三十有余年、就中銀行法規の制定は閣下か在朝の当時最も其力を効せる所にして、其事業の経営は閣下か退朝以後職はら其身を委ねたる所、今日銀行事業の此の如く発達隆昌を見るに至りたるもの、一は時運の進歩に由ると云ふと雖も、抑も閣下が率先提撕の力に由らすんはあらす、之を要するに閣下一身の経歴は、本邦銀行事業発達史と離るへからさるの関係を相有せり、若夫れ其他一般実業界に於ける閣下の勲蹟に至りては、復玆に贅するを竢たす、這回
 聖旨に由りて特に華族に列し、男爵を授けられたること、閣下の為めに之を賀し、又我か銀行業者の為めに之を栄とす、是れ玆に奥羽銀行同盟会を代表し、祝辞一篇を呈する所以なり
  明治三十三年六月十日
                奥羽銀行同盟会幹事
                 株式会社七十七銀行
                   頭取 遠藤敬止


(八十島親徳) 日録 明治三三年(DK290089k-0008)
第29巻 p.279 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三三年   (八十島親義氏所蔵)
六月十七日 曇 寒シ
○上略 本日ハ青淵先生叙爵並ニ還暦ノ祝賀ト渋沢社長・穂積博士帰朝歓迎トヲ兼ネタル竜門社第廿四回総集会ナリ、九時ヨリ祝賀式ニカヽル筈ナリシモ青淵先生無拠事アリタリトテ遅刻出席ノ為、十一時先ツ歓迎式ヨリ始ム ○中略 社長ヨリ青淵先生ニ向テ還暦及叙爵ノ寿言ヲ朗読シ次ニ社長ヨリ青淵先生ニ六十年史ヲ奉呈シ、夫ヨリ阪谷氏六十年史編纂ノ来歴ヲ述ヘラレ、終テ青淵先生ヨリ答辞アリ ○下略
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竜門雑誌 第一四五号・第二八―三〇頁 明治三三年六月 ○賀青淵渋沢先生之授爵(DK290089k-0009)
第29巻 p.280-281 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕竜門雑誌 第一四六号・第四四頁 明治三三年七月 ○奉賀青淵先生授爵並還暦次景陽詞宗芳韻(DK290089k-0010)
第29巻 p.281 ページ画像

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