デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
1節 東京市養育院其他
1款 東京市養育院
■綱文

第30巻 p.178-182(DK300013k) ページ画像

大正6年1月18日(1917年)

是日栄一、参内ノ上、皇后陛下ニ拝謁シ、当院ノ院務ニ関シテ言上ス。爾後大正十一年十二月十六日、同十二年六月十八日、並ニ同十五年七月一日
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ニモ同ジク参内ノ上、拝謁言上ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正六年(DK300013k-0001)
第30巻 p.179 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正六年      (渋沢子爵家所蔵)
一月十八日 曇 寒
○上略 二時宮内省ニ抵リ、大森皇后宮大夫ニ面会ス、東京市養育院入院者ヘ御下賜ノ御菓子料ヲ拝受シ、且 陛下ニ拝謁シテ、院務ニ付種々ノ御下問アリ ○下略
   ○中略。
一月三十日 晴 寒
○上略 養育院ニ関スル戴恩の記ヲ清書シテ、印刷ニ付セシム ○下略


竜門雑誌 第三四五号・第一〇三―一〇四頁 大正六年二月 ○皇后陛下の御仁慈(DK300013k-0002)
第30巻 p.179-180 ページ画像

竜門雑誌  第三四五号・第一〇三―一〇四頁 大正六年二月
    ○皇后陛下の御仁慈
     特に青淵先生に謁を賜うて
      養育院に五百円御下賜
 皇后陛下には夙に細民の上に御心を注がせらるゝこと国民の常に感佩措く能はざる処なるが、一月十八日午後一時陛下には東京市養育院長たる青淵先生を宮中に召されて特に拝謁仰付けられ、同院収容者に対し菓子料として金五百円を下賜あらせられ、尚
△院内の現状、に就いて種々御下問あらせられ、且青淵先生が同院に対する多年の功労を思召され、難有き御諚さへ給はりたりと、今に初めぬ御仁慈の深く且つ大なる唯々感泣の外なし、抑も市の養育院は日本最大の救済院にして、現に一月十五日の調査に依れば、窮民四百二名・行路病人千二百九十七名・棄児四百九十八名・遺児百二十六名・迷児八名・感化生百三十六名、合計二千五百六十七名(中男千五百名女千六十七名)を収容し居れり、而して今回同院が
△曾て前例なき 此恩命に浴したるは、一月十六日大森皇后宮大夫が親しく同院を視察し、陛下に委細奏上する処ありたる結果なりと拝聞す、尚井上東京府知事は当日青淵先生と共に同じく宮中に伺候し、此有難き旨を拝するに付け、今後益々御趣旨に副ふ事を期すべく皇后宮大夫を経て言上したりと、之に就て大森皇后大夫の語られたる所は左の如し
     大森皇后宮大夫談
「私が養育院を視察したのは特に御内命を受けての上ではなかつたが皇后陛下は一般国民の知悉する如く御慈愛深く、常に慈善の事に御心を傾けさせらるゝので、夫等の事に就いて何時御下問に接するか分らない、其時に当つて何事もわきまへない様では職責上甚だ恐縮の次第であるといふ訳で、嘗て養育院へ行つた事もあるが、特に最近の状況を視察する必要があらうと考へ、十六日には主事と二人で同院に赴き渋沢男の案内で仔細に視察を遂げたのであるが、行つて見ると今更の様に深い感動を覚えたのである、殊に巣鴨分院には六百名からの児童が居るが、我々の行つた日は偶然にも
△藪入に当つた ので、授業を休み、皆が講堂に集合して唱歌を唄つたり踊りを踊つたりして居たが、考へて見給へ、夫等は凡て置き去り
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を喰つたり棄てられたり迷子になつたりした児童ばかりである、何等かの事情はあつたにしても、子供を棄てたりした親は鬼であるけれども、子供は観音さんだ、其嬉々として遊んで居る所を見ると実に可愛いらしい、置去りを喰つた様な人鬼の子とは何うしても思はれない、余り可憫らしいので頭でも撫でゝやると、小父さん小父さんと纏はる始末で、我々もつい泣かされた様な訳であつた、恁くて当日は既う時刻が遅かつたので、翌十七日に自分達が視察した事を仔細に言上に及ぶと陛下には甚くも御耳を傾けさせ給ひ、然らば夫等の老病人や子供達に菓子でも取らせて遣はせとの有難い恩命が下つた次第である」


戴恩の記 渋沢栄一著 大正六年刊(DK300013k-0003)
第30巻 p.180-181 ページ画像

戴恩の記 渋沢栄一著  大正六年刊
大正六年一月十六日皇后宮大夫男爵大森鐘一君我か東京市養育院視察の為に大塚本院に来臨あり、曰く当養育院の事について
皇后陛下より度々御下問を蒙れるにより、一応視察し置きたけれは参りたりとの言なりき、よりて余は事務員と共にこれを迎へて、先つ本院の各部及病室・医局を始め食堂・炊事場に至るまて隈なく案内したるに、大夫は細心に調査せられ、次に巣鴨分院に到りて児童教養の実況をも熟覧せられたり、恰も好し是日は藪入りの日にて、当分院より出てゝ各商店・工場等に勤仕せる青年輩数十名、宿下として来合せ居り、且在院の児童も様々の遊戯を為して、先輩と共に嬉々として楽しめるをも目撃せられしかは、大夫はいと興あることに思はれし様なりき、院内の一覧畢りて後、余は大夫に向ひて本院創立以降今日に至るまての沿革、現在の状態に加へて、将来の希望をも詳細に説明しけれは、大夫は一々領承して帰られたり、皇后宮大夫の来観のみにても、本院の実況か
皇后陛下の御聴に達すへき機会なりと思ひて感謝に堪へさりしに、思ひもかけす其十八日栄一に参内せよとの御召あり、其日の午後謹みて宮中に伺候せしに、大夫より思召を伝へて、かしこくも
皇后陛下には深く養育院の窮民及児童に叡念を垂れさせられ、一同に対して御菓子料金五百円の恩賜あらせらるゝ旨を宣せられ、且つ辱けなくも栄一に拝謁を賜はるとの事なりけれは、栄一は 御前に伏して恭しく御礼を言上し奉りたるに
陛下には養育院の設備の整へるを満足に思召すの御詞を賜はり、栄一か院務に従事せしより幾年になれりや、又栄一の年齢は幾歳なりやとの御下問あり、余は恐懼しつゝも勤務は四十三年間にて、馬齢は七十八歳と答へ奉りしに、そは思ひしよりも高齢なり、別して永年の尽力を感し思召す、見受くる所老いて益壮健なるらし、尚久しく健康を保ちて院務に精励し、可憐の者共の為に尽瘁せよとの辱き慈訓を賜はれり、余は懿旨の懇篤なると慈恩の優渥なるとに感泣して御前を退きたり、乃事務員とも相謀りて、此辱き恩賜を在院者一同二千五百四十五名に頒給すると共に、中心に包ミかねたる喜悦の情を記述し、此恩賜を拝受する人々に
皇后陛下の洪大なる坤徳を仰かしめむと欲するなり
  大正六年一月二十五日
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         東京布養育院々長 男爵 渋沢栄一識
   ○右ハ栄一ノ自筆稿本ヲ石版刷ニ附シ、和綴ノ小冊子トナセルモノナリ。


東京市養育院月報 第二六二号・第一―二頁 大正一一年一二月 ○皇后陛下渋沢院長を召して謁を賜ふ(DK300013k-0004)
第30巻 p.181 ページ画像

東京市養育院月報  第二六二号・第一―二頁 大正一一年一二月
    ○皇后陛下渋沢院長を召して謁を賜ふ
 大正十一年十二月十一日 皇后陛下の令旨を奉じて皇后宮大夫大森男爵が本院感化部井之頭学校を視察相成りたるは別項記載の通りなるが、越えて同月十六日 皇后陛下には特別の思召を以て渋沢院長を宮中に召され、辱けなくも拝謁を賜はりたり、当日は予ねての御知らせに依り午前十一時半院長には皇后宮職まで出頭したる処、間もなく大夫同道にて 陛下の御前へ召され、院長よりは鞠躬如として過日大森皇后宮大夫を井之頭学校へ差遣はされたる優渥なる思召に対し御礼を言上したるに 陛下に於かせられては大夫の復命により、同校生徒訓練方法の行届き居るを御喜び遊ばさるゝ旨、及び大夫の手を経て当日献上したる、生徒の工芸製作品並に農科生産品を見て満足に思召されたる旨の御言葉あり、尚ほ 陛下には過般本院創立五十周年記念式の際御手許へ奉りたる渋沢院長著「回顧五十年」を辱けなくも御覧遊ばされたる趣にて、過去四十八年間絶えず本院経営の任に当りたる院長の労を犒らはせらるゝと共に、収容者の憐れむべき身の上に就き篤き御同情の御言葉を漏らさせ給ひ、且つ院長の年齢等御尋ねありたる上尚ほ加餐して養育院の為め人道の為め永く努力する所あるべしとの御優さしき奨励の御言葉ありたりければ、渋沢院長に於ては唯だ唯だ 陛下の蒼生に対する御仁徳のいと厚きと、一微臣に対する御情けの深く且つ濃やかなるに感動し、謹で御言葉に副ひ奉りて終生養育院の事業に鞅掌し、以て広く 陛下の不幸なる赤子の保護及救済の為めに尽瘁する所あるべきを奉答し、斯くて拝謁約三十分にして御前を退下したり、而して其間 陛下には院長に茶菓を賜はり、且つ立礼の儘なる院長を臠はせられて、再三椅子に倚るべき旨の難有御諚のありたる等其御会釈の優渥なる、院長をして坐ろに感泣を禁じ能はざらしめたりと云ふ、尚ほ右拝謁の際 陛下には特別の思召を以て紅白縮緬各一巻及御紋章付高蒔絵手函一箇を院長へ御下賜あり、重々の面目を施こして御前を退かりたり
 抑も養育院長としての渋沢子爵が 皇后陛下の御前に召されて拝謁の栄を得たるは前後二回にして、初めは大正六年一月十八日、次回は即ち此度の拝謁なり、院長の光栄並に我養育院の光栄共に至大なりと云はざるべからず、而して薄倖なる赤子を憐れませ給ふ我 国母陛上の御仁徳の高き、仰ぐも畏こき極みなり


東京市養育院月報 第二六八号・第一―二頁 大正一二年六月 ○皇后陛下三度渋沢院長に謁を賜ふ(DK300013k-0005)
第30巻 p.181-182 ページ画像

東京市養育院月報  第二六八号・第一―二頁 大正一二年六月
    ○皇后陛下三度渋沢院長に謁を賜ふ
 渋沢子爵が東京市養育院長たるの故を以て 皇后陛下の御前に召され拝謁の栄に浴したるは前後三回にして、初めは大正六年一月十八日次は同十一年十二月十六日、次は同十二年六月十八日即ち今回の拝謁なりとす、惟ふに之れ独り渋沢院長の光栄なるのみならず、又た以て
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我養育院の光栄無上なりと云はざるべからず
 大正十二年六月四日 皇后陛下の令旨を奉じて皇后宮大夫大森男爵が、本院虚弱児童の転地保養所たる安房分院を視察相成りたるは別項記載の通りなるが、超えて同月十八日渋沢院長は、大森大夫を経て右御礼を言上せん為め皇后宮職に出頭しけるに、畏れ多くも 皇后陛下には之を聞召され、特別の思召を以て遽に拝謁を賜はる旨の御沙汰を下し給ひしかば、院長に於ては全く予期せざるを恩命に接したることとて聊か躊躇せしが、遂に大夫同道 陛下の御前に進み、鞠躬如として過日大森皇后宮大夫を安房分院へ差遣はされ、尚ほ其際収容児童並に職員に茶菓料並に酒肴料各一封の御下賜ありたる御礼を言上したるに 陛下に於かせられては予て安房分院設置の動機並に沿革等につき仄聞し居りしが、此度大夫を遣はし視察せしめ、其復命に依り具に現況を知るを得、洵に適当の施設なるを深く喜ぶ旨仰せられ、且同分院に在る可憐なる多数の病弱児童に就き篤き御同情の御言葉を漏らさせ給ひ、尚ほ院長の労を犒らはせらるゝと共に、老躯愈々自重加餐して養育院事業の為め益々努力する所あらまほしとの、優渥なる御諚を賜はりたり、是に於て 陛下の億兆に対する御仁慈のいと厚き大御心の程に感泣せる渋沢院長は、日夜淬礪して其の職に尽くし以て聖恩の万一に酬ゐ奉らむことを期する旨謹で奉答し、御前を退下したり


東京市養育院月報 第二六八号・第二四頁 大正一二年六月 ○渋沢院長皇后宮職へ出頭(DK300013k-0006)
第30巻 p.182 ページ画像

東京市養育院月報  第二六八号・第二四頁 大正一二年六月
○渋沢院長皇后宮職へ出頭 六月四日 皇后陛下の令旨を奉じて、大森皇后宮大夫が本院安房分院を視察せられたるは別項記載の通りなるが、右に対し渋沢院長は六月十八日大森大夫を経て御礼言上の為め皇后宮職へ出頭しけるに、畏れ多くも 皇后陛下にはこれを聞召され特に拝謁仰付けられ、約三十分間に亘り種々優渥なる御諚を賜はりて、御前を退下したり


東京市養育院月報 第三〇〇号・第一頁 大正一五年七月 皇后陛下御使を以て真綿及絹布を渋沢子爵に賜ひ御礼参内の節特に賜謁、令旨養育院の事に及ばせ給ふ(DK300013k-0007)
第30巻 p.182 ページ画像

東京市養育院月報  第三〇〇号・第一頁 大正一五年七月
  皇后陛下御使を以て真綿及絹布を渋沢子爵に賜ひ
    御礼参内の節特に賜謁、令旨養育院の事に及ばせ給ふ
 大正十五年六月三十日午前大森皇后宮大夫は、畏くも 皇后陛下の思召を奉じて渋沢子爵を飛鳥山の邸に訪問せられ、 陛下の有難き御諚と共に、宮中紅葉山なる御養蚕所にて出来したる真綿一包と絹布一巻とを伝達せられたり、此の有難き恩賜を拝したる老子爵は感激禁ずる能はず、翌七月一日直ちに御礼言上の為め参内したる処、 皇后陛下におかせられては特に拝謁を賜ふ旨仰せ出だされ、御前に咫尺したる子爵に対し親しく御懇の御言葉を賜ひ、其間大震災後に於ける養育院安房分院の復旧を深く喜ばせ給ふ旨の仰せさへあり、賜謁約三十分にして、子爵は聖恩の辱けなさに感泣しつゝ御前を退下せり
○下略