デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
8款 日米協会
■綱文

第35巻 p.561-565(DK350104k) ページ画像

大正6年11月30日(1917年)

是日、当協会主催アメリカ合衆国新任特命全権大使ローランド・エス・モリス歓迎晩餐会東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。


■資料

(日米協会)邦文記録 第壱号(DK350104k-0001)
第35巻 p.561 ページ画像

(日米協会)邦文記録 第壱号 (社団法人日米協会所蔵)
    第十九 新任米国大使ローランド・エス・モーリス氏歓迎会
 (一)時日 大正六年十一月三十日午後七時半
 (二)場所 丸の内銀行倶楽部
 (三)出席員数 総数百五十六名
     内訳○略ス
 (四)歓迎会の状況
対支日米共同宣言書公表の折柄とて会員は溌溂たる意気に満され午后六時頃より陸続来会し、倶楽部レセプシヨン・ルームに或はビリヤードに又ストーブの前に各々群集談笑しつゝある間にカクテールは一同に配られ、定刻十分前に新任米国大使ローランド・エス・モーリス氏来会せるを以て、阪井幹事○徳太郎の命令の下に警鐘し、夫を相図に一同食堂に入り晩餐を喫せり、宴終るや会長金子子爵は司会者となりて左の順序に従つて盛大なる歓迎会を開けり。乾盃の式は左の順
  (一)日本天皇陛下万歳 米国大使モーリス氏
  (二)米国大統領万歳 寺内総理大臣
      演説(演説全部は新聞綴にあり、参照)
子爵金子氏 公爵徳川家達氏
男爵渋沢栄一氏等の観迎《(歓)》の辞
之に対する米国大使ローランド・エス・モーリス氏の熱烈溢るが如き大演説了りて閉会(以上諸氏の演説記事は新聞綴及原稿は夫々晩午餐綴モーリス歓迎会の部にあり)時に午後拾時半、夫れより一同レセプシヨン・ルームに入り、互に交歓を交へ散会せしは実に十一時半なりき


竜門雑誌 第三五五号・第八九頁大正六年一二月 ○米国大使歓迎会(DK350104k-0002)
第35巻 p.561 ページ画像

竜門雑誌 第三五五号・第八九頁大正六年一二月
○米国大使歓迎会 日米協会に於ては十一月三十日午後七時半より銀行倶楽部に於て米国大使モーリス氏を主賓として晩餐会を開催せり。
其出席者は寺内首相・後藤内相・岡田文相・松室法相・本野外相・徳川公・青淵先生・島村軍令部長・瓜生大将・金子会頭・三井八郎右衛門男、各省次官其他実業家約二百名なり。定刻食堂を開きて軈てデザートコースに入るや寺内首相起ちて米国大統領の為めに乾盃し、之に対しモーリス大使立ちて日本 皇帝陛下の為めに乾盃し、右終りてモーリス大使・徳川公・青淵先生・金子会頭等の演説あり、散会せるは十一時頃なりしと云ふ。青淵先生の演説概要は即ち左の如し
○下略


竜門雑誌 第三五九号・第二二―二五頁大正七年四月 ○モーリス大使歓迎会にて 青淵先生(DK350104k-0003)
第35巻 p.561-564 ページ画像

竜門雑誌 第三五九号・第二二―二五頁大正七年四月
 - 第35巻 p.562 -ページ画像 
    ○モーリス大使歓迎会にて
                      青淵先生
 本篇は日米協会主催にて大正六年十一月三日東京銀行集会所《(三十)》に於て開かれたるモーリス大使歓迎会に於ける青淵先生の演説なりとす
                          (編者識)
大使閣下及び満堂の閣下諸君
 今夕我が日米協会に於て今般渡来せられたる太平洋を隔つる対岸友邦の貴賓を御招待申上げ、私も玆に蕪辞を述ぶる事を得ましたのは無上の光栄と存じます。
 大使閣下に対して先刻先輩各位の歓迎演説は何れも満腔の熱誠を以てせられたので、私は更に附加すべき言詞を見出しませぬ。殊に閣下が吾々の最も敬愛する米国の代表者として、我邦に御赴任なされたのは、日本全国到る処歓迎せざるものはないのであります。諸君日米両国々交親善なるは今更私の喋々を要するまでもなく、明白の事実であつて、而して此最好なる関係は国民性より視るも、経済状態より察するも、実に理想に近い程に鞏固不抜と申も過言でないと存じます。畢竟両国の間柄が何等諍ふべき理由のないからであると思ひます。
 地形上より見るも此極西・極東の二大国は太平洋を隔てゝ隣接して居る。而して此二大国は土地の広狭、歴史の新古、国体の差違あるに拘らず、正義を重むじ、人道を貴ぶの点に於て、両国民は全然同一の気象を有して居ります。故に此太平洋の大溝渠は平時は握手の出来る程に狭くも思はれ、万一不平あるの場合は之を広くして相互の紛争を避ける事も出来ます。
 斯の如く両国間に天然共通の便宜が成立して居ます。為めに国際の友誼が永続すべきは勿論でありますが、私は我日本の開国以来特に米国に対して深く親愛の情を懐き居るものありと信じます。其特殊の事情とは米国が千八百五十三・四年頃我が日本がまだ国際関係に習熟せざる幼稚の時代に在つて、之を啓発指導の為めに派遣せられたる偉大なる人物は吾々の恩人として忘るゝ能はざるものであります。其偉人とはペリー提督とハリス公使の二人であります。
 私は前の二偉人の事を回想すると同時に当時の我邦の有様を思ひ浮ぶるのであります。提督が引率した怪物の如き黒船が突然江戸近海に現はれ時の江戸幕府否日本全国の驚愕は実に名状すべからざるものであつた。其頃私は十四・五歳の少年で江戸近在の農村に耕作をして居りました、が聊か漢学を好む処から隣国の歴史を読みて常に他国よりの略奪を恐れ、少年ながらも慷慨の志を起して、ペリー提督の行為を一種の侵略政策と思ひ誤つたのであります。是は如何にも私が当年の智識なき考に出た事で今日御列席の大使閣下並に米国の紳士諸君に幾重にも御容赦を願ひますが、其後数年間の私の行動を有体に告白すれば米国に対しても敵意を持つて居りました。実に皇国の一大事である是非共攘夷鎖港を決行したい、江戸幕府を倒して国政を復古せねばならぬと思ふて終に農民より身を転じて浪人となつたのであります。爾後幾多の歳月を経て、私の身も種々変遷し、今日となりましたが、私は依然としてペリー提督の使命に就ては特別の感を有して居ります。
 - 第35巻 p.563 -ページ画像 
蓋し其事件が私の一身の経歴を変化せしめたからであります。それと同時に私は日米両国の国際関係には非常なる趣味を持つて微力ながら従来奮励して居りましたが、将来も尚尽瘁する積りであります。
 米国には当代ペリー氏の如き厳正にして剛直なる提督、又タウンセント・ハリス氏の如き質実にして義侠心に富める外交家が多く存在せられたのでありましたが、此時に於て完全の使命を遂ぐるには此二氏程の適当なる人はなかつたと申して宜からうと思ひます。凡そ斯る重任は大なる識見・才幹・親切・忍耐等の諸徳を備へて居らねばならぬが、日本の最初の条約が此の如き公平にして同情ある人に由りて協定せられ、而して米国の如き正義人道を以て生命とせらるゝ国と締結したのは、実に我邦の幸福此上もなきことでありました。爾来幾多の有為なる公使・大使によりて益々両国間の友誼を増進して以て、今日に至りましたのを見ると、私は益々往時を慚愧しますが、翻て世界の状態殊に数年前よりの欧洲大乱を見ますと、現に侵略のみを主義とする国もありますから、私が少年の際の過激も単に謬見とのみ謂はれぬ点もあらうかと存じます。
 私は頃日ペリー提督の軍艦に水兵たりし一米国の老人に会見して、種々の往時を談じましたが、此水兵は私より五歳の年長で十九歳の時に日本に渡来せられたのである。其出生は米国東部であるが現今ポルトランド市に居住して何等他に欲望なく農業を営みて余生を楽み居るとの事にて、現下の日本を見て其発展を喜ばれ、又日米親善を中心より企望せられて、談其事に至ると強力に握手せらるゝ為めに私の指の痛を覚えるやうでありました。
 斯の如く我日本の開国当初にペリー提督・ハリス公使に由りて其端を啓かれたる米国外交の光輝ある歴史は、其以後歴代の後継者能く之を維持増進せられ、両国の意志全く相融合して益深厚に至り最近の共同宣言をも見るに至りましたのは私の歓喜極つて涙を以てするのであります。
 諸君以上陳べたる如く我邦に於る米国大使の位地は次第に光輝あるものとなり来りたるが、今や此位地は今夕の主賓たる著名の紳士の占むる処となりたるは、吾々の満足して且愉快に感ずるところであります。主賓の才識の非凡なる、又其経歴の著明なる、実に両国の親交を今日の如くに強固ならしめたる幾多の先任者の跡を続くに余りありと断言するに憚りませぬ。殊に私は主賓が着任早々我国各方面の人々との交際に熱心なるを見て敬服に堪へぬのであります。想ふに外交の最高目的、即ち国交を鞏固にするは単に外交官の常務に没頭するよりは寧ろ其公務以外の方面に於て広く各種の階級人士に交りて其意志の疏通を計るを以て有効なるものと信ずるからであります。
 要するに我国に在る米国の諸君も斯の如き適任者が大使として着任せられたるを喜ぶと同時に、吾々日本人も又其来任を衷心より歓迎するのであります。私は此機会に於て大使閣下が公務以外の方面に於て両国親善の為めに活動の場合、私の努力を要せらるゝときは、私は犬馬の労を辞せぬことを玆に明言して閣下の御記憶を願ひます。
 終に臨みて私は更に一言を添へたい事があります。それは頃日米国
 - 第35巻 p.564 -ページ画像 
鋼鉄会社のジヤツジ・ゲーリー氏よりの通信を得て、同氏が我が石井特派大使を紐育市に於て、歓迎の席上に演説せられたる筆記を添へられましたが、其趣旨が如何にも忠実真摯にして私が言はんと欲する所を言ひ尽してあります。故に今私は之を重復して諸君の清聴を煩はします事を略しますが、私の敬愛する今夕の主賓は既に之を御承知と存じますから私は主賓に対して同じ意味を添へて歓迎の詞と致します。


中外商業新報 第一一三七三号大正六年一二月一日 ○日米交歓 米大使歓迎会 諸名士の演説(DK350104k-0004)
第35巻 p.564-565 ページ画像

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