デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
8款 聖路加国際病院
■綱文

第36巻 p.216-222(DK360072k) ページ画像

大正15年11月13日(1926年)

是日、当病院院長ルドルフ・ビー・トイスラー、飛鳥山邸ニ来訪、栄一委員長辞任ノ意ヲ述ベ、尚当病院ニツキ対談ス。


■資料

竜門雑誌 第四六一号・第七一―七五頁昭和二年二月 ○青淵先生記事 トイスラー氏来訪(DK360072k-0001)
第36巻 p.216-219 ページ画像

竜門雑誌  第四六一号・第七一―七五頁昭和二年二月
 ○青淵先生記事
    トイスラー氏来訪
 国際病院長トイスラー氏は、十五年○大正十一月十三日午前十一時飛鳥山邸に来訪せられ、左の如き談話を交はされた。
ト氏「御機嫌よろしく御座いますか、貴方は本当によく働きます」
子爵「咳が出て困ります。貴方もよく働きます」
ト氏「十八年前此のお庭でレセプシヨンがありました時、私は家内と一しよに参りました。京都から美人が見えて居りました」
子爵「よく憶へませんが七十の祝の時でせう――市長にお会ひになりましたか」
ト氏「伊沢さんには会ひましたが、西久保さんにほんの一寸」
子爵「国際病院日本側の評議員に徳川さんがなられたに就ては、会長も徳川さんにお願ひしたいと思つて居ります」
 - 第36巻 p.217 -ページ画像 
ト氏「学術会議で徳川さんにお目にかゝりましたら、出来る丈け働いてやると申されました。然し会長は前から貴方にお願ひして居り、病院が出来たのも貴方のお力ですから、是非其儘にお願致します」
子爵「私が会長を退きましたからと申して、今後心配しないと云ふのではなく、相変らず尽力致しますことは申すまでもありません、何分徳川さんが関係して居られるのに私が会長で居ることは、私の気持が許しませんから是非承諾して頂きたいと思ひます」
ト氏「漸く区劃整理で道路も定り、清水組が建築も急いで居りますから今一年もすれば、病院の建築が出来上ると思ひます、それまで待つて下さいませんか。開院式は是非子爵に主宰して頂きまして、それから後を徳川さんにお願ひすることが出来たら大変結構だと思ひます。何分御下賜金のことや、大隈さんと共々に御尽力下さいましたことなど、子爵は病院の歴史上に最も大切な人となつて居られるし、又紐育の方でも渋沢さんと云へば皆よく知つて居りますから、色々のことにも都合がよろしいのです」
子爵「実業界に居た関係上、各種の世話役になるので知れて居るかも知れませぬ。又多少世話も致しますが、明治神宮奉讚会でも、慈恵会でも斯文会でも、又国際聯盟協会でも、協調会でも皆、徳川さんと御一緒に御世話して居る所は、徳川さんに総裁なり、会長なりを願つて、私が副になつて居ります。徳川さんは、私の主家に当る訳であり、且つ現在貴族院議長もして居られるから、其人を平にして私が評議員会長で居るのは心苦しいのであります。勿論徳川さんは只の評議員であつても嫌だとは仰せられないであらうが、私が心苦しいのであります。私は会長と云ふ名がなくなつたとて縁を薄くしたとは思ひません」
ト氏「只今お話の事はよく判りました。十分御心持をお察しすることが出来ます。貴方が是非さうせねばならぬと御仰せられるのでしたら致し方もありませんが、も少し待つて頂けませんか」
子爵「ではよく阪谷とも相談して見ませう。阪谷は明治神宮奉讚会の方で私と同様副会長として徳川さんの下でやつて居りますが、実際の仕事をして居るのです。奉讚会で作つた明治神宮の外苑は相当立派です。今まで外国の方が見へても見物する所は、浅草などゝ相場がきまつて居りましたが、今後はこの外苑など見て頂けるものになるでせう。殊に其の絵画館の如きは日本の歴史を絵画にして示したので、グラント将軍来朝の折のものは、私が掲げることになつて居ります。グラント将軍は明治十二年日本へ見へたので、私等が主催して上野で市民大歓迎会を開きました」
ト氏「私は当時十歳位でありましたから、グラント将軍のことはよく憶へません。それから大阪の病院のことは申上げましたが、評議員をどうして造つたらよいでせう」
子爵「銀行をよしてから、私は大阪の実業界とも緑が薄くなつて居りますが、永田仁助と云ふ人は大阪に於ける実業界の主脳の地位に居ります。非常に懇意であるとは云へないが、相当な知合でありますから、此人に「国際病院長から御相談があつたが、大阪の方はどう
 - 第36巻 p.218 -ページ画像 
したらよいか、大阪へ病院が出来て居るのだから大阪地方の社会事業としても必要なものと思ふ。其維持方に就て御考慮が願ひ度い」斯う云つて、貴方から頼まれて相談するのでなく、私から相談すると云ふことにして、申送つたらよいと思ふが、どうでせう。大阪には藤田とか住友とか富豪があるけれども、世話をして呉れる人としては永田氏がよいと思ふから叮寧な手紙を出しませう。さうすれば維持費の方は何とか考へて呉れるでせう」
ト氏「さうして下されば大変結構です」
子爵「一通りの知り合であるが、さう云ふことは云つてやれると思ひます。病院長は斯う云ふ人である。折角建造した病院であるから、援助してやつて下されば本人も喜び、大阪にもよいと思ふ。現に東京の方は斯うして居ると申してやりませう」
ト氏「そうしますと、永田さんに交渉して下さつた上で、私が大阪へ参りますか、大阪毎日新聞の人が病院を見まして、これは斯うして置くべきものではないと申して居たことがあります」
子爵「大阪毎日新聞の本山彦一と云ふ人も知つて居ります。さう云つてやつてもよろしう御座います。本山氏は新聞を持つて居りますから、新聞宣伝をすることが出来ます。却つて其方がよくはないでせうか」
ト氏「何れとも其点は子爵の御裁断に御まかせ致します」
子爵「大阪毎日の高石真五郎と云ふ人は、四十五年私が米国へ行く時一しよに行つたが、相当な地位にある人だから、本山に云つてやれば高石氏などの評議にかゝるであらう、却つて永田氏よりもよいかも知れぬ」
ト氏「毎日新聞社の人で、高い地位にある人ではないが、記者の人が病院を見て、建物も立派であるし、社会事業としても全うせしめる必要があると申して呉れました。又市長もさう申しました」
子爵「関大阪市長はよく知つて居ります。前に一ツ橋の先生をして居り、それを商科大学にするに就て私も大いに世話をした訳であるが関氏などは文部省が商業教育を侮蔑するとて騒いだ方である。其時分から懇意であります、私の処に居た八十島は関氏の後輩で同じ運動を盛にやりましたから、近頃はさうでもないのですが、前には非常に懇親にして居りました。それで病院は何処にあるのですか」
ト氏「天王寺の近くです。内科・婦人科があり、児供も預ります。病院の建築費は四十六万円で経常費は一ケ年四万五千円位要します。但し西洋人の給料はアメリカから皆参ります」
子爵「それでは本山氏に手紙を出すことに致しませう」
ト氏「それで維持費の方ですが、今紐育から三ケ年間毎年一万二千円づゝ来ることになつて居りますから、大阪の有志に毎年それと同額か一万五千円位を三ケ年位補助して頂けると結構です。さうすれば米国へも大阪の人が熱心に後援してくれると申してやれます。結局東京の様に評議員会でもつくり、一般に財政状態を公にし、仕事も公表したいと思ひます」
子爵「毎日新聞でやつて呉れると好都合だと思ひます」
 - 第36巻 p.219 -ページ画像 
ト氏「それから子爵にはまだ申上げて居らぬと思ひますが、昨冬紐育で募金しました時、ロツクフエラー財団から五ケ年間、一ケ年二万円づゝ看護婦養成の事業費に寄附して呉れることになりました。此看護婦学校は専門学校程度のもので、其の養成には奨学金を支出し一年に六人位米国へ留学せしめて居ります。今年は大塚と云ふ姉妹を二人やりました。で此看護婦学校を専門学校令に依つて経営するに就ては、文部省の学校衛生課長北さんが力を入れて呉れ規則書も近く出来ます。又準備金十万円も出来ることになつて居ります」
子爵「では兎に角私から本山氏宛に叮寧な手紙をやりませう。即ち国際病院のこと、トイスラーさんのこと、大阪地方に於ける一つの大きな社会事業であること、日米関係の上にも都合よくやれば結構なこと、などを詳しく申してやり援助してもらう様に致しませう」


(ルドルフ・ビー・トイスラー) 書翰 渋沢栄一宛 一九二六年一一月一一日(DK360072k-0002)
第36巻 p.219-221 ページ画像

(ルドルフ・ビー・トイスラー) 書翰  渋沢栄一宛 一九二六年一一月一一日
                       (渋沢子爵家所蔵)
                    (別筆)
                    態使大竹邦基氏持参
               ST. LUKE'S
            THE AMERICAN HOSPITAL
           FOR INTERNATIONAL SERVICE
               TOKYO
OFFICE OF
THE DIRECTOR
                   November 11th, 1926
His Excellency Viscount E. Shibusawa
  Tokyo, Japan
My dear Viscount Shibusawa :
  It gives me a great deal of pleasure to report to you that thanks to your kind assistance, I have recently received from the Mayor of Tokyo assurances that the road running south of the property for the new St. Luke's Hospital will not be disturbed.
  I was very fortunate in having you see the Honorable Mr.Izawa previous to his resignation from office, and I am truly grateful to you for your help in this matter. Mr. Izawa was most courteous in his consideration of our request and took prompt measures to ascertain from the Reconstruction Board their intentions with regard to the new road in Tsukiji, which might have conflicted with the entrance on the south side of the Hospital property. Following the assurances received from the Mayor's office that this road would not be disturbed, I was notified to the same effect a few days later by the Reconstruction Bureau.
  This information should have gone to you much more promptly and I trust you will pardon my delay. It has given me a great deal of personal satisfaction because I was exceedingly anxious about starting the construction of our new Hospital here
 - 第36巻 p.220 -ページ画像 
 in Tsukiji, in view of the serious interference any blocking of this road would have meant to our furture usefulness in this country. Since the assurances received from the Mayor and the Reconstruction Bureau, I have definitely entered into contracts with the architects for final drawings to be made and I hope that before the winter is over we will be well under way in our construction.
  As the plans are worked out I will ask Mr. Obata to show them to you personally, as I realize your interest in our welfare and will keep you closely in touch with our problems.
  I am especially interested in the use of the fund given us by His Imperial Majesty and the supporting fund secured through your generous action. It is my plan to have a central feature of the Hospital especially dedicated to these two gifts and before deciding, I will submit the drawings to you for your approval. My present thought is that the central waiting rooms and sunparlors, accessible to the inpatients, outpatients, and visitors, be reserved for this purpose. These central rooms would be made the most attractive in the Hospital, and a fitting memorial should be added that the significance of the gift may be clearly understood both by Japanese and foreigners visiting the Hospital. The details of this I will talk over with Mr. Obata that he may make it clear to you, at your convenience.
  With renewed thanks and assurances of the highest esteem, I am
      Gratefully and sincerely yours,
L.              (Signed) R. B. Teusler
(右訳文)
          (栄一鉛筆)
          昭和二年一月五日一覧 懇切なる来報ニ対し相当之回答相発し申度、同時ニ過日贈越したる花瓶之謝辞可申述事
 東京市           (十一月十二日態使にて入手)
  子爵 渋沢栄一閣下   東京、一九二六年十一月十一日
                 アール・ビー・トイスラー
拝啓 益御清適奉賀候、然ば新聖路加病院敷地の南側道路は変更可不致旨、東京市長より最近確報を得候義御報告申上げ、閣下の御高配に対し拝謝仕候は、小生の欣快措く不能所に御座候
閣下が伊沢市長の辞職前に、同氏と御会見被下候事は、小生に取り此上もなき仕合に有之、閣下の御援助を衷心感佩罷在候、伊沢氏は当方の要求に就て最鄭重に考慮せられ、病院敷地の南側入口と衝突の恐ありし築地の新設道路に関し、復興局の意嚮を確むる為め敏活に御所置相成候、其後該道路変更不致旨の確報を市役所より入手致候、数日後復興局よりも同様の通知に相接申候
右は已に御通知可申上筈の処、遷延の段何卒御容赦被下度候、小生は
 - 第36巻 p.221 -ページ画像 
予て築地の此地に新病院を建築致度熱望致居候間、若し該道路廃せられ候はゞ、将来本病院活用に関し至大なる妨害たるべきを考慮致居候に付、此の確定を聞きて頗る満足致候
市長及び復興局より確報を得たるにより、小生は請負業者と確定的の契約を結び、最後の設計図を作製せしむる事と致候、小生は此冬季中に建築準備の相等進捗《(当)》せん事を希望致居候
小生は閣下が当病院の消長に就て、深く御配意被下候義を熟知致し居且本病院の問題に関し詳細御承知置願度と存候間、右設計図出来致候はゞ早速小畑氏を通し、閣下に供覧可仕候
恩賜金並に閣下の御厚意により醵集せられ候後援資金の運用に就ては特に考慮致居候、小生の私案としては新病院の中央建造物を以て、上記二種の資金を特別に記念せんとする次第に有之候、就ては右設計に付御承認を得度、其確定前に供覧致候次第に御座候
小生の考案は中央待合室及び日光療養室を設け入院患者・外来患者及び来訪者の使用に充てんとする次第に御座候、中央に於ける各室は病院を訪ふ内外人をして其意味する所を明瞭に諒解せしむる様可致候
此等の詳細は小畑氏に懇談致度と存候間、御便宜の節同氏より御聴取被下度候
玆に繰返して深謝致候と共に、最高の敬意を奉表候 敬具
(欄外別筆)
 六日午後六時築地病院へ出頭、子爵の御意志を伝達し、翌日七日此旨復命申上けたり


(ルドルフ・ビー・トイスラー) 書翰 小畑久五郎宛 一九二六年一二月二一日(DK360072k-0003)
第36巻 p.221-222 ページ画像

(ルドルフ・ビー・トイスラー) 書翰  小畑久五郎宛 一九二六年一二月二一日
                    (渋沢子爵家所蔵)
            ST. LUKE'S
         THE AMERICAN HOSPITAL
        FOR INTERNATIONAL SERVICE
             TOKYO
OFFICE OF
THE DIRECTOR
                 December 21st, 1926
Mr. K. Obata
  Secretary to Viscount Shibusawa
  Marunouchi, Tokyo
Dear Mr. Obata :
  Thank you for your telephone a few moments ago and I was glad to get the message from Viscount Shibusawa. Enclosed is a copy of the telegram which came yesterday from the National Council in New York, and I will send a cablegram to them tomorrow stating we are practically certain of the amount, and plans are developing satisfactorily to this end. I would explain that the end of the telegram, refers to a large order for maternity and surgical equipment, beds, furniture, etc. for the Hospital.
  Like you I am confident that so important a piece of work,
 - 第36巻 p.222 -ページ画像 
 with a good hospital already complete and one hundred thousand yen in our hands to equip it, would not be allowed to suffer for relatively as small a sum as twelve thousand yen towards its annual support, when we know men like Viscount Shibusawa and Prince Tokugawa approve the undertaking.
  Please convey to Viscount Shibusawa my sincere sympathy for his illness, and best wishes for his quick return to normal health. With kindest regards to him, and to you and again many thanks for all of the interest and help you are giving this worthy undertaking, I am
              Sincerely yours,
               (Signed) R. B. Teusler
L.