デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
23款 大阪聖バルナバ病院
■綱文

第38巻 p.195-205(DK380017k) ページ画像

昭和2年9月14日(1927年)

是日、聖路加国際病院ト姉妹関係ニアル、当病院ニ関スル協議会、大阪市内大阪ホテルニ於テ開カル。栄一尽力ス。


■資料

聖路加国際病院書類(一) 【(印刷物) 拝啓、益御清適奉賀候、然ば東京築地聖路加国際病院長トイスラー博士…】(DK380017k-0001)
第38巻 p.195 ページ画像

聖路加国際病院書類(一)              (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば東京築地聖路加国際病院長トイスラー博士、今般大阪市天王寺区細工谷町所在聖バルナバ病院の経営を引受け産科並に小児科を設け、主として無料にて診療に従事し傍ら高等看護婦を養成致、社会公共の為め貢献致事と相成候処、目的達成に付ては有力なる各位の御声援による外無之と存じ、右拝願の為め来る九月十四日(水曜日)正午大阪ホテルに於て小宴相催度と奉存候間、御多忙中乍恐縮千万、御差繰尊来被成下候はば幸甚に御座候、右得貴意度如斯御座候 敬具
  昭和二年九月四日
                     発起人
                      田辺治通
                      関一
                      村上竜平《(村山竜平)》
                      本山彦一
                      渋沢栄一
   (宛名手書)
   渋沢子爵殿
 尚々御手数ながら同封端書を以て御都合御示し被下度候


渋沢栄一書翰控 田辺治通外三名宛 昭和二年九月一〇日(DK380017k-0002)
第38巻 p.195-196 ページ画像

渋沢栄一書翰控 田辺治通外三名宛 昭和二年九月一〇日 (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば聖バルナバ病院の件に付ては不容易御高配を賜り拝謝の至に御座候、来十四日開催の会合に老生も可罷出筈に候得共、御承知の如く老衰の身に有之、且用務蝟集の状況にて到底参上致兼候に付ては、トイスラー氏と懇親の老生英文秘書役小畑久五郎差出候間、委細同人より御聴取被下、百事御高配被成下度懇願仕候、尚効果は如何と存候得共、湯川寛吉・田中隆三・稲畑勝太郎・山岡順太郎・野口弥三の諸氏に、特に書面を以て夫々依頼致置候、御含迄申
 - 第38巻 p.196 -ページ画像 
添候
右得貴意度如此御座候 敬具
  昭和二年九月十日            渋沢栄一
    田辺治通様
    関一様
           各通
    村山竜平様
    本山彦一様
  ○欄外ニ(控)トアリ。


渋沢栄一 書翰控 湯川寛吉外三名宛 昭和二年九月一〇日(DK380017k-0003)
第38巻 p.196 ページ画像

渋沢栄一 書翰控 湯川寛吉外三名宛 昭和二年九月一〇日 (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば当地国際病院長トイスラー氏今般御地聖バルナバ病院の経営に当ることゝ相成候に付ては、御地有力者各位の御高援を得度、来十四日正午大阪ホテルに尊来を請ひ御懇願申上候筈に御座候処、トイスラー氏とは年来の懇親に有之、且事業も至極適切と存候に付ては、是非希望を達せしめ度期念罷在候、就て御繁用中御迷惑恐縮千万に御座候得共、当日は御差繰御枉駕被成下、都合よく纏まり候様御高配被成下度、又寄付金等の義も何卒奮て御賛同被成下度懇願仕候
右拝願申上度如此座候 敬具
  昭和二年九月十日
                      渋沢栄一
湯川寛吉様、田中隆三様、稲畑勝太郎様、山岡順太郎様、各通
(田中氏宛の分は左の追伸を付す
  尚々過日、藤田男爵御上京の砌、他用にて御面会致候に付本件申上候処、委細御了承被成下候、尤も集会の節或は在阪無之やも不計候に付、尊台まで可然申通可置旨被申聞候、已に御承知の義かとも被存候得共添而申上候)
  ○欄外ニ(控)トアリ。


渋沢栄一 書翰控 野口弥三宛 昭和二年九月一〇日(DK380017k-0004)
第38巻 p.196 ページ画像

渋沢栄一 書翰控 野口弥三宛 昭和二年九月一〇日 (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば当地国際病院長トイスラー氏今般御地聖バルナバ病院の経営に任することゝ相成候に付ては、御地有力者各位の御高援を得度、来十四日正午大阪ホテルに尊来を請ひ御懇願申上候筈に候処、トイスラー氏とは年来懇親に致居且事業も最適切に候間、是非希望を達せしめ度期念罷在候、就ては当日御差繰御枉駕被下度、又自然銀行集会所の諸君にも都合よく御吹聴被成下、寄付金も好都合に纏候様御高配被成下度希望の至に御座候、右願用可得貴意如此御座候 敬具
  昭和二年九月十日            渋沢栄一
    野口弥三様
  ○欄外ニ(控)トアリ。


(野口弥三) 書翰 渋沢栄一宛 (昭和二年)九月一二日(DK380017k-0005)
第38巻 p.196-197 ページ画像

(野口弥三) 書翰 渋沢栄一宛 (昭和二年)九月一二日
                   (渋沢子爵家所蔵)
 - 第38巻 p.197 -ページ画像 
                  (栄一鉛筆)
                  九月十四日落手一覧
拝啓、残暑尚ホ難凌候処益々御健祥奉賀候、本年ハ二百十日之厄日も無事ニ有之候処、本日之二百二十日も当地ハ至て平穏ニ有之、誠ニ仕合ニ存候、商家ハ何れの方面も昨今不景気之極ニ陥り居候嘆声を耳ニ致し候、従而金融ハ緩漫ニして金利ハ低落一方ニ有之、今後如何ニ可相成哉懸念ニ不堪候、聖バルナバ病院之為め寄附金相集めるニ付トイスラー院長等来阪、十四日ニ招宴有之小生も招かれ申候処、私ハ明夕打合用之為メ上京候筈ニ付、本日牧野虎次氏ニも面会し案内者の顔ぶれも相談之上更ニ相加へ申候、十四日ハ私ハ上京候も手伝旁々副支配人後藤謙三氏を出席せしめ可申候事ニ取計申候、同氏ハ小畑久五郎氏抔ハ承知居り候ニ付好都合ニ有之候、昨今之事ニ付寄附金が相集まり可申哉ハ難計、尚ホ銀行集会所関係之本店銀行代表者等も相加へ置申候尚ホ加島信託之星野行則氏ハキリスト教並ニ其他の関係にて出席呉れ候事ニ既ニ返事も有之候トテ、牧野氏も相喜び居申候、尚ホ私よりも星野氏ニ本日ヨリ相頼置申候
右拝答旁々得貴意候也
  九月十二日
                     野口弥三
    渋沢老台
        侍史


大阪聖バルナバ病院ノ略史ト現況(DK380017k-0006)
第38巻 p.197-199 ページ画像

大阪聖バルナバ病院ノ略史ト現況       (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
 聖バルナバ病院ハ明治維新以後ノ我大阪医界ニ於テ、名誉アル歴史ヲ有シテ居リマス。北米合衆国ノ名医ドクトル・ラニングガ、我大阪ニ於テ慈善診療所ヲ開始セラレタノハ、明治六年デ今ヲ去ルコト五十四年前デアリマス。初メハ本田町デアツタガ、間モナク梅本町ニ移リマシタ。明治十五年ニ至ツテ、川口居留地ニ新築シマシタガ、新築後ハ無料ト有料トヲ並用シテ、一般診療ニ従事スルニ至リマシタ。ドクトル・ラニングハ徳望アル人格者デアリ、ソノ協力者タル邦人医師孰レモ熱心ニ勤務セラレ、聖バルナバ病院ノ盛名ハ、啻ニ大阪市内ノミナラズ、一時海内ニ喧伝セラルヽニ至リマシタ。
 ドクトル・ラニングハ大正二年マデ勤続セラレマシタ。即チ明治六年初メテ大阪ニ来ラレテヨリ四十年間、恰モ一日ノ如ク、我大阪ニ於テ診療事業ノ為ニ尽瘁セラレタノデス。斯テ同年ニ至ツテ、老ヲ養ハン為メ帰米セラレタガ、数年ニシテ遂ニ逝カレタ。令嗣ドクトル・ラニング跡ヲ継ギ、聖バルナバ病院ノ院長トナラレタガ、数年ノ後チ帰米セラレ、現ニデツロイト市ノ開業医デアル。夫ノ後チ同病院ハドクトル・マクスパレンヨリ、現任ノドクトル・サウスウオスト、順次主任経営者ノ更迭ヲ見ルニ至リマシタ。サレド故ドクトル・ラニングノ長年月ニ至ル不断ノ努力ト奉仕トハ、仮令其ノ人逝クトモ其ノ功ハ失セズ、後人ヲ督シテ、其ノ遺業ヲ大成スベク奮発セシムルニ至ツタノデアリマス。
 輓近大阪市ノ急激ナル発達ノ為メ、川口町ハ病院所在地ニハ不適当
 - 第38巻 p.198 -ページ画像 
トナルニ至ツタノデ、其ノ敷地ト建物トヲ売却シテ現在ノ位置タル天王寺区細工谷町ニ移転サレマシタ。今ヨリ五年前ニ鉄筋コンクリート三階建ノ新建築ニ従事シマシタガ、工事ハ既ニ落成シ、構造モ設備モ共ニ新式デ、収容患者数約七十名ニ対スル施設ヲ有シテ居リマス。
 現在、本病院ノ財産左ノ通リ
   地所 (九百七十四坪)代      十万円
   建築費(鉄筋コンクリート三階建)  三十二万五千円
   設備費(銀行預金)         五万円
   基本金(銀行預金)         十万円
    合計金五十七万五千円也
 此外ニ紐育ニアル米国聖公会「ナシヨナル・カウンシル」ハ米国派遣ノ医師一名ト看護婦一名トノ俸給ヲ支弁シマス。然シテ此両名ノ勤務報酬ヨリ生ズル収入ハ、全部病院ノ維持費ニ充ツルコトヽシテアリマス。加之、同「ナシヨナル・カウンシル」ハ向後三年間ヲ期シ、毎年少クトモ一万二千円宛ヲ支弁シテ病院ノ経費ヲ補助スル予定デス。而シ此補助ニハ肝要ナル条件ガ附ケテアリマス。夫ハ大阪ニアル邦人ノ有志者ガ同額以上ノ寄附金ヲ醵出セラルヽナラバト云フコトデアリマス。
 是ニ於テ我等ハ本病院ノ為メ、向後三ケ年ヲ期シ約五万円ノ義捐金ヲ募リ、同院所期ノ活動ヲ完フセシメント発起スルニ至リマシタ。此ハ本病院ノ歴史ヲ顧ミ、現在ノ状況ヲ察シ更ニ米国ニ於ル篤志家ノ義挙ヲ考フレバ、決シテ無理ナ願デハナイト信ジマス。何トナレバ我大阪ニ於テハ設備ノ整フタ救療機関ノ必要ハ、頗ル緊急ヲ告ゲテ居ル問題デアルカラデス。現ニ孰レノ救療機関デモ実費診療所デモ皆満員シテ居リ、申込殺到ノ患者ヲ収容スルニ由ナキ有様デアリマス。為ニ窮民救助ノ局ニ当レル方面委員等ハ、日々ソノ世話セラレツヽアル貧窮患者ノ処置ニ就テ、非常ニ苦心サレテ居ルデハアリマセヌカ。此際聖バルナバ病院ガ啻ニ面目ヲ一新スルノミナラズ、令聞アル東京聖ルカ国際病院ノ院長ドクトル・トイスライ《(ドクトル・トイスラー)》ノ用意周到ナル指揮ノ許ニ、更メテ復活スルト云フコトハ頗ル時機ヲ得タモノト考ヘテ居リマス。
 元来本病院ノ特色ハ、米国式ノ特徴トシテ、看護科ノ周到ナル注意ヲ期シテ居ルコトデアリマス。殊ニ産科・幼児科ハ院長ドクトル・サウスウオス及ビ主任看護婦ミス・バンカクノ専門ニ属シ、特ニ重キヲ置カレテ居マス。夫デ近キ将来ニ於テ助産婦及ビ幼児科専門看護婦ノ養成事業ヲ開始シ、且ツ適当ナル隣保事業ヲモ開始センコトヲ期シテ居リマス。勿論此等ノ活動ヲナス為メニハ、優秀ナル邦人医師及ビ教師ヲ招聘スル計画デアルコトハ申スマデモアリマセヌ。
 目下本病院ノ案トシテハ、収容患者ヲ三別シ、有料(実費支弁)・有料・無料(施療施薬)ニ分ツ予定デアリマス。勿論患者ノ待遇ナリ取扱ナリハ、三種ノ間ニ何等ノ差別ヲ設ケズ、全然一視同仁ノ方針デアリマス。本病院ノ当局者ハ前述ノ補助ヲ内外ヨリ受クルニ於テハ、其ノ使命遂行上、充分ナル成算ヲ有シテ居リマス。
 終リニ一言ヲ添ヘ度ノハ、本病院ガ日米協力ノ国際事業タル一点テアリマス。我等発起人ハコノ点カラデモ、大阪ニアル有力者諸君ガ、
 - 第38巻 p.199 -ページ画像 
前記ノ所要額ニ対シ、進ンデ浄財ヲ義捐セラレンコトヲ切望シテ止ミマセヌ。社会事業ニ国境ナク、人道博愛ノ見地ヨリシテ、不幸薄命ニ泣ケル同胞救済ノ為メ、国際的協力ヲナスコトハ、洵ニ美挙ト云フベキデハアリマスマイカ。我等ハ仁侠ナル我大阪ノ有力者諸君ガ、必ズヤ此挙ヲ後援セラレンコトヲ信ジテ疑ハナイノデアリマス。
  昭和二年九月十四日     発起人
                  田辺治通
                  関一
                  村山竜平
                  本山彦一
                  渋沢栄一


(シャーリー・エッチ・ニコルズ) 書翰 渋沢栄一宛 一九二九年九月一五日(DK380017k-0007)
第38巻 p.199-200 ページ画像

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渋沢栄一書翰 控 シャーリー・エッチ・ニコルズ宛 昭和二年一〇月二四日(DK380017k-0008)
第38巻 p.200 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 シャーリー・エッチ・ニコルズ宛 昭和二年一〇月二四日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                   (栄一鉛筆)
                   十月二十二日閲了
        案
 京都市
  シヤーレイ・エチ・ニコルス監督殿
                   東京 渋沢栄一
拝復、九月十五日附尊翰翻訳の為め遷延此程漸く拝読仕候、然ば尊示の大阪市聖バルナバ病院に関する会合には、老衰且多忙の為め遺憾乍ら列席致兼候処、当日列席為致候秘書小畑並に其他の報告により、貴台初め諸氏の御熱誠により全然具体化致候義を承知致、御同慶の至に奉存候、右に付て老生の尽力を御過褒被下恐縮至極に御座候、聊かなりとも裨補するを得たるは老生の欣快とする所に候、御蔭様にて募金の件も都合よく纏り候由に付、今後とも順調に発展致候様冀望の至に御座候、其内御上京の趣拝承、其節には是非拝眉致度と存候
先は右延引ながら御返事旁得貴意度如此御座候 敬具
  昭和二年十月廿四日
  ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。


(ルドルフ・ビー・トイスラー)書翰 渋沢栄一宛 一九二七年九月二〇日(DK380017k-0009)
第38巻 p.200-202 ページ画像

(ルドルフ・ビー・トイスラー)書翰 渋沢栄一宛 一九二七年九月二〇日
                        (渋沢子爵家所蔵)
 - 第38巻 p.201 -ページ画像 
     ST. LUKE'S INTERNATIONAL HOSPITAL
             TOKYO
CABLE ADDRESS : ST. LUKES
OFFICE OF THE DIRECTOR
                 September 20th, 1927
His Excellency, Viscount E. Shibusawa,
  Tokyo, Japan
My dear Viscount Shibusawa :
  Yesterday I called in person to present to you, through Mr. Obata, my most hearty thanks for the successful meeting held in Osaka last week, directly the product of your own unswerving guidance and support.
  I know, of course, you have learned from Mr. Obata the details of our meeting, and the enthusiasm aroused. I am confident the fifty thousand yen will be subscribed, and Mr. Motoyama assured us of this, advising us to send the cablegram to the National Council in New York to this effect. On Friday
I sent this cable.
  The task of building up the organization, as well as equipping the Hospital, still lies ahead of us and I hope to go again to Osaka in the early future, to talk over with the newly formed Executive Committee there our proper choice of active and consulting physicians for the Hospital.
  It is also probable that we will cooperate with ex-Governor, Mr. Hayashi, in his plans to establish health centers in several places in Osaka. Mr. Makino assures me that this is desirable, and I have already taken the matter up with him and with Mr. Hayashi. Such a connection would add very much to the value of the work in St. Barnabas' Hospital, and widen its success.
  I wish especially to express to you my appreciation for the very careful, efficient and painstaking way in which Mr. Obata has helped us from the beginning in these plans, and the thoroughly satisfactory way in which he presented your message and your interest to our friends in Osaka. Mr. Obata is exceptionally well equipped for work of this kind, and I am very grateful to you and to him for his assistance. Hoping to have the pleasure of seeing you before very long, and with my best wishes for your health, I am,
    Most gratefully and sincerely yours,
              (Signed) R. B. Teusler
L.
(右訳文)
             (栄一鉛筆)
             九月二十八日一覧 11/11 明六
             特ニ回答ハ発送せすとも小畑氏より懇切ニ来意領承之旨申通候様致度候事
 - 第38巻 p.202 -ページ画像 
 東京市               (九月二十日入手)
  子爵 渋沢栄一閣下
              東京、一九二七年九月廿日
                 アール・ビー・トイスラー
拝啓、益御清栄奉賀候、然ば閣下の渝りなき御指導と御援助により先週大阪に於て盛大なる会合を開くを得たるに付、小畑氏を通して深謝の意を表し上げ度、昨日親しく御訪問仕候
右会合の内容及びその節現はれたる賛同に就ては、勿論小畑氏より御聞及びの事と存候、五万円を醵集し得べき確信を得候、又本山氏に於て此点を保証せられ此儀紐育の評議員会に打電致候様被申聞候に付、去金曜日に架電致置候、後援会の組織及病院の設備に付ては、尚ほ努力の必要有之候、小生は近々重ねて大阪に罷越、新に組織せられたる実行委員並に病院附医師、及び顧問医師の撰定につきて協議致度と存候
前知事林氏の案による大阪市内数ケ所に健康相談所設立に付、同氏と協力致事と可相成と存候、牧野氏に於て此案は最も望しきものなることを確言せられ候に付、小生は已に同氏及林氏と協議致居候、斯る聯絡は聖バルナバ病院の事業の価値を高め、又其成果をも増大する所以と存候
今回の計画に対し当初より注意周到に、又有効且つ熱心に小畑氏御援助被下、且つ同氏は大阪の御友人諸氏に対し、閣下よりの御伝言と御心入とを申分なく伝達せられ候段誠に難有奉深謝候、小畑氏は此種の仕事には特に最も適任にして、同氏の尽力に対し閣下並に同氏に謝意を奉表候、其内拝光の栄を得候義と存候、最後に御健康を衷心より祈りつゝ擱筆仕候 敬具
(欄外・別筆)
 [十月四日トイスラー博士御申聞けの件を伝へたり


JAPAN TIMES & MAIL No.10, 191 January 19, 1928 NEW ST. BARNABAS HOSPITAL OPENED AT TENNOJI, OSAKA(DK380017k-0010)
第38巻 p.202-203 ページ画像

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本多虎雄談話筆記(DK380017k-0011)
第38巻 p.203-204 ページ画像

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〔参考〕日本社会事業名鑑 中央慈善協会編 第四輯・第九一頁 大正九年五月刊(DK380017k-0012)
第38巻 p.204-205 ページ画像

日本社会事業名鑑 中央慈善協会編 第四輯・第九一頁 大正九年五月刊
 ○近畿方面 大阪府之部 施薬救療並産婦保護事業
   聖バルナバ病院 大阪市西区川口町 (院長 ゼ・エル・マクスパラン)
 事業 施療
 組織 アメリカン・ヱビスコバン・ミツシヨンの経営に係り、事業収入、同ミツシヨンの補給金、其他一般寄附金等を以て維持経営し、職員は院長以下医員二名、幹事、薬剤師及同助手各一名、看護婦三名なり。
 沿革 明治十六年九月、前院長米国人ドクトル・ヘンリー・ラニングの設立に係る。氏は明治六年七月来朝して大阪市北区古川町に医術を開業せしが、七年更に梅本町に移り、米国伝道会社施療院と称して専ら施療に努め、傍ら英語及医学を教授し、又基督教の福音を宣伝せり。超えて十六年九月西区川口町に病院を新築して之に移転し、聖バルナバ病院と改称せり。三十二年七月私立病院設立の認可を得、四十三年三月更に病舎を改築して移転し、以て現今に及べり。
 現況 大正六年度中の施療人員二一九名、施療患者は貧困者又は基
 - 第38巻 p.205 -ページ画像 
督教の伝道に従事する者、基督教の諸学校職員及生徒、慈善団体従業者等にして、費用の全額又は半額を免除しつゝあり。資産の総額は一二二、四六四円、大正六年度の収入金九、三三八円、支出金八、八八七円なり。○下略
  ○群馬県草津ニ、コンウオール・リーノ経営ニナル癩療養所「聖バルナバ医院」アリ、当院ト関係ナシ。