デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
6節 国際災害援助
4款 アルメニア難民救済委員会
■綱文

第40巻 p.47-58(DK400009k) ページ画像

大正11年2月10日(1922年)

アメリカ合衆国ニ於ケル近東救済委員会ノ申出ニヨリ、是日、国際聯盟協会中心トナリテ、アルメニア難民救済委員会組織サレ栄一委員長トナル。

当委員会ハ翌大正十二年ニ亘ツテ寄付金ヲ募集シ二万余円ヲ得、内九千ドルヲ米国近東救済委員会ニ送付シ、同年五月会務終了ス。


■資料

集会日時通知表 大正一一年(DK400009k-0001)
第40巻 p.47 ページ画像

集会日時通知表 大正一一年      (渋沢子爵家所蔵)
二月廿四日 午後三時 アルメニヤ救済委員会(国際聯盟協会)
   ○中略。
三月十四日 午後三時半 アルメニヤ救助委員会(国際聯盟協会)
   ○中略。
五月十九日 正午 アルメニヤ難民救済会新聞記者招待会(中央亭)
   ○中略。
七月廿五日 午後四時 アルメニア難民救済会ノ件(国際聯盟協会)
   ○中略。
十一月十八日 午後四時 アルメニヤ難民救済委員会(国際聯盟協会)
   ○中略。
十二月九日 午前十時 アルメニヤ難民救済委員会(国際聯盟協会)


中外商業新報 第一二九〇二号 大正一一年二月一一日 アーメニア人救済に 十日夜如水会館で其協議会(DK400009k-0002)
第40巻 p.47 ページ画像

中外商業新報 第一二九〇二号 大正一一年二月一一日
    アーメニア人救済に
      十日夜如水会
      館で其協議会
欧洲大戦中極度に土耳其政府の圧迫を受けた、アーメニア人の救済の為め来朝したウイルト博士は、国際聯盟協会に図つた結果、渋沢子・阪谷男・添田博士発起となり、十日午後四時から神田如水館に朝野の名士十数名を招いてその協議会を開き、渋沢子の指名で阪谷男・添田博士・三浦弥五郎・松山忠二郎・小松緑・ウオルスの六名が委員となるに決し散会した


竜門雑誌 第四〇六号・第六〇―六一頁 大正一一年三月 ○アルメニヤ難民救済委員会(DK400009k-0003)
第40巻 p.47-48 ページ画像

竜門雑誌 第四〇六号・第六〇―六一頁 大正一一年三月
○アルメニヤ難民救済委員会 今般米国に於ける近東救済委員会より派遣せられたる、ワート博士の近東(特にアルメニヤ方面)難民救済
 - 第40巻 p.48 -ページ画像 
に関する申出に依り、青淵先生・阪谷男爵・添田博士の三氏は協議の結果、問題の性質上先づ国際聯盟協会を中心として出発すべきを適当と認め、玆に三氏は同協会員及都下の主たる新聞社に招待状を発して二月十日午後四時より一橋如水会館に於て、同博士の難民状態及び之に関する救済事業現況、並に日本に対する希望等に関する講話を聴取したる趣なるが、其席上当日の座長たる阪谷男爵の発議に依り、列席者一同の賛同を得、左記諸氏を委員に挙ぐる所あり
  青淵先生   (委員長)
  阪谷男爵   添田寿一氏   三浦弥五郎氏
  松山忠二郎氏 小松緑氏    ボールス氏
越えて十三日午後二時より国際聯盟協会事務所に於て第一回委員会を開き、更に委員を増加して左記諸氏共十六名の委員とする事、及び事務所を国際聯盟協会に置くこと、其他を決議する所ありたる由なるが
  江原素六氏  藤山雷太氏   有賀長文氏
  江口定条氏  井上準之助氏  伊東米治郎氏
  大倉男爵   梶原仲治氏   浅野総一郎氏
 尚ほ十五日午後六時半より開催の国際聯盟協会主催講演会に於ても特に博士の講演を依嘱し、又十九日神田青年会館に於ける該救済事業に関する活動写真会を催したる席上、阪谷男爵・大久保幸次氏及びワート博士の講演あり、大に該難民救済の宣伝に努むる所ありしが、同博士は翌廿日より横浜・名古屋・京都・大阪・神戸の各都市を巡回講演の上、二月末支那に向つて出立したる趣なるが、該救済委員会は同月廿四日午後三時より同事務所に於て第二回委員会を開き、資金募集其の他に就き種々協議するところありしと云ふ。
 因に米国に於ける近東救済委員会は、休戦条約締結後成立せるものにて、合衆国議会の承認を経たる慈善団体なる由。而して其委員には前大統領タフト氏・現国務卿ヒユーズ氏及ヱリオツト氏等あり、毎年千五百万弗の寄附金を募集して該方面に送りつゝある趣きなり。


国際聯盟 第二巻第三号・第一〇六―一〇七頁 大正一一年三月 日本国際聯盟協会の消息(DK400009k-0004)
第40巻 p.48-49 ページ画像

国際聯盟 第二巻第三号・第一〇六―一〇七頁 大正一一年三月
    日本国際聯盟協会の消息
○上略
五、アルメニヤ難民救済委員会 日本国際聯盟協会を中心としてアルメニヤ難民救済委員会が組織された。二月十日ワート博士の招待会が動機となつて、渋沢子爵を委員長として成立した国際的慈善団体である。一方寄附金を募集すると共に他方アルメニヤ難民の実況を撮れる活動写真、又は音楽会等の方法にて多額の金額をアルメニヤに送る計画である。アルメニヤの子供一人一年分の生活は百二十円かゝる。米国に於ける近東救済委員会は毎年千五百万ドルづゝアルメニヤに送つてゐる。日本の委員会は二月十三日に第一回の会合をなした。二月十九日には青年会館で活動写真会を催した。二十四日には第二回の委員会が開かれた。現在委員の数は十六名である。其間ワート博士は横浜名古屋・京都・大阪・神戸等に於て講演をして二月末支那へ向つて出立した。遠い知らぬ国の人々にまで大なる同情を有すに至つたことは
 - 第40巻 p.49 -ページ画像 
少くとも人類の進歩である。更にロシヤ或は中欧の気の毒な人々を救はないでゐることは、現在の日本国民の無自覚に犯しつゝある大罪である。帝国主義的敵愾心より各国々民が覚醒して真の人類愛を了解するの日の近く到来せんことを望む○下略


中央新聞 第一三四四五号 大正一一年五月二〇日 餓死を待つ子供四十万 アルメニヤ救済委員会がその為に寄附募集開始(DK400009k-0005)
第40巻 p.49 ページ画像

中央新聞 第一三四四五号 大正一一年五月二〇日
  餓死を待つ子供四十万
    アルメニヤ救済委員会が
      その為に寄附募集開始
『可哀想ぢやありませんか、みすみす四十万人の孤児が、餓死しますよ』とは、昨日アルメニヤ難民救済委員会で委員長
 渋沢子 爵は諄々として語つた、世界大戦の際、無抵抗主義のアルメニヤ人五百万はトルコの為め第二の白耳義と化し、掠奪・殺戮・拷問・強姦等あらゆる迫害と云ふ迫害を蒙つて半分以上は死んでしまつた、残された二百万人は今餓死を待つてゐる、米国議会では『近東救済委員会』の名のもとにアルメニヤ救済を講じ、既に過半は救はれたが尚足らず、四十万人の孤児が群をなし、声もたてず餓死を待つてゐる、米国の日本派遣員ウイルト氏は『救済もせないで黙視する事は四十万人の孤児へ死の宣告を与へるのだ、私共人類として出来得ない事で日本の志ある方よ、可憐な人の子に暖き手を与へてやつて下さい』寄附は金額の
 多少を 問はず、麹町区内山下町一の一国際聯盟協会事務所内アルメニヤ難民救済委員へお願します』と述べた


中外商業新報 第一三〇〇〇号 大正一一年五月二〇日 餓死せんとするアルメニヤの二百万人 彼等は救ひを待つてる(DK400009k-0006)
第40巻 p.49-50 ページ画像

中外商業新報 第一三〇〇〇号 大正一一年五月二〇日
  餓死せんとする
    アルメニヤの二百万人
      彼等は救ひを待つてる
「罪なくして死せる百万人」「生き残れる二百万人は今や餓死せんとす」――今や土其古の為にアルメニヤは此言葉通りの
 戦慄 すべき状態にある、で米・英・仏等では既に三年以前から其窮民救済運動が行はれ、米国の如きは政府の協賛を経て千五百万弗の寄附金を募り、五百人の医師・看護婦其他を同地へ送り六十三の病院二百二十九の孤児院を建て盛に活動してゐるが、露国飢民救済の為に基金に
 不足 を生じたので、同国救済委員会では曩にウイルト博士を本邦に派遣して渋沢子其他の賛助を得て、アルメニヤ難民救済委員会を組織して、寄附を募集したけれども、まだ七千円しか集まらないので之ではならぬと会の幹部は大車輪になつて、涙ある寄附金を募集に奔走している、アルメニアの惨状に就いて麹町区内山下町一の一国際聯盟協会内の同会事務所で一委員は語る
 「アルメニアは独墺軍に反抗した事と異教徒であるのとで土国の反感を買ひ、四百万の民は家を焼かれ、財産を掠められ、殺戮凌辱は到る処に演ぜられた、そして残る二百万余の人々は沙漠に追ひやら
 - 第40巻 p.50 -ページ画像 
れたのであつた、で彼等は一片のパンもなく、五ケ年といふもの食を求めて漂浪し、草の根、木の葉をまで食つて居る惨状である、日本でも人道上から云つても是非充分な寄附金を募集して救済してやりたいものである」と


中央新聞 第一三四四七号 大正一一年五月二二日 これこそ貧者の一灯と渋沢子を喜ばした義金 アルメニヤ孤児の哀話を聞いて慈光学園々児が集めた救済金(DK400009k-0007)
第40巻 p.50 ページ画像

中央新聞 第一三四四七号 大正一一年五月二二日
  これこそ貧者の一灯と
    渋沢子を喜ばした義金
      アルメニヤ孤児の哀話を聞いて
        慈光学園々児が集めた救済金
アルメニヤ孤児四十万人の救済に就いて、米国から救済委員ウイルト氏を派して国際的慈善事業に対する援助を求めに来た事は既報の如くであるが、之れに就いて美しい話が昨夜湧いた、それは昨夜府下
○南千住 三輪慈光学園少年部の会で先生が一場の講演をした所、今朝になつて少年少女数百名が押しかけ立ち所に八円九十四銭といふ大枚の金が哀な孤児の為めに集められた事である、之れに就いて同園岩野主事は語る『貴紙のあの記事を読んであまり悲惨なので話した、場所柄だけに、強ては寄附を求めなかつたが
○今朝に なつてこの騒ぎです、たとへ宗教は異つてゐても人類として見殺しにする訳には行きません』と委員長の渋沢子爵は『子供の涙これこそ貧者の一灯です、日本の子供の誠はきつと哀れな孤児の胸へ届くでせう』米国救済委員ギルバート・ボルス博士は『涙が零れます僅ですが尊いお金です』と有難う有難うを繰返してゐた


国際知識 第三巻第三号・第一二七頁 大正一二年三月 【昨年二月に出来たアルメニア…】(DK400009k-0008)
第40巻 p.50-51 ページ画像

国際知識 第三巻第三号・第一二七頁 大正一二年三月
◇昨年二月に出来たアルメニア救済委員会の事業も、各方面の援助で寄附金も大体二万円ばかり醵集し得て、一部分は既にアメリカの委員会の方に送つた。そこで三月末で一先づ事業を打切ることになつたので、委員会の方から次のやうな報告が来た
◇昨年二月に成立したアルメニア難民救済委員会は、過去約一ケ年の間に或は講演会・音楽会・活動写真会・観劇会等を、各種団体の御尽力の下に開き、約二万円を募集し第一回分四千弗は昨年八月、米国近東救済会の手を経て送金し、目下第二回送金の準備中である。近東の避難民救済に対しては各方面から同情が集り、国際聯盟の理事会に於ても問題となつた程で、窮状も相当見直した様であるから、三月末で一先づ寄附募集を打切らうと云ふ事に委員会で決した、それに就ては掉尾の大募集運動を企て、少しでも多くの送金をしやうと寄々協議中であるが、之は別としても個人又は団体から此際出来得る限り多くの寄附を得ば誠に幸である。尤も締切後と雖も寄附金の処分については責任を以て送金する事になつてゐる。本委員会としてはも少し仏教徒の方面に同情者がある事を希望してゐる。米国近東救済会でも日本の仏教徒より多額の寄附あることを期待し、その意嚮を洩して来てゐるのであるから、どうかその方面に於て運動を開始して下さる方のあるのを切望して止まない。当委員会事務所にはアルメニア難民実状の活動写真フイルムがある。どなたでも御利用下さる方には喜んで御貸し
 - 第40巻 p.51 -ページ画像 
申上ます。
         寄附申込場所
             東京市麹町区内山下町一ノ一
             国際聯盟協会内
              アルメニア難民救済委員会
                 電話銀座三五三五番
                 振替東京五三三一九


(阪谷芳郎)書翰 渋沢栄一・添田寿一宛 (大正一二年)四月三〇日(DK400009k-0009)
第40巻 p.51 ページ画像

(阪谷芳郎)書翰 渋沢栄一・添田寿一宛 (大正一二年)四月三〇日
               (社団法人日本国際協会所蔵)
    本文ノ通リ決定ニ付之ニヨリ回議ヲ仕出シ度行アリ度
      十二年五月三日 芳郎
        鹿野君
拝啓、今回アルメニヤ難民救済委員会ニ於テ右事件終了ニ際シ、事務員ニ手当ヲ支給致度、右割振リ方ヲ一任セラレ候ニ付、左記ノ通リニテ如何ヤ、一寸御考相伺候
 川上勇   百円
 小畑久五郎 百円
 鹿野直司  百円
 青木節一  百円
 稲垣守克  七十円
 菊地武一  五十円
 大隈真   二十円
  佐伯給仕 二十円
  高野小使 十円
   合計 五百七十円
 以上
 右得貴意候 敬具
  四月卅日         芳郎
    添田寿一殿    「同意」
    渋沢子爵閣下  「同意致候也 栄一」


アルメニア難民救済委員会会計報告(DK400009k-0010)
第40巻 p.51-52 ページ画像

アルメニア難民救済委員会会計報告
               (社団法人日本国際協会所蔵)
    収入部
 総収入額     二一、一八一・七一
  内
                円
  寄附金     二〇、九三五・一五
  活動写真会収入     三六・〇五
  預金利子       二一〇・五一
    支出部
 総支出額      九、六三八・四九
  内
  第一回米国送金  八、三五五・〇九
 - 第40巻 p.52 -ページ画像 
   支出額     一、二八三・四〇
    内
    印刷費      五三一・四〇
    旅費       一八七・四四
    活動写真関係費  一五四・四二
    新聞記者招待費   九四・〇〇
    通信費      一三九・三五
    雑費       一七六・七九
収入支出差引残額  一一、五四三・二二
  内
  第一銀行預金  一一、三七〇・四六
  郵便振替貯金      一六・一四
  手許在金       一五六・六二

  アルメニヤ難民救済委員会
               十二年四月三十日ノ委員会ニ提出承認済
  現在金処分案
                          円  銭
 現在金額               一一、五四三・二二
    処分費
  米国第二回送金 五千弗 邦貨換算 約一〇、四〇〇・〇〇
  報告書印刷費                六〇・〇〇
  右郵送費                  二〇・〇〇
  寄附者ヘノ礼状 約四百通          二〇・〇〇
 右礼状郵送費(三銭切手三百枚手許ニアリ)    三・〇〇
 礼状ノ状袋及印刷費              一五・〇〇
 諸手当                   九〇〇・〇〇
 其他ノ残務整理雑費             一二五・二二
  計                 一一、五四三・二二
  尚、今後ニ来ル寄附金及右処分ヨリ生シタル残金ハ、之ヲ第一銀行及ヒ郵便振替貯金ニ預ケ置キ、残務整理委員ニ引継ク


(エル・エル・ワート)書翰 渋沢栄一宛 一九二六年一月四日(DK400009k-0011)
第40巻 p.52-55 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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渋沢栄一書翰控 エル・エル・ワート宛 大正一五年三月三一日(DK400009k-0012)
第40巻 p.55 ページ画像

渋沢栄一書翰控 エル・エル・ワート宛 大正一五年三月三一日 (渋沢子爵家所蔵)
                (栄一鉛筆)
                十五年三月十七日一覧
    案
 桑港エル・エル・ワート殿
  大正十五年三月一日
                   東京 渋沢栄一
拝復、一月四日付御書面並に御同封のヴヰツクレイ氏よりの来書写順着難有拝誦仕候、然ば過般開催の教会聯合会の状況御通知被下、其席上ケーデイ博士が自称基督教職の態度を痛烈に揶揄したる後、老生の事に説及ぼし老生が国際親善及び社会事業に対し多少尽力致候を賞讚せられ、彼等に先んじて聖ペテロの門より天国に入るは渋沢なるべし云々と述べられ候由拝誦仕候、博士の過賞敢て当らず、只々恐縮の外無之候、又近東救済会の為に微力を添候を御認め被下、機会ある毎に御吹聴被遊候由、此亦過分の御賞讚にて老生としては汗顔の至りに不堪候、御来示の如く老生は人類愛を根本として国際親善、友誼及慈悲を徹底普遍せしめ、依て以て戦争なき世界を実現致度熱望致候得共、微力到底万分の一をも実現不致のみならす、反てともすれば親善を害し友誼を阻み慈悲をなみする事態の発生致候を密に浩嘆致す次第に御座候得共、敢て傷心せす余生を挙げて此大望想実現の為め努力精進、斃而止むの覚悟に御座候
先は御返事旁々得貴意度如此御座候 敬具
   ○右英文書翰ハ大正十五年三月三十一日付ニテ発送セラレタリ。



〔参考〕(セシリア・ジョン)書翰 渋沢栄一宛 一九二六年一一月二二日(DK400009k-0013)
第40巻 p.55-58 ページ画像

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