デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
2節 神社
2款 諏訪神社(埼玉県)
■綱文

第41巻 p.488-491(DK410100k) ページ画像

大正11年9月30日(1922年)

是日、当神社祭典ノ夜、栄一、渋沢治太郎宅ニ於テ八基村民ニ対シテ演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正一一年(DK410100k-0001)
第41巻 p.489 ページ画像

集会日時通知表  大正一一年       (渋沢子爵家所蔵)
参月廿八日 火 午後五時 八基村在郷軍人分会員来邸(飛鳥山邸)
  ○中略。
九月三十日 土 午前八時半 血洗島へ御出向御乗物自動車有馬浅雄
              氏同伴
              御一泊
十月 一日 日 血洗島ヨリ御帰京


泰徳院殿御葬儀記録 四、第一六二―一六四丁 【血洗島獅子舞観覧席上に於ける子爵渋沢栄一閣下の御演説筆記】(DK410100k-0002)
第41巻 p.489-491 ページ画像

泰徳院殿御葬儀記録  四、第一六二―一六四丁
                     (渋沢子爵家所蔵)
    血洗島獅子舞観覧席上に於ける子爵渋沢栄一閣下の御演説筆記
    (大正十一年九月三十日夜於中ノ家)
      挨拶                中ノ家主人
本日は御目出度う存じます、今晩は賑々しくさゝらの御来宅を頂きまして有難う御座いました、渋沢子爵閣下は皆様の御好意を深く御喜びになり御満足であります、御馳走も御座いませんが寛々召上つて頂き度いと存じます。
      子爵渋沢栄一閣下
    (子爵の御着席と共に一同起立、酒盃を挙げて祝賀す)
 何卒皆様御坐りを願ひます。当大字の鎮守の御祭典に就きまして今日参上致しまして、皆様斯く多数御集りの処に身勝手のことで一場の御話を申述べますことは、此の上もない愉快の事で御座います。東京に住居し初めましてから所謂故郷忘じ難しで、当時の古い有様が始終目に存して居りますため、折には罷り出て御目にかゝり度し、又は当字の発展を希望するは固より何かと心に往来して居つたので有ります殊に諏訪神社の御祭典を尽さねばなりません。
 私は今から六十年前若い時分当神社の為に力を尽したけれども、家を去りました結果完全に尽すことが出来ず、東京に出てからも時折は皆様とも御相談を致しました。長生きも時により程こそあれで、当時話し合つた人々の多くは故人になり、今御出での方々で之を御承知の方も少いと思ひます。
 私が当字を出て丁度六十年目になります、人間は五十年と云はれて居ります、五十年は十年打ち越して鎮守様の祭典に聘ばれ、さゝらを見まして斯く多数の皆様に御目に掛りますのは此の上も無き幸福でありまして、昔を思へば鎮守の御祭典の盛になるにつけても当字の発展と幸福とを希望するのであります、学問も時勢に応じまして充分に進んで行かなければなりません、学問は智識を要すること申すまでもありません、今日は各方面共に学問を修めて行くことが必要で有ります併し乍ら或る方面よりは人間の智識のみでは行けません、精神が確でなければなりません、或る意味から申せば知識よりも精神であると思ひます、私は西洋の知識の学問よりは日本の教育勅語或は古くから東洋に伝はりしものにより堅き信念を持ち誤またぬ様にしなければなら
 - 第41巻 p.490 -ページ画像 
ぬと信じます。将来に於ても世の中の永続的進歩には知識と精神と相密着して進歩せんことを希望するので有ります。
 今日私は鎮守祭りに罷り出ましたから長く申上ぐる事は本意で有りませんけれども、第一は当字の発展を期するが為め新しき知識を進めると同時に古き良き有様の継続に御力入れを願ひます。諏訪神社の経営や保存のみに限らず、村の進歩と共に神社も進歩せんことを望むものであります、私は烏滸がましいけれども先年喜寿の際に御拝殿一棟を造営して献納致しましたが、其節皆様等の御骨折りで御境内に建てられました碑文を今日拝見致しましても心嬉しく思ひます。当字の方方が只に社殿を立派にして維持せらるゝに止まらず、昔より伝はる獅子舞など拝見するにつけても、爾来勉励されて技術も進み巧みとなられたのみならず規律も立ち風俗設備も整つて来た様であります、今日社前に於ける新役者の舞ひ振りも先刻見ましたけれども、確に進歩して居るのは心嬉しきこと此の上もありません、今後に於ても更に人智を進める暁に此の村の人々がさゝらなどは何うでも宜いと軽蔑なさる事などはなりません、凡そ国に国風あり村に村風がありで、敬神のことは殊に殊に力を尽さなければなりません。
 諏訪神社に伝はる此の立派なる儀礼を空虚なる知識の為に荒廃に帰するなどは極めて遺憾なることであり、此の獅子舞の廃れる日はやがて我血洗島の衰微する時であらうと心配するのであります、即ち此の獅子舞は血洗島が将来益々興隆するに随つて弥々発達すべきものとも云へるので有ります。
 然ば此の獅子舞の一方規律立ち、一方技術が進んで行くことは村方が永遠に発展する徴しと信じます、追々世の進歩と共に工業や商業の進むと共に、農業は反比例して衰退する傾向あるを恐るゝので有ります、之から先きの政治にあづかる人々は農業に充分注意しなければなりません。
 今日私の身分は直接経済にも政治にも携らないけれども、国民の一人として大声叱呼農業の開発を図らむとする者で有ります。
 農業と獅子舞とは聯絡したものでは無いけれども、昔の獅子舞などは何うでも良いとなれば、農業のみならず諏訪神社の敬神も自然忘れらるゝ事になる、冠履転倒道義地を払ひ人情は浮薄の極につき、軈て世はどうなるでありませう、左様な風は此の血洗島の地に是非とも少しでも吹き込ませぬだけの覚悟が必要と思ひます。
 此の希望は今夕申上ぐるのみならず、数十年来当家主人や親戚に申して居る所でありまして、本日恒例により村に帰りまして拝見致しました獅子舞は規律も立ち手足の動作も整ふて居りますのは何より嬉はしいので有ります、併し憂ふるのは世の進むに従ひ村に居る者は兎も角、次男以下の子弟で余処に行く方などが稍もすると此の事を何にもならぬと軽蔑する様になると、今日の状態を継続することが出来るで有りませうか何うかを憂ふので有ります、私の老い先は此の先き短かいに相違ないが、血洗島の行末は悠久で有ります、今夕の青年も軈ては老人になるのである。今日の美風良俗を承け伝へて百年二百年の後迄も存続する様になすことは文明国民の責任で有ります。故に私は此
 - 第41巻 p.491 -ページ画像 
の敬神及び一郷輯睦の美風を将来永く存続すると共に、其の村の事業に精励して将来の発展を企つべきで有ります。今夕罷出で平素私の希望とせる処を皆様の前に充分述べたのであります、幸ひ御同意を得れば私の幸ひ之に過ぎません、今夕は私の大好なさゝらを見せて下さいまして、有難く御礼申上ます。
  ○「泰徳院殿御葬儀記録」ハ栄一ノ葬儀記録ナリ。右ハソノ中ニ収録セラレタル旧記ナリ。