デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第42巻 p.543-546(DK420100k) ページ画像

大正5年10月8日(1916年)

是日、京阪神在住当社会員第二回臨時集会、神戸東亜ホテルニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三四一号・第七八―七九頁 大正五年一〇月 ○京阪神在住竜門社会員第二回臨時集会(DK420100k-0001)
第42巻 p.543-544 ページ画像

竜門雑誌  第三四一号・第七八―七九頁 大正五年一〇月
○京阪神在住竜門社会員第二回臨時集会 昨大正四年四月四日、大阪に於て其第一回を挙行せられたる、在関西本社会員臨時集会は、青淵先生の西下を機とし、本月八日神戸東亜ホテルに於て第二回を開催せられ来賓・会員等の出席者約八十名にて、中々の盛会なりき、今其概況を記さんに左の如し。
当日午後四時会を開き、先づ杉田富氏発起人を代表して開会の趣旨を述べ、次で八十島幹事起ちて、本社の目的・組織・沿革・事業等の概要を説明し、終て講演会に移り、京都帝国大学教授末広博士は欧洲大乱の終期に関し詳細に講演せられ、次に青淵先生は、我邦実業界の回
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顧より第一銀行引退に及び、更に今後の方針に付て約五十分に渉りて演説せられたり、之にて講演会を閉ぢ、午後七時より晩餐会に移り、席上杉田富氏の挨拶、尾高次郎氏の「竜門社の回顧」、山下亀三郎氏の「関東・関西実業界調節に関する希望」、明石照男氏の「次会開会に就ての希望」、及来賓神戸商業会議所会頭滝川儀作氏の「論語に対する感想談」あり最後に青淵先生の挨拶ありて宴を撤し、午後九時過散会したり。


竜門雑誌 第三四一号・第五五―五九頁 大正五年一〇月 青淵先生関西旅行 随行 白石喜太郎記(DK420100k-0002)
第42巻 p.544-546 ページ画像

竜門雑誌  第三四一号・第五五―五九頁 大正五年一〇月
    青淵先生関西旅行
                  随行 白石喜太郎記
 青淵先生には今年七十七の高齢に上られたるを機とし、四十有余年間薫督の任に在られたる第一銀行を退任せられたるにより、之が披露の招宴を東京始め大阪・京都・神戸・名古屋に於て催さるゝ事となり○中略 本月七日朝東京を発し先づ神戸に直行せられたり。かくて八日・九日を同地に過されたるに、十日朝より感冒の気味にて、軽微の気管枝加答児併発、多少の発熱ありしため、予定を全然変更せらるゝの止むなきに至り、只神戸に於ける招宴に寸時出席して、簡単なる挨拶を陳べられたるのみにて、大阪・京都・名古屋に於ける分は急に中止せられたり。而して引続き神戸に滞在、只管静養せられ、軽快に赴かれたるより、十四日午前同地を発し、即夜東京に帰着せられたるが、其間常に先生の坐右にありて見聞したる所の一斑を記し玆に各位の劉覧に供ふることゝせり。
○中略
  十月八日 日曜日
○中略 午後三時半東亜ホテルに於て開催の竜門社関西大会に出席のため立出でられぬ。
 会は午後四時開かれ、先づ杉田富氏発起人を代表して一場の挨拶を述べ、次に八十島幹事立つて、本社の目的・組織・沿革及び現況を簡単に報告し、終つて講演会に移り、先づ京都帝国大学教授末広博士の欧洲戦乱の終局期に関する詳細なる講演あり、次で先生は立つて、大要左の如き演説を試みられたり。
 本日当地に於て、関西在住竜門社会員の臨時集会を開かれ、之に臨席するを得たるは私の愉快とする処であります。
 抑本社の発達を顧みまするに、最初は明治十八年の頃、私の門下に集まつた書生の集合に過ぎませんでしたが、先刻幹事の報告した通り、今日に於ては会員数九百以上の多数に達し、実業界に於て隠然重きを為すの観あるに至れるは、欣幸に堪へざる処であります。
 私は頽齢のため、今回実業界は隠退しますけれども、言葉を換へますと、月給取の生活は止めますが――尚余命の持続する限り、人間として為すべき義務を尽くさざる可らず、即ち既往に於ては物質界に努力しましたが、今後は精神界に多少の貢献を致さなければならぬと思ふて居ります。
 扨私の実業界に一身を投ずるに至りました抑の動機も亦、顧みれば
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欧洲の商工業に刺戟せられたからで、明治の初年仏国より帰朝するや、一時は役人となりましたが、軈て之を辞し、以て今日に至るまで、四十三年間の実業家生活を持続して来たのであります。
 無論当時に於ける経済界の状態は、極めて幼稚なもので、社会は商工業なる階級を認めず、実業に従する人も概ねその人格・智識ともに低く、従つて社会より軽視せられ、欧洲の状態に比較して、殆んど天地も啻ならざる差がありました、玆に於てか、自分は商工業者の位置を高め、且商工業其物の発展を計らねばならぬと感じ、商工業の発展は合本組織によるにありと信じ、感奮努力、自ら第一銀行頭取の職に就き、以て今日に至りましたが、爾来我実業界の進歩著しきものあり、経済界の人物また漸次重きを為すに至りましたが、さて翻つて考へますと、憂慮に堪へざるものがあります、現に実業の先進国たる欧洲に於ける戦争の現状は如何でありましやう、強者が天下を征服せんとするために起る惨禍は、洵に恐るべきものがあります、我帝国の現状も亦此点に就いて考へねばなりませぬ、之を個人に就て見るに、仁義の道徳、忠恕の道徳は、最近物質文明の進歩せるに比して、著しく退歩したるものがあります、更に之を事業界に於て見ましても、起業の進歩に伴ふて中庸の道を守らねばなりませんが、此点果して如何でしやうか。
 今次の欧洲戦乱の為め、阪神の実業界、特に神戸を中心とする船舶業者は、莫大の利益を得られて、異常の盛況を見るに至りましたのは、誠に喜しい事で御座りますが、今後世界の大勢は、如何なる変化を惹起するやも計られませぬ、従て当業者は今日の順境に馴れて此成功を何時迄も持続するものと思ふては、大に後悔するの時機が必ずや来る事と信じて疑ひませぬ、所謂勝て甲の緒をしめる必要があらうと信じます。一体事業界の好況なるに際しては、同時に多大の戒心を要すべきは、私が今改めて呶々を須ひずして明かな所で、此処に於て中庸の道徳また必要なる所以を見出すのであります、而して今後我国に於て時局に刺戟せられ、幾多の新事業は鬱然として勃興しましやう、なれども道徳と経済、物質と精神との両観念を併行的に発達せしめなければ、到底真個根柢ある経済界の進歩は望む事は出来ませぬ。
 最近来朝しました印度のタゴール翁、又米国鋼鉄王ゲーリー氏は、共に私と悠つくり談話を交へましたが、タゴール翁は極端に物質文明を排し、我邦の現状についても、物質文明の偏重の弊ありとし、精神的方面に進歩を計る事の急務なるを切言せられましたが、之に反しゲーリー氏は、其職業の差異からでもありましやうが、物質文明に重きを置き、而かも正義の観念を離れざるの要ありと説かれました、即ち事業は単純に資本主のみでは出来るものではない、誠心誠意なる精神的観念によりて、始めて成功を見得べきもので、徒らに軍国主義を絶叫し、覇者を唱導するは、誤れるの甚しきものなりと云ふにあつて、至極同感でありました。
 私が今回、実業界を去りますに当りまして、余命のある限り努力せんと期するは、実に此精神的方面にある事を、申上げて置きます、
 - 第42巻 p.546 -ページ画像 
云々。
 先生の講演進むに従つて音吐愈朗々、約一百の聴衆一語をも洩さじと聞きほれぬ。先生演壇を去らるゝや、杉田氏閉会の辞あり、直ちに食堂を開く、折柄朝来の曇天遂に堪へず、蕭々として雨を降らしぬ。
 デザート・コースに入り、尾高評議員の竜門社懐旧談、山下氏・明石氏の三分間演説あり、次で滝川商業会議所会頭立ちて所感談をなし最後に先生の挨拶ありて、午後九時散会し、先生には直に自働車にて帰宿せらる、時に雨未だ止まず。○下略