デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第43巻 p.177-180(DK430013k) ページ画像

大正13年2月20日(1924年)

是日、当社講演会、海上ビル内中央亭ニ於テ開カレ、美濃部達吉ノ選挙法ノ改正ニ関スル講演アリ。栄一出席シテ、政治ト道徳ノ関係ニ就イテ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第四二六号・第四五―四六頁大正一三年三月 ○本社会員有志講演会及晩餐会(DK430013k-0001)
第43巻 p.177-178 ページ画像

竜門雑誌  第四二六号・第四五―四六頁大正一三年三月
○本社会員有志講演会及晩餐会 二月二十日午後五時より、東京海上ビルデング内中央亭に於て、会員有志の講演会を開き、法学博士美濃部達吉氏の選挙法改正に関する講演を聴取し、同七時食堂を開きて、席上、阪谷男爵の貴族院改正に関する所感並に青淵先生の政治道徳に関する講話ありて、同九時盛会裡に散会せり。
 当日の来会者諸君左の如し。
 青淵先生    美濃部達吉君
 井上公二君   石川道正君    一森彦楠君
 市川武弘君   井田善之助君   西村暁君
 堀切善次郎君  堀内明三郎君   利倉久吉君
 土肥脩策君   戸村理順君    大山昇平君
 渡辺得男君   神田鐳蔵君    金子喜代太君
 川島良太郎君  川口一君     川田鉄弥君
 田中栄八郎君  高根義人君    田中太郎君
 多賀義三郎君  中村鎌雄君    成瀬隆蔵君
 村松秀太郎君  野口弘毅君    八十島樹次郎君
 矢野由次郎君  増田明六君    前原厳太郎君
 松井孝容君   近藤良顕君    小平省三君
 昆田文次郎君  小林武之助君   明石照男君
 新井源水君   安達憲忠君    阪谷芳郎君
 斎藤峰三郎君  佐々木修二郎君  桜田助作君
 佐々木哲亮君  斎藤精一君    坂田耐二君
 - 第43巻 p.178 -ページ画像 
 木村雄次君   木下憲君     湯浅徳次郎君
 渋沢武之助君  渋沢義一君    清水釘吉君
 清水一雄君   渋沢正雄君    渋沢秀雄君
 白石喜太郎君  白石甚兵衛君   渋沢長康君
 諸井恒平君   桃井可雄君    森村謙三君
 持田巽君    杉田富君     鈴木紋次郎君
 鈴木旭君    高橋毅一君


青淵先生演説速記集(三) 自大正十年四月至大正十三年二月 雨夜譚会本(DK430013k-0002)
第43巻 p.178-180 ページ画像

青淵先生演説速記集(三) 自大正十年四月至大正十三年二月 雨夜譚会本
                       (財団法人竜門社所蔵)
          (別筆)
          (大正十三年)二月二十日於竜門社例会
    青淵先生御演説
 とんと有益なお話をする材料を持つて居りませんけれども、竜門社の有志諸君が、社の従来に於ける履歴に顧みて、近頃大分政治に心を用ひられて、選挙法の改正に就て、美濃部博士を聘して、玆に御意見を拝聴する機会をお作りになつたことを私は深く欣ぶのであります。続いて今阪谷男爵から、貴族院に於てこれから改正を要するといふ事の概念をお述べになりました、今日は如何にも竜門社は多く政治の事ばかりを言ふやうでございますが、私が玆にお話したいのは、之に反して始終申す通り、とかく旧めかしい道徳説を申すのであります。併し此の道徳説を、私は従来経済上に就てのみ多く論じ居りましたけれども、今夕は一つ政治と道徳に就て愚見を――愚見と言ふよりはむしろ希望を、述べて見たいと思ふのであります。
 道徳経済合一説といふことは、私が主張するばかりでなく、歿なられた大儒三島毅中洲先生が、明治四十年頃に特に一書を著はして、二松学舎で学生に示された、なかなかに古書を引いた、立派な書物があります。即ち道徳経済合一説に就きまして、尭典とか舜典とか、或は論語・中庸・孟子、その他唐鑑とか尚書とかいふやうな、私共あまり読んだ事もない書物までも引用して、道徳と経済の合一を論ぜられてあります。併しこの政治と道徳との関係が、どのやうに論じてあるかといふことは、三島先生もまださういふ御研究はなかつたやうでありますけれども、私が思ふには、支那の書物に於ては、政治と道徳とを一体に見たといふことは、大学といふ書物に明瞭に書いてあります。「明徳を天下に明にせんと欲する者は、先づ其の国を治む」「大学の道は民を新にするに在り、至善に止まるに在り」といふやうに、いま全文を悉く記憶しませんけれども、殆ど道徳・政治まつたく一体に書いてありまして、或は上の方から論じ、或は下の方から遡つて、修身斉家治国平天下――身を修むるといふ所から始まつて、天下を平にするに至るといふ事、これは身を修むるも道徳でなければならぬ、家を斉へるも道徳でなければならぬ、国を治め天下を平にする、皆道徳である、道徳も政治も全く同一視してあるやうであります。
 然るに、その根本に於て、斯の如く真に道徳・経済を一致させた所の支那の実際の政治が、果してどのやうな政治を為し、どのやうな其の時の制度であつたか、私共学問が浅いために、委しくは知りません
 - 第43巻 p.179 -ページ画像 
けれども、所謂尭舜禹湯文武などの政治は、これを王道と称へて、真に道徳に基いた政治である、所がその以後の政治の有様はどうかといふと、殆ど力にのみ頼つて居る。現に周の衰へた末はどうなつたかといふと、戦国七雄、その七雄は終に六国を秦が滅ぼして天下を取つたその天下を取つたのは誰かと云ふと始皇がやつた、その始皇といふ人は、道徳を修めた人かといふと、政治の方には大層な力がありましたらうけれども、道徳の点から言ふたら、どうも頗る欠点が多いやうであります。爾来秦が三代にして亡びて両漢になり、三国を経て六朝になり、唐になり、五代になり、宋になり、二十二史、大抵は今の甚しきは「政治は力なり」といふ、丁度武藤山治さんの言ふやうに力の強い奴が勝つといふ事に終になつてしまつた。まア其の間に――と言つてもズツと以前のことでありますけれども、周の衰へた時分に孔子が出て、道徳・政治合一説を始終唱へました、続いて孟子が「王何ぞ必しも利を曰はん、亦仁義あるのみ」即ち王道は仁義によつて行はれるといふことを、明瞭に説いて居りますけれども、これ等の孔孟の説は生ぬるいとか、古くさいとかいふので、後の漢・唐・宋ありたりに至るといふと、纔にその説を主張する者は、一種の学究に止まつて、政治を行ふ人は、皆モウ勝てば官軍といふ主義で、強くさへあれば宜いといふ風に傾いてしまつたやうであります。
 欧羅巴の歴史を詳しく存ぜぬ私には、欧米は如何であるかといふ事を、詳しく申上げることは出来ませぬ、甚だ遺憾でありますが、唯単に亜米利加の歴史を極く概括的に観て、ワシントンの政治は、或は政治道徳合一して居つたと見えるやうであります、或は其の後にリンカーンなどといふ人も、蓋しその衣鉢を継いだ人でありませうが、其の他は概して、此の政治と道徳が或は合し或は離れて、時としてその勢の強い時分には、所謂政治は力なりと、武藤さんが誤るのも無理からぬやうにまで見えました。併ながら、これは私はどうも根本からの誤解であつて、如何にも旧きを説くやうでありますけれども、やはり経済が道徳なりと言ふと同様に、政治は道徳なりと、是非ともに解釈せねばならぬ、又それを尊重せねばならぬものと思ふのであります。
 若し此の根本の主義を過りましたならば、即ち今日の如く益々進んで益々傾く、モウ甚しきは何処まで行きますか、近頃の事は、私常に言うて居りますが、今日の多数は所謂鷺を黒くするのです、馬を鹿にするのです、昔秦の張高は、唯一人で非常な勢力を持つて、馬を指して「あれは何か」、或る人が馬なりと言つたのを、「イヤこれは鹿である」と言つた、満延の人皆張高の勢力に恐れて、馬を鹿としたといふことは諸君御承知の通りでありますが、今日の政友会や憲政会は、事に依ると多数を以て馬を鹿にする、鷺を黒くする世の中であります。これはどうしても、政治と道徳を一緒にして貰はねば、人民が本当に生を聊んずることは出事ないと、私は言ひたいのであります。故に私は、道徳経済の合一といふことを推し拡めて、道徳政治合一なり、どうぞ道徳の根柢から政治を行つて貰ふやうに是非努めたいと思ふのでございます。
 予て私は、一度竜門社の諸君に対して、此の事を申上げたいと思つ
 - 第43巻 p.180 -ページ画像 
たことでありますが、私自身が、勿論その才能も無いから、決して私が居所を誤つた訳ではないけれども、感ずる所あつて政治界へは顔を出さぬときめたので、僅に大蔵省に二・三年勤めて居る間、多少政治家らしう見えたけれども、蓋しこれは或る素地を為す為めといふか、或は已むを得ざるに出でたのでありまして、明治六年から全く此の念は絶つて、モウ一度も政治界へ足を踏込んだ事はありませんけれども国民たる者が果してそれで宜しいかどうか。私は私だけの一身の希望に依つてやつたのであるから、竜門社の諸君が、若し私を中心として倣ふと言はれるならば、此の点だけは見習うて貰ひたくない。相当なる才能ある人は、銀行の頭取から直ぐ様国務大臣、若くは総理大臣になつても、少しも差支ないと思ひますから、どうぞそれ位の覚悟は持つて戴きたい、又覚悟ばかりではない、それだけの才識が持つて欲しいのである。故にその点に於ては、必ず私を見習つて貰ひたくないけれども、併し私が今申す通り、若し仮に此の席に総理大臣になつた人があつたとしたならば、その総理大臣たる人は、どうぞ政治は道徳なりといふ事だけは、必ず服膺して戴きたい。今夕斯う申上げることは或は異論になるかも知れませんが、私は心から之を望むのです。どうも今日の如き腐敗した政治では、迚も人民は所謂生に聊んぜぬ訳であるから、斯の如き腐敗の政治をば、どうしても一掃せねばならぬと思ふ。竜門社の諸君は、どうぞ力を戮せて、此の道徳と政治とを合一させるやうに、私も仮令政治界に出ぬでも、又斯様に老衰しても、熱心に努めるつもりでありますから、お互に努力を尽さうではなからうかと思ふのでございます。
 唯希望の一事を述べて諸君の十分なる御考慮を望むのであります。
                          (拍手)


(増田明六)日誌 大正一三年(DK430013k-0003)
第43巻 p.180 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一三年      (増田正純氏所蔵)
二月二十日 水 晴
○上略
午前、竜門社講演会開場《(会)》たる海上ビル内中央亭を観て、同会場及食堂ニ於ける卓子椅子の配置を指揮す
午後五時竜門社講演会ニ出席す、阪谷男爵の挨拶ニ続き、法学博士美濃部達吉氏の普通選挙ニ関する講演あり、一時間半、夫より食卓ニ移り、食後、同男爵の貴族院令改正問題ニ付て、青淵先生の政治と道徳との演述あり、一同歓を尽して九時半散会す
○下略