デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
8款 其他 9. 財団法人中央教化団体聯合会
■綱文

第44巻 p.129-130(DK440046k) ページ画像

大正15年6月14日(1926年)

是日栄一、日本工業倶楽部ニ於テ開催セラレタル、当聯合会実業家招待会ニ出席シテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第四五四号・第一〇五頁 大正一五年七月 青淵先生動静大要(DK440046k-0001)
第44巻 p.129 ページ画像

竜門雑誌  第四五四号・第一〇五頁 大正一五年七月
    青淵先生動静大要
      六月中
十四日 教化団体聯合会招待会(日本工業倶楽部)


論文其他草稿類(一) (渋沢子爵家所蔵) 渋沢子爵挨拶 【…教化団体聯合会ノコト…】(DK440046k-0002)
第44巻 p.129-130 ページ画像

論文其他草稿類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
    渋沢子爵挨拶
本日ハ御多用ノ所、態々御足労ヲ願ヒマシテ、誠ニ有リ難ク御礼ヲ申シマス。
実ハ教化団体聯合会ノコトニ就キマシテ、色々御高見ヲ承ハリタイト存ジマシテ、御足労ヲ願ツタノデゴザイマスガ、只今山川会長カラ御話シガアリマシタ通リ、教化団体聯合会ハ国民精神作興ニ関スル 詔書ノ御趣旨ヲ普及徹底セムガタメ創立セラレ、色々時局ニ必要ナ仕事ヲ施行シテ居ラレルノデアリマスガ、皆様御承知ノ通リ、我国現下ノ状勢ハ、内外共ニ益々多事多端デアリマシテ、今後益々斯ノ如キ事業ノ振興ヲ必要トスルノデゴザイマスガ、何ヲ申スモ経費ガ伴ナハナケレバ、思フ様ナ活動ガ出来ナイノデゴザイマス。本会ノ経費ハ先キ程会長カラ御話ノ通リ、国庫カラノ補助ニ依リマシテヤツテ居ルノデアリマスガ、之レトテ誠ニ微々タルモノデアリマシテ、此ノ金丈ケニ頼ツテ居リマシテハ、到底本会所期ノ目的ヲ達成スルコトガ困難ナバカリデナク、本会ノ存続モ容易デナイト存ジマスノデ、爰ニ皆様ノ御意見ヲ承ハリ、皆様ノ御援助ニ依リマシテ、斯様ナ国家的ナ有益ナル事業ノ存続振興ヲ図リ度イト存ズル次第デアリマス。併シ、御援助ヲ願フト申シマシテモ、余リ御無理ナ事ヲ願ツテ、実行ガ出来ナイ様ナコ
 - 第44巻 p.130 -ページ画像 
トデハ困リマスカラ、私トシテハ成ルベク無理ヲ避ケ、容易ニ実行ノ出来ル様ナ方法ニ依リマシテ、御援助ヲ願ヒタイト思フノデ御座イマス。之レニ就キマシテハ、私モ相当考慮致シタノデゴザイマスガ、猶ホ皆様ノ御高見ヲ承ハリ、倶ニ良案ヲ得マシテ、本会所期ノ目的ニ副フ様致シタイト存ズル次第デアリマス。ドウカ御腹蔵ノ無イ所ヲ御漏ラシ下サイマシテ、一臂ノ御力ヲ添ヘラレムコトヲ切望スル次第デアリマス。


男爵山川先生伝 花見朔巳編 第三八五―三八七頁 昭和一四年一二月刊(DK440046k-0003)
第44巻 p.130 ページ画像

男爵山川先生伝 花見朔巳編  第三八五―三八七頁 昭和一四年一二月刊
 ○第十五章 教化運動関係
    二 中央教化団体聯合会
○上略
 先生が会長に就任せられてから先づ第一に力を注がれたのは、会の組織を整へて、より緊密に地方の教化団体を統制して行くといふことであつた。先生就任当時の教化団体は創立後間もなかつたこととて、言はゞ単に色々な教化団体が漠然として集つたといふに過ぎず、その間に何等の統制もなかつたから、これを渾然たる統制あるものとなすことは却々困難であつた。依て先生は関係諸氏と種々協議の結果大刷新を試みて力あるものとなすことに決し、先づ其組織変更を断行した而して大正十五年十一月第三回全国大会の際、その事畏くも 天聴に達し、教化事業の緊要なることを思召されて、宮内省から御内帑金を拝戴したので、之を機会に愈々組織を樹て直すことゝなり、東京を初め全国の道府県に夫々教化団体聯合会を組織せしめて、その管下の各教化団体を指導することゝし、而して此等全国の教化聯合会を打つて一丸とする中央教化団体聯合会を東京に設けて、之を財団法人組織となし、全国教化団体の総取締たらしめるといふのであつた。斯くて中央教化団体聯合会は新に尨大な組織に改変せられた為に、法人としての体制を整備することゝなり、先生は陣頭に立つて役員の選定・財源の募集に奔走せられたものである。聯合会の予算に関しては、初め内務省の補助を受けてゐたのであつたが、もともとこの補助は大正十三十四両年度だけの約束であつたから、自然十五年度の要求は削除せられて了つた。是に於て先生は時の首相加藤高明伯に直談判を試み、十五年度以降の予算をも依然内務省より補助を仰ぐことにせられたのであつた。尋で会の資金を豊富にせんものと考へ、之を顧問たる渋沢子に相談せられ、富豪六十名許を工業倶楽部に招待して聯合会の賛助員たることを懇請し、人毎に毎年百二十円以上を会の為に出資し貰ひ度き旨を依頼することゝなり、大正十五年六月十四日、其中二十名許りが会合してこの趣旨に賛成した。尋で先生は平山成信氏を訪問し、氏を通じて安田修徳会より聯合会へ補助を懇請することゝし、更に昭和二年六月には財界の有力者たる三菱・三井・安田・大倉等の各重役に面会して、聯合会に寄附のことを懇請せられた。又この間役員諸氏の奔走などもあつて、御下賜金を初めとして各富豪の寄附金もあつて相応の額に達し、こゝに会の資金問題は一先づ落着した。
○下略