デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.651-653(DK440176k) ページ画像

大正13年3月28日(1924年)

是日栄一、当校第二十一回卒業式ニ臨ミ、訓辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正一三年(DK440176k-0001)
第44巻 p.651 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年        (渋沢子爵家所蔵)
三月廿八日 金 午後二時 女子大学卒業式(同校)


家庭週報 第七四二号大正一三年四月一一日 世に出てゝ指導者たれ 日本女子大学校評議員 渋沢子爵談(DK440176k-0002)
第44巻 p.651-653 ページ画像

家庭週報 第七四二号大正一三年四月一一日
    世に出てゝ指導者たれ
              日本女子大学校評議員 渋沢子爵談
 年々御目出度い卒業式にまかり出て一言を申し上げる度に、私は年
 - 第44巻 p.652 -ページ画像 
一年と喜びが加はる様に思はれます。来年はもう出られぬと思つてゐると、又かうして出ることが出来る事は、皆さんよりも私の方が喜びが深いであらうと思ひます。
 今年の本校卒業生総数は三百名以上で、その内大学部を出られる方は百七十余名でありますが、かゝる多数の卒業生を年々と出して行きますと、社会には学問を受けた婦人が充ち充ちている様に思はれますが、実はなかなかさうではなく寂寥々たるものであります。それによつても如何に社会の広いかゞわかりますが、其の広い中に一人出て行くと、皆さんは兎角人々の注意を惹くものであります。
 昔私が商売を始めた時には当時の風を抜いた商売法をした為に随分苦心惨怛をし、社会からは侮蔑嘲笑を受けました。商売は徳義正義によつて切投けねばならぬと主張しても世間の人は多くそれを嘲笑したのであります。その間は随分長く続いたが、だんだん諒解されてきて――未だ完成の域に達したとは自分自身もまた社会に対しても云はれぬが――余程よくなつてきたのであります。それと同様に今卒業せられて社会に出る方は周囲から種々の目を以て注意されます。それは誠に御同情申す処であるが、またそれだけ私は多くの希望をかけて皆さんを社会に送り出す事が出来るのであります。
 婦人は国民である、人であるとは今麻生校長が廿一ケ条にわたつて説かれましたが、これは前成瀬校長も頻りに説かれた事で皆さんは本校の主義として忘るべからざるものであります。昔から東洋では婦人は一人前の人間として男子と平等の取扱ひをうけて来なかつた、三千五百万の男子が日本国民ならばあと三千五百万の婦人は二人或は三人を一人として国民とした、即ち男女の間に非常の段階をつけたのであります。処が本大学では決してさうではない。婦人も共に国民である人であると考へて教育してきました。必ずしも本校独専とはいはぬが前成瀬校長はこれを極力主張され、又私共もその主義に深く感銘したのであります。或人が西洋と日本の、子供に対する教育を比較して、アメリカの子供は神学校や教会に行つて教を聞き家庭の母は精神的教育を事々物々に対して行つてゐるが、日本は学問知識は発達しても、子供に対して宗教的信念の教育を行つてゐない。たゞ自家の利慾のみを進めて精神的向上を図らない。これが家庭の進歩人間の向上をにぶらす所以であるといはれたが、強ちこの言を以て誹謗とのみは申されないと思ふ。事実婦人の教育も今日は知識教育に傾いて精神教育を重んじない傾向がだんだん著しくなつてきた。故に知徳兼ね備へたといふやうな人は実に尠いのであります。本校の如き教育を受けたる人は社会全体を考へると誠に微々たるものでありますから、別して皆さんは心を強く持ち、国民たる自覚を深めてすべての事に当られんことを希望するのであります。
 かゝる前途ある立派な卒業生に対して只今麻生校長は本校の教育が不充分であると謙遜されたが、私は決してこれ以上の教育はないと思ふのであります。寧ろ完全であると自信せらるゝ事を希望します。その立派な教育を受けた卒業生を今日かゝるアバラ家でお送りするといふ事は補助の任に立つ私共の恐縮する処でありますが、しかしこれは
 - 第44巻 p.653 -ページ画像 
私共が悪いばかりでもない、地震が悪かつたのでありますから、暫く辛棒して戴いたならば今後はまた相当な場所で御送りする事が出来やうと思ひます。又一方からいふと大正十三年の卒業式はアバラヤであつたといふ思ひ出を残すのも皆さんにとつてはよい記念になるかもしれないといふ事を思つて今日の皆さんの門出を目出度く御送りするのであります。