デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
29款 其他 3. 東京府教育会
■綱文

第46巻 p.156-163(DK460039k) ページ画像

大正3年11月7日(1914年)

是日、神田和協楽堂[和強楽堂]ニ於テ、当会主催講演会開催セラル。栄一、出席シテ講演ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正三年(DK460039k-0001)
第46巻 p.156 ページ画像

集会日時通知表 大正三年          (渋沢子爵家所蔵)
十一月七日 土 午後二時 東京教育会《(府脱)》ニテ御演説ノ約(神田橋際和協学堂《(楽)》[和強楽堂])


竜門雑誌 第三二二号・第二四―三三頁大正四年三月 ○戦争と経済 青淵先生(DK460039k-0002)
第46巻 p.156-163 ページ画像

竜門雑誌 第三二二号・第二四―三三頁大正四年三月
    ○戦争と経済
                      青淵先生
  本篇は青淵先生が昨年十一月七日神田橋際和強学堂《(マヽ)》[和強楽堂]に於ける東京府教育会講演会に於て講演せられたものなり(編者識)

  要目 一、緒言 二、経済の発達と戦争 三、日露戦争と経済の影響 四、戦争の原因と経済の盛衰 五、正義戦争と経済界 六、戦後の経済方針 七、結論

      一、緒言
 唯今御紹介を戴きました渋沢でございます。大層私は多忙の身体で狂ひ廻つて居る様に申されましたが、それは却つて本会役員の方が御察し下すつた言葉であります、唯だ年寄の止せは好いのに色々の御相談に与かると、それに対して何かすると云ふ様な訳で、人様から思ふと随分忙しさうでございますが、私の心は至つて静かでございます、
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身体は多少奔走は致して居りますが、心までは奔走して居らんといふことを、チヨツと申し上げて置きます。又斯る演壇に立つて意見を陳述する、即ち演説使ひではないものですから、お話することが甚だ諸君のお耳に煩はしからうと思ひます、又利益あるお話も出来まいと思ひます、それは甚だ恐縮致しますけれども、教育会に於て是非私に一場の意見を述べる様にといふ御依頼でございましたけれども、特に大演説を飾立てることも出来ませんし、講演の為めに調査等を致して参堂するといふ様なことも成り兼ねますので、少し思ふて居ることを、談話的に申し述べ様と思ひます、斯様な訳で此処に罷り出た次第であります。故に今日演題として掲げました、戦争と経済と云ふ様なことに関しても、学問上からお話するのでなく、極く浅薄な目前のことをお話すると云ふ様に御了解を願い度いのであります。
      二、経済の発達と戦争
 全体此経済上の事柄に従事する者、即ち私共の如き実業家の側では商業の発達は泰平によつて進むべきものであるから、平和といふことを好むことは論を待たないのでございます、すると戦争と経済とは一致するもので無く、全く不一致なもので、同方向なものでなく全く反対のものと斯う考へなければならぬ、さり乍ら何時も戦争と経済とが左様に仲の悪いものであり乍らも、始終一緒にならねばならんし、又相関聯して進んで行くと云ふ事は、殆ど世界の常でございます、けれども、経済が発達しなければ戦争の強いことを期すことは出来ぬと同時に、又戦争がある場合には大に経済の発達を助けるもので、前に申す如き実業家は平和を好むといふても、成る可く平和たる事を希望するけれども、然し或る点から考へると時の変化、殊に行違ひから起つた戦争が此経済に大なる刺戟を与へ、大いなる発達を進めた例は数多くございます、而して此戦争が如何なる場合に経済を発達せしめ、如何なる場合に妨害を与へるかといふことを、悉く其例を挙げて申し上げることは出来ませぬ、けれども必ず戦争は経済を非常に助けるものとも言へぬし、又必ず戦争が経済を妨害するのみに終るといふことも言へぬ、といふことを少し実例を挙げて言ふと段々思ひ当る様に思ひます、そこで是等に就いて既往の関係を玆に少し述べて見たいと思ひます。
 帝国の昔は私も細かに申す程記憶もなし、又学問もありませんですが、併し徳川幕府を開く前に、足利の末の元亀・天正から慶長・元和の泰平に至るまでの間は百年もかゝりましたが、殆ど国内の戦争に日も又足らずと云ふ様な有様であつた、殊に戦争は国運に対し、経済に対し、如何なる妨害を与えたか、若くは如何なる利益を与へたかと云ふことを観察すると、実に国家は其の為に疲弊を極めたと言つて宜しい様に思はれます、徳川の幕府が武力を持つて泰平を致す前に、豊臣氏が出でゝ天下を平定せしめた、此時に大体諸事物が経済界の進歩を促がしたのである、大坂に覇府を開いて種々なる商売工芸に力を入れられた様でありますが、古い記録を悉く読みも致しませぬが、其結果引続いた徳川の始も、戦争の反響を受けて衰微を極めて居りましたことは、お椀物語といふ書物でも明らかに分ります、仮令国内の戦争と
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雖も、永い戦役は国内の実業即ち経済を妨害したといふことは、細かい実例といふ程調査してございませぬけれども、随分ありました、歴史によつて殆ど知り得らるゝ様に思ひます、私は欧羅巴の事は甚だ疎うございまするが、例の百年戦争とか、或は宗教に関する戦争といふものに就いて、其当時の国々の事物の有様が如何に衰退したかといふ事は、必ず歴史によつて知り得る事と思ひます、故に実業家が平和を好むといふ事も、戦争が左様に事物を妨害するものであり、又国の富を左様に毀損するものであるから、決して退けることの出来ないのは事実でございまする、多くは戦争を好む国家、戦争を好む君主が遂に其国を亡ぼし、其家を滅したといふ様な例はたくさんあります、前に申し上げた幕府の時代に、戦は如何に強くとも其の国が亡びたといふことは、まづ甲州の武田に徴して見ても分ります、之は小さいことでありますが、事実は明らかであります、故に戦争といふものは国家に取り経済に取つて甚だ忌むべきものといふ事は、そう古るい例を論じないでも、維新以前の歴史に徴して見て明らかでございます。明治の世になつてどういふ有様であつたかと考へると、維新の時に多少の戦争があつた、其以後十年の戦争、二十七年の戦争、三十七年の戦争、其内最も主だちましたのは内に二度、外に二度、其間に北清事変又朝鮮の騒動等があり、又台湾に兵を出したといふ事がありますが、それは戦争とは言へぬ、主なる戦争といふたら御互の好く記憶に残つて居る即ち三十七年の国運を賭したる大戦争と、其の以前の二十七年役であります、いつも十年目に戦争がある、明治七年の台湾の戦争、十七年の朝鮮の戦争、二十七年の支那の戦争、三十七年露西亜との戦争、大正三年ではあるが、即ち明治四十七年には今回の事局が起つたといふ事を考へて、戦争は十年目に起るといふことを申す人もあります、併し是は十年を置いて偶然起つたので、何も十年毎に必ずあるといふ事は無からうと考へます、是から先き十年後に大なる戦争が惹き起ると予想しても好いでありませうが、最も最近とも申すべき三十七年の此戦争は、我々に如何なる影響を与へたかといふ事を、即ち戦争と経済に就て、能く今観察して見たいと思ひます。
    三、日露戦争と経済の影響
 今申上げた通り、戦争といふものは平和を妨害し、国運の進歩に対しても甚だ妨げをなすものでありまする、併し反対に二十七年と三十七年は例外であつて、決して戦争が経済を疲弊さしたと言へぬ、尚其戦争の有つた為に、各方面に大なる発展を与へたといふ事を見ますると戦争は寧ろ経済を助けたといひ得るのでございます、三十七年の戦役後、日本に於て各種の株式会社、殊に鉄道経営などの発展をしました事はなかなか其の前とは比較になりませぬ、是等は若し時間がございますと、取調べて斯様な統計であるといつて諸君に示してお話すると、寧ろ私の話よりも明らかに御わかりになるのでありますが、斯様の事を諸君の御耳に入れる事の出来ぬのは不調べと思ひますが、或は年表とか若くはそれの報告書とかいふやうなものに就て見ても、明らかに其の二十七年迄の鉄道会社若くは各種の商業会社の発展の有様と二十八年以後三十七年頃までと比べると、大変な相違である事が分り
 - 第46巻 p.159 -ページ画像 
ます、即ち戦争が大いなる刺戟を与へて、一方が進めば一方も進まねばならぬといふ、戦争と経済上の関係、実業界即ち経済界が大に発展したに相違ない、そうなると、前に申す如く戦争は国を衰微させるものでなく、却て事物を拡大したと言ひ得る様に思ひます、戦争さへあれば国が富み、事物が発展するといふ様な傾向があるといふことを考へなければなりませぬ、けれども斯様なことは、或る場合に限られるのであります。
      四、戦争の原因と経済界の盛衰
 三十七年の戦役は二十七年の戦役よりは殊に大きいし、国家の財力を費した分量も殆ど比較に成らぬ程であるから、其の結果二十七年とは同じやうにまいりませぬ、二十七年には償金が取れたが、三十七年には無かつた為めに、進歩といふものに於ては、二十七年戦後と三十七年戦後と同じ傾であるとは言へぬ、或る場合には経済上の傷が未だ癒えないので、経済界の困難した事もあります、爾来十年の月日を経た今日に於ても、或る事物に於ては、未だ其の傷が癒えたとはいへぬ即ち外債の如きものが、決して国家として安心だといふ迄に立ち至らぬ処は、即ち三十七年の傷が未だ癒えぬ結果であるといはなければなりませぬ、経済界に一種の妨害を与へて居る、又輸出入の権衡が充分得られぬとか、諸物価が甚だ高いといふ事も、戦争が致さしめた事であります、依つて三十七年の戦争は果して実業界・経済界の大発展を為さしめたとは言へぬのであります、併し或る事物に就ては、為に大いに刺戟されて、段々に向上して行くといふものも、随分数へられます、例へば紡績糸の如き、三十七年の戦後支那に向つて輸出が大変に多く成つて来て居る、是等は果して戦争が紡績糸を好く出すといふ事とはいへませんが、兎に角其以前は多く亜米利加、若しくは印度辺から来て居つたのに、日本の品物が海外に信用を博し、高評を得て大いに進むやうに成つたのは、是蓋し戦争の余力といつて宜しい、斯ういふ事は紡績ばかりではございませぬ、綿織物に於ても、絹織物に於ても、其他の物に於ても、今のやうな関係から、輸出貿易は大いに力を増したものが少なからぬのであります、生糸の如きは戦争如何に関らず、亜米利加・欧羅巴に年々輸出を増して居ますから、戦争に依つて高が増したとは言へませんが、木綿類即ち糸なり織物は全く戦争の影響が斯かる事物に高評を与へ、輸出の便宜を加へたといふて、決して過言でない、故に日露戦争以後と雖も、唯だ単に戦争が経済界に困難を与へたと計りは言へぬのであります、要するに私は戦争と経済とに就ての判断を、斯ういふやうに思ふて居るのであります、故に戦争といふものは経済界には弊害あるものであるけれ共、又戦争が経済に対しては大いに刺戟を与へる処があります、故に其の戦争が道理に適ふた、所謂義軍であれば宜しいが、若し其の戦争が大野心に依るものであるとか、食慾に傾いて起る戦争であつたならば、其の戦争は、必ず国運を衰亡せしめて、商工業を妨害する事は大きいに相違ありませぬ之に反して全く国の為に起る戦争であつて国家として起たなければならぬといふ場合に起つた時には、其の戦争の効果は…(勿論起つた以上は弾薬はなければならないし、船が潜航水雷の為めに撃沈されるな
 - 第46巻 p.160 -ページ画像 
どゝいふ事は、義軍でも、賊軍でも免れぬが)国民の気力が相違して居ます故に、戦争の後ちに非常に国運を発展せしめる事が出来ます、故に戦争と経済は必ず相背馳するものであるが、其の背馳が或る場合には一致する、其の背馳は何ういふ訳かといふと、貪慾から起る戦争であると背馳する、仁義の戦争であるならば、国民の気力が違ふ故に場合に依つては、其の戦争が寧ろ国家に大いなる裨益を与へ、商工業に向つて、却つて大いなる仕合を与へる、と解釈して間違ひあるまいと思ふのでございます。
      五、正義の戦争と経済界
 其処で、幸にして我が帝国は、維新以後屡々国難に遭遇したけれ共国家は始終事あるといふ時は、必ず自分から好んでしたのでなくして義の為め、道の為めにのみ抵抗したといつて宜しい、而して多少の災害は蒙つたけれ共、国運は始終増して来た、現在の有様は如何か、国家を御互ひに講究して、将来何う考へて宜しいか、これが問題でございます、但し現在の戦争は我が帝国が主動者でなく、余儀なくして前の如く義に依つて起つて、今日東洋にも干戈を動かすやうに相成つたのでありまして、殊に諸君と共に大いに悦ばねばならぬのは、唯今是処に出る前に号外に依つて承知しました処に依ると、我が青島軍は青島を全く陥落せしめて、敵は白旗を掲げたといふ事が、各種の号外に依つて知るを得たのであります、固より号外だけで其の詳細は分らぬが、併し今朝商業会議所に於て、或る陸軍の大将の人と会合する事があつた、未だ号外を見ぬ前に丁度談は青島の事に及び、待遠しいといふては貴方様に対して失礼であるが、モウ大抵結びを着けても宜いだらうといふやうな席上談話をしました、処が其の大将のいふには何うもナカナカ左様に素人方が想像するやうに、速かに行くまいと思ふ、余程近寄つて来たやうであるが、未だ相当の犠牲を払はなければならぬ、第一鉄条網が余程強い電気を通じて防禦されて居る、故に一寸でも触るれば直ぐに倒れるといふやうな電気と抵抗せんならんやうである又敵は地雷火も強くしてある、だから仮令其の守る兵が少なくても是から先き随分犠牲を払はなければならぬ、又時日もかゝると思ふて呉れぬと困る、もう、モルトケ、ビスマルク砲台が陥ちた、モウ大丈夫と想像されては困る、併し昨日の新聞で見ると、発電所を破壊したといふ事があつたが、若しあれが事実であつたならば、或は案外速いかも知れぬ、誤解があると行けないから、是丈け附加へて置くといはれた、それは今朝の八時頃の事で、それから私は他に行つて丁度十二時頃でありますが、錦町の寄合に行つて居る時に号外を見まして、それから私の銀行に参つて二・三の号外を見て、始めて今朝大将の言はれた言葉が、成る程御黒人の注意は届いたものだ発電所が破壊されたから時局をして進捗せしめたのである、さうとすればうれしい事だと悦んだ、是は諸君と共に歓声を発して万歳を唱ふべき事と思ふ。(拍手起る)
      六、戦後の経済方針
 処が是から先きは経済が伴ふのである、此の跡は何ういふ経済方法を講じたら宜しいかといふ事は、一つ考へなければならぬと思ひます
 - 第46巻 p.161 -ページ画像 
何ういふ意味で此の戦争が起つたか、何を標榜したかといふと、東洋の平和を保証する為めであるといふ事は、宣戦の詔勅にも明らかである、故に何うしても斯る名誉は、之を速かに陥落せしめんといふのが誠忠勇武なる軍人の期する事で論を俟たぬが、併し跡は如何にするかといふ事も、矢張り帝国の責任と考へなければならぬ、其の責任は何うするかといふと、是から彼の場所を如何なる方法に処置して行つたならば、国として義軍たるの名誉を立て通し得らるゝか、而して東洋の平和は如何なる方法に於て持続出来るか、唯だ平和ばかり持続されたのでは宜いとは言へぬ、東洋の発展、支那の開発を如何にしてやつたら宜いか、此の二点は即ち戦争以外の平和に属する事で、或る一部分は政治外交に属するが、主なるものは経済方面で、是から先きは政治と外交で、完全に抜いた剣を工合よく元の鞘に納まるやうにしなければならぬと思ふ、今日私が是処で陥落後の青島を斯ういふやうにしたら宜からう、鉄道の聯絡は何ういふやうにしたら宜いか、上海は何ういふ位置に置いて商売したら宜いかといふ事は、今言ひ得る程実地にも通ぜず、知識もありませぬが、然し斯様に軍事上には功を奏したが、若し経済上に失敗したならば、日本帝国として半面は大変名誉であつたが、他の半面は失敗したと言はねばならぬ、経済界・政治界の人々は余程心して、此の後ちを完全なる位置に進めて行かなければならぬと思ふのであります。
 青島に対する事計りではありませぬ、前途に対する事柄は、尚ほ進んで隣国に対しても頗る為す可き事があるので、実に東洋の平和を維持して行くに、支那と充分なる力を併せて、彼の国の発展に努め、唯だ単に、日本のみが開発するといふのでなく、相当なる位地に立つて支那の事物を開発し、支那の天恵物即ち天から与へられて居る富を開拓しなければならぬ、といふ事を、政治家・経済家が深く心を是に止めて居る処である、今日はそれに就て、最も急場の時節と成つたと考へられるのであります、是と同時に……勿論直接の関係は持ちませぬけれ共、我が同盟国は容易ならぬ苦心を持つて、聯合軍に力を尽して居るやうである、此の終局は如何に終るか、既に始めが我々共殆ど想像の出来ぬ、意外の事に依つて発生したのであるから、其の終局とても、我々の想像の出来ぬ処であるが、目下の有様から考へると、未だ時局は長引くであらうと思ふ、長引いた後ちは何うなるか、此の戦争の継続して居る間は、欧羅巴は第二に置いて、近き我が帝国が如何なる基礎を保つて行かれるか、といふ事は、戦争と経済といふ問題に最も近い切実な話しで、戦争の後ちの経済は如何といふ事でなく、其戦争に対しての如何すべきかといふ事を、余程深く考慮しなければならぬと思ふ、唯今青島が陥落したといふ事を聞きますと、余程力強い感じが致します、而して一定の方法を講じて、彼の国の発展を計るといふ事は、随分積極の手段であるが、それを努めると同時に、今日欧羅巴全般の為に、帝国が受けて居る困難はナカナカ容易のものでない事も数々ございませう、皆んな知つて居るとは思はれませぬ、悉く申す事は出来ませぬが、唯今錦町で寄合をしましたのは何かといふと、生糸貿易が甚だしい衰退をして、百斤の価は通常千円以上でありました
 - 第46巻 p.162 -ページ画像 
のが、七百円以下に下落したのみならず、充分に売れない、若し一歩進むと半額に成つて了ふ、輸出の金高は昨年は一億八千万円であるが其の価は半額に成り、九千万円といふ数字が生ずる事と成る、まさかそれ程でもあるまいが、何千万円といふ国に這入る貨幣が減ずる事となる、又それのみならず、其事に従事する当業者が如何なる悲惨の有様にあるか、今現在に於ても三千万円の損害を糸屋がして居ると思ふのであります、是は唯だ生糸ばかりで、未だ屑物等といふ種類の商売をも論ずると、更にそれだけを増すので、又紡績糸がさつぱり出ぬ、銅がさつぱり売れぬ、斯の如き品物を数へて見ますると随分ある、又中には砂糖が良く売れるとか、或は紙が相当に売買がある、といふやうな、種類に依つては稍々良いのもあるが、経済上全く危険がないとはいへぬ、斯の如き困難は何うしても、之に打勝つて行かなければならぬのでございます、斯んな有様で、危険な点を数へ上げれば決して少なからぬやうである、さりながら又反対に考へて見ると、幸ひに総ての景気が宜くない、といふ結果、日露戦争の後の如く調子に乗つた経営法が少なく成つて来た事で、又艶美とか驕奢とかいふ風も段々薄らいで来たといはなければならぬのであります、実物は人間の心を厳しく教訓するものである、又他の刺戟ではあるが、貿易上の悲観停滞といふやうな事柄は、一般に人の心を苦しめ、好い刺戟を与へるものである、兎角今迄は唯だ輸入者である、舶来であるといへば矢鱈に買ひ求め、一つで宜いものを二つも買ふといふやうな風があつた、是は皆様とはいはれぬが、社会一般に此のやうな事があつたとすると、此の風習は挙国一致して、能く注意し、能く改善して、お互に慎しんで節倹を守り、勉強し、成るたけ国産の品物を用ゐ、国産の奨励を努めて、其の品物を海外に迄も輸出を計るといふやうに、努めて行つたならば、此の一般の困難に打勝つといふ事が、必ずしも出来ぬものではなからうと、私は思ふのであります、併し唯だ単にそれだけで能事終れりといふ事は、お互国民の決して満足に思ふ処でない、欧羅巴は前の通りの有様であるから、此の進行は如何になるか、例へば機械工芸の必要、其の力は従来よりは減ずるに相違ないとしても、丁度百年にして地図が変る、大なる変化を与へるといふ事は相違ないが、それと同時に商工業にも大なる変化を与へる、故に我々経済界の者は目前にのみ依る事なく、広く輸出入に対しても心を用ゐたならば、他の者の得意に代つて、帝国が這入つて行くといふ事も、必ず出来ぬ事ではなからうと思ふ、但し直ぐ今年とか、又は来年といふ事は言へぬが、心持ち次第で、さまで長くない間に出来ぬ事は無いと思ひます、之が若し望み得られたといふ事に成つたならば、それ以後の経済界は如何に成るかといふに、勢い大いなる発達を為すに相違ないといふ事は、明言し得ると思ふ、今や戦争は諸国で致しつゝある、我が国も之に参加し居る、即ち其の戦争の趣意は如何であるか、仁義の戦争である、其の後ちには必ず富を増すといふ事は、前に申上た通りであります、故に私は、戦争をして経済上に宜い指導教訓たらしめたいと思ふのであります、而して経済界にあるものは、戦争を無意義に終らしむるといふ事を、深く懸念するのであります。
 - 第46巻 p.163 -ページ画像 
      七、結論
 お集りの方々は経済界の方ではない、多くは教育に従事して居られる方々と思ひますが、教育される児童の中には、実業家に成る者が多からうと思ふ、果して然らば、諸君に直接利益はせぬでも、其の心を持つて子弟の教養をして下すつたら、国家に裨益する事は少なくないと思ふ、諸君に直接の利益は無くとも、決して無用の事でないと思ひますから、戦争と経済との関係に就いて陳述するのであります。
                        (拍手喝采)



〔参考〕東京府史 東京府編 行政篇第五巻・第四九六―五〇〇頁昭和一二年一月刊(DK460039k-0003)
第46巻 p.163 ページ画像

東京府史 東京府編 行政篇第五巻・第四九六―五〇〇頁昭和一二年一月刊
 ○第一 第十三章 教育会
    二 帝都教育会及郡区教育会
 帝都教育会は元東京府教育会と称し、大正十四年十二月四日帝都教育会と改称し、同月二十五日東京市教育会を合併して、府市教育の向上改善を図り、官庁の指揮を受け、輿論の喚起、社会教育の施設、教育者の修養を図つてゐる。○中略 東京府教育会は大正十四年十月総会を開いて定款を改正し、名称を帝都教育会と改め、同年十二月社団法人の登記を了した。東京市教育会は、同じく十二月二十五日総会を開いて解散を決議し、同日改めて帝都教育会に合同したのである。○下略