公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第48巻 p.39-40(DK480014k) ページ画像
昭和2年10月1日(1927年)
是日栄一、タウセンド・ハリス記念碑除幕式ニ際シ、ソノ事蹟ヲ編纂刊行頒布ス。次イデ昭和三年二月、右除幕式ニ於ケルマクヴェー大使ノ式辞ニ序文ヲ付シテ刊行頒布ス。
日本に於けるタウセンド・ハリス君の事蹟 渋沢栄一編 緒言・第一―二頁 昭和二年一〇月刊(DK480014k-0001)
第48巻 p.39-40 ページ画像
日本に於けるタウセンド・ハリス君の事蹟 渋沢栄一編
緒言・第一―二頁 昭和二年一〇月刊
緒言
伊豆国下田柿崎の玉泉寺は、辺陬の小伽藍に過ぎざれども、タウンセンド・ハリス君が米国最初の領事館を置きたる旧蹟として、其名夙に著はる。ハリス君は我が開国の恩人なり、日米両国の交情常に親善なる所以のもの、君に負ふ所甚だ多し。然るに未だ此由緒ある史蹟を顕揚し、君の功績を永遠に記念すべき施設を見ざるは、予の深く遺憾とする所なり。偶米国全権大使バンクロフト氏亦之を慨し、同国人ウルフ氏と謀り、記念碑建立の事を予に託せらる。又玉泉寺の堂宇は、米国領事館撤廃の後、七十年の星霜を経て、甚だしく荒廃し、大正十二年の震災に因りて更に大破したれば、住職檀越並に関係町村長等諸氏汎く資を募りて修理を加へんとし、予に援助を求めらる。予乃ち日米協会会長徳川公爵に請ひ、同会員諸氏の賛同を得て其挙を助け、以て旧観に復したり。而して建碑の事は、バンクロフト氏の不慮の逝去によりて一時頓挫したるも、予は初志を枉げずして工程を進め、遂に之を落成せしめたり。惟ふに当年の領事館たりし精舎と、新に建設せられたる碑石とは、永へに日米交誼の由来を物語り、現在及び将来の両国民に、多大の感化を与ふるものあるべきを信ず。是れ予が玆に碑石と堂宇との落成式を挙ぐるに当り、特に此小冊子を印刷して来会の諸賢に頌ち、日本に於けるハリス君の事蹟を紹介し、併せて君が在天の霊に感謝する所以なり。
昭和二年十月一日 子爵渋沢栄一識
○本書ノ概要左ノ如シ。
菊判・並製
和文 十八頁。目次一頁。緒言二頁。
英文 十九頁。
目次(和文。英文目次ハ付ケズ)
タウンセンド・ハリス君肖像 巻頭写真
記念碑表面 同
同裏面 同
修理前の玉泉寺、修理成れる玉泉寺 同
緒言
- 第48巻 p.40 -ページ画像
碑面英文意訳
碑陰の文
日本に於けるハリス君の事蹟
表紙 和文ノ部ヲ本表紙トスレバ裏側表紙(表紙ノ四)ニ英文ヲ以テ左ノ標題ヲ記ス。
THE RECORD OF TOWNSEND HARRIS IN JAPAN