デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
4節 編纂事業
16款 栄一ノ演説・談話ヲ編集刊行セルモノ 4. 青淵先生世路日記雨夜物語
■綱文

第48巻 p.122-123(DK480038k) ページ画像

大正2年8月(1913年)

是月、玉利伝十、栄一ノ論説談話ヲ編集シ「雨夜物語」ト題シテ、東京・択善社ヨリ発行ス。(四六版・一冊・一五四頁)


■資料

青淵先生世路日記雨夜物語 紹堂漁郎編 序・第一〇―一二頁大正二年八月刊(DK480038k-0001)
第48巻 p.122-123 ページ画像

青淵先生世路日記雨夜物語 紹堂漁郎編 序・第一〇―一二頁大正二年八月刊
  序
 題して「雨夜物語」と言ふ。男爵渋沢青淵先生の世路日記なり。先生微賤より出でゝ一橋家御用談所下役出仕に職を奉ぜし以来落魄多年に及びしと雖も堅忍不抜なる勤勉努力を以て逆境を頴脱し、遂に枢密権大史より大蔵大丞となり、大蔵三等出仕に任じて大蔵少輔事務取扱を兼ね大久保大蔵卿の下に井上馨と倶に貢献せしこと偉大也。さりながら明治六年財務改良の議合はず、一編の意見書を呈出して井上と共に野に下り、五月二十三日に依願免職となつて官界に絶縁す。爾来先生は商工業を以て国是としたいとの念慮と商人の地位を高めたいと思ふ自信に頼つて、最初合本法を企図し遂に功成りて官尊民卑の悪風潮を打破して商人の意気を振興す。然も幾十の会社・銀行・公共団体の事業に関渉して、我国実業界・慈善界の恩人として崇高せらる。而して其行り方が終始一貫正々堂々として詭譎とか陰険とか云ふ分子毫も世人に認められず、福徳円満の君子として渇仰さる。編者は先生の性行を慕ふの余り時に男爵の関係せし事業系統を調査して自己処世の資料に供して裨益する所少からず。更に之を記して一般実業青年諸君並に事業家の参考たらしめば、貢献する範囲の汎からんことを信じ、編して江湖に配つべく志せり。冀くば先生の稜々たる気骨と溌溂たる元気を持して献げし事業の跡を耽読し以て、我国各種事業の過去現在に於ける成績を対照し、併せて労働に依らざれば天下の事一として成すべからず、偉人傑士とは詮ずる所不覊独立・苦闘力行を標榜して起てる人なるに鑑みて、自己の処世に尽瘁されんことを切望す。編者の意志は唯其にある而已。
  大正二年六月十五日
 - 第48巻 p.123 -ページ画像 
                        編者識
   ○紹堂漁郎ハ玉利伝十ノ筆名。


青淵先生世路日記雨夜物語 紹堂漁郎編 奥付大正二年八月刊(DK480038k-0002)
第48巻 p.123 ページ画像

青淵先生世路日記雨夜物語 紹堂漁郎編 奥付大正二年八月刊

図表を画像で表示青淵先生世路日記雨夜物語 紹堂漁郎編 奥付大正二年八月刊

   大正二年七月廿七日印刷     定価 金五十銭   大正二年八月一日発行     雨夜物語    東京市小石川区大塚坂下町六十番地     不許複製  発行兼編輯者        玉利伝十                 東京市芝区今入町十八番地           印刷者         久保田利之助                 東京市芝区今入町十八番地           印刷所         厚明舎印刷所    発行所  東京市小石川区大塚坂下町六十番地 択善社