デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 株式会社第一銀行
■綱文

第50巻 p.233-240(DK500039k) ページ画像

大正6年――昭和6年(1917-1931年)

栄一、当行頭取辞任以後、歿年ニ至ルマデ、相談役トシテ、努メテ当行ノ年賀式及ビ株主総会等ニ出席シテ、演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 昭和三年(DK500039k-0001)
第50巻 p.233 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和三年          (渋沢子爵家所蔵)
一月一日 快晴 風ナクシテ寒カラス
○上略 午前十時頃、敬三ト同車第一銀行ニ抵リ、先ツ重役諸氏ト祝盃ヲ交換シ、尋テ本店及市内支店ノ行員来集シテ祝盃ヲ挙ク、数百人ノ会同ニシテ頗ル雑沓ス、畢テ会堂ニ参集シテ一場ノ祝詞的訓示ヲ為ス、銀行業者トシテ常ニ注意スヘキ要旨ヲ指示シ、切実ニ現下ノ世相ヲ指摘シテ、深厚ノ訓誨ヲ為ス○下略
  ○中略。
一月二十六日 晴 寒気強カラス
○上略 午後二時ヨリ銀行倶楽部ニ於テ開催セル、第一銀行ノ株主総会ニ出席シ、畢テ株主一同ニ対シテ一場ノ意見ヲ述フ○下略

 - 第50巻 p.234 -ページ画像 

竜門雑誌 第四七三号・第七九頁昭和三年二月 青淵先生動静大要(DK500039k-0002)
第50巻 p.234 ページ画像

竜門雑誌  第四七三号・第七九頁昭和三年二月
    青淵先生動静大要
      一月中
一日 年賀の為め第一銀行へ出向
  ○中略。
廿六日 ○上略第一銀行定時株主総会(東京銀行倶楽部)○下略


(増田明六)日誌 昭和三年(DK500039k-0003)
第50巻 p.234 ページ画像

(増田明六)日誌  昭和三年       (増田正純氏所蔵)
昭和三年一月一日 晴 日             廻礼
天気晴朗温暖申分なき元旦であつた
今日の第一銀行年賀式後○中略
又子爵は事業の基礎である金融業ニ従事するものハ日常最も慎重ニ事を処すべきであるが、取り分け左の五点に注意すべしと訓示せられた
一至誠
二智識
三勉励
四愛敬
五耐忍
○中略 同銀行ニては別館二階の大食堂で、子爵を始め佐々木頭取・石井副頭取、杉田・明石其他の重役一同整列して、行員の年賀を受けられた○中略終りて行員一同は三階の会議室ニ集まり、頭取及子爵の訓辞を拝聴したのである○下略
  ○中略。
一月十六日 月 曇                出勤
○上略
午後二時より丸の内ニ於ける第一銀行本店建築の地鎮祭ニ出席した、子爵より紅白の餅の御供を奉納した、旁子爵の代理と云ふ訳である同銀行頭取佐々木・副頭取石井、土岐・西園寺・杉田・野口・明石・渋沢○敬三・加納の各重役の外、佐々木副支配人其他の人々参会した、順序ハ凡左の通てあつた
一、神官の祝詞朗読
一、神饌供備
一、神官の祝詞朗読
一、埋蔵式
一、玉串捧呈
最後ニ記念撮影○下略
  ○中略。
一月廿六日 木 晴                出勤
○上略
午後二時第一銀行株主総会ニ出席した、佐々木頭取議長席ニ着席、各議案ニ就き説明した処、一の質問も無く極めて安穏ニ原案を可決し、次て渋沢子爵の銀行員各位ニ望むと云ふ訓話があつて散会した


竜門雑誌 第四七三号・第一―四頁昭和三年二月 ○巻頭言 第一銀行総会に於て 青洲先生(DK500039k-0004)
第50巻 p.234-236 ページ画像

竜門雑誌  第四七三号・第一―四頁昭和三年二月
 - 第50巻 p.235 -ページ画像 
 ○巻頭言
    第一銀行総会に於て         青淵先生
 幸に今日の総会にも出席し得まして、玆に皆様と新年早々御目にかかる機会を得ましたことを無上の光栄、且つ此上なき喜びと致すのでございます。先づ明けまして御芽出たうございます。どうぞ相変りませず。
 特に此総会に対して申上げます程の用意もございませぬが、折角総会に出席致したに就きまして、或は少し感想としては善くないことを申上げるやうな嫌ひがあるかも知れませぬけれども、所謂老人の繰言決して諸君に対して御注意を乞ふではございませぬ。銀行者としてどうぞ斯くありたいと云ふことを第一銀行にも望み、又一般金融界の御方にも望むと云ふだけの希望を一言述べて、諸君の清聴を煩はさうと思ひます。昨晩も銀行倶楽部に新年の晩餐会が開かれまして、名誉会員の山本男爵・阪谷男爵・井上日銀総裁、又以前日銀の副総裁であつた木村清四郎君、並に私の五名が御招待に依つて出席しましたが、色色な御講演がありました。是は併し時事問題故に、私のやうなもう数字観念の乏しくなつた者には、判然せぬ所もありました。或る問答中には多少現在の政府に対して攻撃と云ふ程でもないけれども、質問答弁の有様があつて、山本君と井上君の取廻しは寧ろ聴聞して面白かつた。新聞で皆さんも御覧でありませう。私は唯銀行者として多数の諸君に斯くありたいと云ふ、ほんの老婆心から一言述べましたが、今日此処でも、古いことを回想しますと、自然と何だか行末を不安心に思つて、確かりしないといけませぬぞと言ひたくなる。然らば己れ自身はどうかと云ふと、もう自分自身は確かりするどころではない、早く棺桶に這入つたら宜からうと言はれるやうな身であるが、併し如何に老衰しても志は老いて益々堅し、所謂斃れて後已むと云ふ観念を以て御覧の如く斯く老衰しても、此総会には必ず罷り出て諸君にも御目にかゝり、経営の重役諸君にも御目にかゝつて一言を申上げるのを、寧ろ自身が身に附いた義務のやうに感じまして、又一方から言ふと権利と心得て、喜んで毎回参上し来つて居るのであります。
 昨晩も御話しましたけれども、私が銀行を創立したのは、即ち第一国立銀行として開業免状を得たのは、明治六年の八月一日でございます。随分古い話で今日御出席の大部分の方は、まだ御生れにならなかつたであらうと思ひます。併し私は其時にもう三十以上の人間であつたから、以て如何に老人であるかと云ふことを御察しを戴きたい。始めて銀行と云ふものが成立したので、それから追々に銀行が出来て参つたのが、九年若くは十一年頃であつて、一つ銀行者が打寄つて評議をするが宜からうと云ふので、私などが主唱者となつて出来たのが択善会と云ふ名前であつた。善を択んで処ると云ふ意味で、論語の里仁篇にも里仁為美、択不処仁、焉得知。と云ふ句がありますが、それではございませぬ。善を択ぶ方です。十幾行か寄つて相談する会を設けた、之が抑々銀行集会所の始めであつた様です。然るに其頃銀行が始まると、直に第一銀行は小野組の蹉跌に因つて大変違算を生じ、殆ど九死一生の姿であつた。其時のことは現頭取は多少御覚えでせう。其
 - 第50巻 p.236 -ページ画像 
他の現重役の御方はそんなこともあつたかと云ふ位で、幾度申上げても身に沁みて聴いては下さらぬ。其様な有様で銀行と云ふものはそろそろ育つて行きましたが、それからもう一つ明治十四年頃に中々困難でした。是は第一銀行として困つたのではないが、経済界それ自身が中々に困難で、少し膨脹し過ぎたものが、所謂積極政策が俄に消極に変ずると云ふ場合、到頭十九年・二十年頃まで其有様が継続した。此時代の大蔵省の主務者は大隈さんが罷めて、松方さんになつた時代であります。それから又更に二十年頃から変化して二十七・八年の日清戦争、此以後又大に発展して、更に又萎縮して三十七・八年、日露戦争後の好況となり、一高一低始終変化して参りましたが、其変化の度に極く窮迫した場合に寧ろ大に力を入れる、少し調子が好い時分に多く過つ。古人の教に成名毎在窮苦日、敗事多因得意時。と云ふことがある。それは一人々々を戒めた言葉になつて居ますけれども、拡めれば銀行総てに対してもさう云ふ有様がある。私の過古五十年の経過を振返つて見ましても、始終さう云ふ有様がある。寧ろ困難のときに確かりして、都合の好いときに調子が間違ふと云ふことが、どうも多いやうでございます。昨年の有様などを御覧下さると、大正九年頃までの調子の好かつたことが原因を成して、さうして彼の如き有様を引起したと云ふことが了解出来ると思ひます。故に其処を能く引締めて行つたならば、必ず改善が出来るに相違ない。但し改善が出来ても亦再び安心して調子に乗る。始終いたちごつこで、同じことを繰返すやうでは何にもならぬ。それは何であるか、吾々共の心の持方でありませう、斯う云ふことを昨晩も頻に申上げました。古い話だから皆さんがさう聴いても呉れなかつたか知れませぬが、其後に引続いて阪谷男は銀行の若い御方に対して、渋沢の言ふよりはもう一層銀行家の奮励を御望み申すと云ふやうなことを言はれました。昨晩の話を此処で繰返すには及びませぬけれども、併し銀行に対する関係は銀行倶楽部で話をするのも、第一銀行の総会で話をするのも、左までの差はございませぬから、私は第一銀行の重役諸君にも亦第一銀行の株主皆様方にもどうぞ此成名毎在窮苦日、敗事多因得意時。と云ふ此古人の戒を御同様服膺して、困つた場合にさう弱つてしまはぬやうに、又調子の好い場合に調子に乗ると云ふことを深く慎んで、重役も株主も共に相援けて、程好く継続して行つたならば、六拾参期は扨措き千期・二千期でも継続して行かれるものだらうと思ひます。老衰しました私は唯それを希望するだけでありまして、他に何等望みもございませぬけれども幸に玆に諸君に御目にかゝりましたから、丁度好機会と思ひ、新説でもありませぬが、昨晩の話を繰返して、同時に本行の重役諸君にも其辺を深く御注意あるよう希望すると同時に、株主諸君にも其思召を以て当局者を御督励下さるやうに願ひたいと思ひまして、一言を添へたのでございます。(一月廿六日東京銀行倶楽部にて)
  ○右総会ハ第六十三期定時株主総会ナリ。


集会控 自大正一五年一一月二六日至昭和四年六月三〇日(DK500039k-0005)
第50巻 p.236-237 ページ画像

集会控 自大正一五年一一月二六日至昭和四年六月三〇日   (渋沢子爵家所蔵)
 ○昭和三年
 - 第50巻 p.237 -ページ画像 
一月二十六日(木)後二 第一銀行定時株主総会 銀行クラブ
  ○中略。
三月  一日(木)後三 佐々木勇之助氏ヲ御訪問 第一銀行
  ○中略。
七月 廿七日(金)後二 第一銀行株主総会 銀行クラブ


竜門雑誌 第四七九号・第七一頁昭和三年八月 青淵先生動静大要(DK500039k-0006)
第50巻 p.237 ページ画像

竜門雑誌  第四七九号・第七一頁昭和三年八月
    青淵先生動静大要
      七月中
廿五日 四月廿一日以来、御病気の為め御静養中なりしが、殆ど全快せられ、試に本日より事務所に出勤せらる。
  ○中略。
廿七日 第一銀行定時株主総会(東京銀行倶楽部)


(増田明六)日誌 昭和三年(DK500039k-0007)
第50巻 p.237 ページ画像

(増田明六)日誌  昭和三年       (増田正純氏所蔵)
七月廿七日 金 晴                出勤
○上略
子爵の第一銀行総会出席は年中行事の一で、子爵は病中から出席すると云はれて居たので、今日は如何にも嬉し相な温容で株主ニ接せられたのである、誠ニ喜ふべき事である
○下略


竜門雑誌 第四七九号・第一―五頁昭和三年八月 ○巻頭言 三徳に就て(第一銀行総会にて) 青淵先生(DK500039k-0008)
第50巻 p.237-239 ページ画像

竜門雑誌  第四七九号・第一―五頁昭和三年八月
 ○巻頭言
    三徳に就て(第一銀行総会にて)
                      青淵先生
 本行の頭取重役諸君、来会の株主各位。久々で此総会に参列致し皆様にお目に掛かりましたことは、此上もなく愉快に感ずるのでございます。四月の二十一日から一寸した風邪で引籠りて居ります間に、胆嚢炎と云ふ病気に罹りました。自身には分りませぬでしたけれども、お医者が大分心配して呉れまして、僅に一両日の苦痛で、それが大抵防禦し得たやうでございます。併しどうも老衰の悲しさ、其後の回復が甚だ手間取れまして、未だ今日も疲労を訴へるやうな有様でありますけれども、幸に今日の総会に参上し得ましたのは、皆様もお喜び下さるだらうと思ひますが、より以上私は光栄に思ひ、愉快に感じて居るのでございます。
 事々しく申上げるやうな何等の問題も持つて居りませぬ。唯久々でお目に掛かつて、未だ生きて居りますぞと云ふことを申上げるに過ぎませぬけれども、併し斯うお集りの所へ兎に角老人が参上しました以上は、何か諸君に対して斯様に考へて居ると云ふことを申上げるが或は老人の特権でもあり、又一つの義務でもあるとまで考へるのであります。昨年来経済界の不況は随分深刻でございまして、殊に銀行業者の色々の困難の有様を見ますると、明治六年に銀行と云ふものを始めて経営したのは憚りながら私で、丁度六年八月一日と記憶致します。
 - 第50巻 p.238 -ページ画像 
其銀行が斯様だと云ふことは、銀行を私が占領する訳ではないけれども、自ら何だか我物のやうな気がして、銀行が困るとか銀行が意気地がないとか云ふやうな声は、総て自己が誹謗を受けるやうな気がして真に心苦しう感じたのでございます。尚不景気は未だに続いて居るやうでありますが、之に引換へて本行の如き、諸君の御注意も届き、又当局のお方の御励精も充分であつて、此不景気にも拘らず、今伺ひまする如き満足の結果を見ましたことは、吾々創業の際に多少の基礎を築いたと申しましても、それは昔のことで、今日は何等功のない私が唯有難いと深く感謝せねばならぬのでございます。併し此銀行の配当が幾らであるからと云ふて、経済界は決して未だ安心して居る訳には行きませぬので、第一銀行の株主諸君、重役諸君にも深く心配されて居ることゝ思ふのでございます。此経済界の不景気の続くと云ふことは、蓋し中々に重要な問題とまで言ひたいやうに思ふのであります。物の進みが順序良く行くと云ふことは余程むづかしいもので、其間に或は時に滞ふる所があつたり、又は行過ぎた考をすることがあつたりして、段々に順序を失つて遂に今日あらしめた訳だと思ひますると、各方面から改めなければならぬ。即ち第一に政治の方面、第二には経済界の之に従事する人の心がけ、之を改めなければならぬ。私は常に申して居りますが、所謂経済道徳合一論、之が行はれなければ、真の完全を期することは不可能であらう。否更に進んで、其道徳は経済上に於て求めるばかりではない、政治に向つても等しく政治道徳合一の必要を感ずるのであります。何か余計の事を申して、政治界の有様を誹謗するやうに聞えては甚だ宜しくありませぬけれども、併しどうしても此経済と云ふものは、而も銀行の経済などに於ては、政治と始終関係を持つて居るものであるから、政治をして合理化せしめる、政治をして道徳化せしめると云ふことは、寧ろ銀行業者自ら進んで努力せねばならぬやうに思ふのでございます。長い間経済界を退いて居ります私が、斯様な事を申すのは、誠に無用の弁を弄するやうでございますけれども、どうも何分此経済界が如何にも安心と思ひ兼ねる所から勢ひ多少の婆心を陳述する次第でございます。
 近頃の有様は、銀行に関係のない事ではございますけれども、どうも思想の変化が甚だ困ると云ふので、此事に就ては政治上、始終心配せられて居られるやうであります。私共も老人の義務として、我郷里なり其他の方面に於て、思想善導と云ふことに付ては、多少の心配を致して居ります。是は経済問題とは違ひますけれども、実に困難な問題である、知識は進めなければならぬ、新しい仕事は何処迄も進めなければならぬ。而して之が合理的に、道理に外れずに進むかと云ふとどうも或る場合には一方を進めれば、一方は悪くなると云ふことは、殆ど免れぬとまで言ひたい位に思ひます。私は埼玉県人でありますから、先づ埼玉県の青年諸君の思想を善くさせようと云ふ、所謂思想善導の御相談に与つて、東京に於ける会合などに時々出掛けることがございます。近頃は病気の為に暫く出席致しませぬが、其事に就て多少の努力は致して居りますが、中々に思ふやうな働きも出来ませぬ。小さく言へば一家、もう一つ小さく言へば一人、一人々々が集つて一家
 - 第50巻 p.239 -ページ画像 
となり、一家が集つて一郷となる。所謂修身斉家に依つて初て治国平天下が得られるやうに、思想善導のことも亦其源を正すのが、誠に大切なことゝ思ひます。今日銀行の寄合に余り縁の無いことを申上げるやうでありますけれども、先の短い私が未来を心配して申上げる事をどうぞ無用の弁とのみお聴き下さらぬやうに、願ひたいと思ふのでございます。蓋し智恵を進めるときにどうしても権利を先にする、而して之に力行の伴ふことを忘れる。中庸に孔子が知仁勇を説いて居ります。『学を好む知に近し、力めて行ふ仁に近し、恥を知る勇に近し。』此知仁勇を三徳と称して居ります。誠に旨い言葉であります。所が今日は学を好む、総て物を知る方を先にして、力めて行ひ、恥を知ると云ふことは、まだ一向進んで居ないものですから、どうしても思想が変化して来る。唯権利思想のみを主張して、義務思想、力行思想が甚だ進まぬと云ふのが、今日の憂ふべき弊害ではないか。知識は進める方に力めなければならぬが、それと同時に悪い方を押へて行かなければならぬ。唯進むのみを知つて、所謂学を好む知に近しだけではいけない。同時に力めて行ふ仁に近し、之を充分主張せねばならぬ。即ち権利と共に義務を充分履行すると云ふ観念が、一方に於て強くなれば私は此弊は防ぎ得ると思ふ。故に私は簡単に申上げますと云ふと、明治の教育は総て智恵を進める方に専ら力を注いだ。併し其度を外すといけないから、もう一つ力め行ふ仁に近し、恥を知る勇に近し、此の点に力を入れなければならぬ。恥を知ると云ふことを恥辱を受けた如く観察すると、中庸の所謂恥を知るとは違ひます。それは悪いと思ふことは必ず退ける、善いと思ふことは必ずやるのでありまして、之が本当の勇気であります。勇と云ふことは唯腕力を振廻す、戦に勝つのが勇とばかり思つてはいけない。心に属する勇は、善事は必ず行ふ、悪事は必ず退ける、是は勇気がなければ出来ませぬ。そこで知仁勇を併せて、学を好む知に近し、力めて行ふ仁に近し、恥を知る勇に近し此点は現在の我帝国の教育の有様が、第一段が余り進み過ぎて、第二段・第三段が充分でないと云ふ嫌ひがありはしないかと思ひます。所謂思想の善導も其処に能く心を用ひたならば、或は自らをしなべての制度が出来はしまいかと思ひます。唯己が斯う思ふから、お前斯うせいと云ふことでは、到底行はれない。甚しきは善導の為に争論が起つて、善導却て不善導にならぬとも限らぬやうに考へます。今日銀行のお寄合に斯様なことを申上げますのは、誠に方面違ひのやうでありますけれども、私は時に取つてお互に注意すべきことゝ思ひますのと、老衰の悲しさ何等お話の材料も持ちませぬのと、恰度さう云ふ心配をして居ります為に、玆に諸君に向つて一言の婆心を申上げたのでございます。是で御免を蒙ります。(七月二十七日)
  ○右総会ハ第六十四期定時株主総会ナリ。


竜門雑誌 第四八二号・第九五頁昭和三年一一月 青淵先生動静大要(DK500039k-0009)
第50巻 p.239 ページ画像

竜門雑誌  第四八二号・第九五頁昭和三年一一月
    青淵先生動静大要
      十月中
二日 第一銀行支店長諸氏招待会(曖依村荘)

 - 第50巻 p.240 -ページ画像 

集会控 自大正一五年一一月二六日至昭和四年六月三〇日(DK500039k-0010)
第50巻 p.240 ページ画像

集会控 自大正一五年一一月二六日至昭和四年六月三〇日   (渋沢子爵家所蔵)
 ○昭和三年
十月   二日(火)後五半 第一銀行支店長諸氏招待会 飛鳥山邸
  ○中略。
十二月二十四日(月)前十一 佐々木勇之助氏ヲ御訪問 第一銀行