デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
2節 其他ノ経済団体及ビ民間諸会
5款 財団法人国産奨励会
■綱文

第56巻 p.295-298(DK560078k) ページ画像

大正4年1月21日(1915年)

是日及ビ二月十三日、農商務省ニ於テ、当会幹事会開ヵレ、栄一、ソレゾレ出席ス。

四月二日、栄一、関西旅行ノ途ニ就キ、六日京都商業会議所、七日大阪商業会議所、八日神戸商業会議所ニ於テ、当会ノタメ講演ヲナス。

六月二十二日、上野精養軒ニ於テ、当会主催ノ全国商業会議所会頭招待会開カル。栄一出席シテ、演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正四年(DK560078k-0001)
第56巻 p.295 ページ画像

集会日時通知表  大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
一月廿一日 木 午前十時  国産奨励会幹事会(農商務省)
   ○中略。
二月十三日 土 午後三時  国産奨励会幹事会(農商務省)


渋沢栄一 日記 大正四年(DK560078k-0002)
第56巻 p.295-296 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
一月廿一日 晴 朝来寒威少ク弛ムヲ覚フ
○上略 十時農商務省ニ抵リ、国産奨励会幹事会ニ出席ス、武井・平山・中野・郷諸氏ト協議ス○下略
   ○中略。
二月十三日 曇
○上略 午後三時農商務省ニ抵リ、国産奨励会幹事会ニ出席ス ○下略
   ○中略。
四月二日 半晴
 - 第56巻 p.296 -ページ画像 
○上略 今日出発シテ京阪ノ旅行ヲ為スニ付朝来旅装ヲ整フ、兼子同行ス午前六時四十分家ヲ発シ七時二十分東京駅ノ汽車ニ搭ス ○下略
   ○中略。
四月六日 晴
○上略 午後一時半京都停車場ニ抵リ、浜岡京都商業会議所会頭浜岡光哲氏来リ迎フ ○中略 浜岡氏ト共ニ商業会議所ニ抵ル、武井男爵モ大阪駅ヨリ同伴ス、午後三時武井氏ト共ニ会議所ニ於テ国産奨励会ノ為メ一場ノ講演ヲ為ス、来会者七・八十人許リナリ、大森知事来会ス、畢テ浜岡氏ノ主催ニテ会議所ニ於テ夜飧ヲ饗セラル、午後九時散宴ス ○下略
四月七日 雨
○上略 午後二時半大阪商業会議所ニ抵リ、武井氏ト共ニ国産奨励会ノ為メ一場ノ講演ヲ為ス ○下略
(欄外記事)
終日小雨ニテ気候寒冷ヲ覚フ
 此日国産奨励会ノ為メ来会スル者百三・四十名許リナリキ
四月八日 晴
○上略 午前九時住吉発ノ汽車ニテ神戸ニ赴ク ○中略 午後三時半商業会議所ニ抵リ、国産奨励会ノ為メニ一場ノ講演ヲ為ス、武井氏同伴ス、畢テ県知事・市長・会議所会頭其他ノ地方人士ト会談ス ○下略
   ○栄一、関西旅行ヨリ四月十四日帰京ス。


竜門雑誌 第三二三号・第四四頁 大正四年四月 △大阪時事新報(DK560078k-0003)
第56巻 p.296-297 ページ画像

竜門雑誌  第三二三号・第四四頁 大正四年四月
△大阪時事新報 大阪商業会議所は七日来阪中の武井守正・渋沢栄一郷誠之助の三男爵を招待して、市内の重なる製産業者約百名を集め、国産奨励に関する武井・渋沢両男爵の演説を聴聞したり、開会せしは午後三時にして、土居会頭の挨拶に次ぎ、武井男演壇に立ち、昨秋十月奨励会成立の由来を述べ、次に渋沢男は例の満顔に笑を湛へて約一時間に渡り大要左の如き演説をなしたり
 唯今武井男の話されたるピー・オー対郵船会社との競争問題は自分も郵船の重役として、又た紡績業者の一人として関係したるものなれば、記憶を喚起せずんばあらず、忘れもせず明治二十六年頃かと思ふ、ピー・オーの運賃は十七留なりしに、郵船の方は十一留半にて引受くる事となりたり、爾来ピー・オー会社は非常の競争をなし殊に其重役たりしジヨネス氏は態々自分に面会に来りて、積荷の事に就て懇談を受けたるも之を峻拒し、爾来二十余年継続して今日の旺盛を見るに至れり、而して其郵船会社と紡績会社との契約を締結したる場所は即ち大阪商業会議所にして、自分は親しく関係したるものなれば、本日も此門に入るに当つて記憶を喚起したる次第なり之れに就て更に思ひ起さるゝは、当時郵船と新たに契約したる孟買棉花の輸入は一箇年七万五千俵に過ぎざりき、七万五千俵と云へば今日に於ては中等の一会社の使用量僅かに二箇月位を支ふるのみにて、当時の状勢と二十年間の急激なる発達を察すべし、這は余談に外なきも懐旧の念に堪へざるを以て一言申述べたる次第なり、而して国産奨励に就ては既に諸君の十分知悉さるゝ処なれば多くを語ら
 - 第56巻 p.297 -ページ画像 
ざるも、唯だ自分が日頃感じつゝある一言を述んに、我産業界は自発的産業に乏くして、総て模倣的に進みつゝあるは甚だ浩嘆すべきことなり、模倣的敢て不可なるにあらざるも、一も二も之れに拠る如きは、自信力なき意志の薄弱なる主義なき方針なき産業なれば、這は確かに改めざるべからざるものなり、而して今一つは産業者と需要者と相俟つて国産に心を傾け努力せざれば、成功覚束なきものにして、此点に就ても十分の覚悟を要するものあり、欧洲大戦後に於ける国産の発達は実に予想外のものあるべければ、今日に於て之れが準備を為さゞるべからず云々


渋沢栄一 日記 大正四年(DK560078k-0004)
第56巻 p.297 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年      (渋沢子爵家所蔵)
   ○中略。
五月十日 曇夜ニ入リテ小雨
○上略 午前十時事務所ニ抵リ ○中略 萩原源太郎氏来リ国産奨励会ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
六月廿二日 雨
○上略 六時上野精養軒ニ抵リ、国産奨励会ニテ開催スル全国商業会議所員ノ招待会ニ出席ス、食卓上一場ノ演説ヲ為ス、夜十時散会帰宿ス、後新聞紙ヲ読ム


竜門雑誌 第三二六号・第八〇頁 大正四年七月 ○国産奨励会の招宴(DK560078k-0005)
第56巻 p.297 ページ画像

竜門雑誌  第三二六号・第八〇頁 大正四年七月
○国産奨励会の招宴 国産奨励会にては六月二十二日午後六時より、折柄全国商業会議所会頭会議に出席の為め上京中なりし、各府県商業会議所会頭及び書記長を、上野精養軒に招待して晩餐会を催せり、農商務省側よりは上山次官、岡・松崎・岡本・道家の各局長及び鶴見商事課長、主人側よりは顧問青淵先生・会長武井守正男・常任幹事郷誠之助男・幹事村井吉兵衛・平山成信の諸氏出席し、席上主人側の挨拶に次で、奨励会発展の件に就て主客の間に種々懇談ありて、午後八時散会せる由


中外商業新報 第一〇四九二号 大正四年七月五日 ○国産奨励会幹事(DK560078k-0006)
第56巻 p.297 ページ画像

中外商業新報  第一〇四九二号 大正四年七月五日
○国産奨励会幹事 業務執行の当事者として武井会頭及郷常任幹事外尚一名の幹事の必要を認め、過般評議員会の決議を経て会則を改正し今回平田副会頭及渋沢顧問の指名にて、有田義資氏に右幹事を委嘱したるが、同氏は徳島・福島・群馬・栃木等の各県知事に任したることあり、頗る国産奨励の唱導に熱心なることなれば、同会の事業は前途大に嘱目すべきものあるべしと


中外商業新報 第一〇四九九号 大正四年七月一二日 ○国産奨励会現況 基金募集の蹉跌(DK560078k-0007)
第56巻 p.297-298 ページ画像

中外商業新報  第一〇四九九号 大正四年七月一二日
    ○国産奨励会現況
      基金募集の蹉跌
国産奨励会にては、昨年創立以来本年六月末日迄に約二十万円の同会維持基金募集に着手し、夫々最善の方法を講じたるが、最近迄に至る
 - 第56巻 p.298 -ページ画像 
成績は、東京に於て約六万五千円の募集を了したるのみにて、目下は神戸・京都を初めとし各県評議員及び発起人を通じて募集勧誘に努めつゝあり、唯大阪のみは先頃渋沢顧問・武井会頭及び郷常任幹事等出張遊説する処あり、各自頗る奮発の情況なりしが、其後同地に於て理化学研究所設立の企図大に進み、前記国産奨励会の基金募集と重復するの虞れある故にや、此程大久保大阪府知事より該維持金募集の件暫時延期する方得策ならんとの意味の申達あり、自然大阪の募集は中止の状態となりたれば、同会にとりては大なる打撃といふべく、尚東京に於ても銀行会社の方面は夫々規定も存する事とて之亦勧誘見合せの状にあり、会頭を初め幹事は之れが善後策に就き種々協議する処ありたるが、近く何等かの目新しき方針を執るべしといふ