デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

5章 交遊
節 [--]
款 [--] 15. 三島毅
■綱文

第57巻 p.469-470(DK570228k) ページ画像

明治43年8月15日(1910年)

栄一、日本女子大学校校長成瀬仁蔵等ト共ニ、女子高等教育奨励ノタメ信越地方ヲ巡歴、是日上諏訪ニアリ。偶々同地ニアリシ三島毅、東京帝室博物館総長股野琢等ト湖上ニ舟遊シ、交々詩ヲ賦ス。


■資料

二松学友会誌 第二六輯・第三六頁 明治四四年四月 彙報 中洲先生御近況(DK570228k-0001)
第57巻 p.469 ページ画像

二松学友会誌  第二六輯・第三六頁 明治四四年四月
 ○彙報
    ○中洲先生御近況
○上略
十五日 ○明治四三年八月渋沢栄一・股野琢両氏と諏訪湖に舟遊を試みらる
○下略


竜門雑誌 第二六八号・第二七―三六頁 明治四三年九月 ○青淵先生一行信越巡游紀行(DK570228k-0002)
第57巻 p.469-470 ページ画像

竜門雑誌  第二六八号・第二七―三六頁 明治四三年九月
    ○青淵先生一行信越巡游紀行
 本校評議員にして財務委員なる渋沢男爵・森村市左衛門の両氏は、成瀬校長と共に女子高等教育を奨励せんが為め、八月四日東京を出発し、新潟・長野の各地を巡歴して講演を試み、同じく十六日帰京せられたり。今此紀行を誌すに当り謹んで両翁の健康を祈る。 ○中略
  明治四十三年八月
             日本女子大学校幹事 塘茂太郎
○中略
八月十五日(月曜日)
渋沢男爵の発意にて諏訪湖の周遊を試む。来游中の三島文学博士・股野帝国博物館長を誘ふて同遊す。甲信銀行支配人国見米雄氏の斡旋にて、小汽艇を僦ひ、十時纜を解きて湖上に泛ぶ。夜来の雨全く霽れて晴空雲翳を見ず。湖岸を囲める青巒鮮やかに洗はれて、翠緑滴らんばかり。微風徐ろに来るも波を動かさず。湖面一碧鏡の如く開け、山容水態心自ら爽やかなり。下諏訪に着し、舟を上りて諏訪明神に詣づ。宮司特に請して社宝を見せしむ。参拝終りて社前の松葉楼に入り午餐を命ず。境幽邃にしてことに塵界と絶つ。男爵詩あり。
 雨洗峰巒涼味新。  湖光山色共天真。
 高楼有似尚齢讌。  偶会童童鶴髪人。
蓋し中洲・藍田両翁、男爵・森村翁と共に皆古稀を超ふるを云へるなり。両翁立ちどころに之に和す。
 湖山勝景雨余新。  画裏舟游誰写真。
 詩酒偶然閑半日。  天将風月福吾人。 藍田翁
 山色水光経雨新。  舟游半日鵞湖浜。
 天公配剤何奇巧。  湊合閑忙両界人。 中洲翁
余また高韵に次して一粲を博す。
 面後青巒青色新。  湖光女鏡写吾真。
 - 第57巻 p.470 -ページ画像 
 閑游半日須貪興。  一去還為忙裏人。
藍田翁他の詩あり。
 湖山万象入詩新。  礼却筒看情味新。
 誰知天災是天幸。  至閑付与至忙人。
真に是れ天災の禍は、偶然我一行を称して、今日の清興を与へ、聊か積日の労苦を医せしむるに似たり、楼を出てゝまた舟に帰り、製糸工場の煙突林の如く立ちならぶ、岡谷の沖を過ぎ、湊村に至りて湖畔浜半平氏の家を訪ふ。楼上欄に凭れば全湖の風光一眸の中に落ち、真に勝景なり、茶菓の饗を受けて辞し去り、舟は湖心に出で、一路横断して上諏訪に帰る。 ○下略
   ○八月十三日長野ヨリ上諏訪ニ着。十四日同地ヲ出発シタルモ、降雨出水ノタメ帰京スルコトヲ得ズ、途中ヨリ再ビ上諏訪ニ帰ル。是日ソノ回復ヲ待ツタメ清遊ス。
   ○尚、本資料第四十四巻所収「日本女子大学校」明治四十三年八月四日ノ条参照。