デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
22節 電気
1款 東京電灯株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治15年3月18日
(1882年)
第13巻 p.5-11(DK130001k)
是ヨリ先、工部大学学生藤岡市助ノ勧説ニヨリ、矢嶋作郎・原六郎・大倉喜八郎外三名ハ我ガ国ニ於テ初メテ電灯供給事業ヲ経営セントス。栄一懇請サレテ発起人トナリ創立ニ助力ス。是日会社創立願ヲ東京府知事松田道之並ニ内務卿山田顕義ニ提出セリ。然ルニ大倉喜八郎・横山孫一郎等他ニ弧光灯ノ計画ヲ進メ居タレバ、之ト合同協約シテ同年十二月十四日再ビ資本金二十万円ナル東京電灯会社設立ヲ出願ス。翌年二月十六日認許ヲ得、同十九年七月五日ニ至リテ開業ス。
明治21年1月29日
(1888年)
第13巻 p.11-15(DK130002k)
是日栄一、当会社委員トナリ明治二十三年二月二十四日ニ至ル。
明治23年2月24日
(1890年)
第13巻 p.15-19(DK130003k)
是ヨリ先、当会社日本電灯会社ヲ合併シ大日本有限責任東京電灯会社ト改称ス。是日栄一、株主臨時総会ニ於テ相談役ニ選バレ、翌二十四年二月十五日之ヲ辞ス。
2款 広島水力電気株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治30年5月13日
(1897年)
第13巻 p.20-29(DK130004k)
是ヨリ先、広島市ノ有力者松本清助・同万兵衛・野村保等同地方ニ電気事業ヲ起サントシ、栄一ニ其援助ヲ請フ。仍テ栄一梅浦精一・浅野総一郎・大倉喜八郎・大川平三郎等ト共ニ発起人トナリ、是日東京銀行集会所ニ於テ創立総会ヲ開ク。栄一取締役ニ選バレ更ニ取締役会長ニ就任ス。同三十二年五月十一日ニ至リテ営業ヲ開始ス。
明治38年1月
(1905年)
第13巻 p.29-33(DK130005k)
是月栄一、当会社取締役会長ヲ辞任ス。引続キ相談役ニ就任シタレドモ、明治四十二年六月六日辞任ス。ソノ間当会社ノタメ尽力スル所多シ。
3款 東京水力電気株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治30年5月15日
(1897年)
第13巻 p.34-37(DK130006k)
富田鉄之助ヲ始メ栄一外二十三名ノ発起ヲ以テ、静岡県深良川・神奈川県中津川・山梨県桂川ノ河水ヲ利用シテ水力発電所五箇所ヲ設置シ、東京及ビ横浜ニ電灯及ビ電力ヲ供給スルノ目的ヲ以テ、資本金三百万円ナル東京水力電気株式会社ノ設立ヲ企テ、是日農商務大臣伯爵大隈重信並ニ逓信大臣子爵野村靖ニ発起認可願書ヲ提出ス。後会社成立シ、栄一推サレテ相談役トナル。然レドモ開業スルニ至ラズ。
4款 東京電力株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治38年4月29日
(1905年)
第13巻 p.38-41(DK130007k)
栄一ヲ始メ安田善次郎・大倉喜八郎・浅野総一郎等ハ、東京ニ低廉且ツ豊富ナル電力供給ノ目的ヲ以テ東京水力電気株式会社ト武相電力株式会社ヲ合併シ、資本金六百万円ノ東京電力株式会社ヲ設立スルコトヲ計画シ、是日帝国ホテルニ於テ発起人会ヲ開キ創立事務ヲ協議ス。栄一外七名創立委員ニ選バレ、互選ノ結果浅田徳則委員長トナル。翌年九月十三日ニ至リ東京銀行集会所ニ於テ創立総会ヲ開ク。栄一取締役ニ選バル。明治四十年七月一日当会社ハ東京電灯株式会社ニ合併サレ、解散セリ。
5款 名古屋電力株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年11月22日
(1906年)
第13巻 p.42(DK130008k)
是日、名古屋商業会議所ニ於テ、当会社創立総会ヲ開キ、重役ノ選任ヲ行フ。栄一相談役ニ推薦セラル。同四十一年八月至リ辞任ス。
6款 日英水力電気株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治41年6月5日
(1908年)
第13巻 p.43-65(DK130009k)
是ヨリ先三十九年二月、園田孝吉・伯爵副島道正等、英国ホワイト商会外二三ノ資本家ヨリ成ルシンジケートト共ニ日英両国人共同ニテ日本ニ於テ水力電気事業ヲ起サントシ、調査ノ結果大井川ヲ有望ト認メ其水利権ヲ得。進ンデ右日英共同会社ノ水利権ノ譲渡ヲ受ケ、更ニ発起人ヲ加ヘテ日英水力電気株式会社ヲ創立セントシ、是日三井集会所ニ於テ京浜実業家ヲ招キ会社設立協議会ヲ開ク。栄一、松方・井上両侯ノ勧誘ニヨリ此席ニ列シ、創立発起人トナル。其後栄一明治四十二年六月ニ至ル迄創立委員トシテ其準備ニ参与シ、尽力スル所多カリシモ、資金ノ調達、工事ノ引受方法等ニ問題起リテ成立ニ到ラズ、解散セリ。
7款 関係水力電気会社諸資料 1. 荒川水力電気
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第13巻 p.66(DK130010k)
--
7款 関係水力電気会社諸資料 2. 常磐水力電気株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第13巻 p.66(DK130011k)
--
23節 土木・築港
1款 横浜高島町埋立
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治7年7月23日
(1874年)
第13巻 p.67-69(DK130012k)
是ヨリ先、高島嘉右衛門横浜神奈川間ノ海面ヲ埋立ツ。是日、栄一書ヲ大蔵卿大隈重信ニ贈リ、政府ニテ其費用ノ幾分ヲ補ヒ且ツ埋立地ヲ免税センコトヲ勧ム。
2款 野蒜築港会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治11年7月
(1878年)
第13巻 p.70-72(DK130013k)
宮城県桃生郡野蒜ニ於テ内務卿大久保利通ノ主唱ニヨリ政府一大商業港市ヲ起サントシ、是月其築港工事ニ着手セリ。栄一、渋沢喜作・戸塚貞輔等ト謀リ、同地ニ地面ヲ求メ倉庫家屋等ヲ新築シテ経営ニ着手セントス。然レドモ政府其築港事業ヲ中止スルニ到リ、栄一等亦其計画ヲ廃ス。
3款 日本土木会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治20年3月17日
(1887年)
第13巻 p.73-81(DK130014k)
栄一、大倉喜八郎・藤田伝三郎ト共ニ発起人総代トナリ、土木建築請負業ヲ目的トスル有限責任日本土木会社ヲ設立セントシ、三月十四日東京府知事男爵高崎五六ニ創立願書ヲ提出ス。是日認許アリ、資本金ヲ二百万円トシ本社ヲ京橋区鎗屋町一番地ニ定メ四月二日開業ス。栄一委員長ニ就任ス。
明治26年12月6日
(1893年)
第13巻 p.81-83(DK130015k)
是ヨリ先前年十月、当会社解散ニ決シ、是日解散届ヲ東京府知事三浦安ニ提出ス。
4款 印旛沼開鑿事業
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治21年11月2日
(1888年)
第13巻 p.84-121(DK130016k)
是日予テ印旛沼開鑿事業ニ専心セル織田完之、栄一ヲ訪ネ、同事業ノ創意ヨリ今日ニ至ル経過ヲ詳述ス。栄一大ニ之ヲ賛成シ、織田等ノ組織セル大明会姓名録ニ署名調印シテ之ニ加盟ス。
明治21年12月7日
(1888年)
第13巻 p.121-154(DK130017k)
是日栄一、小野義真・高島嘉右衛門・金原明善・織田完之等ト浜町ノ常盤屋ニ会シ、印旛沼開鑿事業ヲ議ス。後、栄一ハ今一層水利ノ全体ヲ慥メルタメ、内務省ノ蘭工師デレーキノ正確ナル調査ヲ得テ後計画ヲ進ムベシト説キ、一同ソノ言ニ従フ。尋イデ十二月二十五日栄一、内務次官芳川顕正ニ面会シ、印旛沼開鑿ノタメデレーキノ派遣ヲ請ヒ翌二十二年三月二十五日デレーキハ内務省ヨリ千葉県下ニ出張ヲ命ゼラレ、該地方ヲ巡見、同月三十日帰京ノ上、報告書ヲ提出ス。六月九日ニ至リ訳文「印旛運河計画報告」成ル。
明治22年8月20日
(1889年)
第13巻 p.154-164(DK130018k)
是日栄一、奈良原繁・高島嘉右衛門・小野義真・金原明善・織田完之・鈴木安武ト神田開花楼ニ会シ、印旛沼開鑿事業ヲ議シ、予算書ノ作成及ビ印旛沼・手賀沼拝借願ニ連署ノ件ヲ決シ、尋イデ二十七日右願書ニ栄一等ノ調印ヲ了リ、千葉県庁ニ提出ス。
明治22年10月29日
(1889年)
第13巻 p.164-182(DK130019k)
是日栄一、書ヲ織田ニ送リ、加盟者募集ノ件ハ古市公威ノ実地巡見後ニアラザレバ運バザル旨ヲ通牒ス。ソノ後古市公威ハ奈良原ノ照会ニヨリ印旛沼ノ実地調査ヲ承諾シ、十二月二十九日ヨリ翌年一月一日ニ至ル期間該地方ヲ巡見ス。
明治23年4月13日
(1890年)
第13巻 p.182-192(DK130020k)
是日栄一、蠣殻町ノ友楽館ニ於テ織田ソノ他ニ会シ、本事業ニツキ議ス。尋イデ同年五月二十八日、織田ハ本事業関係仕払報告書及ビ印旛沼測量残業整理入費予算書ヲ栄一等ニ送ル。是ニヨリ栄一ハ金円ヲ東里為替店ニ交付ス。
明治24年1月2日
(1891年)
第13巻 p.192-206(DK130021k)
是日織田、栄一ヲ訪ネ印旛沼開鑿ノ将来ヲ謀ル。
栄一、古市氏ノ再巡ヲ求メ事業ノ根基ヲ堅固ニシテ後ニ事ヲ興スベキヲ慫慂ス。後、奈良原及ビ栄一ヨリ古市ニ談合ノ結果、内務省ヨリ工学博士清水済ノ派遣ヲ得テ、設計ヲ為サシメントス。清水ハ命ヲ受ケ、之ヲ工科大学生野田六次ノ卒業論文ノ課題トシ、大学ヨリ同人ヲ実地ニ派遣シテ踏査セシム。明治二十五年九月野田六次ノ論文成リ、題シテ印旛運河計画書トイフ。織田ハ印旛沼開鑿ノ設計成レルヲ以テ、本事業ノ一段落ト見做シ同経緯記ヲ編纂ス。
5款 門司築港会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治22年3月
(1889年)
第13巻 p.207-210(DK130022k)
是ヨリ先、九州鉄道敷設計画ノ進捗ニ伴ヒ其起点タル福岡県企救郡門司港開築ノ要アリ。仍テ初メ同県当局ニ於テ之レヲ企テシモ其経費支弁ニ苦ム所アリテ、豊前六郡ノ有志者斎藤美知彦等相謀リ会社事業トシテ之レヲ経営セントス。栄一・大倉喜八郎等其協議ニ与リ、是月資本金二十五万円ノ株式会社ヲ創立ス。栄一、当会社相談役タリ。
6款 若松築港株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治25年
(1892年)
第13巻 p.211-218(DK130023k)
栄一、福岡県遠賀郡若松港ニ於ケル港内改築浚疏ヲ目的トシテ石野寛平等地方人士ノ発起ニ係ル若松築港株式会社ノ創立ヲ賛助シ、株主トナリ、相談役ニ就任ス。同三十七年十月ニ至リ相談役ヲ辞任ス。
7款 東洋浚渫株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治29年10月
(1896年)
第13巻 p.219(DK130024k)
松田源五郎・木村久寿弥太等ノ発起ニ係リ河川港湾ノ浚渫及ビ土地埋築ノ請負ヲナス目的ヲ以テ創立セラレタル東洋浚渫株式会社ノ創立ヲ賛助シ、栄一株主トナル。
8款 大船渡築港鉄道株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年7月7日
(1906年)
第13巻 p.220-241(DK130025k)
是ヨリ先栄一、奥羽地方開発ノタメ雨宮敬次郎等ト岩手県大船渡地方ニ鉄道ヲ敷設シ、併セテ製鉄船渠業ヲ創設セント図リ、是日大船渡築港鉄道株式会社創立委員トナル。十月十六日其委員長ニ推サレ、爾後政府当局者ニ対シ補助金下附申請ヲ始メトシ種々斡旋ニ努メタレドモ、四十二年六月ニ至リ其職ヲ辞ス。
24節 土地会社
1款 函館土地合資会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治32年3月
(1899年)
第13巻 p.242(DK130026k)
栄一、大倉喜八郎・梅浦精一等ト函館土地合資会社ヲ組織ス。
25節 取引所
1款 東京株式取引所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治6年7月7日
(1873年)
第13巻 p.243-262(DK130027k)
是日紙幣頭芳川顕正ハ書ヲ栄一ニ致シテ、ストツクエキスチエンジ之方法書類訳書脱稿ニツキ一読ヲ乞ヒ更ニ取調方ヲ依頼ス。栄一、福地源一郎ヲシテ之ガ調査ニ当ラシメ、当局ニ接衝シテ取引所設置実現ニ尽力ス。翌七年十月十三日株式取引条例発布サル。
明治10年12月28日
(1877年)
第13巻 p.262-280(DK130028k)
是ヨリ先、諸公債証書ノ売買日ニ増シ、就中、明治九年八月国立銀行条例改正ニ伴フ国立銀行ノ簇生、明治十年二月西南役ノ勃発等ヨリシテ需給激増シ、之ガ売買ヲ円滑ナラシムベキ公開市場ノ成立一日モ早キヲ要請セラルルニ至ル。玆ニ於テ栄一等、一方ニハ株式取引所条例ノ改正ヲ建言シ、他方ニハ東京ニ株式取引所ヲ創立センコトヲ出願シ、是日、大蔵卿大隈重信ノ允准ヲ受ク。但シ定款及申合規則ハ詮議ノ次第アルヲ以テ他日ノ指令ヲ俟ツベキ旨達セラル。
明治11年6月1日
(1878年)
第13巻 p.280-358(DK130029k)
東京株式取引所開業ス。是ヨリ先栄一等、同所創立ノ允准ヲ得シヲ以テ、創業事務ニ努メツツアリシ処、是年五月四日新ニ株式取引所条例発布セラレ、同七日大蔵省当局ヨリ栄一等先キニ提出セル定款申合規則等ヲ却下、アラタメテ新条例ニ拠リ出願スベキ旨諭達アリ。玆ニ同十日再願、尋イデ是日、遂ニ東京日本橋区兜町ニ資本金二十万円、本邦最初ノ株式取引所ノ開業ヲ見ル。
明治13年8月27日
(1880年)
第13巻 p.358-386(DK130030k)
是ヨリ先、栄一株主並ニ事実上ノ相談役トシテ株主総会ニ屡々出席シ、其他当所ノタメ尽力スル所多カリシガ、是日栄一、東京株式取引所臨時株主総会ニ出席ス。本会合ニ於テ、栄一等ノ擁立スル頭取渋沢喜作・肝煎福地源一郎・肝煎小林猶右衛門・肝煎兼支配人栗原必、袂ヲ連ネテ職ヲ辞ス。蓋シ是年春ノ頃ヨリ当局ノ投機抑制ニ伴ヒ同所株式ヲ譲渡スルモノ多ク、株主分野ニ異変ヲ生ジ、タメニ此ノ挙ノ止ムナキニ至リタルカ。栄一亦コノ頃ヨリ漸次同所株式ヲ売却シ、翌十四年上半季ニ於テ大株主タルコトヲ止ム。
明治17年4月24日
(1884年)
第13巻 p.386-401(DK130031k)
栄一、東京株式取引所ニ対シ、ソノ条例・定款・申合規則等、関係諸規則ノ改正増補セル毎ニ印刷セシモノノ悉クヲ請求ス。
明治19年8月26日
(1886年)
第13巻 p.401-412(DK130032k)
会員組織ニヨル共同相場会所ノ設立ハ栄一ノ素志ナリ。今ヤ機熟セルヲ以テ、大倉喜八郎・益田孝等ト謀リ、之ガ計画書ヲ草シツツアリシガ、是日稿成リ、農商務次官吉田清成ニ通告ス。
明治19年10月9日
(1886年)
第13巻 p.412(DK130033k)
是ヨリ先、栄一明治十四年下半季以来十株ノ株主タリシガ、是月本邦取引所制度革新ノ意アリ、所持スル株式ヲ悉ク売却シ同所トノ関係ヲ断ツ。
明治19年10月19日
(1886年)
第13巻 p.413-458(DK130034k)
共同相場会所設立ニ関スル農商務当局ノ調査終了セルヲ以テ、次官吉田清成、府下有力実業家等ニ諮問セントシ、ソレニ先立チ栄一ヲ招致、内示スル所アラントス。是日栄一諾ス。蓋シ是月十四日農商務省ニ於テ商品取引所条例草案ノ成リシコトアルヲ以テ、該草案ヲ示セルカ。
明治19年10月25日
(1886年)
第13巻 p.458-459(DK130035k)
是日栄一、益田孝・大倉喜八郎・岩崎弥之助・川崎八右衛門其他府下有力実業家等ト共ニ、農商務次官吉田清成ニ招カレ、同官邸ニ集合、共同相場会所設立ニ関シ諮問ヲ受ク。蓋シ商品取引所条例草案ニ関セルカ。
明治19年10月27日
(1886年)
第13巻 p.459-473(DK130036k)
栄一、曩ニ共同相場会所設立ニ関シ農商務次官吉田清成ニ諮問セラレシ益田孝・岩崎弥之助・川崎八右衛門・原六郎他府下有力実業家ト共ニ、日本橋区坂本町銀行集会所ニ会シ、復申案ヲ議ス。思フニ商品取引所条例草案ニ関シテナランカ。是年十一月、農商務省編成ニカカル商品取引所条例草案ノ閣議ニ上程セラルルコトアリ。
明治20年1月30日
(1887年)
第13巻 p.473-495(DK130037k)
是日栄一、益田孝・大倉喜八郎ト共ニ、農商務次官吉田清成ト会談ノ予定ナリシモ微恙ニヨリ果サズ。コノ会合ノ何ノ為タルカヲ詳ラカニセズト雖モ、曩ニ農商務省ニ於テ、栄一等ノ意見ヲ酌ンデ編成、閣議ニ提出セル商品取引所条例草案ノ修正ヲ要スベキコトアリ、是年ノ首ニアタリ、更ニ討議修正、二月二十八日再提出セシコトアレバ、或ハコノ件ニ関スルカ。
明治20年5月14日
(1887年)
第13巻 p.495-502(DK130038k)
是日取引所条例発布セラル。依ツテ栄一、渋沢喜作・原六郎・大倉喜八郎・安田善次郎・三野村利助・西村虎四郎・川崎八右衛門等ト共ニ発起人トナリ、府下有力商賈ニ対シ、十七日坂本町銀行集会所ニ取引所創立協議会ヲ開催スベキ旨、招請状ヲ発ス。
明治20年5月17日
(1887年)
第13巻 p.502-503(DK130039k)
是ヨリ先、東京株式取引所・東京米商会所ニ関係アル商賈等モマタ取引所ヲ創立セントシ、玆ニ栄一等ト対立ノ形勢アルヲ以テ、農商務次官吉田清成協調ヲ勧告シタリ。是日、東京株式取引所相談役谷元道之・肝煎中野武営、渋沢邸ヲ訪ヒ、両派合同出願ニツキ協議略々整フ。
明治20年5月17日
(1887年)
第13巻 p.503-510(DK130040k)
是日栄一他七名発起人トナリ、府下商賈等百二十五名、坂本町銀行集会所ニ会ス。栄一発起人代表兼議長タリ。本会合ニ於テ、東京株式取引所・東京米商会所派ト合流シテ取引所ヲ創立スルノ件、取引所創立委員ノ人選ハ本会発起人ニ附託スルノ件等可決セラル。
明治20年5月19日
(1887年)
第13巻 p.510-513(DK130041k)
栄一、東京株式取引所頭取河野敏鎌、東京米商会所頭取早川勇ト第一国立銀行楼上ニ会シ、取引所創立ニ関シ協議ス。自今、右三名、創立発起人総代トナリ、更ニ委員若干名ヲ設ケ、諸般ノ調理ヲナスコトニ決ス。
明治20年5月27日
(1887年)
第13巻 p.513-514(DK130042k)
栄一、東京株式取引所頭取河野敏鎌、東京米商会所頭取早川勇ト共ニ発起人トナリ、坂本町銀行集会所ニ取引所設立ニ関スル協議会ヲ開催ス。渋沢喜作・大倉喜八郎・川崎八右衛門・谷元道之・朝吹英二・中野武営・中村道太・小川為次郎等出席シ、取引所条例中ノ疑義ヲ検討ス。
明治20年6月6日
(1887年)
第13巻 p.514-522(DK130043k)
是ヨリ先本月一日、取引所条例施行細則モ発布セラレタルヲ以テ、是日栄一、大倉喜八郎・三野村利助・中野武営・朝吹英二・早川勇・小川為次郎等ト坂本町銀行集会所ニ会シ、取引所創立ニ関シ売買取引法、創立費募集方法ソノ他ヲ協議、中野武営・小川為次郎ヲ規約起草員ニ、渋沢喜作・朝吹英二ヲ起草相談員ニ指名ス。
明治20年7月7日
(1887年)
第13巻 p.522-524(DK130044k)
是ヨリ先新取引所創立委員中、河野・中野・小川等委員トナリ取引所条例及ビ同条例施行細則中ノ疑義ニツキ調査中ナリシモ大略終レルヲ以テ、是日栄一、渋沢喜作・大倉喜八郎・安田善次郎・谷元道之・中野武営・朝吹英二・中村道太・早川勇小川為次郎等ト坂本町銀行集会所ニ会シ、臨席ノ農商務省官吏ニ質疑、意見ヲ交換ス。
明治20年7月12日
(1887年)
第13巻 p.524-525(DK130045k)
是日栄一、渋沢喜作・安田善次郎・河野敏鎌・中野武営・小川為次郎・朝吹英二・中村道太等ト坂本町銀行集会所ニ会シ、東京取引所創立願書草案ソノ他ニツキ協議ス。
明治20年7月18日
(1887年)
第13巻 p.525-529(DK130046k)
是日栄一他十三名発起人トナリ、府下ノ商賈等凡ソ百名、東京取引所創立ニ関シ坂本町銀行集会所ニ会ス。栄一発起人総代兼議長タリ。本会合ニ於テ、創立願書草案並ニ創立委員ノ人選等ヲ附議決定ス。
明治20年7月20日
(1887年)
第13巻 p.529-530(DK130047k)
是日ヨリ、栄一等府下ノ商賈、坂本町銀行集会所ニ於テ、東京取引所創立願書ニ記名シ、調印ヲ行フ。
明治20年7月23日
(1887年)
第13巻 p.530-537(DK130048k)
栄一等東京取引所創立願書ニ日本橋区長ノ奥印ヲ得、東京府庁ヲ経テ農商務省ヘ呈出ス。尋イデ八月一日特許サル。
明治20年8月4日
(1887年)
第13巻 p.537-544(DK130049k)
是ヨリ先七月二十八日、東京株式取引所頭取河野敏鎌ハ株主総代ヨリノ農商務大臣宛営業延期請願書ノ進達方ヲ東京府知事高崎五六ニ出願セリ。是日東京取引所、栄一他十四名ヲ創立委員トシテ東京府知事高崎五六ニ届出ヅ。
明治20年8月5日
(1887年)
第13巻 p.544-549(DK130050k)
栄一等東京取引所創立委員十一名、創立仮事務所ヘ参集シ、八月三日ノ起草委員会ニ於テ調査セル事項及ビ規約編成上、条例並ニ施行細則中ノ疑義ヲ起草委員ヨリ当局ニ伺出ヅルコト、ソノ他ノ諸件ニツキ協議ス。
明治20年9月27日
(1887年)
第13巻 p.549-551(DK130051k)
東京取引所ノ創立モ、現行株式取引所、米商会所トノ接続ニ関シ遅々トシテ進マズ。前農商務大臣土方久元コレヲ憂ヘ栄一ニ一段ノ尽力ヲ慫慂ス。ヨリテ栄一、是日一個人ノ資格ニ於テ、銀行集会所ニ河野敏鎌・大倉喜八郎・川崎八右衛門・安田善次郎・朝吹英二・佐野常樹及ビ青木貞三ヲ招キ新旧取引所ノ接続方法ヲ議ス。然レドモ取引所条例並ニ同施行細則中ノ疑義ニ対スル当局ノ解釈モ未ダ明ラカナラザルヲ以テ、議整フニ至ラズ散会ス。
明治20年10月21日
(1887年)
第13巻 p.552-575(DK130052k)
曩ニ東京取引所規約起草委員等、規約編成上参考スベク、取引所条例並ニ同施行細則中ノ疑義ヲ農商務省ニ伺中ナリシ処、是月十三日漸ク指令ノアリタルヲ以テ、十九日起草委員会ヲ開キ、尋イデ是日、栄一等創立委員十名創立仮事務所ニ会ス。然レドモ指令タル、徒ラニ峻厳ナルノミナラズ、取引所問題ニ対スル農商務省ノ方針モ亦同省人事ノ異動ニ伴ヒテ変化シ、是月十九日、曩ニ命ゼシ商務局次長佐野常樹等ノ東京取引所委員ヲ免ジ、マタ是日東京株式取引所ノ営業継続ヲ許可スル等ノコトアリ、創立業務ノ促進ニ必ズシモ利アリトセズ。ヨツテ暫ク形勢ヲ観望、所謂規程準則ノ公表ヲ待ツニ決ス。
明治20年11月24日
(1887年)
第13巻 p.575-576(DK130053k)
曩ニ農商務省ニ対シ東京取引所規約起草委員ヨリ公示ヲ稟請セル取引所規約標準ノ漸ク下附セラレタルヲ以テ、是月十七日起草委員会ヲ開キシガ、尋イデ是日、栄一等創立委員五名創立仮事務所ニ会シ、同標準ニツキ逐条審議ス。
明治20年12月1日
(1887年)
第13巻 p.576-580(DK130054k)
是日栄一会主トナリ、東京大阪ノ豪商十一名銀行集会所ニ会シ、商業上時事問題ニツキ懇談、取引所ノコトニモ及ブ。尋イデ栄一数次東京取引所創立委員会ニ出席シ斡旋頗ル努ム。コノ間農商務大臣黒田清隆特ニ栄一ニ諮問スル所アリ。
明治21年1月4日
(1888年)
第13巻 p.580(DK130055k)
是日栄一、東京株式取引所ノ新年宴会ニ出席ス。
明治21年3月9日
(1888年)
第13巻 p.580-582(DK130056k)
是日、栄一等東京取引所創立委員数名、創立仮事務所ニ会シ、予テ当局ヨリ下附セラレタル取引所規約標準ニツイテ上申スベキ意見書草案ヲ討議ス。
本決議ニ基キ同月十二日、起草委員会ニテ字句修正ノ上、二十一日農商務大臣黒田清隆ニ手交ス。
明治21年7月21日
(1888年)
第13巻 p.583-585(DK130057k)
臨時農商務大臣榎本武揚、栄一ヲ招キ、曩ニ東京取引所創立委員等ヨリ呈出セル取引所規約標準意見書ニ対シ、附箋ヲ以テソノ許否ノアル所ヲ示シ且ツ取引所条例ノ主旨ニ基キナルベク速ニ実施ノ運ビニ至ランコトヲ慫慂ス。
明治21年7月27日
(1888年)
第13巻 p.585-596(DK130058k)
栄一等東京取引所創立委員数名、創立仮事務所ニ会シ、取引所規約標準意見書ニ対スル前臨時農商務大臣榎本武揚ノ指令ニツキ逐条審議セルモ、依然トシテ峻厳タリ。仍テ意見書ノ全面的許可アルニ非ズンバ、取引所ノ創業モ到底不可能ナル旨ヲ栄一ヨリ新農商務大臣井上馨ニ答申センコトニ決ス。
明治21年9月10日
(1888年)
第13巻 p.596-615(DK130059k)
新農商務大臣井上馨、本邦取引所制度ノ即時改正ニ意ナシ。然ルニ大阪取引所、已ニ前当局ヨリ創立ノ允可ヲ得、開業ノ準備モ成レルヲ以テ、当局ノ方針変更ヲ肯ンゼズ。ヨツテ是日、井上馨、各地新旧取引所ノ代表ヲ農商務省ニ招キ、大阪取引所ノ始末ニツキ懇談会ヲ催ス。栄一マタ招カレシガ出席セズ。是日議決セズ。翌十一日、更ニ藤田組支店ニ会シ、大阪取引所ノ創立費用ハ東京・大阪両株式取引所並ビニ両米商会所ヨリ弁償スルヲ以テ、同所ノ開業ヲ旧取引所ノ営業期限又ハ取引所条例改正ノ日マデ見合ハスコトニ妥協シ、同三十日大阪取引所総会ノ決議ヲ経タレバ、翌十月三日、東京株式取引所他三取引所ノ営業ヲ明治二十四年六月三十日マデ延期スルノ許可発令サル。
明治22年1月4日
(1889年)
第13巻 p.616(DK130060k)
是日栄一、東京株式取引所ノ新年宴会ニ出席ス。
明治22年2月28日
(1889年)
第13巻 p.616-618(DK130061k)
是日、農商務大臣井上馨、栄一他東京取引所創立委員数名ヲソノ邸ニ招キ、欧米取引所視察員派遣ヲ慫慂ス。蓋シ現行取引所ノ営業満期ニ先立チ、海外取引所ノ実況ヲ調査シ、取引所条例並ニ同条例施行細則ノ改正ニ資セントセルヲ以テナリ。栄一等諾シ、一名ヲ派スルコトニ決ス。
明治22年3月5日
(1889年)
第13巻 p.618-619(DK130062k)
是日栄一他東京取引所創立委員数名、創立仮事務所ニ会シ、委員小川為次郎ヲ海外取引所視察ニ派遣スルコトヲ議決ス。
明治22年5月3日
(1889年)
第13巻 p.619-624(DK130063k)
是日栄一他東京取引所創立委員数名、創立仮事務所ニ会シ、委員小川為次郎ノ海外取引所視察旅行費ソノ他ノ件ニツキ協議ス。
明治23年10月7日
(1890年)
第13巻 p.624-627(DK130064k)
是日栄一他東京取引所創立委員数名、創立仮事務所ニ会シ、海外取引所ヲ視察帰朝セル委員小川為次郎ノ報告ニ接ス。
明治33年5月8日
(1900年)
第13巻 p.627-635(DK130065k)
栄一、農商務省ニ商工局長木内重四郎ヲ訪フ。木内局長近ク海外ニ出張スルヲ以テ、取引所制度ソノ他ニ関シ調査ヲ要スル諸点ヲ談ゼルナリ。
明治35年11月28日
(1902年)
第13巻 p.635-681(DK130066k)
既ニシテ木内局長ニヨル取引所制度ノ改革実施セラレシモ財界大イニ紛糾ス。当初栄一、欧米旅行中ナリシガ、帰朝後、東京銀行集会所ヲ通ジテ該問題ヲ研究スル所アリ。是日第一回協議会ヲ開ク。
明治39年12月10日
(1906年)
第13巻 p.681-689(DK130067k)
神田鐳蔵等有価証券現物市場ノ独立ヲ計ル。栄一是日該計画ニ対スル態度ヲ時事新報紙上ニ表明ス。
明治41年1月26日
(1908年)
第13巻 p.689(DK130068k)
是日栄一、東京株式取引所ノ新年宴会ニ出席ス。