明治6年7月7日 (1873年) | 第13巻 p.243-262(DK130027k) 是日紙幣頭芳川顕正ハ書ヲ栄一ニ致シテ、ストツクエキスチエンジ之方法書類訳書脱稿ニツキ一読ヲ乞ヒ更ニ取調方ヲ依頼ス。栄一、福地源一郎ヲシテ之ガ調査ニ当ラシメ、当局ニ接衝シテ取引所設置実現ニ尽力ス。翌七年十月十三日株式取引条例発布サル。 | |
明治10年12月28日 (1877年) | 第13巻 p.262-280(DK130028k) 是ヨリ先、諸公債証書ノ売買日ニ増シ、就中、明治九年八月国立銀行条例改正ニ伴フ国立銀行ノ簇生、明治十年二月西南役ノ勃発等ヨリシテ需給激増シ、之ガ売買ヲ円滑ナラシムベキ公開市場ノ成立一日モ早キヲ要請セラルルニ至ル。玆ニ於テ栄一等、一方ニハ株式取引所条例ノ改正ヲ建言シ、他方ニハ東京ニ株式取引所ヲ創立センコトヲ出願シ、是日、大蔵卿大隈重信ノ允准ヲ受ク。但シ定款及申合規則ハ詮議ノ次第アルヲ以テ他日ノ指令ヲ俟ツベキ旨達セラル。 | |
明治11年6月1日 (1878年) | 第13巻 p.280-358(DK130029k) 東京株式取引所開業ス。是ヨリ先栄一等、同所創立ノ允准ヲ得シヲ以テ、創業事務ニ努メツツアリシ処、是年五月四日新ニ株式取引所条例発布セラレ、同七日大蔵省当局ヨリ栄一等先キニ提出セル定款申合規則等ヲ却下、アラタメテ新条例ニ拠リ出願スベキ旨諭達アリ。玆ニ同十日再願、尋イデ是日、遂ニ東京日本橋区兜町ニ資本金二十万円、本邦最初ノ株式取引所ノ開業ヲ見ル。 | |
明治13年8月27日 (1880年) | 第13巻 p.358-386(DK130030k) 是ヨリ先、栄一株主並ニ事実上ノ相談役トシテ株主総会ニ屡々出席シ、其他当所ノタメ尽力スル所多カリシガ、是日栄一、東京株式取引所臨時株主総会ニ出席ス。本会合ニ於テ、栄一等ノ擁立スル頭取渋沢喜作・肝煎福地源一郎・肝煎小林猶右衛門・肝煎兼支配人栗原必、袂ヲ連ネテ職ヲ辞ス。蓋シ是年春ノ頃ヨリ当局ノ投機抑制ニ伴ヒ同所株式ヲ譲渡スルモノ多ク、株主分野ニ異変ヲ生ジ、タメニ此ノ挙ノ止ムナキニ至リタルカ。栄一亦コノ頃ヨリ漸次同所株式ヲ売却シ、翌十四年上半季ニ於テ大株主タルコトヲ止ム。 | |
明治17年4月24日 (1884年) | 第13巻 p.386-401(DK130031k) 栄一、東京株式取引所ニ対シ、ソノ条例・定款・申合規則等、関係諸規則ノ改正増補セル毎ニ印刷セシモノノ悉クヲ請求ス。 | |
明治19年8月26日 (1886年) | 第13巻 p.401-412(DK130032k) 会員組織ニヨル共同相場会所ノ設立ハ栄一ノ素志ナリ。今ヤ機熟セルヲ以テ、大倉喜八郎・益田孝等ト謀リ、之ガ計画書ヲ草シツツアリシガ、是日稿成リ、農商務次官吉田清成ニ通告ス。 | |
明治19年10月9日 (1886年) | 第13巻 p.412(DK130033k) 是ヨリ先、栄一明治十四年下半季以来十株ノ株主タリシガ、是月本邦取引所制度革新ノ意アリ、所持スル株式ヲ悉ク売却シ同所トノ関係ヲ断ツ。 | |
明治19年10月19日 (1886年) | 第13巻 p.413-458(DK130034k) 共同相場会所設立ニ関スル農商務当局ノ調査終了セルヲ以テ、次官吉田清成、府下有力実業家等ニ諮問セントシ、ソレニ先立チ栄一ヲ招致、内示スル所アラントス。是日栄一諾ス。蓋シ是月十四日農商務省ニ於テ商品取引所条例草案ノ成リシコトアルヲ以テ、該草案ヲ示セルカ。 | |
明治19年10月25日 (1886年) | 第13巻 p.458-459(DK130035k) 是日栄一、益田孝・大倉喜八郎・岩崎弥之助・川崎八右衛門其他府下有力実業家等ト共ニ、農商務次官吉田清成ニ招カレ、同官邸ニ集合、共同相場会所設立ニ関シ諮問ヲ受ク。蓋シ商品取引所条例草案ニ関セルカ。 | |
明治19年10月27日 (1886年) | 第13巻 p.459-473(DK130036k) 栄一、曩ニ共同相場会所設立ニ関シ農商務次官吉田清成ニ諮問セラレシ益田孝・岩崎弥之助・川崎八右衛門・原六郎他府下有力実業家ト共ニ、日本橋区坂本町銀行集会所ニ会シ、復申案ヲ議ス。思フニ商品取引所条例草案ニ関シテナランカ。是年十一月、農商務省編成ニカカル商品取引所条例草案ノ閣議ニ上程セラルルコトアリ。 | |
明治20年1月30日 (1887年) | 第13巻 p.473-495(DK130037k) 是日栄一、益田孝・大倉喜八郎ト共ニ、農商務次官吉田清成ト会談ノ予定ナリシモ微恙ニヨリ果サズ。コノ会合ノ何ノ為タルカヲ詳ラカニセズト雖モ、曩ニ農商務省ニ於テ、栄一等ノ意見ヲ酌ンデ編成、閣議ニ提出セル商品取引所条例草案ノ修正ヲ要スベキコトアリ、是年ノ首ニアタリ、更ニ討議修正、二月二十八日再提出セシコトアレバ、或ハコノ件ニ関スルカ。 | |
明治20年5月14日 (1887年) | 第13巻 p.495-502(DK130038k) 是日取引所条例発布セラル。依ツテ栄一、渋沢喜作・原六郎・大倉喜八郎・安田善次郎・三野村利助・西村虎四郎・川崎八右衛門等ト共ニ発起人トナリ、府下有力商賈ニ対シ、十七日坂本町銀行集会所ニ取引所創立協議会ヲ開催スベキ旨、招請状ヲ発ス。 | |
明治20年5月17日 (1887年) | 第13巻 p.502-503(DK130039k) 是ヨリ先、東京株式取引所・東京米商会所ニ関係アル商賈等モマタ取引所ヲ創立セントシ、玆ニ栄一等ト対立ノ形勢アルヲ以テ、農商務次官吉田清成協調ヲ勧告シタリ。是日、東京株式取引所相談役谷元道之・肝煎中野武営、渋沢邸ヲ訪ヒ、両派合同出願ニツキ協議略々整フ。 | |
明治20年5月17日 (1887年) | 第13巻 p.503-510(DK130040k) 是日栄一他七名発起人トナリ、府下商賈等百二十五名、坂本町銀行集会所ニ会ス。栄一発起人代表兼議長タリ。本会合ニ於テ、東京株式取引所・東京米商会所派ト合流シテ取引所ヲ創立スルノ件、取引所創立委員ノ人選ハ本会発起人ニ附託スルノ件等可決セラル。 | |
明治20年5月19日 (1887年) | 第13巻 p.510-513(DK130041k) 栄一、東京株式取引所頭取河野敏鎌、東京米商会所頭取早川勇ト第一国立銀行楼上ニ会シ、取引所創立ニ関シ協議ス。自今、右三名、創立発起人総代トナリ、更ニ委員若干名ヲ設ケ、諸般ノ調理ヲナスコトニ決ス。 | |
明治20年5月27日 (1887年) | 第13巻 p.513-514(DK130042k) 栄一、東京株式取引所頭取河野敏鎌、東京米商会所頭取早川勇ト共ニ発起人トナリ、坂本町銀行集会所ニ取引所設立ニ関スル協議会ヲ開催ス。渋沢喜作・大倉喜八郎・川崎八右衛門・谷元道之・朝吹英二・中野武営・中村道太・小川為次郎等出席シ、取引所条例中ノ疑義ヲ検討ス。 | |
明治20年6月6日 (1887年) | 第13巻 p.514-522(DK130043k) 是ヨリ先本月一日、取引所条例施行細則モ発布セラレタルヲ以テ、是日栄一、大倉喜八郎・三野村利助・中野武営・朝吹英二・早川勇・小川為次郎等ト坂本町銀行集会所ニ会シ、取引所創立ニ関シ売買取引法、創立費募集方法ソノ他ヲ協議、中野武営・小川為次郎ヲ規約起草員ニ、渋沢喜作・朝吹英二ヲ起草相談員ニ指名ス。 | |
明治20年7月7日 (1887年) | 第13巻 p.522-524(DK130044k) 是ヨリ先新取引所創立委員中、河野・中野・小川等委員トナリ取引所条例及ビ同条例施行細則中ノ疑義ニツキ調査中ナリシモ大略終レルヲ以テ、是日栄一、渋沢喜作・大倉喜八郎・安田善次郎・谷元道之・中野武営・朝吹英二・中村道太・早川勇小川為次郎等ト坂本町銀行集会所ニ会シ、臨席ノ農商務省官吏ニ質疑、意見ヲ交換ス。 | |
明治20年7月12日 (1887年) | 第13巻 p.524-525(DK130045k) 是日栄一、渋沢喜作・安田善次郎・河野敏鎌・中野武営・小川為次郎・朝吹英二・中村道太等ト坂本町銀行集会所ニ会シ、東京取引所創立願書草案ソノ他ニツキ協議ス。 | |
明治20年7月18日 (1887年) | 第13巻 p.525-529(DK130046k) 是日栄一他十三名発起人トナリ、府下ノ商賈等凡ソ百名、東京取引所創立ニ関シ坂本町銀行集会所ニ会ス。栄一発起人総代兼議長タリ。本会合ニ於テ、創立願書草案並ニ創立委員ノ人選等ヲ附議決定ス。 | |
明治20年7月20日 (1887年) | 第13巻 p.529-530(DK130047k) 是日ヨリ、栄一等府下ノ商賈、坂本町銀行集会所ニ於テ、東京取引所創立願書ニ記名シ、調印ヲ行フ。 | |
明治20年7月23日 (1887年) | 第13巻 p.530-537(DK130048k) 栄一等東京取引所創立願書ニ日本橋区長ノ奥印ヲ得、東京府庁ヲ経テ農商務省ヘ呈出ス。尋イデ八月一日特許サル。 | |
明治20年8月4日 (1887年) | 第13巻 p.537-544(DK130049k) 是ヨリ先七月二十八日、東京株式取引所頭取河野敏鎌ハ株主総代ヨリノ農商務大臣宛営業延期請願書ノ進達方ヲ東京府知事高崎五六ニ出願セリ。是日東京取引所、栄一他十四名ヲ創立委員トシテ東京府知事高崎五六ニ届出ヅ。 | |
明治20年8月5日 (1887年) | 第13巻 p.544-549(DK130050k) 栄一等東京取引所創立委員十一名、創立仮事務所ヘ参集シ、八月三日ノ起草委員会ニ於テ調査セル事項及ビ規約編成上、条例並ニ施行細則中ノ疑義ヲ起草委員ヨリ当局ニ伺出ヅルコト、ソノ他ノ諸件ニツキ協議ス。 | |
明治20年9月27日 (1887年) | 第13巻 p.549-551(DK130051k) 東京取引所ノ創立モ、現行株式取引所、米商会所トノ接続ニ関シ遅々トシテ進マズ。前農商務大臣土方久元コレヲ憂ヘ栄一ニ一段ノ尽力ヲ慫慂ス。ヨリテ栄一、是日一個人ノ資格ニ於テ、銀行集会所ニ河野敏鎌・大倉喜八郎・川崎八右衛門・安田善次郎・朝吹英二・佐野常樹及ビ青木貞三ヲ招キ新旧取引所ノ接続方法ヲ議ス。然レドモ取引所条例並ニ同施行細則中ノ疑義ニ対スル当局ノ解釈モ未ダ明ラカナラザルヲ以テ、議整フニ至ラズ散会ス。 | |
明治20年10月21日 (1887年) | 第13巻 p.552-575(DK130052k) 曩ニ東京取引所規約起草委員等、規約編成上参考スベク、取引所条例並ニ同施行細則中ノ疑義ヲ農商務省ニ伺中ナリシ処、是月十三日漸ク指令ノアリタルヲ以テ、十九日起草委員会ヲ開キ、尋イデ是日、栄一等創立委員十名創立仮事務所ニ会ス。然レドモ指令タル、徒ラニ峻厳ナルノミナラズ、取引所問題ニ対スル農商務省ノ方針モ亦同省人事ノ異動ニ伴ヒテ変化シ、是月十九日、曩ニ命ゼシ商務局次長佐野常樹等ノ東京取引所委員ヲ免ジ、マタ是日東京株式取引所ノ営業継続ヲ許可スル等ノコトアリ、創立業務ノ促進ニ必ズシモ利アリトセズ。ヨツテ暫ク形勢ヲ観望、所謂規程準則ノ公表ヲ待ツニ決ス。 | |
明治20年11月24日 (1887年) | 第13巻 p.575-576(DK130053k) 曩ニ農商務省ニ対シ東京取引所規約起草委員ヨリ公示ヲ稟請セル取引所規約標準ノ漸ク下附セラレタルヲ以テ、是月十七日起草委員会ヲ開キシガ、尋イデ是日、栄一等創立委員五名創立仮事務所ニ会シ、同標準ニツキ逐条審議ス。 | |
明治20年12月1日 (1887年) | 第13巻 p.576-580(DK130054k) 是日栄一会主トナリ、東京大阪ノ豪商十一名銀行集会所ニ会シ、商業上時事問題ニツキ懇談、取引所ノコトニモ及ブ。尋イデ栄一数次東京取引所創立委員会ニ出席シ斡旋頗ル努ム。コノ間農商務大臣黒田清隆特ニ栄一ニ諮問スル所アリ。 | |
明治21年1月4日 (1888年) | 第13巻 p.580(DK130055k) 是日栄一、東京株式取引所ノ新年宴会ニ出席ス。 | |
明治21年3月9日 (1888年) | 第13巻 p.580-582(DK130056k) 是日、栄一等東京取引所創立委員数名、創立仮事務所ニ会シ、予テ当局ヨリ下附セラレタル取引所規約標準ニツイテ上申スベキ意見書草案ヲ討議ス。 本決議ニ基キ同月十二日、起草委員会ニテ字句修正ノ上、二十一日農商務大臣黒田清隆ニ手交ス。 | |
明治21年7月21日 (1888年) | 第13巻 p.583-585(DK130057k) 臨時農商務大臣榎本武揚、栄一ヲ招キ、曩ニ東京取引所創立委員等ヨリ呈出セル取引所規約標準意見書ニ対シ、附箋ヲ以テソノ許否ノアル所ヲ示シ且ツ取引所条例ノ主旨ニ基キナルベク速ニ実施ノ運ビニ至ランコトヲ慫慂ス。 | |
明治21年7月27日 (1888年) | 第13巻 p.585-596(DK130058k) 栄一等東京取引所創立委員数名、創立仮事務所ニ会シ、取引所規約標準意見書ニ対スル前臨時農商務大臣榎本武揚ノ指令ニツキ逐条審議セルモ、依然トシテ峻厳タリ。仍テ意見書ノ全面的許可アルニ非ズンバ、取引所ノ創業モ到底不可能ナル旨ヲ栄一ヨリ新農商務大臣井上馨ニ答申センコトニ決ス。 | |
明治21年9月10日 (1888年) | 第13巻 p.596-615(DK130059k) 新農商務大臣井上馨、本邦取引所制度ノ即時改正ニ意ナシ。然ルニ大阪取引所、已ニ前当局ヨリ創立ノ允可ヲ得、開業ノ準備モ成レルヲ以テ、当局ノ方針変更ヲ肯ンゼズ。ヨツテ是日、井上馨、各地新旧取引所ノ代表ヲ農商務省ニ招キ、大阪取引所ノ始末ニツキ懇談会ヲ催ス。栄一マタ招カレシガ出席セズ。是日議決セズ。翌十一日、更ニ藤田組支店ニ会シ、大阪取引所ノ創立費用ハ東京・大阪両株式取引所並ビニ両米商会所ヨリ弁償スルヲ以テ、同所ノ開業ヲ旧取引所ノ営業期限又ハ取引所条例改正ノ日マデ見合ハスコトニ妥協シ、同三十日大阪取引所総会ノ決議ヲ経タレバ、翌十月三日、東京株式取引所他三取引所ノ営業ヲ明治二十四年六月三十日マデ延期スルノ許可発令サル。 | |
明治22年1月4日 (1889年) | 第13巻 p.616(DK130060k) 是日栄一、東京株式取引所ノ新年宴会ニ出席ス。 | |
明治22年2月28日 (1889年) | 第13巻 p.616-618(DK130061k) 是日、農商務大臣井上馨、栄一他東京取引所創立委員数名ヲソノ邸ニ招キ、欧米取引所視察員派遣ヲ慫慂ス。蓋シ現行取引所ノ営業満期ニ先立チ、海外取引所ノ実況ヲ調査シ、取引所条例並ニ同条例施行細則ノ改正ニ資セントセルヲ以テナリ。栄一等諾シ、一名ヲ派スルコトニ決ス。 | |
明治22年3月5日 (1889年) | 第13巻 p.618-619(DK130062k) 是日栄一他東京取引所創立委員数名、創立仮事務所ニ会シ、委員小川為次郎ヲ海外取引所視察ニ派遣スルコトヲ議決ス。 | |
明治22年5月3日 (1889年) | 第13巻 p.619-624(DK130063k) 是日栄一他東京取引所創立委員数名、創立仮事務所ニ会シ、委員小川為次郎ノ海外取引所視察旅行費ソノ他ノ件ニツキ協議ス。 | |
明治23年10月7日 (1890年) | 第13巻 p.624-627(DK130064k) 是日栄一他東京取引所創立委員数名、創立仮事務所ニ会シ、海外取引所ヲ視察帰朝セル委員小川為次郎ノ報告ニ接ス。 | |
明治33年5月8日 (1900年) | 第13巻 p.627-635(DK130065k) 栄一、農商務省ニ商工局長木内重四郎ヲ訪フ。木内局長近ク海外ニ出張スルヲ以テ、取引所制度ソノ他ニ関シ調査ヲ要スル諸点ヲ談ゼルナリ。 | |
明治35年11月28日 (1902年) | 第13巻 p.635-681(DK130066k) 既ニシテ木内局長ニヨル取引所制度ノ改革実施セラレシモ財界大イニ紛糾ス。当初栄一、欧米旅行中ナリシガ、帰朝後、東京銀行集会所ヲ通ジテ該問題ヲ研究スル所アリ。是日第一回協議会ヲ開ク。 | |
明治39年12月10日 (1906年) | 第13巻 p.681-689(DK130067k) 神田鐳蔵等有価証券現物市場ノ独立ヲ計ル。栄一是日該計画ニ対スル態度ヲ時事新報紙上ニ表明ス。 | |
明治41年1月26日 (1908年) | 第13巻 p.689(DK130068k) 是日栄一、東京株式取引所ノ新年宴会ニ出席ス。 | |