デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.470-478(DK430084k) ページ画像

大正2年3月23日(1913年)

是日、静岡県島田町ニ於テ当団島田支部大会挙行セラル。栄一出席シテ講演中、脳貧血ヲ起シタル
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ヲ以テ演説ヲ中止シ、静養ノ後、二十四日帰京ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正二年(DK430084k-0001)
第43巻 p.471 ページ画像

渋沢栄一日記 大正二年          (渋沢子爵家所蔵)
三月二日 晴 寒
○上略朝飧ヲ食ス、後島田町修養団員大井・池田二氏ノ来訪ニ接シ、本月廿三日同地ニ開催スル支部会出席ノ事ヲ約ス、静岡市長等ヨリノ書状アリ○下略


東京日日新聞 第一三〇五六号大正二年三月二五日 ○渋沢男の微恙 静岡で講演中止(DK430084k-0002)
第43巻 p.471 ページ画像

東京日日新聞 第一三〇五六号大正二年三月二五日
    ○渋沢男の微恙
      静岡で講演中止
去る二十三日午後島田町に来着せし男爵渋沢栄一氏は、同日午後五時より、同町開勢座に於ける大日本青年修養団支部の講演会に臨みたるが、兼てより感冒に罹り居たる上に米国観光団招待等にて疲労し居たれば、氏は講演中俄に悪感を催し気分悪しとて講演を中止し、同町県会議員森淑氏方に引戻りて静養し、同町の医師を招きて昼夜看護し、二十四日朝静岡病院長柴医学士を迎へて診察を受けしに格別の事なかりしも、同日午前静岡物産陳列館の講演会出席を謝絶し、午後三時島田発の列車にて静岡駅着駅長室にて静養し、特別急行列車にて午後四時二十分同駅発帰京せしが、一時は渋沢男卒倒せりとの噂高く当地方に於ては大評判なりき(廿四日、静岡電話)


中外商業新報 第九六六六号大正二年三月二六日 ○渋沢男の病状 最早軽快に向ふ(DK430084k-0003)
第43巻 p.471-472 ページ画像

中外商業新報 第九六六六号大正二年三月二六日
    ○渋沢男の病状
      最早軽快に向ふ
渋沢男爵は静岡県なる修養団島田支部の講演会に列する為め、二十三日午前八時三十分新橋発の急行列車にて同日午後零時三十六分静岡駅に着、同駅より通常客車に乗換へ午後一時三十五分島田駅に着く、直に講演会場たる開盛座に臨まれしが、講演中眩暈の気味にて演説を中止せられたるより列席者の驚愕一方ならず、直に森氏邸に同行し、静岡病院長柴医学士を迎へて診断を受たり、されど幸にして病状に差したることなかりしかば、男爵は翌二十四日午後三時五十分静岡駅着の汽車にて同駅に暫時休息の上、午後四時四十分発の最大急行列車にて八時三十分新橋駅に着し、出迎ひの自動車にて午後九時五分王子なる自邸に入られたるが、其後病態は軽快に向ひ二十五日には体温も卅六度三分乃至五分の間を往来し全く平熱に復し、男爵は頻りに他出を欲せられたる由なるも、何様老体のことゝて家族其他より頻りに自邸に引籠り静養を勧めたる程にて、是迄の経過に依れば男の全快せらるゝは疑なかるべしと、尚ほ島田に於ける発病原因を聞くに、同日男爵は東京より汽車に搭乗せられ間断なき動揺を受け、身体の疲労を覚へられたるに拘らず、寸時も休息の暇なく直ちに講演場たる開盛座に入り他の講演を聴取せらるゝこと三時間に亘りたるのみならず、当日は寒気鋭く列席者は何れも苦寒に耐へざるの思ひを為せし程なるに、男爵は老体を以て車中既に疲労を覚へられ居りし折柄とて、遂に今回の発
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病を見るに至られしものならんと


中外商業新報 第九六六七号大正二年三月二七日 ○渋沢男続て軽快(DK430084k-0004)
第43巻 p.472 ページ画像

中外商業新報 第九六六七号大正二年三月二七日
    ○渋沢男続て軽快
修養団の静岡県島田支部に出張し演説中に眩暈を催し、急遽帰京静養を加へられつゝある渋沢男其後の容態は、続て軽快に赴き最早平日と異ならさる迄に快復されし由にて、高木博士の診断を受けられしに他に別段何等の異状もなく、全く当日軽微なる脳貧血症を起し之が為め眩暈を催されたるものゝ由、併し博士の切なる勧告もあり、一両日は尚静養し其上にて外出さるべしと


向上 第七巻第五号・第七五―七八頁大正二年五月 島田支部大会状況 渋沢男爵の出演 島田町未曾有の盛況(DK430084k-0005)
第43巻 p.472-475 ページ画像

向上 第七巻第五号・第七五―七八頁大正二年五月
    島田支部大会状況
          ▽渋沢男爵の出演
          ▽島田町未曾有の盛況
 春色駘蕩たる韶華の村情山趣面白く、野辺の若草もゆる三月二十三日、島田支部大会の挙あり。本部よりは渋沢男爵・宮田編輯顧問・蓮沼主幹の特に団員のために切なる教訓を垂れんと臨場せられたれば、風を聞き集る地方人士の欣喜譬ふるにものなく、会場たる劇場開盛座は、立錐の余地なき迄聴衆充溢し、実に当町未曾有の大盛況を極めたり。
      一、渋沢男爵と島田支部
 之より先昨年三月二十一日、当支部発会式を挙行したる時渋沢男爵は切なる団員の懇請を容れられて当町に臨場せらるべき筈なりしも、突然故梅浦精一氏の逝去ありて、男は已むを得ざる関係上当日臨場を断られたれば団員の失望一方ならず、如何にもして好機を得て男爵の偉大なる人格に接せんと熱望して已まざりき、爾後支部は団員の堅実なる団結と、鞏固なる意思と、機敏なる活動と、先輩馬場町長・船橋事務官・小島少将等の指導に依り着々基礎を固定し、已に町の寄附等ありて、維持基本金百余円に達し、実行の成績大に見るべきものありたれば、玆に第一周年に相当する三月廿三日支部大会を開催することに決定し、一方此の機を利用して男爵の来臨を仰がんと、団員二名東上して本部と交渉し男爵に懇願したるに、事務繁忙中の男爵は万事を繰合せ当日臨場せらるゝことに決定したり、之れ実に三月二日のこと也、こゝに吾人が最も注意すべき事は男爵が真に一刻千金の値ある日を割かれて昨年の約諾を重んじ、旬日来の御疲労にも拘らず約束を履行せられたることにて、これ全く活きる教訓を与へられし也。
      二、熱奔せる準備
 二十三日開会と定まり、渋沢男爵・宮田編輯顧問の来演と決するや即ち七十有余名の団員は宛も停止せる機関が直ちに発動したるが如く一時に大活動を開始しぬ、橋本幹事は前駆して十六日当町着、即夜活動に着手し、幹部は毎夜協議し、決議事項は直ちに団員諸係りに通牒せられ係員は縦横に活動し、熱狂せる奔走の裡、一糸乱れず整然と進行したり、之より先き静岡商業会頭尾崎伊平氏・同市長長島弘裕氏・
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船橋事務官・角谷師範学校長の諸氏は静岡市方面の活動に尽力せられ島田町警察署長は自ら県庁と島田支部の聯絡を取ることの便宜を与へられ、町長は町役場をして種々の助力をなさしめ、静岡新報・静岡民友新聞・報知新聞・朝日新聞は一斉に男爵来県を詳報し、志太郡役所は間接に各村青年会に対する通牒の便を与へられ、志太郡教育会は特に会員に通知を発して支部大会を報じ、町会は三度開催せられて男爵来島につき町議に附せられ、町会より多大の便を稟けたり、即ち檄は四方に飛び、地方の人士は駭然として大規模なるに一驚しぬ、当町の有志者百五十名は卒先して男爵歓迎会の協議をなし、之を支部に計りたれば支部も其の同情に感謝し、共に歓迎会を開くに決したり、即ち会場たる劇場を距る一丁程の小学校の大講堂を以て歓迎会場の大食堂に当て、電灯会社は速かに臨時電灯を附設し、当町の素封家なる森淑・秋野雅太郎・天野簾・北川豊次郎諸氏の合議の結果、森邸を男爵休息所に当て接待することに定められたり。於玆県下各名士・名望家・特志家、青年志士等に招待状を発し、辻ビラ散紙を配布し、藤枝町より青島支部団員は特に数十枚の辻ビラを三里四方に貼布する等の援助をなし、準備全く整ひたる二十二日夜蓮沼主幹は島田に到着し、万端遺憾なき行動に非常に感激し、事業は青年の手により完し、青年の力に待つことなくして国家の前途を奈何せんと独語し一同を激励す。
      三、男爵の到着
 已に二十三日に至れば午前六時前、団員一同は事務所に集合し各部署を定めて意気堂々、軍容儼然たり。一方男爵は午後十二時三十分静岡着の予定なれば橋本幹事は団員総代一名と共に静岡駅(十七哩を距る)に出迎への為め出張す、町よりは馬場町長以下町の素封家、有志支部賛助員は同じく之れも静岡駅まで出迎へたり、特に小島少将は朝来より出岡、男爵の昼食の準備を整えらる、静岡には已に賛助員なる県知事代理船橋事務官・長島市長・尾崎商業会議所会頭以下諸学校長諸新聞記者各官吏出迎へたり、定刻に至り新橋を発したる最大急行列車は午後十二時三十分、轟々たる車轆の音と共に徐々にプラツトホームに入りぬ、各出迎人は一斉に一等室前に蝟集して男爵の降車待つに已に男爵は黒のフロツクコートに偉大の人格と豊かなる体格を包み、温容悠らかに莞爾として車入口に佇立して停車するを待たれつゝあり男爵は先づ橋本幹事の謝辞を受けられ、同幹事の紹介に依り各出迎人に一々挨拶ありて汽車を乗換へられたるが、其の快活なる応接振りと万人を懐かしめんとする温顔其の壮者をも凌がんとする意気に感動したり。やがて汽車は十二時五十分辷べるが如く発車せり、車中男爵を中心とし新らたに乗組まれたる宮田編輯顧問以下諸名士と快談湧くが如き裡、汽車は島田を指して進行したり。
      四、大会の模様
 海道に有名なる小夜の中山の峻岳は巍々天空に聳へ、行く水の大井の川を御幸し玉へればと云ふ、堰江は曠濶長蜓の所謂大井山の壮観を眼前に展開すると間もなく一時三十五分一行を乗せたる汽車は島田駅に着しぬ、之より先、駅頭には蓮沼主幹始め、賛助員・団員・町有志等数十名は男爵を迎ふ、男爵は歓迎の人々に包囲せられて改札口に進
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まれたり、町民は此の日、日頃風聞せる偉大の人格に接せんと堵をなして之を迎ふ。此於て紀念の撮影を採り、俥を連ねて予ねての休息所に向はれたり、此の時会場は已に立錐の余地なき迄に聴衆満ち溢れ、中には八・九里の山奥より団体を作りて来りたるものあり、或は偉人に接するに礼を以てせざる可からずとて、態々礼服着用して来りたる村老もあり、遠く東京に勉学して居たる学生が故郷に於て此の名誉ある挙を聞き態々帰郷したるものあり、或は会の模様を電話にて尋ね来る者あり、千差万別の裡真面目溢れ真摯なる態度自ら現はれ、男爵が会場に臨まれたる時は聴衆は狂喜の余り挙て拍手して向へたり、其開会次第は
  開会の辞              大井嘉一氏
  経過報告              岩崎一郎氏
  会計報告              長谷川総吉氏
  研究談               池田悦平氏
  祝文電朗読             (以下講演)
  一、寧しろ後事而已         橋本幹事
  一、地方青年の起つべき秋      蓮沼主幹
  一、地方青年に待つ         宮田顧問
  一、時局に対する青年の覚悟     渋沢顧問
 右の通り講演あり、就中男爵は特に修養団と相結はれたる所以のものは夙に社会風教の為めに慨嘆し、如何にもして人心の統一を計らんとしたるも、今日の宗教を以ては到底なし得ざるを悟りて以来、之を儒教によりて人心の統一を期せんとしたる折、端なくも修養団と其の肝胆相照すを知り、即ち社会のため、国家のため、修養団の援助者となりたる所以也、と説き及ぼされたるに、男爵は連日の劇務に非常に御疲労せられし処を意外の激烈なる時候の変化により急に御気分を損じ、講演途中壇を下られたり、折柄医師二名賛助員中にありたるを以て、直ちに脈搏を伺ひたるに、兎も角静養を要するとて手当を致し、今迄熱心に聴講せる聴衆は玆に男爵に対し斉しく憂慮したれば一先づ閉会の旨を宣し、一方男爵は俥を以て森邸に入られ静かに御寐休せられたり、賛助員・名士は同じく会場より俥を列ねて森邸に詰切り、静岡病院長を至急電話を以て招き御手当申したり、されども豪快なる男爵は意気に於て少しも平常に変られぬを観れば纔かに安堵するを得たり、其の経過も大に安心したれば歓迎会の準備もあることとて、男爵席を中央として三百余名の食卓は並べられ、赫々たる大電灯は隈なく場内を照らし華麗なる大食堂を開きぬ、男爵の欠席なるは頗る遺憾なりしも、諸先輩と団員が握り飯と梅干を噛りつゝ快談縦横或は教訓せられ、激励せられて団員・町民・地方名士、倶に一堂に会したる状、和気靄々として一大家族の如く、天真爛漫たる春の夜こそ実にもと感ぜられたり、斯くて午後九時半閉会しぬ。
      五、男爵其の後の経過と帰京
 其の夜は医師の進めにより男爵は森邸に一泊せらるゝに決定し、其の后の御容体の経過益良好なるを以て医師一名丈け宿直することになりしも其の夜は熟睡せられ、翌朝に至りては殆ど平復したる様見受ら
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れたり、されば予ねて渋沢男爵講演の定めありし、静岡市開催の講演会には宮田修氏代理とし蓮沼主幹共に出張せられたり、男爵も御帰京を望まれたれば、即ち廿四日午後三時島田町を発せらる事となり、団員七十余名、町民有志者は男を包擁して停車場に送りたれば、男爵も非常に喜ばれ、再三再四、団員に向て俥上停車場にて懇切なる教訓及び奮励の言葉を与へられたり、特に方に発車せんとする時車窓より一同を眺められて、更に語を強めて団員に懇々と将来を戒しめられし熱誠に一同をして感動せしめられしかば、予ねてより男爵の高潔を慕ひたる一同が、而も吾実子の如く懇々肺肝より出ずる言々句々、血を吐くかと思はん許りの教戒を聞きてはさしも広きプラツトホームに漏れたる群集も粛として声なく、中には思はず熱き涙を流し唯だ感泣する者もありき、其の間是に僅かに三分秒に過ぎざりしと雖も、男爵が老体をも省みられず社会の風潮を如何に慨嘆せられつゝあるか、如何に吾国家将来を憂慮せられつゝあるか、如何に本団の真摯なる後援者なるかは真に此の偉大なる人格と活きたる教訓によりて、各人の胸の中に深く深き印象を刻み入れられたり、汽車は猶予なく発車しぬ、後見送る団員・町民は唯だ手に汗を握り撫然たること久し、而も汽車が藤枝駅に達するや、青島支部の熱誠なる賛助員総代八木小学校長・藤枝駅長以下団員の見送りの辞を受けられて、之れにも厚き御言葉を残されたり、此の間僅かに二分秒。斯くて三時四十分頃静岡駅に到着、此に諸名士の見送りに一々挨拶せられ四時の最大急行列車に乗組まれたり、蓮沼主幹は男爵経過殆ど平復したるを以て、機を利用して関西遊説の途に上るべく男爵に暇乞をし、富田編輯顧問及橋本幹事は男爵と共に帰京すべく同乗したり。午後八時無事新橋に着し、男爵は阪谷男等の出迎を受けられ帰邸せり。


(東洋生命保険株式会社)社報 第三号大正二年四月 渋沢男爵の御不例(DK430084k-0006)
第43巻 p.475-476 ページ画像

(東洋生命保険株式会社)社報 第三号大正二年四月
    ○渋沢男爵の御不例
本社の監督指導を認諾せられ、直接間接、常に甚大の援助を与へらるる本社大株主渋沢男爵閣下には、去月中、修養団の懇請を容れて日夕公共的の要務に忙殺せられ居るゝにも拘はらず、該団の主旨拡張の為め特に貴重なる時間を割きて西下せられたり。
然るに、二十三日、遠州島田町の開盛座に於て一場の修養談を試みられ「御維新以来年を閲みする事正に五十年、年々歳々科学の進歩は急速の勢を以てして止まる処を知らざらんとするにも拘はらず、今や信仰の本体は失はれて、一般世人の拠る可き道なし。旧道徳廃れて新道徳尚ほ未だ確立せず。今にして天下万衆思を玆に致すに非ずんば、世道人心の頽廃を如何にかすべき。幸にして思想界に一大偉人現はるゝか、然らずんば本団の如き真面目なる団体の力に依て以て……」と、修養団の本領に対つて説き進まれんとする時、意外にも男爵には突然脳貧血を惹起せられたり。幸にして御容態が軽微なるものにして、列席の医師の応急手当の行き届けると、森氏其他の懇篤なる介抱とによりて幸ひ事無きを得たるは、天下の人々と共に我社員一同の此上も無き喜びとする処也。男爵閣下は常に公共的事業の為には自ら率先して
 - 第43巻 p.476 -ページ画像 
其労を厭はせられず。公私寸暇なき御多忙なるにも拘はらず、修養団の為に特に遠路出演を諾せられし所以のもの、実に閣下が献身的奉公の精神に出づ。現に講演半ばにして一時人事不省と為られし折の如きも、僅かに回復して言語を発せらるゝに至るや、前約ある静岡に立寄らざるを気の毒なりとせられ、其儘の帰京を容易に快諾せられず。医師の厳格なる注意と森氏其他の切なる勧告とによりて漸く帰邸の運びとなれり。当時親しく閣下を診察せられし戸塚医学士の如き、男爵の〓鑠たる御元気と其偉大なる奉公の御精神に対しては驚嘆の外なかりしと、これ親しく記者に物語られし処なりとす。
王子の本邸へ御帰還の後、樫田・高木・三浦の諸博士の診察を受けられ、日々軽快に向はれつゝあり。未だ外出は医師の許るしを得られざるを以て、昨今は男爵畢生の御事業たる徳川史の原稿に雌黄を加へられ、或は時に絖を展へて揮毫に鬱を散じ、静かに庭園を散歩せらるゝ位に止め、一般の面会はこれを断たれて安静にして療養を加へられつつ有り。此御様子にては、兜町の事務所迄出掛けらるゝに至るも蓋し遠からざる内ならんかと伝聞す。申す迄も無く男爵は単に一渋沢家、一東洋生命の渋沢男には非ざる也、邦家の前途愈多事、此際に於ける巨人渋沢男の存在は我邦の誇にして、而して一大威力たるを思へば自重加餐以て天下の望を空しくせられざらん事切望に堪えず。斯くして吾人が親しく其謦咳に接するの機を少うするの憾み尚ほ忍ぶ可し。あまりに屡々男爵を煩はすの故を以て。帝国の巨人、渋沢男の権威を永遠に失うが如き事あらんか、其損失や忍ぶ可からず。於此か吾人は渋沢家御一門と昵近の諸士に対して、慎重なる注意を希望せざるを得ずかゝる無遠慮の言を為すや必しも礼を失する所以のものに非ざるを信ずれば也。


向上 第七巻第五号・第六六頁大正二年五月 △渋沢男爵・宮田両顧問の出島(DK430084k-0007)
第43巻 p.476 ページ画像

向上 第七巻第五号・第六六頁大正二年五月
    △渋沢男爵・宮田両顧問の出島
静岡県島田支部は昨年三月を以て発会式を挙げたるが、幹事並に団員諸氏の熱誠なる活動により、健全なる発達の域に達し、今や一大勢力ある団体となりたるを以て三月二十三日を期し、一週年紀念大会を挙ぐることゝせり、依て本部よりは渋沢男爵・宮田顧問に出席を乞はんとして大井幹事態々上京し、其旨御願せるに両顧問には其熱誠に感激して快諾せられ、殊に男爵には前日来風邪の為め引籠中なりしにも不拘、抂げて出島せられたるが、同日は冷気頓に加はりしなど一入不順なりし為め、聊か不快の気味なりとて講演を中止せられ、休養せられたるに幸にして軽快に赴かれ、二十五日無事帰京せられたり、重要の地位にある先輩が斯く迄青年指導の為め尽力せらるゝに、生等団員奮起せずして可ならん。
○下略



〔参考〕向上 第五巻第四号・第七四―七六頁明治四五年四月 蓮沼主幹静岡島田町支部発会式出張通信 第六信(落胆渋沢男爵の電報)(DK430084k-0008)
第43巻 p.476-478 ページ画像

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