デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
2節 其他ノ経済団体及ビ民間諸会
1款 経新倶楽部
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治22年5月
(1889年)
第23巻 p.5-8(DK230001k)
是月、東京府下ノ実業家相集リ、懇親ヲ篤ウシ共同ノ利益ヲ謀リ、国会議員ヲモソノ中ヨリ選出セントシテ経新倶楽部ト称スル社交団体ヲ組織シ、栄一ソノ幹事ニ選バル。翌二十三年三月十二日当倶楽部ノ例月会ニ於テ、栄一、金融逼迫ニ関スル意見ヲ述ブ。
明治24年9月4日
(1891年)
第23巻 p.8-20(DK230002k)
是日、栄一始メ当倶楽部会員等四十名連署シテ、輸出税ヲ全廃センコトヲ大蔵大臣伯爵松方正義ニ建議ス。
明治35年5月3日
(1902年)
第23巻 p.20-21(DK230003k)
栄一引続キ当倶楽部ノ集会ニ出席シ来リシガ、是日、栄一ノ欧米旅行ニ際シ当倶楽部及ビ商工経済会ノ主催ニ係ル送別会開カレ、栄一出席シテ答辞ヲ述ブ。
2款 東京実業者相談会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治25年1月5日
(1892年)
第23巻 p.22-26(DK230004k)
二十四年十二月第二議会解散セラレ、来ルベキ衆議院議員総選挙ニ際シテ実業家中ヨリ候補者ヲ出スベシトノ議起リ、是日、東京府下ノ実業家四十名余帝国ホテルニ会合ヲ開キ協議ノ結果、先ヅ発起人総代十五名ヲ選定ス。栄一、選バル。
3款 日本経済会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治30年5月3日
(1897年)
第23巻 p.27-32(DK230005k)
是日栄一、日本経済会ニ招カレ上野精養軒ニ於ケル会合ノ席上、伊藤侯・大隈伯ト共ニ一場ノ演説ヲ為ス。
同年十二月十七日、同会主催ノ富士・八嶋両艦歓迎会ニモ招カレ、軍事ト経済ノ関係ニ就キ演説ス。
4款 パリ博覧会出品組合
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治30年10月
(1897年)
第23巻 p.33-37(DK230006k)
パリ博覧会出品組合成リ、栄一其委員長タリ。明治三十五年四月事務終了、解散ス。
5款 地租増徴期成同盟会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治31年12月15日
(1898年)
第23巻 p.38-61(DK230007k)
是月十三日東京・京都・大阪・横浜四市ノ実業家聯合シテ地租増徴期成同盟会ヲ組織スルニ決シ、是日発会式ヲ挙ゲ栄一会長ニ選バル。次イデ十七日帝国ホテルニ招待会ヲ催シ、栄一、一場ノ挨拶ヲナス。
6款 横浜経済会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治32年10月24日
(1899年)
第23巻 p.62-69(DK230008k)
是日栄一、横浜経済会ノ招請ニ応ジ、同市日進楼ニ於テ、同会々員ニ対シ「経済界ノ前途ニ対スル企望」ト題スル演説ヲ行フ。
7款 有楽会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治33年1月29日
(1900年)
第23巻 p.70-84(DK230009k)
是ヨリ先、栄一等東京府下ノ重立タル実業家、麹町区有楽町ナル三井集会所ニ於テ、伯爵井上馨ヲ中心トシテ経済時事談話会ヲ催シ来リシガ、ソノ組織ヲ完全ナラシムルタメ会名ヲ有楽会トシ、栄一及ビ益田孝ヲ準備委員ニ推薦ス。是日、栄一及ビ益田孝ノ起草ニ係ル有楽会規程ヲソノ集会ニ附議シテ満場一致ヲ以テ可決ス。
爾後屡々会合ヲ催シ、重要ナル財政経済問題ヲ議シ、且ツ大蔵省・日本銀行ノ要人ヲ招キテ意見ノ交換ヲ為ス。
明治34年2月5日
(1901年)
第23巻 p.84-91(DK230010k)
是ヨリ先、政府第十五議会ニ銀行条例改正法律案及ビ貯蓄銀行条例改正法律案ヲ提出セントスルヤ、当会右ニ関スル調査ヲ委員ニ附託シ、是日調査委員高橋是清・池田謙三等銀行倶楽部ニ会ス。栄一出席シテ協議シ、爾後該件ニツキ尽瘁頗ル努ム。尚ホ栄一、当会ノ為メ引続キ尽力スル所多シ。
8款 偕楽会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治33年4月10日
(1900年)
第23巻 p.92-93(DK230011k)
是日栄一、浜町常盤屋ニ於テ開カレタル偕楽会ニ出席ス。此会合ハ大倉喜八郎・加藤正義・岩永省一・岩出惣兵衛・柿沼谷蔵等ノ懇親社交ノ集会ニシテ、毎月十日ヲ会日ト定メ、常盤屋ヲ会場トシ、時ニ飛鳥山ノ栄一ノ別邸ニテ催ス。此後大正八年頃マデ継続セルモノノ如シ。
9款 商工経済会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治35年5月3日
(1902年)
第23巻 p.94-105(DK230012k)
是ヨリ先三十四年十一月、経済研究会及ビ商工相談会ノ両団体合同シテ名称ヲ商工経済会ト改メ、栄一会長ニ推サル。是日、華族会館ニ臨時総会ヲ開キ、来ルベキ衆議院議員総選挙ニ対スル宣言書ヲ議決シ、次イデ栄一等ノ欧米旅行送別会ヲ開ク。栄一謝辞ヲ述ブ。
8章 政府諸会
1節 諮問会議
1款 鉄道会議
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治25年8月31日
(1892年)
第23巻 p.106(DK230013k)
是ヨリ先六月二十日勅令第五十一号ヲ以テ公布セラレシ鉄道会議規則ヲ修正シ、議員及ビ委員ニ商業会議所会員ヲ参加セシメンコトヲ、是日栄一、東京商業会議所ヲ代表シテ内務・逓信両大臣ニ建議ス。
明治25年11月8日
(1892年)
第23巻 p.106-108(DK230014k)
是日栄一、内閣ヨリ鉄道会議臨時議員ヲ仰付ケラル。
明治26年2月10日
(1893年)
第23巻 p.108-111(DK230015k)
是日栄一、第一回鉄道会議ニ出席シテ北陸線ヲ坂井・伏木両港ヘ連絡スルノ必要ヲ主張ス。容レラレズ。
明治26年2月12日
(1893年)
第23巻 p.111-118(DK230016k)
是日栄一、第一回鉄道会議ニ出席シ、奥羽線中軍部ノ主張スル仁別線ヲ廃シテ檜山線又ハ能代線ヲ取ランコトヲ力説シ、陸軍中将児玉源太郎ト激論ス。十三日ニ至リ檜山線ヲ取ルニ決ス。
明治26年3月21日
(1893年)
第23巻 p.118-125(DK230017k)
是日栄一、第一回鉄道会議ニ出席シ、私設鉄道敷設ノ許否ニ関スル政府ヘノ答申ニ付意見ヲ条陳ス。尚ホ去ル二月十日ニ議セシ北陸線ニ関シ、修正案ヲ提出セシモ否決サル。
明治26年7月5日
(1893年)
第23巻 p.125-128(DK230018k)
第二回鉄道会議是月一日ヨリ開カレ、是日栄一、会議ニ出席シテ神鶴電気鉄道敷設ノ件、房総線電車鉄道免許状下附ノ件ヲ議シ、次イデ十五日報告アリ。栄一委員タリ。
明治26年12月11日
(1893年)
第23巻 p.128-133(DK230019k)
是日栄一、第三回鉄道会議ニ出席シ、私設鉄道許可ニ関シ審議シ、委員ニ選バル。委員ハ十九日報告書ヲ提出シ、議決ヲ経テ当会議意見トシテ逓信大臣ニ上申ス。
明治27年1月17日
(1894年)
第23巻 p.133-135(DK230020k)
是日栄一、栄一外十名ノ連署ニナル北陸線中線路再画定ノ件ヲ当会議ニ建議シ、審議ヲ経テ再調査ニ決ス。
明治27年5月7日
(1894年)
第23巻 p.135-137(DK230021k)
第四回鉄道会議是月三日ヨリ開カレ、是日栄一、会議ニ出席シテ加能鉄道会社発起ニツキ審議ス。
明治27年6月19日
(1894年)
第23巻 p.137-140(DK230022k)
是日栄一、栄一外九名連署セル北陸鉄道支線調査ノ件ヲ当会議ニ建議シ、説明ス。
明治29年12月7日
(1896年)
第23巻 p.140(DK230023k)
是日栄一、鉄道会議臨時議員ヲ仰付ラル。
明治29年12月14日
(1896年)
第23巻 p.141-150(DK230024k)
是日栄一、第八回鉄道会議ニ臨ミ、鉄道起業稟請ノ処分ニ関スル件ニツキ審査委員長ニ推サル。十五日委員会ヲ開キ、私設鉄道条例ノ規定条件ヲ標準トスル外別ニ制限ヲ加フル必要ナキ旨ノ答申案ヲ決シ、十六日之ヲ当会議ニ報告、可決セラル。
2款 鉱業諮問会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治25年9月20日
(1892年)
第23巻 p.151-158(DK230025k)
是日ヨリ十月一日迄鉱業諮問会農商務省ニ於テ開カル。栄一、東京商業会議所ヲ代表シテ之ニ参会シ、討議ニ加ハル。
3款 法典調査会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治26年4月20日
(1893年)
第23巻 p.159(DK230026k)
是年二月二十二日法典調査会規則公布サレ、是日栄一、査定委員ヲ仰付ラル。
明治30年1月20日
(1897年)
第23巻 p.159-163(DK230027k)
是日栄一、法典調査会委員ヲ仰付ラル。
明治32年3月16日
(1899年)
第23巻 p.163-164(DK230028k)
是日栄一、法典調査会委員ヲ免ゼラル。
4款 貨幣制度調査会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治26年10月24日
(1893年)
第23巻 p.165-169(DK230029k)
是月十四日貨幣制度調査会規則公布サレ、是日栄一、委員ヲ仰付ラル。
明治28年7月3日
(1895年)
第23巻 p.169-191(DK230030k)
是ヨリ先二十六年十月二十五日当調査会第一総会開催セラレ、勅令第一条第一項・第二項ノ調査、特別委員ニ附託セラル。是年三月三十日特別委員ノ調査成ルヲ以テ第二総会開催サレシガ、勅令第一条第三項ノ調査モ特別委員ニ附託シ、其報告ノ完成ヲ俟チテ後全般ニ亘リ討議スルニ決ス。同五月二十二日第二次特別委員ノ報告成ルニヨリ第三総会開催セラレ、審議ヲ開始ス。爾後五月二十九日第四総会、六月五日第五総会ト続行、六月十二日第六総会ヲ以テ審議ヲ終了ス。
栄一、第三総会ニ出席発言シ、第六総会ニ於テハ金銀比価変動ノ我経済社会ニ及ボス影響ノ頗ル喜ブベキモノアリトノ説ニ同意シ、現行幣制改革ノ必要ナキ旨ヲ主張ス。是日、最終総会開催サレ、議事経過並ニ決議条項ヲ整理セル報告書可決セラル。依テ会長子爵谷干城即日之ヲ大蔵大臣伯爵松方正義ニ上呈ス。栄一之ニ出席ス。
明治32年10月24日
(1899年)
第23巻 p.191(DK230031k)
是日栄一、貨幣法改正ノ際ノ尽力ニヨリ銀盃一組ヲ下賜セラル。
5款 商業会議所条例改正案諮問会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治27年7月2日
(1894年)
第23巻 p.192-280(DK230032k)
是日ヨリ六日迄、当諮問会農商務省ノ主催ニヨリ東京商業会議所ニ於テ開カル。栄一、益田克徳ト共ニ東京商業会議所ヲ代表シテ之ニ参会シ、討議ニ加ハル。
6款 農商工高等会議
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治29年6月6日
(1896年)
第23巻 p.281-284(DK230033k)
是ヨリ先四月二十八日勅令第百五十二号ヲ以テ農商工高等会議規則公布サレ、是日栄一、議員ヲ仰付ラル。
明治29年10月19日
(1896年)
第23巻 p.284-302(DK230034k)
是日、第一回第一日ノ会議ノ劈頭、農商務大臣子爵榎本武揚・外務大臣伯爵大隈重信・農商務次官金子堅太郎ヨリ我国農商工業ノ現状ト当会議開設ノ理由ニツキ演説アリ。之ニ対シ栄一、一議員トシテ一場ノ演説ヲナシ、各諮問案ニ対シ忌憚ナク審議スベキ旨ヲ述ブ。
明治29年10月19日
(1896年)
第23巻 p.302-305(DK230035k)
是日第一回第一日ノ会議ニ於テ、当会議議事規則議決セラル。栄一之ニ与ル。
明治29年10月19日
(1896年)
第23巻 p.305-327(DK230036k)
是日第一回第一日ノ会議ニ於テ、清国長江航路調査員派遣ニ関スル諮問案審議サレ、派遣ノ必要ナル旨ノ答申ヲナスニ決ス。席上栄一、派遣ノ時期尚早ナル所以ヲ説ク。
明治29年10月19日
(1896年)
第23巻 p.327-367(DK230037k)
是日第一回第一日ノ会議ニ、海外金融機関ノ設備ニ関スル諮問案上程サレシガ、同案ハ本邦海上保険業ノ発達ニ関スル諮問案ト密接ナル関聯ヲ有スルニヨリ、之ト併セ審議スルニ決ス。二十一日第三日、二十二日第四日ノ会議ニ本案海上保険ニ関スル諮問案ト同時ニ上程サレシガ、再ビ分離スルニ決シ、単独審議ノ末特別委員ニ附託セラル。二十三日第五日ノ会議ニ委員決議案上程サレ、可決セラル。栄一、毎回会議ニ列席シ、第四日ノ会議ニ於テ、横浜正金銀行ノ業務拡張ヲ計ルノ法至当ニシテ、他ニ海外金融機関ヲ設クルハ疑問ナル旨ノ意見ヲ述ブ。
明治29年10月20日
(1896年)
第23巻 p.367-390(DK230038k)
是日第一回第二日ノ会議ニ於テ、税関監督保税倉庫設置ニ関スル諮問案審議サレ、特別委員附託トナル。二十一日第三日ノ会議ニ於テ、保税倉庫ノ設置必要ナルニヨリ、確実ト認ムル私設倉庫会社ヲ以テ之ニ当ツベシトノ委員決議案可決セラル。栄一、特別委員ノ一人トシテ之ニ尽力ス。
明治29年10月20日
(1896年)
第23巻 p.390-409(DK230039k)
是日第一回第二日ノ会議ニ於テ、重要輸出品販路拡張ノ一方法トシテ、商品見本ヲ在外帝国領事館其他ニ陳列スルノ適否並ニ方法ニ関スル諮問案審議セラレ、商品見本陳列ノ適当ナル旨可決サレ、其方法ハ当局ニ一任スルニ決ス。栄一之ニ出席シ賛意ヲ表ス。
明治29年10月21日
(1896年)
第23巻 p.409-428(DK230040k)
是日第一回第三日ノ会議ニ於テ、海外通信ノ設備ヲ完全ニシ其報道ヲ敏速ナラシムルノ方法ニ関スル諮問案審議サレ、特別委員附託トナル。二十三日第五日ノ会議ニ於テ、領事館ノ増設・改善其他ヲ内容トスル委員決議案可決セラル。栄一之ニ与ル。
明治29年10月21日
(1896年)
第23巻 p.428-434(DK230041k)
先ニ当会議ニ於テ保税倉庫設置ノ儀可決セラレシガ、是日第一回第三日ノ会議ニ於テ、議員益田孝ヨリ保税倉庫無キ為メ貿易貨物開港場ニ充満シ、貿易ノ発達上憂慮スベキ現状ナルニ鑑ミ、保税倉庫設置ニ至ル迄、確実ナル現存ノ民設倉庫ヲ利用スル等ノ応急対策ヲ、政府ニ於テ講ゼラレタキ旨ノ緊急建議提出サレ、審議ノ末、二十二日第四日ノ会議ニ於テ可決セラル。栄一、本案ニ賛意ヲ表シ其成立ニ尽力ス。
明治29年10月21日
(1896年)
第23巻 p.434-451(DK230042k)
是日第一回第三日ノ会議ニ、本邦海上保険業ノ拡張ニ関スル諮問案、海外金融機関ノ設備ニ関スル諮問案ト同時ニ上程サレシガ、分離ノ上審議スルニ決シ、二十三日第五日ノ会議ニ単独ニテ提出サレ委員附託トナル。二十六日第七日ノ会議ニ於テ委員決議案可決セラル。栄一、特別委員ニ選バレ本案ノ成立ニ尽力ス。
明治29年10月22日
(1896年)
第23巻 p.451-491(DK230043k)
是日第一回第四日ノ会議ニ於テ、栄一、同年発布ノ航海奨励法ヲ政府ニ於テ確実ニ実施スルト共ニ、同法施行規則及ビ造船規程ヲ簡明ニナサンコトヲ建案ス。該案、特別委員ノ審議ニ委ネラレ、栄一委員ノ一員トナル。二十六日第七日ノ会議ニ於テ委員決議案審議サレ、一部ハ可決、他ノ一部ハ再ビ継続委員ノ審議ニ附託セラル。栄一、継続委員タリ。
明治29年10月23日
(1896年)
第23巻 p.492-534(DK230044k)
是日第一回第五日及ビ二十四日第六日ノ会議ニ於テ、職工保護取締法ニ関スル諮問案審議サレシガ、議終了セズ継続委員ニ附託セラル。栄一第六日ノ会議ニ於テ、外国直訳風ノ職工条例ノ制定ニハ反対ナル旨ヲ主張シ、継続委員ニ指名セラル。
明治29年10月24日
(1896年)
第23巻 p.534-543(DK230045k)
是日第一回第六日ノ会議ニ於テ、議員添田寿一ヨリ海外貿易ニ功績アル者ニ位記・勲章若クハ無形ノ名誉ヲ与ヘタキ旨ノ建案提出サル。栄一之ニ反対シ、其必要ナキ旨ヲ説キ、審議ノ結果該案否決セラル。
明治29年10月26日
(1896年)
第23巻 p.543-547(DK230046k)
是日第一回第七日ノ会議ニ於テ、栄一ヨリ将来政府ニ於テ特別輸出港ヲ廃止セザランコトヲ望ム旨ノ建案アリシガ、時既ニ議長伯爵佐野常民第一回会議ノ閉会ヲ宣告セシ後ナリシカバ、次回当会議ニ改メテ案ヲ具シ提出スルニ決ス。
明治29年10月26日
(1896年)
第23巻 p.548-549(DK230047k)
是日、第一回当会議閉会サル。栄一、議員一同ヲ代表シ議長伯爵佐野常民ニ謝辞ヲ述ベ、政府ニ於テ今後モ外国貿易ノ繁盛ヲ図ル為メ適切ナル方策ヲ提出センコトヲ希望ス。
明治31年2月28日
(1898年)
第23巻 p.549-580(DK230048k)
是日栄一、第三回当会議ノ議長ヲ仰付ラル。十月二十日ヨリ十一月四日迄、第三回当会議農商務省会議室ニ於テ開カレシモ、栄一病気ノ為出席セズ。東京商業会議所副会頭中野武営仮議長タリ。
2節 博覧会
1款 第三回内国勧業博覧会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治23年3月4日
(1890年)
第23巻 p.581-583(DK230049k)
是日栄一、当博覧会事務委員ヲ命セラル。
明治23年3月22日
(1890年)
第23巻 p.584(DK230050k)
是日栄一、東京商工会ヲ代表シ、当博覧会ノ審査員中ニ経験深キ商業者ヲ加ヘ且ツ其人選ヲ同会ニ諮詢セラレタキ旨、農商務大臣岩村通俊ニ建議ス。此儀採可セラレ、同会推薦者中ヨリ当博覧会審査正員五十九名、同補員十九名任命セラル。
明治23年10月21日
(1890年)
第23巻 p.584(DK230051k)
是日栄一、当博覧会事務委員トシテ勉励セルニヨリ内閣ヨリ褒賞セラル。
明治23年10月21日
(1890年)
第23巻 p.584(DK230052k)
是日栄一、当博覧会事務委員ヲ免ゼラル。
2款 コロンブス世界博覧会臨時博覧会事務局
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治24年12月15日
(1891年)
第23巻 p.585-594(DK230053k)
是ヨリ先、コロンブス世界博覧会ニ参同ノ為メ臨時博覧会事務局組織セラレシガ、是日栄一、当事務局評議員ヲ仰付ラル。爾来評議員トシテ重要局務ノ審議調査ニ従フ。
明治27年4月27日
(1894年)
第23巻 p.594(DK230054k)
是日栄一、当事務局評議員ヲ免ゼラル。
3款 第四回内国勧業博覧会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治26年8月11日
(1893年)
第23巻 p.595-597(DK230055k)
是日栄一、当博覧会評議員ヲ仰付ラル。
明治29年3月2日
(1896年)
第23巻 p.597-598(DK230056k)
是日栄一、当博覧会評議員トシテ事務ニ勉励セルニヨリ総裁ヨリ銀牌ヲ授与セラル。
4款 パリ万国博覧会臨時博覧会事務局
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治29年11月14日
(1896年)
第23巻 p.599-615(DK230057k)
是ヨリ先、パリ万国博覧会ニ参同ノ為メ臨時博覧会事務局設置セラレシガ、是日栄一、当事務局評議員ヲ仰付ラル。爾来評議員トシテ重要局務ノ審議ニ従事ス。
5款 第五回内国勧業博覧会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治32年2月21日
(1899年)
第23巻 p.616(DK230058k)
是日栄一、東京商業会議所ヲ代表シ、第五回内国勧業博覧会ノ開催地ヲ東京ニセンコトヲ内閣総理大臣侯爵山県有朋・農商務大臣曾禰荒助ニ建議シ、貴族院議長公爵近衛篤麿・衆議院議長片岡健吉ニ請願ス。
明治34年1月19日
(1901年)
第23巻 p.616-622(DK230059k)
是日栄一、当博覧会評議員ヲ命ゼラル。爾来評議員トシテ重要事務ノ審議ニ従フ。
明治36年9月17日
(1903年)
第23巻 p.622(DK230060k)
是日栄一、当博覧会評議員トシテ事務ニ鞅掌シタルニヨリ、事務局ヨリ銀盃一組ヲ贈与セラル。
6款 東京勧業博覧会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年3月20日
(1907年)
第23巻 p.623-627(DK230061k)
是日、当博覧会ノ開会式上野公園ニ於テ挙行セラル。栄一、出品人総代トシテ一場ノ祝辞ヲ述ブ。
明治40年7月6日
(1907年)
第23巻 p.627-630(DK230062k)
是日、当博覧会褒賞授与式第二会場外国館前ノ広場ニ於テ挙行セラル。栄一、農商務大臣松岡康毅等ノ祝辞ニ対シ、出品人総代トシテ一場ノ答辞ヲ述ブ。
7款 日本大博覧会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治41年6月6日
(1908年)
第23巻 p.631-644(DK230063k)
是日栄一、当博覧会評議員ヲ仰付ラル。
9章 一般財政経済問題
1節 金本位問題
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治30年2月
(1897年)
第23巻 p.645-646(DK230064k)
是ヨリ先栄一、伯爵井上馨ト会談シ金本位制実施ノ疑問ナル旨ヲ述ベシガ、是月皇太后御大葬参列ノ為メ京都ニ赴キシ際モ、同地ニ於テ侯爵伊藤博文ト面談シ同様ノ趣旨ヲ主張ス。
明治30年2月17日
(1897年)
第23巻 p.646-650(DK230065k)
是日夜、兜町ノ私邸ニ中上川彦次郎・荘田平五郎阪谷芳郎・添田寿一・三野村利助・山本達雄・鶴原定吉・高橋是清・佐々木勇之助等ノ諸氏ヲ招待シ晩餐会ヲ催ス。談金本位制ノ問題ニ及ビ、栄一、金本位制ノ採用必ズシモ反対ニハアラザレドモ寧ロ現行幣制ヲ可及的ニ維持スルノ然ルベキ旨ヲ力説ス。
明治30年2月21日
(1897年)
第23巻 p.650-656(DK230066k)
貴族院議長公爵近衛篤麿、幣制改革ニ関スル意見ヲ聴取スル為メ、斯道ノ関係者ヲ招キテ是日午後五時ヨリ貴族院議長官舎ニ於テ晩餐会ヲ催ス。栄一之ニ列席シ、金本位制採用ノ疑問ナル旨ヲ陳ブ。
2節 日露戦後経営
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治38年9月
(1905年)
第23巻 p.657-677(DK230067k)
是月以降栄一、屡々日露戦争後ノ財政経済経営ニ関スル意見ヲ雑誌・新聞ニ発表スルト共ニ、商業会議所聯合会・竜門社等ニ於テ演説ス。
3節 雑
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治31年12月11日
(1898年)
第23巻 p.678-692(DK230068k)
是日栄一、岩崎久弥・大倉喜八郎等六名ト共ニ発起人トナリ、内山下町帝国ホテルニ於テ侯爵伊藤博文ヲ招待シ、清国漫遊ニ関スル所見ヲ聴聞ス。栄一発起人ヲ代表シ開会ノ趣旨ヲ述ブ。
明治40年1月25日
(1907年)
第23巻 p.692-695(DK230069k)
是日、内閣総理大臣侯爵西園寺公望、京浜実業家ヲ永田町官邸ニ招待ス。栄一之ニ出席シ、一同ヲ代表シ一場ノ答辞ヲ述ブ。