デジタル版「実験論語処世談」(27) / 渋沢栄一

1. 父に無断で百二十両

ちちにむだんでひゃくにじゅうりょう

(27)-1

 私は従来も屡〻発表して置いたやうに、文久三年二十四歳で郷里血洗島から江戸へ出る際の当初の決心は、まづ高崎城を乗つ取り、是処で兵備を整へた上、高崎から兵を繰出して鎌倉街道を横過つて横浜に出で、洋館の焼打を行ひ、これが因になつて外国政府から徳川幕府へ掛合の来るドサクサに乗じ幕府を倒してしまはうといふことであつたので、発足前これが準備を秘密の間に調へて居つたのだが、その時の同志には、真田範之助、佐藤継助、竹内錬太郎、横川勇太郎以下親戚郎党のものも加はり六十九人ばかりのものであつたので、是等の人々の為刀剣を買つたり、其外、着込と謂つて鍛皮を鎖で亀甲形に編付けた剣術の稽古着のやうなものを多数に買ひ集めたりしたのである。然し、秘密の間に行つたことだから素より父に打ち明けるわけにもゆかず、之に要する金は父に隠して藍の商売をした勘定の中から皆支払つたのだ。その総額は百二十両ばかりであつたやうに記憶する。
 私が江戸へ出発した後で父は定めし帳面尻の合はぬのに不審を起すことだらうと思つたから、出発前、右の次第を自邸の近所に住つてた伯父に打明けて話し、私が発足したら其後でよろしく之を父に打明けてくれるやうにと依頼したのである。これは普通の借金と少し性質が違ふが、私が金を借りた最初である。

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デジタル版「実験論語処世談」(27) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.181-182
底本の記事タイトル:二四一 竜門雑誌 第三五一号 大正六年八月 : 実験論語処世談(二七) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第351号(竜門社, 1917.08)
初出誌:『実業之世界』第14巻第11号(実業之世界社, 1917.06.01)*「実験論語処世談」連載記事ではない。