「実験論語処世談」の版について

最終更新日:2018年7月24日  公開日:2017年3月8日

 「実験論語処世談」はこれまでに複数の版(エディション)が刊行されてきた。下記(a)『実業之世界』連載記事を初出として、後の版は、書籍として刊行された版の「系統A」(b,c,d,g)と『竜門雑誌』から派生した版の「系統B」(e,f)の2つに分類することができ、このデジタル版「実験論語処世談」は後者に属している。本文には版ごとに細かな異同があり、詳細な調査は今後の課題である。なお、以下においてはそれぞれの版を〔 〕内の名称で呼ぶ。また、雑誌における回次表記が実際の連載回数と異なる場合には、実際の回次を[ ]内に補記した。

(a) 『実業之世界』連載記事 〔初出〕

  • デジタル版『渋沢栄一伝記資料』の関連綱文:DK410088k

 実業之世界社社長・野依秀一(秀市)(のより・ひでいち、1885-1968)の求めに応じ、栄一が同社記者に口述し、『実業之世界』誌上に連載されたもの。〔書籍版1〕に掲載された野依秀一「実験論語処世談の発刊について」には「実験論語処世談」連載の経緯が以下のように記されている。

そこで、私は、あなた [渋沢栄一] の様に論語を愛読し、其れを体現して居る人は実業界は勿論、その他あらゆる方面に無いと思ふから論語の講義をしていただき度い。「実業之世界」に掲げ度いからと御願した。
 渋沢さんは、私は学者でないから、論語の講義などは出来ないと言はれた。私は更に、一句一句始めから終りまで講義するのではなく、あなたが今日まで、論語を規矩として世に処して来られる間に、人に接し、事に当つて、感ぜられた事、考へられた事を話していただけばいゝ。文句の解釈や講義は、学者に出来るが、さう云ふ活きた論語談は、あなたの外には出来る人が無いから、是非話していただき度いと熱心に幾度も御願した。
(『実験論語処世談』p.855-856)

 当初、『実業之世界』第12巻第9号「七周年記念号」(1915.05.01)への掲載が予告されていたが、実際に連載が始まったのは第12巻第11号(1915.06.01)からで、その後第21巻11号(1924.11)まで、133回にわたり栄一の談話筆記として掲載された。最後の回次表記は第263回となっているが、第40回および第125回から第253回までの回次が抜けているため、実際の連載回数とは一致しない。

 話はおおむね論語の篇章順に進められるが、ここで語られるのは全ての章句ではない。進行上“抜け”があることに加え、栄一の意思により「郷党第十」が省かれ、さらに「衛霊公第十五」の途中で連載が途切れている。記事の末尾や『渋沢栄一伝記資料』に収載された栄一の日記には、口述相手の記者、速記者の存在を複数確認することができる。

 『実業之世界』における他の記事同様、本文はルビで漢字の読みが付されている。ただし、誌面改編後の第107[106]回(第19巻第5・6号、1922.06)から第123[122]回(第20巻第10号、1923.11)まではルビが付されていない。記事にはセクションごとに内容を示す小見出しが立てられ、第24回(第13巻第11号、1916.06.01)以降には回ごとにタイトルが付されている。このスタイルは大見出しの下に小見出しがまとめられるという形で〔書籍版1〕に引き継がれた。

 第10回(第12巻第20号、1915.10.15)から第19回(第13巻第5号、1916.03.01)までの題字は栄一の筆による。第124[123]回(第21巻第1号、1924.01)と第254[124]回(第21巻第2号、1924.02)のタイトルは「実験論語処生談」。なお、本文に関連してキャプションとともに掲載されている図版は、他の版では省略されている。

(b) 『実験論語処世談』 〔書籍版1〕

  • 東京 : 実業之世界社, 1922.12(大正11). 2, 22, 858p ; 23cm(菊判、箱入り). 装幀:中村不折
  • デジタル版『渋沢栄一伝記資料』の関連綱文:DK410088k

 〔初出〕連載中の1922(大正11)年12月、第110[109]回(第19巻第9号、1922.09)までの記事をまとめ、栄一による校閲を経て刊行されたもの。巻頭には栄一の揮毫による題言「己所不欲勿施於人」が置かれ、前付には「「実験論語処世談」刊行に就て」、巻末には野依秀一「実験論語処世談の発刊について」が掲載された。「実験論語処世談の発刊について」には、この書籍化にあたり「渋沢さんは、あの老体で、あの多忙な中に、「実業之世界」の切抜きを、始めから終りまで訂正し、一年を経て、漸く稿本を授けられた。」(p.858)とある。また、1922(大正11)年12月11日付『東京日日新聞』朝刊の広告欄には「本書は大正四年から毎月一回乃至二回つゝ之を筆記し、大正十一年まで約八年間に亘つて成つたものを、渋沢子が約一ケ年間其の忙中の寸陰を割いて懇切叮嚀に校閲訂正し、漸く世に出すに至つたものである。渋沢子爵の名を冠した怪しき著書が尠くないが、本書は全く撰を異にし、一字一句悉く子爵の筆になつたと同様である。」と書かれている。

 前記広告欄に「全文総振仮名付」とあるとおり本文ルビ付き。冒頭より大見出しごとに複数の小見出しをまとめる形をとるが、見出しの文言とグルーピングは〔初出〕と異なる部分がある。また、一部の記事は省かれており、掲載順が異なる箇所もある。刊行後『実験論語処世談正誤表』(32p、約360項目。うち3分の2はルビの修正)がまとめられ、希望者に送付された。

(c) 『処世の大道』 〔書籍版2〕

 1923(大正12)年9月1日の関東大震災による紙型焼失のため絶版となっていた〔書籍版1〕にかわり、新たに版を組み、判型を小さくして価格を下げ、広く読まれるよう改題したもの(書名の読みは「しょせいのたいどう」)。装幀も〔書籍版1〕とは異なっている。1928(昭和3)年10月1日の「子爵渋沢栄一閣下米寿祝賀会」開催にあわせて刊行された。

 〔書籍版2〕は〔書籍版1〕の内容を踏襲しているが、「明治大帝」を「明治天皇」に変更するなど本文等に異同がある。一方で、正誤表の内容が反映されているようには必ずしも見受けられない。巻頭には栄一の揮毫による題言「徳不弧必有隣」を掲載、再版以降では肖像写真の掲載も確認されている。〔書籍版1〕の「「実験論語処世談」刊行に就て」と「実験論語処世談の発刊について」は省かれ、前付には新たに野依秀一「はしがき」が掲載された。本文ルビ付き。2017年3月時点で確認されている中では、1928(昭和3)年9月20日に初版が発行され、その後再販(9月25日)、3版(10月10日)、4版(10日15日)、5版(10月25日)と版(刷)を重ね、同年11月下旬には18日に11版、20日に12版、23日に13版、25日に14版というペースで発行されている。また、栄一の単独御陪食を記念して、1930(昭和5)年2月1日には定価3円を半額の1円50銭に設定した「普及版十版」が発行された。

 栄一没後に刊行された「十一版」(1931年11月15日発行)では肖像写真が差し替えられ、野依秀市「渋沢翁の長逝を悼む(増刷に当りて)」を追加。その後絶版となったが、『実業之世界』創刊三十年を記念して発行された「十二版」(1937年5月13日発行)ではさらに野依秀市「故渋沢栄一子爵記念のために : 実業之世界の創刊三十年に当りて遺著「処世の大道」を重刷する言葉」が追加された。なお「十一版」の奥付には、10版について「昭和四年十二月二十日十版発行」と書かれており版次と発行日について混乱が見られることから、〔書籍版2〕の発行歴に関しては今後さらなる調査が必要である。

 第2次世界大戦後は絶版となったが、栄一の二十三回忌を迎えた1954(昭和29)年に「改版増刷」が刊行された(1954年7月15日発行)。それまでと異なる肖像写真、書「徳不弧必有隣」、「はしがき」のほかに渋沢敬三「「処世の大道」に就いて」、野依秀市「改版増刷について」、栄一書簡(野依宛)を掲載。「「処世の大道」に就いて」には「本書の初版は、祖父在世中の昭和三年九月に発行されたものであるが、その後絶版の形であつたのを、祖父の二十三回忌に際し、野依君が祖父を想起し、且つ時勢を嘆じ、以て今こそ本書発刊の必要を痛感されたとして、改版増刷を見るについて、私に一言感想を述べよと請わるるままに、一文を草した次第である。」と書かれている。

 その後、『実業の世界』第73巻第6号(1976.06)から第76[ママ]巻12号(1978.12)まで、「企業と倫理 : 渋沢栄一著『処世の大道』を読む」というタイトルで、27回にわたって〔書籍版2〕の前半部分(「井上馨は怒を遷す人」の途中まで)が再録された。第73巻第6号p.54の「はじめに」には、栄一の紹介、『処世の大道』の書誌的来歴に続き、「今日、日本の各層に求められているものはモラルである。とりわけ、企業人にそれが求められている。小誌は再びその卓説を数多くの人々に味読していただきたいと思い、原文のままを再録することにした。この機会に題名を「企業と倫理」と改題した。」とある。ここでは、一部の漢字を開き、かなづかいを現代のものに改めるなど、読みやすくなるような修正が行われている。

(d) 『渋沢栄一全集』第2巻 〔全集版〕

  • 東京 : 平凡社, 1930.07(昭和5). 38, 682p ; 23cm(菊判、箱入り)
  • デジタル版『渋沢栄一伝記資料』の関連綱文:DK480046k

 1930(昭和5)年に平凡社より刊行された『渋沢栄一全集』全6巻のうちの第1回配本。〔書籍版1、2〕における序文等は省かれ、本文のみが収録されている。外箱とジャケット(カバー)には「青淵実験論語」、副標題紙には「実験論語」とあり、本文中の論語章句は文字を大きくし、読み下し文の冒頭には「【訳読】」を追加するなどの工夫が施されている。本文ルビ付き。

 「明治大帝」という言葉を用いているところから〔書籍版1〕由来かと思われるが、〔書籍版1、2〕とは異なるルビを振っている箇所もあり、内容についてはさらなる調査が必要である。なお、〔書籍版1、2〕の「時には返答に困ることがある」「大典参列の光栄と渡米」「渡米の精神論語に発す」は割愛されている。

(e) 『竜門雑誌』連載記事 〔竜門雑誌版〕

 『実業之世界』における連載と並行して、竜門社の機関誌である『竜門雑誌』に〔初出〕記事を転載したもの。『竜門雑誌』が月刊誌である一方、『実業之世界』は1918(大正7)年の第18巻まで月2回刊だったこともあり、数回分の記事がまとめて掲載されることもあった。

 『竜門雑誌』での連載は第325号(1915.06)から第434号(1924.11)まで69回(回次は第47回と第52回が重複して付けられているため、第67回が最後となっている)を数え、転載されたのは〔初出〕の第49[48]回、第62[61]回、第90[89]回、第92-94[91-93]回、第98[97]回、第263[133]回を除く125回分である。この中には〔書籍版1、2〕で省かれた回や〔書籍版1〕刊行以降の連載分も含まれる。なお、〔竜門雑誌版〕第27回は『実業之世界』第14巻第11号(1917.06.01)から採られているが、「実験論語処世談」連載記事ではない。

 タイトルは初回のみ「実験論語処世訓」で、第2回以降は「実験論語処世談」。第52[54]回は「実験論語処世談 : 理財と道徳」とサブタイトルが付されている。転載時に大見出しとほとんどのルビは省かれ、何らかの編集が施されているため〔初出〕とは異同がある。

(f) 『渋沢栄一伝記資料』別巻掲載記事 〔伝記資料版〕

  • 『渋沢栄一伝記資料』別巻第6
    東京 : 渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11(昭和43). 19, 690p ; 27cm(B5判、箱入り)
  • 『渋沢栄一伝記資料』別巻第7
    東京 : 渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05(昭和44). 12, 626p ; 27cm(B5判、箱入り)

 『渋沢栄一伝記資料』編纂時、別巻第6および第7の「新聞・雑誌に掲載せられたる談話」に〔竜門雑誌版〕の全69編が収載された。別巻第6の前付p.3に掲載されている「解題」には、その経緯が以下のように書かれている。

一、論語に就いては代表的な「実験論語処世談」を収録した。「実験論語処世談」は大正四年六月から、「実業之世界」に掲載され、大正十一年九月までの分を纏めて単行本として刊行され、後に「処世の大道」と改題されたものであるが、談話それ自体は更に大正十三年末まで継続して行われたのでその全文を収めた。但、資料は「実業之世界」に依らず、「竜門雑誌」転載に依つた。それは転載に際して取捨と訂正(それには栄一の意見が加わつていたと思える)があつたと見られることと、刊本は大正十一年九月以降は収めていないからである。

 〔竜門雑誌版〕に基づいているが、〔初出〕や〔書籍版1、2〕、あるいは〔書籍版1〕の正誤表から繰り入れたと思われる箇所がある。また、記事の重複となる〔竜門雑誌版〕第60[62]回の末尾3編(「野依秀一と初対面の動機」「実業界に身を投ぜし所以」「実業界隠退の時機」。いずれも第52[53]回の掲載内容と重複。)が割愛され、渋沢家家訓退官建白書など、『渋沢栄一伝記資料』本編への参照指示に置き換えられているところもあり、必ずしも〔竜門雑誌版〕とは一致しない。デジタル版「実験論語処世談」はこの〔伝記資料版〕を底本としている。

(g) その他の版

  • 経営思潮研究会編『経営論語』
    東京 : 徳間書店, 1965.12(昭和40). 253p, 図版1枚 ; 20cm(四六判、箱入り)
  • 由井常彦監修『現代語訳経営論語 : 渋沢流・仕事と生き方』
    東京 : ダイヤモンド社, 2010.12(平成22). xx, 265p ; 19cm(四六判)

 主要部分のみを編集し現代語訳したもので、ダイヤモンド社版は徳間書店版を継承している。徳間書店版の「例言」およびダイヤモンド社版の「凡例」には、「本書は渋沢栄一著『実験論語』を編集」「原著は、菊判六八〇頁」とあることから〔全集版〕を基にしたと考えられる。序文として、徳間書店版には渋沢秀雄「論語ずくめ : 序に代えて」と経営思潮研究会「解題」が、ダイヤモンド社版には渋沢雅英「曽祖父・渋沢栄一の遺したもの : 序に代えて」と由井常彦「道徳《モラル》と商売《ビジネス》の両立」が掲載されている。