デジタル版「実験論語処世談」(24) / 渋沢栄一

4. 井上侯は怒を遷す人

いのうえこうはいかりをうつすひと

(24)-4

 孔夫子はお弟子のうちで誰よりも顔回を最も多く賞めて居られるがこれは顔回が不幸短命にして死んだので、恰も逃げた魚が大きく思はれるのと同じやうに、何んとなく孔夫子は顔回を一番豪らかつた如くに感ぜられた傾向があつたのにも因らうが、又実際に於て顔回が豪らかつたからでもある。公冶長篇に顔回の語として載せられてある「願くは善に伐る事無く、労を施す事無けん」などといふ言は、余程修養したところが無いと兎ても吐ける言葉で無い。孔夫子が顔回を賞せられたのは、顔回の修養是れただ力め一時も向上の志を絶たなかつたといふ性格にある。「顔回なる者あり学を好む」と仰せられた孔夫子の言は、実にこの消息を語るものだ。学を好んで修養向上を怠らぬやうにしてさへ居れば、人は自然と顔回の如く怒を遷さぬやうにもなり、又過失を再びせぬやうにも成り得らるるものである。怒を遷したり過失を弐びしたりする人は、つまり修養の足らぬ人で、之を称して学を好まぬ人であると謂つても決して過言で無い。
 ただ書籍を読んで居るから、学問をして居るから、頭脳が利くからといふ丈けでは、怒を遷さざる事顔回の如くになれるもので無い。一例を挙げて謂へば、井上侯の如きは学問もあり、識者でもあり、頭脳も能く利いた人だが、至つて怒を遷したがる性分の仁であつたのだ。如何に思慮分別のある人でも、この事は又別段なものと見え、井上侯は来客でもあつた時に、取次に出た女中が何か一つヘマな真似でもすれば、何の罪も無い客にまで怒を遷し、ガサガサ当りちらして不機嫌な様子をせられたものである。井上侯ほどに頭脳も利き、書籍も読んで居られ、俗に所謂学問のある人でも、怒を遷さぬといふ事は至難としたところであつたらしい。
 之に反し、頭脳がさまで明敏だといふでも無く、又学問があるといふでも無く、別に大した人物といふのでも無いのに、怒を遷す如き子供じみた真似をせぬ人が往々世間に無いでも無い。そんなら斯る人は悉くみな世に立つて有用の材となり、社会の進歩に貢献し、自分も栄達を遂げてゆけるかといふに爾うで無い。怒を他人に遷したり、過ちを弐び三たびするやうな人物でも、智恵のある為に立身出世し、社会の進歩にも力を添えてゆける人が却々に多いのだ。是処に至ると、人間に取つて何よりも大事なものは智恵であつて、怒を遷さぬとか、過ちを弐びせぬとかいふやうな美徳は、実にツマランものであるかの如くに見えぬでも無い。然し、これは其一を知つて其二を知らぬ観察の仕方で、智恵のある人が、其上に猶ほ怒を遷さず、過ちを弐びせぬ美徳を具へて居つたら、どれ程世間から崇尊せらるるやうに成り得たらうか、と稽ふべきものだ。又怒を遷さず過ちを弐びせぬ人で、若し性来の智恵が無い上にこの美徳までが無かつたらどれ程ツマらぬ人物に成り果ててしまつたらうか、といふ事を稽へてみるが可いのである。必ずや思ひ半ばに過ぎるものがあらう。

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デジタル版「実験論語処世談」(24) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.157-164
底本の記事タイトル:二三五 竜門雑誌 第三四八号 大正六年五月 : 実験論語処世談(二四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第348号(竜門社, 1917.05)
初出誌:『実業之世界』第14巻第6,7号(実業之世界社, 1917.03.15,04.01)