デジタル版「実験論語処世談」(24) / 渋沢栄一

1. 「論語年譜」を贈らる

ろんごねんぷをおくらる

(24)-1

哀公問。弟子孰為好学。孔子対曰。有顔回者。好学。不遷怒。不弐過。不幸短命死矣。今也則亡。未聞好学者也。【雍也第六】
(哀公問ふ。弟子孰れか学を好むと為す。孔子対へて曰く。顔回なる者あり学を好む。怒を遷さず、過ちを弐びせず。不幸短命にして死す。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かざるなり。)
 今回から論語の第六篇たる雍也篇に入り、不相変ポチポチと其処此処の章句を抜いて、処世の上に私が実験して来た感想を談話するが、茲に揚げた章句は、孔夫子が晩年自分の生国たる魯に帰られてから、当時魯の王様であらしつた哀公との間に交換せられた問答を記載したもので、孔夫子は七十三歳で卒せられたとの事故、この問答は恐らく孔夫子の卒せらるる前一二年頃にあつたものだらうと思はれる。孔夫子の遺された数多い教訓のうちでも、那的言は何んな場合に発せられたもの、這的教言は何ういふ場合に臨んで垂れられたもの、といつたやうに、能く其間の消息を呑み込んで居れば、同く論語を読むにしても其章句の意義が一層明瞭に理解せらるるやうになるだらうと私は思ふ。それに就て一つ申述べて置きたい事がある。私は昨大正五年七十七歳の俗に所謂喜寿を迎へたので、私の一門知己によつて組織せられて居る竜門社の同人間に、私に何か祝賀の意を表するに足る品物を贈りたいとの議が起つた際、同社の評議員会の席上で会長の阪谷男爵から「論語年譜」を編成して之を贈ることにしては如何か?との提案があつた。処が、幸に斯の提案が容れられたので、同男爵は三上参次博士、萩野由之博士とも熟議の結果、現今の学者で最も能く支那の経書に精通して居る人は東京高等師範学校教授の文学博士林泰輔氏であらうから、同博士に其編纂を委嘱するが可からうといふ事に一決し、竜門社より同博士に愈々之を御頼み致したのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(24) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.157-164
底本の記事タイトル:二三五 竜門雑誌 第三四八号 大正六年五月 : 実験論語処世談(二四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第348号(竜門社, 1917.05)
初出誌:『実業之世界』第14巻第6,7号(実業之世界社, 1917.03.15,04.01)